にっぽん 民藝 journey
# 6
牛鬼の張り子をつくる
たった一人の伝統工芸士
2021.1.12

日本各地には、土地の気候や地理、歴史文化、地域情勢などと密接な関係を持った民藝が点在する。伝統的なものから新しいものまで実に多彩だ。大量生産型の工業製品にはない、見えない背景が生産物の数だけある。そうした民藝ができあがるまでの物語を連載では追っていきたい。今回は愛媛県宇和島市で張り子をつくる「よしを民芸店」の工房を訪ねた。

写真:numa/文:田中 菜月

悪魔祓いをする
うわじま牛鬼祭り

愛媛県宇和島市といえば、鯛めし、真珠の養殖、みかん、闘牛などさまざまあるが、四国有数の夏祭りである「うわじま牛鬼(うしおに)祭り」も地域を代表する文化の一つだ。

牛鬼同士が出会うと激しくぶつかり合う。かなりの大迫力!

毎年7月22~24日にかけて、牛の胴体と鬼の顔があわさったような「牛鬼」と呼ばれる山車が市内を練り歩く。若者たちに担がれた牛鬼は、子どもがブーブー吹き鳴らす竹ぼら(竹でできたホラ貝のような楽器)の音とともに、長い首を振り乱しながら町を闊歩し、民家などに首を突っ込んで悪魔払いをする。宇和島だけでなく周辺の地域でも牛鬼祭りは行われているという。

愛媛県伊方町の牛鬼。頭部の穴は角を差し込むところ。祭り用の牛鬼は一つ数十万円。

この祭りの主役である牛鬼の顔の張り子製作を一手に担うのが、「よしを民芸店」の宇都宮よしをさんだ。宇和島牛鬼張り子をつくる唯一の「えひめ伝統工芸士」である彼のもとには、各地で活躍する牛鬼の補修や新調の依頼が集まる。よしをさんの父が戦後まもなく創業してから現在まで、牛鬼祭りの存続を支えてきた。

取材時は愛媛県伊方町の祭りで使われる牛鬼の修繕中だった。「20~30年に1回くらしか修理に来ないからめったに見れませんよ。これを見れた皆さんは縁起がいいです。近々いいことがあるかもしれませんね」とよしをさん。

祭りの牛鬼を模した玩具「ブーヤレ」2,500円(税抜)
「立ち鈴鹿」2,500円(税抜)

さらに、祭りから着想を得た郷土玩具も数多く製作している。当時の子どもたちがおもちゃとして親しむくらい、この地域では牛鬼祭りが大きな影響を持っていたのだろう。

中央左の「鹿面(小)」2,500円(税抜)。350年以上の伝統を持つ宇和島の民俗芸能「八ッ鹿踊り」で使われる鹿面を玩具にしたもの。
「八ッ鹿踊り」は毎年10月、宇和津彦神社の秋祭りで少年たちが鹿の頭を身にまとい、胸の太鼓を打ちながら優雅に舞う。

気合いを入れすぎないくらいが
ちょうどいい

祭り用の牛鬼はずっしり重いが、郷土玩具の張り子を持ってみるとその軽さに驚く。重厚感のある見た目だが、その内側は空洞になっているからだ。ダルマを例にその製作工程を聞いた。

「2代目ダルマ」6,000円(税抜)。全国のダルマ愛好家から注文が入る。黒いダルマは型。

まず、粘土でできた型に和紙を糊で荒張りするところからはじまる。ひと通り形ができたら一度乾燥させ、乾いたら切り目を入れて型をずこっと抜き出す。これはお産と呼ばれているそうだ。切り目を接着したら、形を微修正して整え、再び乾燥。その後釉薬を塗り、乾燥、着色、乾燥、ラッカー塗布、乾燥して完成となる。とにかく乾燥に時間を要するため、一つの作品ができ上がるまでに2週間以上ほどかかるという。

細かくちぎった和紙を重ねて形を微調整し、納得のいく状態に仕上げていくという。

和紙は愛媛県野村町の泉貨紙(せんかし)を使用。泉貨紙の中でも種類がいろいろあるため、つくるものによって使い分けている。最上級のものは1枚200円ほどするそうだが、張り子はちぎって使うため、ムラがあって売り物にならないような和紙を安く譲ってもらっているそう。

かつては費用を抑えるために新聞紙を使うこともあった。和紙の方が柔らかい仕上げになり、塗りもなじみやすいことから今はほぼ和紙のみの使用に落ち着いている。また、牛鬼の角や髪には藁や馬の毛を使うなど、自然素材でできているのも特筆すべき点だ。

「藁は地元のお百姓さんからいただいているし、牛の毛も地元のものです。オスの角に笹を使うこともあります。子どもの頃は材料がなかなか買えなかったんで、近所にあったポプラの木を切りよるおっちゃんに枝をもらってそれを角に使っていました。馬の毛は問屋さんが脱色して真っ黒に染め直してるから高い。だからうちは染めていない天然のものを使ってるんだけど、自然の色合いの方が怖さが出るからいいですよ」

創業時から身の回りにある材料で製作し続け、今に至る。そして時代は流れ、気づけばその製法に希少価値が見出されるようになったのだった。

「よく『無になってつくる』とかゆうてる人いるでしょ。僕の場合は何も思わない。ただボーっとしてつくるだけ。ふと外を見て『雨降りよるんやな~』と思いながらつくるだけで、変に気合いを入れるとかえってダメですね(笑)。前の作品よりはもうちょっといいものをつくろうと心がけてはいますけど。色を塗るときもそのときの気分です」

そう話すよしをさんは、張り子をつくって50年以上になる。職人への道はごく自然な流れだった。

よしをさんの父であり先代の善男さん。

「小学校4年生の頃には手伝わされよったんで、いやでも覚えるようになりましたね。1960年代頃まではつくったらすぐに売れるほどで、そのときは職人も5人くらいいたかな。それが段々とダルマも鹿面も人気が下火になっていったんですけど、数年前に雑誌のBRUTUSさんで紹介してもらってから注目されるようになって、全国から注文が来るようになりました」

扱う商品の多くは先代からのものだが、よしをさんの代では一回り小さい小物を考案してきた。その工夫の積み重ねが一気に実った瞬間だった。

死の宣告を受けた2代目と
3代目候補の高校生

「心臓に欠陥があって死の宣告を受けたんですよ。いつ死んでもおかしくない。時間がないけん、任せたいと思える後継者が現れてくれたらいいんだけど」と突然の話に面食らった取材陣。聞けば3代目候補は一応いるとのこと。すでに張り子を仕上げられるほどの腕前になってきているという。

「3代目候補は17歳の女の子で、向こうから志願して来てくれました。もう4年くらいやっていて、中学生のときは学校が終わったら毎日来よったね。今までいろんな子がバイトに来たけど、この子がピカイチで上手です。つくるのが楽しいからやってくれている感じですけど、どこまで続くか、継いでくれるかはまだわかりません」

そんな事情を知ってか知らずか、注文は数ヵ月待ちの状態だ。多くの人がよしを民芸店の作品を心待ちにしている。かたや作り手側はかなりハラハラする状況である。そこへまたしてもパンチのきいた話が飛んできた。

「僕、シンナー中毒になっとるんですよ。塗装に漆を使うと単価が跳ね上がってしまうので、安く買っていただけるようにラッカーを使っています。50年以上ラッカーシンナーを吸っとることになるけん、病院で脳を調べたらシンナー中毒だろうと言われました。3代目の子はどうしたらいいんやろう。部屋のどこかに穴を開けて喚起するか、ガスマスクをつけるか、対策を考えないとですね」

民藝という言葉から、ほっこりした物語や職人気質な話を連想しがちだが、誰しもが日常を積み重ねているのと同じように、職人たちも一日一日を過ごして生きている。その一日は穏やかな波のときもあれば、荒波が押し寄せることもあるだろう。その生活の一部分が民藝であり、それはまた、私たちの暮らしと地続きなのだと思う。そうやってこの先も民藝を見つめていきたい。

●Information
よしを民芸店
〒798-0040  愛媛県宇和島市中央町1-3-3
0895-26-6238(携帯 090-7785-7728) 

▼張り子はhibi-ki STOREで購入可能です
https://hibi-ki.shop-pro.jp/?pid=156705019

田中 菜月 (たなか・なつき)
1990年生まれ岐阜市出身。アイドルオタク時代に推しメンが出ていたテレビ番組を視聴中に林業と出会う。仕事を辞めて岐阜県立森林文化アカデミーへ入学し、卒業後は飛騨五木株式会社に入社。現在は主に響hibi-ki編集部として活動中。仕事以外ではあまり山へ行かない。