にっぽん 民藝 journey
# 23
元広告マンが継ぐ
伝統の曲物
2022.8.8

「木曽路はすべて山の中…」ー文豪・島崎藤村が、そう表現した信州・木曽谷。その街道の宿場町に、樹齢200年の木曽ヒノキを使った伝統工芸の曲物(まげもの)を継承する元広告マンがいる。 工房を訪ねて実感したのは、夏場でもご飯のおいしさを保つ優れた機能性と、伝統の漆塗りを組み合わせた時代を超えたデザイン性、そしてプラスチック製品があふれる逆風の時代を、製造工程の効率化やネットによる情報発信で乗り越えようとする現代の職人のしなやかな生き方だった。

写真・文:渕上 健太

使い捨て感覚!?
江戸時代の曲物

木の板を薄くはいで、水分と熱を加えて円形や楕円形に曲げ、ふた板や底板をはめ込んだ曲物。指物(さしもの)や挽物(ひきもの)、刳物(くりもの)と並ぶ、日本の伝統的な木材加工技術だ。木が豊富な地域を中心に各地でつくられ、木曽ヒノキのほかに秋田スギや青森ヒバを使った曲物が伝統工芸品として継承されている。

中山道に相当する国道19号沿いに店舗と工房を構える花野屋商店の国道本店。

江戸と京都をつなぐ中山道67宿中、真ん中の34番目に位置する木曽路の奈良井宿(長野県塩尻市)。伝統的建造物群保存地区に指定された宿場町の一角に店舗を構える花野屋商店は、1952年創業。天然の木曽ヒノキや木曽サワラを使った木曽路の伝統工芸品の曲物を製造販売する今では数少ないお店だ。

曲物や漆器、木の器が美しく陳列された店内。

店主で6代目の土川英士さん(49)は「江戸から向かうと中山道の難所の鳥居峠の手前にあるのが奈良井宿。中山道が整備された1560年頃にはすでに奈良井宿が集落としてあり、その頃から主に冬場の内職で曲げ物がつくられていたようです」と500年近い歴史を振り返る。

木曽の曲物づくりを支えてきたヒノキやサワラの天然林(木曽郡上松町の赤沢自然休養林)

木曽の曲物づくりを支えてきたのが良質材として名をはせる「木曽五木」に数えられるヒノキとサワラだ。木曽地方の山々は江戸時代、幕藩体制のもとで乱伐が固く禁じられてきた。当時の森林政策で管理された天然のヒノキとサワラを使った木曽路の曲物は、もう一つの伝統工芸である「漆塗り」と組み合わされて発展。緩やかな曲線美と琥珀色の色合いで独自の高級感を醸し出す。

しかし土川さんが語ってくれたのは意外な言葉だった。

「江戸時代の曲物は決して高級品ではなく、当時の『乞食』も使っていたり、便器としての『おまる』にも使われていたり、誰でも持っている日常雑器だったようですよ」

木をくり抜いてつくる刳物と違い、木材を薄くはいでつくる曲物は、実は材料の無駄が少ないエコな技術。当時は手間が掛かる漆塗りを施さず、無塗装の「白木」の状態で使うことが多かったという。

「昔は宿場町の冬場の手仕事としていろいろな人がつくっていたため、仕上がり具合もさまざま。5、6回使ったら捨てて、かまどの焚き付けにする。そんな使われ方も珍しくなかったようです」

中山道の旅人たちが、現代の使い捨て容器のような感覚で曲物の弁当箱を持ち歩いていた光景を想像すると、曲物の存在が、ぐっと身近になったような気がした。

ネットで情報収集
合理化を追求

工房があるのは宿場町の店舗から歩いて10分ほどの場所にある花野屋商店の〈国道本店〉。店舗脇の工房に一歩入ると、材料として使う木曽サワラ特有のさわやかな甘い香りに包まれた。20畳ほどの工房の中はすっきりと整えられ、木くずにまみれた道具や材料が所狭しと並ぶ事前のイメージとは対照的だ。その理由を土川さんが教えてくれた。

新しい道具や技術が日々取り入れられている工房内。

大学卒業後、土川さんが就職したのは都内の広告制作プロダクション。「深夜零時過ぎでも打ち合わせに呼び出されるのはざらでした。その後に代理店の方々と酒を飲んだり。ストレスから一日にたばこを2箱も吸って、身体もガリガリでしたね。鬱病になるひとも多くて、このままだと近い将来死ぬなと思いました」

2002年開催の日韓ワールドカップ関連の仕事がひと段落したのを契機に、広告マンとしての人生に区切りをつけて帰郷。5代目の父・正美さん(84)のもとで曲物師としての道を歩み始めた。

「子どもの頃から先々代のじいさんの仕事場が遊び場だった」と語る土川さん。異業種への転身は「やってみたら意外と自分に向いていた」という。広告業界で染みついたのが成果重視の仕事スタイル。曲物づくりにもその姿勢が投影されている。

「曲物づくりは意外とシンプルで異業種の道具を流用できる場面も多いんです。例えば側板を薄く削るときに使う『微動装置』は、金属加工の技術から学びました」

側板を曲げた後に一時的に固定する「木ばさみ」も使いやすい形状に手作り。側板を張り合わせる接着剤は米国の食品衛生基準の最高ランクに適合したものをネットで探し出したという。

「作業の効率化につながる道具や技術はないか、通販サイトやユーチューブを毎日チェックしています。アンテナを常に張り、変えられるものは変えていく。いま戦える武器で精いっぱいたたかうのが現代の職人だと思う。作業を徹底的に合理化して『やっている感』をなるべく出したくない。『ここで本当につくっているの?』と言われるのが理想です」

守り続ける
3つのこだわり

木曽地方に伝わる曲物は、ふたと本体部分の「身(み)」ともに、側板には木曽ヒノキ、ふた板と底板には木曽サワラの2種類の木が使われている。土川さんはその理由を「木曽サワラは吸水性や保湿性が高く、ご飯のおいしさを保ちたい弁当箱に最適の素材。ただ繊維が伸びず、曲げることができないため、側板には、しなやかで丈夫な木曽ヒノキを使っているんです」と説明する。

1600年代初めに尾張徳川領となり、乱伐が厳しく禁じられてきた木曽地方では、寒冷な気候も相まって木目が詰まったさまざまな良質材が生産された。そのため曲物などの木材加工に使える木の選択肢が他地域よりも多かったという。「2種類の木を組み合わせて曲物をつくるのは全国的にみても木曽独自です」と土川さん。

輪っか状になっているのが側板。

木曽地方の曲物のもう一つの大きな特徴が、側板の厚さを変化させている点だ。容器の縁の部分に当たる上側が厚めに、底側が少し薄めになるように、わずかな角度で厚みを調節している。側板を曲げるときに板の外側の表面付近が引っ張られる一方、内側の表面付近は縮む傾向がある。このため「側板の外側と内側の円周差から生まれる木への負担を底側の薄い部分へ逃がすことで、強度向上に加えて軽量化にもつなげています」。

例えば人気商品の「合わせ小判弁当ミニ」の場合、側板の厚さは最も厚い上側部分が2.5ミリ。ふた板や底板がはめ込まれる下側(底側)部分は2.0ミリだ。

さらに側板の厚さの違いに合わせる形で、ふた板と底板の縁の部分を真横から見て若干、台形に加工している。側板にはめ込んだときにすき間なくおさまり、丈夫できれいな仕上がりを実現させるためだ。

仕上げの漆塗りには、見た目の美しさと機能性をあわせ持つ「スリ漆(拭き漆)」を施している点も特徴。完成した生地に下地処理を施さずに生漆を直接、すり込むように塗る技法で「木の呼吸を保ちつつ、外観の美しさや使用後の洗いやすさ、強度向上を両立させています」と土川さん。高品質の漆を木地にすり込むように丹念に4回塗り重ねることで、重厚な琥珀色が現れる。

登山などアウトドア向けに製作したカップ。持ちやすさや補強のため、麻布を巻いてからスリ漆塗りを施すことで実用性を高め、デザインにも変化をつけた。

さらに漆には優れた抗菌作用があるため、吸水性や保湿性が高い木曽サワラと組み合わせることで、ご飯やおかずが傷みにくく、冷めてもおいしさを保ちやすい機能性が生まれる。漆塗りは父の正美さんと、木曽漆器産地として知られる塩尻市木曽平沢で活躍する漆塗り職人の2人が担当している。

木の特性を
生かして曲げる

人気商品の「合わせ小判弁当」を例に、曲物づくりの要となる曲げの工程を実演してもらった。

木曽ヒノキの側板を湯の中に浸して曲げやすくする工程。

製品ごとに決められた厚さに電動カンナで削った側板を、まずは80度程度の湯の中に1時間ほど浸す。湯の温度や浸ける時間は、その日の気温によって少しずつ変えるという。

「ほた」を使って小判型の形状に曲げられていく側板。

湯の中から引き上げた後、「ほた」と呼ばれる小判型の木製型にあてがい、側板をほたの周囲に巻き付けるようにして曲げていく。この作業を2回繰り返すと、側板のカーブ部分の木の繊維が伸びて、容器の形が決まるという。

木を自由自在に曲げているように見える土川さんの手つき。ヒノキの側板が、まるで小麦粉でつくられたパン生地のようにするすると形を変えていく。

「曲物は曲げ方が命。天然の木曽ヒノキを使っていますが、これが人工林の木だと曲がりません。人工林は成長が早いので年輪の間隔が広い。つまり導管の数が少ないので堅くて曲げにくいんです」

曲物の仕上がりを左右するほたは、製品ごとに「ふた用」と「身用」を2種類ずつ用意している。これも土川さんの手作りだ。

「曲物は本来、完全にシンメトリー(左右対称)な形状。パソコンのソフトを使って型を取り、完全なシンメトリーに仕上げました」

昔は完全な左右対称の型を作るのは相当難しかったことだろう。「いま戦える武器で精いっぱいたたかうのが現代の職人」。土川さんの言葉を思い出す。

木ばさみで固定されて乾燥を待つ側板。

ほたを使って曲げた後は、重ね合わせの部分を木ばさみで固定し、28度に保った乾燥庫に12時間入れる。「熱と水分によって曲げられた木は、熱と水を抜くことで固まります」。江戸時代の先人たちが見出した技術が、いまも曲物づくりの根幹だ。

ヤマザクラの樹皮と、一本ずつ手作りされた平ひも。
樹皮をとじ込むため、側板に切れ込みを入れる作業。

乾燥された側板は重ね合わせの部分が接着され、さらにヤマザクラの樹皮がとじ込まれる。毎年6〜7月に地元の山に入ってヤマザクラの枝を採取。薄くはいだ樹皮をアイロンで伸ばし、専用の平ひもを一本ずつ手作りするのだという。側板にとじ込む作業は妻・多満美さんの担当だ。

「今は接着剤の品質が向上しているので、ヤマザクラをとじ込むのは強度面よりもデザイン的な要素が大きい。でも細かい作業で、材料の準備を含めて意外と手間が掛かります」と土川さん。側板の一部に控えめにとじ込まれたヤマザクラが、江戸時代から続く曲物づくりの象徴にも見える。

完成した側板の中に、しっかりとはめ込まれるふた板や底板。二段重ねや半月型の曲物弁当箱もそろえている。

こうして曲げられた2つの側板に、サワラのふた板と底板を微調整しながらそれぞれはめ込み、丹念にスリ漆を施すとようやく完成だ。 

席巻する中国製
情報発信に力

暮らしの中から曲物が消えて久しい中、2000年代半ばころに始まった全国的な「キャラ弁」ブームで、ネット上には写真映えがする曲物弁当箱が相次ぎ登場。その影響で花野屋商店には購入の問い合わせが一時急増した。

ただ土川さんはネット上にあふれる曲物の写真を見るたびに複雑な気持ちになるという。

「大手通販サイトで売られている曲物弁当箱の9割が中国製。芸能人のお弁当ブログで紹介されているものも同じです。価格も安く気軽に使えるので、購入時の選択肢が広がるという意味でも、中国製と認識して使ってもらうのは全然良いのですが。ただすぐに壊れたり、塗装の問題でおかしな臭いがしたりするものもある。それで曲物全体への印象が悪くなってしまうのがこわいです」

そこで力を入れているのが正確な情報発信だ。花野屋商店のホームページでは、木曽の曲物の歴史や製法、正しい使い方や手入れの方法、壊れたり、漆塗りが取れてしまったりしたときの修理対応まで、英語を交えて分かりやすく紹介している。

製造の効率化と品質向上、情報発信に力を入れる6代目の土川英士さん。

筆者である私自身、花野屋商店の曲物との最初の出会いはネットだった。普段、林業の仕事に携わる中、妻から「木の弁当箱を使ったら?」と提案され、曲物の特徴をホームページで分かりやすく紹介している花野屋商店の存在を偶然知った。昨年2月にお店を訪ねて最も大きな「合わせ小判弁当(大)」を購入。以来ほぼ毎日使い続けている。

滑らかな曲線美と天然素材ならではの温もり、琥珀色の落ち着いた色合い。使い込むほど深まる愛着。そしてふたを開けたときに食品が蒸れたような匂いがしない機能性…。曲物弁当箱に詰めたお弁当は、たとえおかずが質素でも、それだけでおいしく見えるのが不思議だ。

「広告業界にいた頃は、自分でつくってもいないものを見栄えがいいだけのプロモーションで人に勧めていました。今は生産のすべての工程に関わっているので弱点がなく最強だと思っています。そしてインターネットが24時間営業活動をしてくれる頼もしい営業マンです」

異業種で身に付けた情報発信のスキルを最大限に生かす。

「木をまげるひと」

曲物に使う天然の木曽ヒノキと木曽サワラは、正美さんの代までは300年生のものを使っていたが、いまは200年生のものが中心だという。「曲物の材料に使うものは建築端材が中心です。材料自体はまだ木曽地方にたくさんあり、木材不足の影響もなく供給は安定しています」と土川さん。問題は後継者だという。

「曲物づくりは木工機械の導入などイニシャルコストが掛かります。そして手間が掛かる割には儲からない。若い後継者が育ちにくいのが現状です」

夫婦二人三脚で店を切り盛りする多満美さんが少し寂しそうな表情で話す。花野屋商店の曲物の弁当箱の価格は1個7000円~1万円前後が中心。かつてのように、多くのひとに日常の暮らしの中で使ってもらおうと、作業の手間の価格への転嫁を極力抑えている。

乾燥が終わり、漆塗りの工程を待つ曲物。

ただ在宅ワークの増加による弁当箱需要の低迷もあり、その未来は決して安泰とは言えないようだ。「50年ほど前まではたくさんの職人がいて組合があり、材料に使う丸太を共同で入札していました。今は産業としては死んでしまっています」と土川さん。

木曽地方の曲物は長野県の伝統的工芸品に指定されているが、現在は土川さんを含め曲物師は4人ほどしかいないという。

そんな中で近年、新たな注文が舞い込むようになった。例えばナチュラルチーズの製造に使うモールド(成型器)や、仏前にお供えするご飯を盛る器の盛槽(もっそう)、神道の神事で供物を載せる器の三方(さんぽう)など、いずれも曲物の技術を応用できる木製品だ。

「仕事を任せられる職人が全国的に減っているのか、それとも曲物の新たな用途として認知されてきたのか…」。土川さんは首をひねる。

ただ曲物の技術が現代社会で必要とされていることは確か。「そこで名刺に入れる肩書を曲物師ではなく、『木を曲げる人』にしたんです」。ユニークな発想を明かして笑顔をみせる。

「脱プラ」を旗印に、紙製品や木製品が世界的に見直され始めてきた2020年代。しかし依然として暮らしの中にはプラスチック製容器があふれ返る。400年以上、命脈を保ってきた木曽の曲物は今後どこに向かうのだろうか。

長野県の無形文化財を授与された4代目・土川昇一さんの曲物づくりを記録した写真。

「中学生の長女と小学生の長男は跡取りとは考えていません。自分の代で終わってしまってもいいんです。でも将来、曲物をやりたいというひとがもし現れたら引き継いでほしいですね」。地元の小学生の体験学習も毎年受け入れているという。

力み過ぎず、しかしアンテナは高く張り、時代の波を読んでベストを尽くす…。現代の曲物師の生き方は、木曽路の山々で空に向かって梢を伸ばす天然ヒノキのように、まっすぐでしなやかに映った。

●Information
花野屋商店国道本店
〒399-6303 長野県塩尻市大字奈良井837-80-5
TEL 0264-34-3708
FAX 0264-34-3709
HP https://www.hananoya.jp/

渕上 健太 (ふちがみ・けんた)
学生時代を過ごした秋田県で山の魅力に取りつかれる。山スキーから岩登り、山菜・キノコ採り、渓流釣りまでボーダレスに山遊びを楽しむが、海への憧れも強い。目下一番の関心事はシーカヤック。八ヶ岳南麓で林業に従事する。森林インストラクター。