静かなる革命
# 7
ある山主の手記③
山仕事の歴史
2021.7.29

実家で山を所有しているが、どのように活用すればいいかわからず持て余している所有者も多くいることだろう。そんな“山主”の目線で山の活用を探ってみたいと、実家で山林を所有しているhibi-kiのライター安江氏に手記を残してもらうことにした。所有する山林とどう関わり、活用していくのか。それとも、しないのか。率直なその足跡を追っていこう。シリーズ第3回は、裏山から読み取れる、家族の山仕事の歴史に迫る。

写真・文:安江 悠真

若き日の
祖父の仕事

40年ほど前、祖父が山仕事をしていた頃の家の写真。

うちの実家は岐阜県の真ん中あたり、お茶の産地として有名な町にある。
20年程前に亡くなった祖父も製茶業を営んでいた。自分もちょうど物心ついた頃で、その記憶はあった。なので、祖父は若い頃からずっとお茶屋さんだったのだと思っていた。

若い頃の祖母。背負われているのは生後間もない父。

ところが祖母曰く、祖父がお茶屋さんだったのは亡くなる前の10年くらいで、その前は製材所に勤めたり、山仕事をしたりしていたらしい。そんな歴史があったとは知らなかった。今になってとても興味が湧いたので、その経緯をいろいろと聞いてみた。

祖父が山仕事をはじめたきっかけは、いまから60年ほど前の1959年に起きた伊勢湾台風。当時、裏山にはすでに立派なヒノキ林があったのだが、その多くが倒れてしまったらしい。荒れ果てた山を見た祖父は、倒れた木を材木として売ることに決め、それを契機に勤めていた製材所を辞め、事業をはじめたのだそうだ。曽祖父や集落の人だけでなく、町内の何人もの人たちと一緒に仕事をしていた。山から伐りだした材は、トラックを持っていた人に頼んで、岐阜市にある材木屋さんまで運んでいた。

山仕事をしていた頃の祖父。

そういえば子どもの頃に何度か、「お前のじいさんには仕事で世話になった」と言われることがあった。その頃は、祖父は付き合いの多い人だったのだろう、くらいにしか思わなかったが、製茶業は一人で営んでいたはずなので、今思えば「仕事で世話になった」はお茶屋さんではなく、山仕事をしていた頃の祖父のことだったのだろう。

ゼロから会社を創り、人を雇って仕事をする。そんな祖父の働く姿はかっこよかったに違いない。一度、この目で見てみたかった。

いまから60年前
祖父の見た景色

伊勢湾台風が起きたのは1959年。
ちょうどこの頃、日本は戦後増加する木材需要に対応するため、世にいう「拡大造林計画」を推し進めていたはずだ。広葉樹の森を伐採して、スギやヒノキの山に変えはじめたのがこの頃だ。うちの町でもその影響はあったと思うが、この地域は古くからヒノキの産地であったため、その頃にはもう立派なヒノキ林があったのだろう。

後で森林簿(植えられている木の樹種や樹齢が書いてある帳簿)を見てわかったことだが、裏山のスギやヒノキは、一番古いもので林齢60年くらい。だいたいがそれより若い。つまりは、伊勢湾台風のあたりでまとめて倒れてしまった時に一度リセットされ、その後植えられたスギやヒノキが、今の裏山を形成していることになる。

裏山の入り口には1本だけ、他の木と明らかに大きさの違うスギが立っている。
幹回り数メートル、100年は軽く超えていそうな大きさ。祖母によれば、伊勢湾台風の頃にはすでに立派な大木になっていて、台風にも負けずに残った木だそうだ。逆に言えば、この木以外には山にほとんど木のない時代があったということだ。スギやヒノキで覆われた今の状態からは想像が難しいが、祖母はその景色を覚えているらしい。

裏山の木は、かなり高いところまで枝打ち(良質な木材を生産するために、木の下枝や枯れ枝を切り落とすこと)がしてある。
おそらく祖父は、お茶屋をはじめた後も、植えた木をいつかは収益に変えられるように、きちんと管理し、手入れをしていたのだろう。丁寧な仕事をする人だったのかもしれない。祖母も若い頃は山仕事を手伝っていて、枝打ちのために木に登っていたそうだ。

ただ、その後手が入らなくなってしまって、今ではかなり鬱蒼としてしまっている。たぶん、木々の密度が高すぎるのだ。付け焼き刃の知識だが、もともとはまっすぐ育つようにある程度密に苗を植え、成長するに従って間引きして、それを間伐材として収益にしていくのが基本的な林業のスタイルのはずだ。そのサイクルが途中で止まってしまった故の、今の景色なのだろう。

別に大地主というわけではないが、これだけ山があるのだ。
植えるところからでなくとも、過密になった山の一部を伐るところからでも林業に携われるのであれば、止まってしまったサイクルを再び動かすことができるのではないか。

そんなことを考えた。
祖父の丁寧な仕事の価値が残っているうちに、形にしたい。

(あとがき)
こんにちは。
岐阜県の真ん中くらい、お茶の産地に実家がある“山主”です。

自分と同じように持ち山のある人、いまは実家を離れているけど、実家が「林家」に該当する方を想定読者としています。似たような境遇の方や、興味を持っていただける方と情報交換しながらやっていければうれしいです。

調べてほしいことなどあれば、メッセージをください。もちろん感想や質問などでも大歓迎です。

Instagram:@ymyse_525
Mail:yasueyuuma@gmail.com

安江 悠真 (やすえ・ゆうま)
岐阜県白川町出身。昆虫少年の延長で岩手大学の農学部に進み、林業と野生動物の関係を研究テーマとして、遠野市でクマを追う。現在は岐阜県に戻り、山の仕事をしながら実家と高山市を往復する日々を送る。