能登で暮らす人が減っているという現実に危機感を募らせ、SNSを積極的に活用し始めた木こりチーム“GOEN”。能登町での職業選択として特殊伐採や林業の存在を知ってほしいという思いだけでなく、町のアイデンティティともいえる“祭り”の存在が彼らの背中を押しています。そこにはどんな背景があるのでしょうか?
あばれ祭りが
続けられない…!?
毎年7月の第1金・土曜日に能登町で開催される「あばれ祭り」は、激しく燃え盛る巨大な松明の存在が印象的なお祭りです。
1日目は“キリコ”と呼ばれる大きな行灯が町内や松明の周りを練り歩き、2日目には神輿も加わります。神輿は海や川、火の中に投げ込まれたり、地面に叩きつけられたり、大暴れすることで「神輿の興奮が神さまを呼び寄せ、人々は神さまに近づくことができると信じられている。また、この行為が神さまにとっても喜ばしいものとされている」(※)のだそうです。
※引用元:あばれ祭り公式サイト
https://abarematsuri.jp/about
能登町で生まれ育った人は、幼い頃からあばれ祭りに参加するのが通例なのだと言います。毎年、祭りをきっかけにさまざまな年代の地域住民が集まり、祭りをともにつくり上げていくことで、あばれ祭りは地域で暮らす人々、そして能登町そのもののアイデンティティになっています。GOENのこうちゃんもその一人です。
「物心がつく前からキリコに乗せられてましたね。頭をぶつけたりすることもありましたけど、ずっと乗り続けて、成長してからはキリコを担ぐ側に回れるようになって。高校卒業後は金沢の飲食店に勤めていたので、次第に祭りに参加できなくなりました。だけど、参加できないのがつらくて。Uターンしたきっかけは祭りの影響が大きいですね」

こうちゃんをはじめ、GOENのメンバーは今でも毎年あばれ祭りに参加しています。祭りをきっかけに若い世代が地元に戻ってくる流れは脈々と続いています。その一方で、祭りそのものの存続が危ぶまれる状況も年々増しています。
それは、祭りになくてはならない神輿の原材料が手に入らなくなる可能性がある、ということです。神輿に使われている木材は“カナアテ”と呼ばれる能登固有の木です。粘りと強度があるため、暴れまわる祭りに欠かせない特性を持った樹種なのです。成長スピードが遅いこともあり、これまでほとんど植林されていないだけでなく、そもそもカナアテの苗木をつくれる人が一人しかいません。苗木づくりから育林までの技術が消えかけようとしているのです。
●カナアテの苗木をつくる宮本さん
https://hibi-ki.co.jp/moridehataraku027/

そして、祭りの松明に使われるアテの枝葉も永続的に確保できる保証はありません。松明の場合はカナアテ以外にも、マアテやクサアテなど別のアテも使うことができるのですが、アテそのものの植林が進んでいるとは言えない現状です。伐ったら植えるという仕組みがないと、アテの木を使うほどに残された木は少なくなっていきます。また、アテの木があったとしても運び出すのが難しい場所に生えているという現実もあります。
そんな状況に直面し、森や木に携わる自分たちだからこそ持続的な祭りのために何かできないかと立ちあがったのがGOENです。「自分がやらなきゃ誰もやらないだろうなって思っていたので、自分の人生においてやらなならんことの一つかなと思ってやらせてもらってます」と話すのはこうちゃん。町内の山からカナアテを伐り出してくる作業や、枝葉の収穫から松明づくりまでの作業を担うようになりました。
アテの木とのご縁
あばれ祭りでは、町内にある酒垂神社と白山神社それぞれの神輿が担がれています。祭りで暴れまわった神輿は壊れてしまうことが多く、毎年2台ほど新調していると言います。その製作を担うのが神輿ごとにいるという専属の大工です。GOENでは、白山神社の神輿の「肩ね棒」と呼ばれる担ぐための棒の用材を伐り出し、神輿大工に届けています。
GOENメンバーは伐採に慣れているとはいえ、カナアテの木かどうかを判別するのが難しいのだと言います。「うちらも合ってるかどうかドキドキしながら伐ってます」と話すのはこうちゃんとしゅうちゃん。製材所の人の協力を得ながらも、やはり製材してみないと使えるかどうか分からないことが多々あります。節や腐りの影響でゼロからやり直しになったこともあるそうです。祭りの当日に「これはカナアテじゃない」と発覚したこともあったのだとか。
こうした神輿用材の調達に加えて、松明づくりも一筋縄ではいきません。これまで、あばれ祭りでは松明の製作を外部に委託してきましたが、祭りの継続のためには経費削減が課題の一つとなっていました。そこで、持続的な祭りにしていこうと関係団体で「あばれ祭運営改善協議会」を立ち上げ、2022年から住民自ら材料集めと松明づくりを行うようになりました。ただ、職人技が求められる大松明だからこそ、手づくりの松明は燃え方が不十分など、また別の問題が出てきたのでした。
「松明1本あたり40分は燃えるようにつくっているんですけど、締め方が甘かったりするとすぐにどさっと落ちて燃え尽きてしまいます。どうしてもいい祭りにしたいから自分らで松明づくりをやりたいと、ずっと関係者の方たちには伝えていて、去年初めて任せてもらったんです。去年は葉っぱを集めるところから、松明の組み上げまでをGOENで担当しました。いろんなトラブルもあったけど、みんなに『いい松明やったね』って褒めてもらえて嬉しかったですね。今後も続けていきたいです」(こうちゃん)

かつて松明づくりを担当していた森林組合の協力を得て、アテがある山は把握することができていると言います。松明に必要なアテの枝葉は1700束ほど。しゅうちゃん曰く、「きれいな素直な木を使うから木を1本1本選ぶ」そうで、伐採する木は300~400本程度になります。昨年は有志で集まった町民とともに、リレー形式で手渡ししながら枝葉を運び出しました。車が通れないような場所にあるため、どうしても人手が必要になる作業なのです。
「本来の間伐だと枝がついていれば間引く対象にはならないですけど、松明には枝葉が必要なので伐らないといけない。複雑な気持ちを抱えながら間伐してます」とこうちゃんが話すように、大切な祭りのためとはいえ、そこには森づくりに携わってきた者としてのジレンマもあります。
また、現在は祭礼委員会で松明づくりの予算を組んでもらい、GOENとして作業を請け負っています。将来的には次の世代が仕事としても継続していけるような形を探っていきたいと話していました。
持続的な祭りと
アテの森づくり
GOENの活躍により、あばれ祭りの未来に希望の光が灯ったように感じますが、GOENのメンバーはもっと壮大な未来を思い描いていました。
「GOENはみんな個人事業主やからケガしたら仕事がなくなるし、保証してくれる元もないから、今のうちに5人でいろんなシステムをつくって、この先GOENに加わってくれる人も安心して一生続けられるような仕事をつくれたらなあって考えてます。その一つがアテの森づくりですね」
そう話すのは、いくちゃんです。祭りに必要なアテの木を育てる仕事をつくることができれば、神輿や松明の原材料を持続的に確保でき、かつ自分たちが生活していくための新たな仕事にもつながる。そうした思いがありました。「年を取れば特伐の仕事を続けるのも難しくなると思いますし、余生はアテの苗木を植えて過ごそうかな」とこうちゃんが言うように、身体への負担が大きい特殊伐採の仕事だからこそ、将来を見据えて新たなミッションをつくることは自分たちのためでもあり、地域の森林や文化の継続性にもつながっていきます。
そして、森づくりだけではなく、その先の木材加工や神輿づくりもいずれ自分たちでできないかと考えています。というのも、現在町内にある唯一の製材所には後継者がいません。キリコや神輿をつくる大工も高齢化の波に押されています。どこか一つでも技術が途絶えてしまえば、一気に祭りの存続自体が危ぶまれてしまうほどにギリギリの状態だと言えます。

そんな現状に危機感を抱きながらも、前向きで、どこか楽しそうなGOENの面々。未来を切り拓いていこうとする力強さに圧倒されてしまいます。能登を訪れるたび、パワーアップしてゆく彼らに出会えることでしょう。
