兵庫県で生まれ育ち北海道や愛知県などを転々として、2016年に家族5人で山口県の阿武町へ移住してきた矢田英和さん。漁業や林業、さらに集落支援員も担っているという矢田さんの阿武町暮らしを取材しました。
阿武町へ移住して
身近になった漁師
矢田さんの1日は早朝の漁からはじまります。
5時20分頃に集合し、船に乗るための身支度を整えます。
捕れた魚を冷やすための氷を船に積み込んで出港します。
矢田さんが漁業をはじめたのはほんの1年ほど前のこと。それまでは隣町の萩市で建設業に従事していました。2019年の冬から本格的に漁師として海へ出るようになり、少し遅れて林業の仕事もかけ持つようになったそうです。
「阿武町に住んでいると漁師さんがかっこよく見えるんですよ。当時は仕事が萩のほうだったもので、毎朝通勤途中に海岸線を車で走っていて、そのとき漁の様子をよく見ていました。今まで漁業と接する場所に住んでいなかったから新鮮な光景だったし、漁師が身近なところもいいですね。そのうち、『漁師になったら楽しいかな』『漁師になりたいなあ』と思うようになって、会社を辞めて漁師になることにしました」
退職後すぐには漁船に空きがなく、少し経って運良く漁師になるチャンスをつかみます。矢田さんが所属したのは、定置網漁を行う船員4人の小さな漁船でした。
定置網は港から船で数分のところに3ヶ所仕掛けられています。ポイントに到着すると、網をたぐり寄せるようにして船員たちが引き上げていきます。かなりのハードワークです。
網にかかった魚をタモ網ですくい上げます。
クーラーボックスの中に次々と威勢のいい魚たちが運び込まれていきます。
7時半~8時頃になると漁が終わり、港へ戻ってとれた魚の仕分けを行います。その後、鮮魚は市場へ運ばれ仲買人などに買われていきます。定置網を仕掛け直すときは再び海へ戻り、また港へ帰ってくるのは10時頃になるそうです。このあと、林業の作業があるときは山へ向かい、夕方頃まで仕事が続きます。
「早朝から体力仕事なのでしんどさはありますよ。晩酌しているとコップ持ったまま寝ちゃいます(笑)。でも林業は面白いですね。それに、定置網漁だけだと時間を持て余すし、漁業だけではなかなか食っていけないので、両立していけたら一番いいですよね」
体力的、金銭的な厳しさはあるものの、それと同時に充実感があると話す矢田さん。阿武町の大自然の中に身を投じて働いていることが大きいのでしょうか。続いて林業の現場も見させてもらいました。
林業をすると海も良くなる?
だったら山もやってみたい
阿武町では去年の7月から「自伐型林業推進事業」がスタートしました。自伐型林業とは森林経営を自ら行い、長い目で見て森林を管理し、持続可能な形で収入を得ていく、自立型の林業です。去年の秋には、「NPO法人自伐型林業推進協会」の代表理事を務める中嶋健造さんの講演会が阿武町で開かれ、そこに参加した矢田さんは大きく影響を受けたと言います。
「『これは林業も面白いぞ』と思いましたね。それまでは全然林業のことを意識したことはなかったのですが、山の手入れをしっかりやると海の環境も良くなると聞いて、自分も山に関わりたいなと思うようになったんです」
矢田さんは漁師のかたわら、町が主催する自伐型林業研修に参加するようになりました。研修ではチェーンソーの操作方法や山の中の作業道づくり、間伐する木の選び方、製材や薪割りのことなどを網羅的に学ぶことができます。
現在は町の事業として、遠岳山(標高約400m)の山頂付近までの道づくりを3年計画で進めています。さまざまな山の利用を展開するには林内に道が必要なのです。隣町の島根県津和野町で地域おこし協力隊として自伐型林業の修行を積んだ先輩2人と今年の春から加わった阿武町の地域おこし協力隊1人、そして矢田さんの4人で作業を行っています。作業道づくりは目標の40%ほどまで進みました。
道づくりの際に伐採した木々は、売れそうなものは市場へ、その他は薪にして販売するそうです。
「山はなんとも言えんにおいがいいです」
そう話す矢田さんにとって、働きながらダイレクトに自然を味わえるところが林業の魅力なのでしょうか。道づくりの途中では、山のひらけたところから海の絶景が見えるのも醍醐味だと教えてくれました。
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実は矢田さん、今年の7月から阿武町の集落支援員に就任し、来年完成予定のキャンプフィールドの運営も担うことになりました。当面はキャンプフィールドの体験コンテンツなどの企画を行っていくため、山へ入る機会は減ってしまうようです。
自分たちでつくった山の作業道とキャンプフィールドをリンクさせて、阿武町の山を“観光の場”として楽しんでもらうことも検討しているのだとか。今までになかった木の需要を町と一体になってつくりはじめています。
「実際に働いてみて、1次産業は弱いなと感じます。魚を捕って売るだけ、木を切って売るだけじゃ単価は安いままです。でも、キャンプフィールドができると違ってくると思います。例えば、焚き火のための薪として付加価値をつけて売ることができますよね。だからキャンプフィールドの存在は町にとって必要なんやろなと思って、集落支援員をやってみることにしたんです」
漁業と林業それぞれにたずさわった矢田さんだからこそ、キャンプフィールドの取り組みに共鳴するものがあったのでしょう。漁業と林業と集落支援員、どうバランスをとっていくのか、この先の展開が気になるところです。
自然が好きな人なら
移住しても後悔しない
阿武町への移住のきっかけは、家族みんなが気に入っている「清ヶ浜」の存在でした。矢田さんが幼い頃、萩市に住んでいる祖父母のもとへ遊びに行ったときによく訪れていたそうです。両親が兵庫から萩市へ戻ったこともあり、矢田さんは結婚後も長期休暇のときに自分の子どもたちを連れて行くようになりました。
「前は北海道や愛知県に住んでいて、年をとったら山口で暮らそうとは話していた。でも、やっぱりこっちのほうが楽しいし、海もきれいだし、子どもが遊ぶところもいっぱいある。もう山口に引っ越しちゃおうと。最初は萩市内で家を探していたんですけど、阿武町がすごくいいところで。海がきれいで山もあって、小中高と学校もそろっている。それで移住を決めました」
「最初は家を探していたのですが、いい土地が見つかったのですぐに買いました。町の分譲地なので割と安かったかな。家を建てるまでのあいだは、役場の人の紹介で町営住宅に住んでいて、新築を建てたってことで町から100万円ほど補助金が出たのも助かりました。Iターン奨励金という制度もあって、うちは5人家族だったので50万円ももらってすごくありがたかったですね」
移住者への奨励金や住宅に関する補助金、結婚・出産祝金など、阿武町のサポートはとても手厚いです。町には空き家バンクもあるため、住まい探しにも不自由しません。
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「小学校も近いし、スーパーも漁港のすぐそば。ホームセンターも病院も薬局もあるから不便はないです」と矢田さんの妻・亜紀さんが教えてくれました。
矢田さんの職場である漁港から家まで車で5分ほど。普段の生活は半径5㎞以内で完結すると言います。休日は海でサップや素潜りをするなど、遊び場は阿武町の自然の中にたくさんあるのだとか。
矢田さんが建設業の仕事を辞めるとき、家族の反応はどうだったのでしょうか。
「嫁さんに『漁師やろうかな~』って言ったら、突然なんだ?という感じだったのですが、『まあいいんじゃない』と。長女は少し心配そうにしていましたね。『我が家はどうなっちゃうの?』って感じでした(笑)。長男は『漁師になりたい』って言ってくれています」
亜紀さんは年中組の次男を影で見守りながら、町の保育園で働いています。
「一番下の子が小学校に上がって手が離れれば、小料理屋をやろうかな~って夫婦で話しています。漁師向けに朝から居酒屋をやるのはありかも(笑)」
阿武町でのお気に入りの過ごし方を矢田さんに尋ねてみました。
「暇さえあれば自宅の庭でバーベキューですね。影響されてか、近所の人もやたらバーベキューするようになりましたよ」
矢田さんが漁師になってからコミュニティにも変化が出てきました。
「阿武町のコミュニティは小さいので、こっちで働くようになって知り合いが増えました。それがすごく面白い。あとは、もっと人が来てくれればいいなあ。やっぱり田舎なので凝り固まった古い意見もありますよ。外から人が来てくれるとそういうのも変わっていくのかなって思います」
矢田さんの暮らしを追っていくうち、阿武町に住んでみるのもいいなあという気持ちがわいてきます。
「自然が好きなら後悔することはないんじゃないかな。閉鎖的なところは少ないと思うし、けっこう受け入れてくれる町です。それに、移住者が少ない今のうちがチャンスですね。空き家もまだあるので」
日常生活ではご近所さんとの関係も何気に大事です。矢田さんはというと、ほどよい距離感を楽しんでいるようでした。
「家の周りは自分と同世代ぐらいの人が多いね。今考えるとそれは良かったかも。トラブルも特にないし。昨日も近所の人に呼ばれてバーベキューに行きましたよ。たまに家でのんびりしたいときもあるんですけど、近所の人がビール持って呼びに来るんですよ。そういうときは『もうええっちゅうねん!』ってなりますけどね(笑)」
矢田さんの暮らしを追ってみると、阿武町ならではの自然の中で大いに働き、遊んで、家族や近所の人たちとの穏やかな日常が流れていることが見えてきました。自然の中で汗を流して働きたい、週末はアウトドアライフを満喫したい、そんな人にフィットする暮らしをこの町でつくっていけるのだろうと思わせてくれます。