hibi-ki的 がんばらなくていい移住 # 1
Special Issue 4
地元の人にも聞いてみよう
2020.10.14
森・里・海に囲まれた阿武町。手つかずの豊富な森林資源を有効活用して、雇用を生み出し、資源やお金を地域内で循環させ、持続可能な暮らしをつくっていこうとする試みが動きはじめています。移住者、地元の人、行政などさまざまな切り口から、変わりゆく町の今を覗いてみてください。

阿武町で生まれ育ってきた町民視点から、暮らしを切り取ってもらいます。山々に囲まれた福賀地区で、白菜・レタスの生産や車いす林業でできること探しを続けてきた白松博之さんに話を聞きました。

写真:西山 勲、取材先/文:田中 菜月

山で収入を得るためには?
少しの積み重ねが形になっていく

阿武町福賀地区の風景

白松さんが生まれ育った福賀地区は、阿武町役場から車で約30分のところにあります。沿岸部から離れた町の南東部に位置し、阿武火山群などが連なる山深い場所です。

阿武町の農家・白松家が白菜を収穫する様子
白松さん提供写真

先代から農林家として営んできた白松家では、家族総出で白菜やレタス、水稲などの農産物を生産しています。山林も約21haを所有し、山の手入れも行ってきました。戦前から戦後にかけて周辺の山の木はほとんど切られてはげ山だったため、子どもの頃から植林をしてきたと言います。そんな白松さんが周囲の林業関係者と交わり、本格的に林業に関わりはじめたのは28歳の頃でした。

「初めて地元の林業研究グループの会議に参加したときに『なんちゅう後ろ向きの発想ばかりなんだ……』と衝撃を受けました。つい『林業に対するビジョンはなんですか』『この中で後継者を残しておられる方は何人いますか』と聞いたら、その場がしーんと静まり返ってしまって。誰も答えられなかった。こんな組織じゃだめだと思い、自分もグループに加わって組織の再編成をすることになりました」

白松さんは阿武郡・萩市地域の林業グループ(当時約1000人の会員)の会長(当時29歳)を務めるなどして、バラバラだった地域の林業関係者を、一行政一組織とし、組織の強化と活性化をはかる取り組みに奔走するようになります。また、当時は林業を専業としている人は周りにおらず、わずかな面積の山を持つ林家ばかりでした。そうした人でも生業としてやっていける林業を目指して、品種の選定や栽培方法を研究するためのモデル林をつくり、枝打ちや間伐の技術講習会を独自に開いて、「いかに山から収入を得るか」という課題にもずっと取り組んできました。

井桁に組まれた間伐材魚礁が海に沈められる様子
井桁に組んであるのが間伐材魚礁(ぎょしょう)。阿武町写真提供

そうした試行錯誤の中から生まれた功績の一つが「間伐材魚礁」です。山と海が近い阿武町だからこそのアイデアでした。

「使えなくなった木造船を海に沈めて、魚のすみかにしようって漁師さんたちがやっていたんですね。『それなら山に捨てられている間伐材も使えるんじゃないか』と思って、水産課や漁業関係者のもとへ間伐材魚礁ができないか相談に行ったら、とにかく怒られました(笑)。『木が流されて事故でも起こったらお前は責任を取れるのか』って」

その後、宇田郷地区の漁協の組合長に引き受けてもらうことができ、間伐材魚礁が実現することになります。今や全国で当たり前のように取り入れられている間伐材魚礁ですが、実は白松さんがその第一人者なのです。

林業従事者と漁師が協力し合って間伐材魚礁を組み立てている様子
白松さん写真提供

漁師さんたちが間伐材の搬出作業の手伝いをしたり、林家と漁師が一緒に丸太を組み、ボルトを打ち込んで魚礁をつくったりと、まさに阿武町の林業と漁業がつながった瞬間でした。

最初は懐疑的な声も多かったそうですが、これまでに37都道府県で間伐材魚礁の実証実験が行われ、その効果が認められるようになりました。コンクリート製の魚礁と異なり、間伐材は微生物のエサになるため、小魚がその微生物を食べに集まり、その小魚を大きい魚が食べに来る、といった食物連鎖を生み出しています。さらにサステナブルな素材でもあるため、海への環境負荷も少なくなります。

こうして白松さんは少しずつ信頼関係を築きながら地域のために走り続けていました。そんな白松さんに災厄がふりかかったのは20年ほど前のことでした。

突然訪れた車いす生活
できること探しは続く

白菜畑の防風林で枝打ち作業をしていたとき、約8mの高さから転落し、その衝撃で脊椎損傷となり、車いす生活となってしまいます。

白松博之著『車いす林業 仕掛け人交流記』
白松さん著作『車いす林業 仕掛け人交流記』。当時の闘病生活や苦悩、そこからの活路が綴られています。

それから夫婦二人三脚で必死にリハビリを繰り返し、事故から1年半ほどで重機に乗って作業ができるまでになりました。その後も、白松さんの強靭な精神力と周囲のサポートにより、“できること探し”をしようと新たな取り組みをどんどん展開していくようになります。林業振興会のホームページをつくったり、森のクラフト体験ができるイベントを開いたり、全国林業グループコンクールに出場して間伐材魚礁などの活動を紹介し、農林水産大臣賞も受賞しました。

山口県阿武町にある農家民宿「樵屋」
農家民宿「樵屋(きこりや)」。白松さん写真提供。

2005年には白松夫妻の長年の夢だった農家民宿「樵屋」を開業。なんと山口県では第1号となる農家民宿でした。県内では前例がなかったため、営業許可の申請や自宅の改装など手探りでなんとかはじまりました。今では全国から、ときには海外からも宿泊客が訪れる宿になりました。阿武町への移住を検討している人も多くやって来るそうです。

「阿武町の本当の情報を得られるところってなかなかありません。だけど、樵屋に来れば良いことも悪いことも全部話してあげる。その上で阿武町に移住するかどうか選んでくださいねってことなんですよ。阿武町に来てくれるならとことん応援しますよ」

山口県阿武町にある農家民宿「樵屋」

お客さんとの交流から得る気づきも多くあると言います。自分たちにとって当たり前のものが、外から来た人にとっては魅力的に映っているということ。プラネタリウムのような満天の星空、夜に聞こえてくる虫たちの声、きれいに光るホタル。樵屋を含めた白松さんの存在は、山奥の町に人を呼び込む一つの拠点になっています。

あじさい

この他にも、化学物質過敏症の人が安心して過ごせる滞在施設「あったか村」を運営したり、息子たちと木造住宅を自分たちで建てたり、最近では耕作放棄地でオリーブの栽培もはじめるなど、白松さんは常に変化して動きを止めません。「考えてから行動に移す時間が人より短いだけですよ」と白松さんは穏やかに淡々と話します。

これまでの白松さんの活動は、まさに今の阿武町がやろうとしていることに近いと感じました。自分たちの地域がすでに持っている資源をどうやって有効活用するか。地域内外の人を巻き込みながらその資源を磨いていくということを、何十年も前から白松さんは形にしてきました。そんな白松さんから、阿武町が取り組もうとしている“自伐型林業”はどのように見えているのでしょうか。

「私も工夫を重ねながら林業をやってきたので、いろいろと思うところはあります。でも、試行錯誤しながら自分たちで最適なやり方を見つけていってほしい。新しい情報をどんどん取り入れて、常に改善し続ける林業をやっていってほしいですね。今は黙って見守っています」

阿武町のこれからの暮らしをつくっていく上で、先人の経験や知恵は心強い土台になってくれるでしょう。新たな地で生きていくときは、こうした地元住民とのいい塩梅のつながりが一つの支えになってくれるはずです。

●Information
農家民宿 樵屋
山口県阿武郡阿武町大字宇生賀4009
TEL 08388-5-0138 FAX 08388-5-0582
メール kikori@haginet.ne.jp
ホームページ http://www.haginet.ne.jp/users/kikori/

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田中 菜月 (たなか・なつき)
取材・記事執筆担当。印刷会社で働いていた数年前、ふと森に関わる仕事がしたいと思い立ち林業の学校へ。それ以来どっぷり森の沼にハマる。もう抜け出せない。伐木作業者特別教育修了/狩猟免許の更新忘れた…/休日はアイドル、キャンプ、純喫茶巡り、読書。
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