静かなる革命
# 9
ある山主の手記④
あいまいな境界線(現場編)
2021.9.21
photo by Isao Nishiyama

実家で山を所有しているが、どのように活用すればいいか分からず持て余している所有者も多くいることだろう。そんな“山主”の目線で山の活用を探ってみたいと、実家で山林を所有しているhibi-kiのライター安江氏に手記を残してもらうことにした。所有する山林とどう関わり、活用していくのか。それとも、しないのか。率直なその足跡を追っていこう。シリーズ第4回は、持山の境界線を確認するべく、残された手書きの地図をもとに再び山を歩いた。

写真・文:安江 悠真

“うちの山”の境界はどこ?

《過去の手記一覧》
どうする?実家の山
土地の記憶
③ 山仕事の歴史

そもそも、どこからどこまでが“うちの山”なのだろう。そしてその境界は、山の中でどのように示されているのだろう。

そもそも、どこからどこまでが“うちの山”なのだろう。そしてその境界は、山の中でどのように示されているのだろう。

父に聞いてみたところ、「20年前くらいにMさんに教わったが、実はおれもはっきりわからん…」とのこと。Mさんとは、祖父と一緒に材木の仕事をしていた、同じ集落に住んでいたおじいさんのことで、その方もすでに故人となっている。

父が30歳の時に祖父は病気で入院し、そのまま亡くなってしまったので、家のことなどを引き継ぐ時間が充分にとれなかった。それで、祖父の死後、父がMさんに声をかけ、一緒に持山を歩いたことがある、ということらしい。ただ、父もそれ以降は、一部を除いてほとんど足を踏み入れたことがない。

父は、登山やランニングなど体力的な負荷がかかることをあまり好まない。
だから「山の境界線を知りたいから一緒に行ってくれ」なんて言ったら、面倒くさがられて断られると思っていたが、わりとすんなり引き受けてくれた。「そのうちみんなお前のものになるんだ。歩けるうちに、一緒に行くか」という感じだった。

そんなこんなで、2020年の2月、持山の境界確認に行くことになった。
20年程前、Mさんに教えてもらった境界の目印を書き残した地図が残っているということで、引っ張り出してきてくれた。

父が20年前に手書きした地図(所有者名は塗りつぶしてある)

すごくアナログ。というか、感覚的だ。目印が、“石”とか、“木”…。木といっても、山の中でどの木が境界かなんて、わかるものなのだろうか…?

山の境界の判断材料

父が適当なのかと思ったが、山に入ってみるとそうではないことがわかった。山の中は、境界を判断するための情報が本当に乏しい。当然、線が引いてあるわけは無いので、おおよその場所を歩きながら境界を判断できるものを探していく作業になる。

地面から飛び出ている赤と黒の棒状のものが杭。

最も信頼できるのは、地籍調査が行われた際の杭が打たれている場合。
これは、最近になってきちんとした測量が行われた後に示されたもので、精度も高い。ただ、地域によって、山によって、地籍調査が進んでいない場合も多い。

地籍調査が行われていない場合、まずは地形を基に判断していくことになる。「この尾根まで」、「この沢の向こう」、「この道を境に」といったケースはわかりやすいが、全ての境界が地形に沿って決められているわけでは無い。そうなると、昔の人が残した、何かしらの目印を探すことになる。

古い痕跡としてよくあるのが、石積み。境界線に沿って一定の間隔で石が積まれている。

それから、境界木。昔は、境界線に沿って目印となる木が植えられることが多かった。目印によく用いられるのは、クリやケヤキの木。スギやヒノキの山の中に、一本だけこうした異なる樹種の大木が残っている場合は、境界木である場合が多い。

境界木は、スギやヒノキなど、その場所の他の木々と見分けのつきづらいありふれた樹種であることも多い。一帯を伐採して新たに木を植える際、土地の境界だけ木を伐らずに残しておき、目印にするケースもある。その場合、まわりの木と比べて明らかに直径が太ければ境界木と判断できるのだが、これが一番、曲者だった。

というのも、木は、植えてから時間が経つにつれて当然太くなっていくが、そのスピードは一定ではなく、いろいろな条件に左右される。光が多く当たる場所ではグングン育つ一方で、間伐が進んでおらず過密な人工林の場合、樹齢が90年を超えていても木々はヒョロヒョロで、細々としていることも珍しくない。そのため、木がある程度育ってくると、境界木とそれ以外の木の太さに差がなくなり、見分けがつかなくなってしまうことも多い。

父がMさんと一緒に歩いた20年前は、境界木とその他の木の太さの違いが今よりもっと明確だったのかもしれない。そうであれば、父が手書きした地図に「木」が多かったのも納得がいく。

持山を一通り歩いてみた。いくつか飛び地になっている場所もあったが、父の記憶は正確で、おおよその場所を確認することができた。ただ、正確な境界線を大まかにでも確認できたのは、全体の6割といったところ。手元にある情報だけでは、それ以上どうにもならなかった。それでも、所有する山林の面積に応じた固定資産税を毎年払っているので、役場には図面があるはずだ。なので、その図面を取り寄せてからもう一度来ようということになり、今回の作業をいったん区切りにした。

考えてみれば、自分の今の年齢は、父が祖父を亡くした年齢と大体同じだ。引き受けてくれた背景には、そんな思いもあったのかもしれない。いくつかの世代が一つの家に同居する時代と違って、家族の中で共有しておくべきことは少なくなってきている。

だから、話せることは、話せるうちに、話しておく方がいい。

だから、話せることは、話せるうちに、話しておく方がいい。

それから、後々わかってきたことではあるが、この、山の境界にまつわる問題は、ずいぶんと深刻で複雑なようだ。なので、ここはもう少し、深堀してみようと思う。

(あとがき)
こんにちは。
岐阜県の真ん中くらい、お茶の産地に実家がある“山主”です。

自分と同じように持ち山のある人、いまは実家を離れているけど、実家が「林家」に該当する方を想定読者としています。似たような境遇の方や、興味を持っていただける方と情報交換しながらやっていければうれしいです。

調べてほしいことなどあれば、メッセージをください。もちろん感想や質問などでも大歓迎です。

Instagram:@ymyse_525
Mail:yasueyuuma@gmail.com

安江 悠真 (やすえ・ゆうま)
岐阜県白川町出身。昆虫少年の延長で岩手大学の農学部に進み、林業と野生動物の関係を研究テーマとして、遠野市でクマを追う。現在は岐阜県に戻り、山の仕事をしながら実家と高山市を往復する日々を送る。