静かなる革命
# 5
ある山主の手記②
土地の記憶
2021.7.1

実家で山を所有しているが、どのように活用すればいいか分からず持て余している所有者も多くいることだろう。そんな“山主”の目線で山の活用を探ってみたいと、実家で山林を所有しているhibi-kiのライター安江氏に手記を残してもらうことにした。所有する山林とどう関わり、活用していくのか。それとも、しないのか。率直なその足跡を追っていこう。シリーズ第2回は、裏山の土地の記憶に光を当てた。

写真・文:安江 悠真

山の中腹の不自然な窪み
炭焼き窯の跡

実家には、わかりやすく“裏山”がある。
2020年の正月休み、ほとんど雪の降らなかったこの年の冬、裏山を少し歩いてみた。

父によれば、家のまわり以外にも、いくつかの場所に飛び地として山があるらしい。そっちの方にもいずれ行ってみるとして、まずは、家を囲むように位置しているこの山が一番とっつきやすそうなので、そこから見にいくことにした。

その裏山で、土地の記憶を読み取れそうな痕跡をいくつか見つけたので、それについて家族に聞いてみた。特に、家族の中で一番古い記憶を持っている祖母は、いろいろなことを教えてくれた。

家の真横には、小さな沢が流れている。実家はこの沢から直接水を引き込んで生活に利用しているので、上流には簡単な取水設備がある。この沢に沿って登っていくと、途中で沢が二股に分かれていて、その合流地点に少し平らになった場所があった。

そこから再び斜面になるところに、直径3mくらいの不自然な窪みができていた。窪みには小さな出口のようなものがあって、その前の山道は石垣を積んで整地されているようにみえる。自然に出来たものとは考えにくい。おそらくは、炭焼き窯の名残りだと思う。

祖母も、この場所のことを知っていた。祖父が若い頃、集落の人と一緒に炭焼きをやっていたらしい。この場所は今ヒノキ林になっている。けど、炭焼き窯があるということは、炭焼きに適した樹種のクリやコナラもたくさんあったはずだ。祖母によれば、マツも、ナラの木ほどではないが炭には適しているそうで、よく焼いていたそうだ。現在の景色から想像することは難しいが、当時は、今と違う森が広がっていたのだろう。

同じような炭焼き窯の跡が、裏山に3つほどあった。昔はどの家も、裏山の木を炭にして燃料として使っていたので、この時代の炭焼き窯は特に珍しいものではない。自分で消費する分はもちろん、現金収入の手段にもなっていたらしい。

人と野生動物の境界
シシ垣

裏山に入ってすぐのあたりに、幅2mくらいの溝が掘られている。一部は埋もれてしまっているが、この溝は、この集落を一周しているらしい。これは“シシ垣”といって、集落に獣が侵入してくるのを防ぐための垣根を作り、畑を荒らされるのを防いでいた名残。

垣根といっても高さ1m程度なので、野生動物であれば物理的に越えられるはず。それでもシシ垣が獣の侵入を防ぐ役目を果たしていたのは、そこに人の目があったからだと思う。獣の方にも、「向こうに美味しそうなものがあるけど、ここより先に踏み込んだら危険だ」という警戒心があって、心理的な障壁になっていたはず。今は、シシ垣に沿って高さ2m程度のフェンスが張られていて、それが獣害防止の柵になっている。昔とは違って、物理的な防御。そうしないと獣の侵入を防げないというところに、昔と今では人と動物の関係性が変わってしまっていることを感じる。

キツネが祀られた
小さな祠

裏山の中には小さな祠がある。年に数回はお供え物をしに行くので、この場所のことは知っていたが、その由来についてあまり細かく聞いたことはなかった。祖母によれば、この祠ができたのは、ずっと昔の話、実家の裏手に尾が2本あるキツネが倒れていて、このキツネを祀るために建てたのだという。それで、お参りに行くときはお酒と油揚げをお供えしている。

嘘かホントかはわからない。けど、お供え物は、次来る時には必ずなくなっている。自動撮影カメラを持っているので、誰の仕業か確認することは簡単だけど、なんだか、そんなことはしたくない。それよりも、部活の大きな試合の時、大学受験の時、就職活動の時、なにかとここを訪れてはお参りすることで、家族の一体感が保たれてきた。この習慣を、曖昧なまま続けていく方が大切な気がする。

いわゆる“昆虫少年”だった自分は、スギやヒノキで占められた動植物に乏しい裏山を、正直あまり魅力的に感じていなかった。思えば、今になるまで「なんの変哲もない山」という認識をずっと引きずっているのは、その原体験があるからかもしれない。

ただ、ここがスギやヒノキの山になるよりずっと前から、うちの家族はこの土地に関わり続けて来たらしく、その断片は今でも随所に感じることができる。

100年前、ここにどんな森が広がっていたのかを想像することは、ちょっと楽しい。土地の記憶に触れ、自分がどのような文脈の上に立っているのかをほんの少し知ったことで、いつも見ているはずの同じ景色に、少し違う色味が差したような気がする。

(あとがき)
こんにちは。
岐阜県の真ん中くらい、お茶の産地に実家がある“山主”です。

この度、持山の活用方法を探ることにしまして、その過程をこのサイトで連載させてもらえることになりました。よちよち歩きで進めていこうと思います。

自分と同じように持ち山のある人、いまは実家を離れているけど、実家が「林家」に該当する方を想定読者としています。似たような境遇の方や、興味を持って頂ける方と情報交換しながらやっていければうれしいです。

調べてほしいことなどあれば、メッセージください。
もちろん感想や質問などでも大歓迎です。

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Mail:yasueyuuma@gmail.com

安江 悠真 (やすえ・ゆうま)
岐阜県白川町出身。昆虫少年の延長で岩手大学の農学部に進み、林業と野生動物の関係を研究テーマとして、遠野市でクマを追う。現在は岐阜県に戻り、山の仕事をしながら実家と高山市を往復する日々を送る。