実家で山を所有しているが、どのように活用すればいいかわからず持て余している所有者も多くいることだろう。そんな“山主”の目線で山の活用を探ってみたいと、実家で山林を所有しているhibi-kiのライター安江氏に手記を残してもらうことにした。所有する山林とどう関わり、活用していくのか。それとも、しないのか。率直なその足跡を追っていこう。シリーズ第6回は、山の“整備”や“活用”のそもそも論について改めて見つめ直す。
山を活用する=林業
なのか?
《過去の手記一覧》
① どうする?実家の山
② 土地の記憶
③ 山仕事の歴史
④ あいまいな境界線(現場編)
⑤ あいまいな境界線(机上編)
山の境界がわからないから、整備ができない。
林業の世界ではこのことが大きな問題になっている。「整備ができない」とは、林業のために山を使えないということ。つまり、“森林施業”ができないことを意味する。
例えば、木を伐って原木市場に運び、丸太が売れて初めて収益となるのだが、この際に「伐採届」という書類の提出が必要となる。伐採届には「どこの山からこのくらいの木を伐りました」という情報を記載する。そのためには、面積を測量して木の状態や本数密度を調べ、間伐(間引き)するのか皆伐(対象地の木をすべて伐ってしまう)するのか決めるという工程が要る。境界がわからないとそもそもこの作業ができないので「整備ができない」ということになる。
「そういうものなんだ」と同時に、「ん、待てよ」と思った。
もともと、持山について調べて活用の道を探りたいからはじめたことだ。だから「林業」は活用のいち側面のはず。なのにこのままだと「木材生産としての森林施業ができるか否か」の話しかしなくなってしまう気がした。
これから活用の道を探る過程で、この点は注意したい。
そもそも、人と森には林業以外にも様々な関係性があったはず。技術や文化が変化した現代で「昔と同じように」とはいかないことは承知の上だが、もっと古い関係性まで辿っていけば、今でも見直せるような関わり方があるかもしれない。このあたりは別の機会に考えるとして、まずは「山の整備というと、すぐ林業の話になってしまうのはなぜか?」ということを考えてみたい。
「お金になる」という期待感
すこし前、今のような山になった経緯を調べた。
いま裏山に広がっている森は、いまから60年ほど前の拡大造林期に植えられたものだった。林業の盛衰に関しては他にいくつもテキストがあるので、ここでは割愛する。ただ「なぜ植えたのか」といえば、木材の需要がこれから増えていき、木が高く売れることを見込んでいたからだ。ところが、想定通りに木は売れず、木材価格は下がり続けた。
この流れはなんとなく知っていたが、ずっと気になっていたのは「植えた時、その後のことをどう考えていたのか?」ということ。この時期にはすでに、近代的な林業の基本的なサイクルはできあがっていたはずだ。植えた後には、下草刈り・枝打ち・間伐などたくさんやらなければならないことがある。大きな手間がかかることがわかっていながら、それでも植えたのは「お金になる」という期待感が持てたからだと思う。だから、お金にならないことがわかってくると山の手入れはコスパの悪い仕事になり、おまけに人手も足りなくなる一方なので、放置される山が増えていったということだろう。
もっとも、そこまで深く考えられていなかったという方が現実に近いかもしれない。おそらくは、スギやヒノキを植えることが国策として奨励されていた頃、実際の舵取りは集落単位の合意で進められたのではないか。いまよりずっと地域コミュニティのつながりが重んじられていた時代、たとえ「植えたくない」という人がいたとして、個人の判断でその流れに抗うことなど相当に難しかったに違いない。
ともあれ「植えたはいいけど後ほったらかし」の状況はこうして生まれたと予想される。
誤解していた間伐の意味
裏山に広がっているのは木材生産のためにつくられた森で、あるべきサイクルが止まってしまった状態。この「止まったサイクル」として、もっとも顕著な工程が間伐だ。ただ、調べていくと、自分は間伐の意味合いを少し誤解していたことに気がついた。
世間一般はどうかわからないが、自分は間伐というと「木が太くなり、密度が高くなってきたら立木をある程度間引きして、残った木が生育しやすいようにしてあげる」という理解をしていた。
事実、植林するときはかなり“密”な状態で植えられる。“密”な状態で植えられる理由は、風や雪の影響を受けて倒れることを防いだり、上に向かって伸びないと光が得られないと木に思わせ、まっすぐ成長することを促したりする効果がある。学生の頃、風雪害への抵抗性を満員電車に例えて教えてもらったことを思い出した。
ただ、ずっと“密”な状態だと光の奪い合いになってしまい、木が大きくなれなかったりする。森林の下層まで光が届かなくなるので、土壌が流出しやすくなったりもする。だから間引きをする。だと思っていた。
これは正しいといえば正しい。けど、意味合いの理解は限定的で、林業の経営的な視点が抜け落ちている。
経営的な視点でみると、間伐は、木材生産のサイクルの途中で収益を生む機会になる。なので間伐する時は状態の悪い木だけではなく、売り物とすることができる木も伐る。そうやって林業の長い時間スパンの中でキャッシュが入る機会を確保しつつ、将来的に“銘木”といわれるような大径木を育てていく。これが本来のサイクル。
昔よりは木材の価格が下がってしまって、間伐が収益になりにくいというのは事実かもしれない。ただ、原木市場によってはどんな木にいくらの値段が付いたのか公開しているところもあるが、中途半端な太さのスギより、細い材の方が単価が高くなっていることも実際にある。土木工事の資材などに使われるらしい。存在自体の是非もあるが、バイオマス発電の燃料という用途も増えていると聞く。昔にはなかった需要もあるとは考えてよさそうだ。
いろいろ書いたけど、とりあえずの考察としては、長期的・経営的な視点で山と付き合っていくために間伐は重要ということ。一方で「それができれば苦労はしねぇよ」と誰かに言われそう。
といいつつ「止まってしまった木材生産のサイクルを再び回す手段としての間伐」が、持山を活用する際の重要なファクターとなりそうなので、次は、何にどのくらいコストがかかるのか、いまの山の状態でも収益化が可能なやり方はあるのか、リサーチしてみよう。
これは時間がかかりそうなので、この手記の話題からは一旦切り離します。林業とは別の視点でいくつか試してみたことがあるので、今後しばらくは、そのあたりのことについて触れます。
(あとがき)
こんにちは。
岐阜県の真ん中くらい、お茶の産地に実家がある“山主”です。
自分と同じように持ち山のある人、いまは実家を離れているけど、実家が「林家」に該当する方を想定読者としています。似たような境遇の方や、興味を持っていただける方と情報交換しながらやっていければうれしいです。
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