静かなる革命
# 4
ある山主の手記①
どうする?実家の山
2021.6.9

実家で山を所有しているが、どのように活用すればいいかわからず持て余している所有者も多くいることだろう。そんな“山主”の目線で山の活用法を探ってみたいと、実家で山林を所有している筆者は考えた。そしてそれを手記に残すことにした。所有する山林とどう関わり、活用していくのか。それとも、しないのか。率直なその足跡を追っていきたい。

写真・文:安江 悠真

前から気になっていたこと

「お前んちの山でキャンプ出来たら最高やのにな~」

2019年の秋、コロナショックが起きる少し前、友達に言われたこの一言をきっかけに、前からなんとなく気になっていたことを行動に移すことにした。

気になっていたこと、自分の持ち山の活用。

“自分の”といっても、実家が資産として所有する山林なので、正確に言えば所有者は父だ。ただ、自分は長男なので、いずれ相続して所有することになる。実家の山については父からも「好きにしなさい」と言われていて、どこかで手を付けたいと思っていた。

プライベートなキャンプ場をつくって、好きに楽しむ。

考えてみただけでワクワクする。ワクワクするけど、どこかで、「それだけ?」という気もしている。正確な広さはわからないけど、かなりの面積があるはずなので、当然キャンプだけでは活用しきれない。

広さの問題ではない気がする。

じゃあ、「それだけ?」だと感じるのは、活用方法が限定的だからだろうか?確かに、キャンプ以外にも使い道があるんじゃないかと思う。月並みだけど、時々野山を散歩したり、山菜を採ったりしながら暮らすことは魅力的だと思う。そもそも、大部分はスギやヒノキの植林地のはずだけど、木材として活用することはできないのだろうか?例えば、自分の山で伐った材で本棚を作ろうと思ったら、どうすればいいのか?薪ストーブの燃料を自分の山で賄えたら、経済的な生活が送れるのではないか?

もともと好奇心は強い方で、活用方法のことも知りたくなる。

その土地はいつからうちの山で、先祖はこの山をどうやって使ってきたのか。あまり使われなくなったのは、いつ頃からのことなのか?不動産として、この先誰かに売ったり、逆に買ったりできるものなのか?

曲がりなりにも農学部の出身なので、日本の農林業の現状はなんとなく知っているつもりでいる。人の暮らしと森林はかつて密接に関わっていたが、現代ではその関わりが薄れてしまっていること。日本の森林面積のおよそ7割は民有林で「林家」と呼ばれる世帯が所有しているが、多くは山を「所有しているだけ」の状態であり、遊休資産となっていること。

実家の山は、まさにそれらの典型例なのだけど、これまであまり興味がなかった。正直、これまでもこの先も、関わらなくても生活していけるものだったかもしれない。震災やコロナショックで世の中は大きく変わっているから、人が山にもっと関わる時代がこの先来るかもしれない。けど、今、何不自由なく暮らしている日々の生活の中で山のことなんて、よほどのことがないと目が向かない。ただ、興味を持ってしまったが最後、動機付けをしたくなるのが自分の性分で、そんなことを考えているうちに見方が変わった。

奇しくも、30歳になり、この先どこでどうやって生きていくのか。なんて、中二病のようなことを考え始めるようになってきたところだった。なので、興味があることのリサーチと同時に、自己分析に絡めながらやっていこうと思う。

そうしたいのは、同じものを大量に、安くつくれるようになったこの時代に、自分だけのオリジナルなものがあるということは、幸せなことだと思うからだ。かっこよく言い過ぎな気もするけど、自分には大して何もないと思う前に、自分のルーツや今の立ち位置を丁寧に辿ってみることは、この先の時代を生きていくヒントになるかもしれないと思えてきた。

正月休みに
実家の裏山を歩いてみた

そんなこんなで、正月休みに、実家の山を歩いてみた。

うちの実家には、わかりやすく“裏山”がある。父によれば他の場所にも持山はあるそうだが、すぐにアクセスできるのが裏山なので、とりあえずはそこに入ってみた。

といいつつ、子どもの頃からここにいるので、入るのが初めてというわけではない。裏山と畑の間にある竹藪には今でもタケノコを堀りに行くし、昔はマツタケもよく採れた。実家はごく最近まで水道も引いていなくて、裏山の谷筋から直接水を引き込んでいたので、大雨の後はメンテナンスにいく父について山に入ることもあった。

ただ、どこからどこまでがうちの山だとか、山としていまどんな状態にあるのか、といったことを家族に訊いたことはなかったので、父に頼んで、近々、持山の境界線を教えてもらうことにした。

父に教えてもらう前に、一人でざっと歩いてみた率直な感想を述べれば、よくあるほったらかしの山。傾斜が急で作業道もない。林床は暗くて樹種も乏しい。何の変哲もないどころか、日本の林業の闇を体現してるレベルの不成績造林地に見える。いきなり暗黒面が見えてしまったが、これはあくまで林業という目線で見た時の話。しばらくは、あまりそこには捉われないようにして、山のいろいろな側面を見るようにしたい。

例えば、今回の山行で、土地に刻まれた記憶の断片をいろいろと見つけた。炭焼き窯の跡、獣の侵入を防ぐための“シシ垣”の跡、小さな祠。まずは、それらにまつわる話を家族に訊いてみて、土地の記憶を読み解くところからやっていこうと思う。

それから、自分の興味を惹くには十分な“自然の造形”ともいうべき、見た目や形が面白いものをいろいろと見つけた。養老孟子さん曰く、自然とは「人が意識的につくらなかったもの」。何でこんな形になったのだろうと想像することは、単純に楽しい。

あまり書くと、無理にポジティブに終わろうとしているかのようになってしまうので、この辺にしておく。まずは、好奇心に従って、一通りのリサーチをしてみるつもり。そしてその先で、この森に、自分ならどんな関わり方ができるのか。

仕事でも趣味でも無い時間を充てて、これから考えていくことにする。

(あとがき)
こんにちは。
岐阜県の真ん中くらい、お茶の産地に実家がある“山主”です。

この度、持山の活用方法を探ることにしまして、その過程をこのサイトで連載させてもらえることになりました。よちよち歩きで進めていこうと思います。

自分と同じように持ち山のある人、いまは実家を離れているけど、実家が「林家」に該当する方を想定読者としています。似たような境遇の方や、興味を持って頂ける方と情報交換しながらやっていければうれしいです。

調べてほしいことなどあれば、メッセージください。
もちろん感想や質問などでも大歓迎です。

Instagram:@ymyse_525
Mail:yasueyuuma@gmail.com

安江 悠真 (やすえ・ゆうま)
岐阜県白川町出身。昆虫少年の延長で岩手大学の農学部に進み、林業と野生動物の関係を研究テーマとして、遠野市でクマを追う。現在は岐阜県に戻り、山の仕事をしながら実家と高山市を往復する日々を送る。