森で働く
# 27
日本でただ一人の
「カナアテ」の生産者
2024.2.7

木を切る・植える・育てる。数十年、場合によっては100年を超えてサイクルが回るのが林業という産業です。今、木を植えても収穫できるのは早くて孫の世代。木を植えることは未来への贈りものとも表現されます。今回は石川県七尾市中島町で「カナアテ」の苗木を生産して、自身の山に植林している宮本惣一郎さんにお話を伺いました。誰も育てていないカナアテという木を未来へ残そうとする思いに迫ります。

※この記事は2023年10月に取材したものです。令和6年度能登半島地震において被災された方々には心からお見舞いを申し上げるとともに、一日でも早く平穏な日々を過ごせることを祈念しております。

写真:田ノ岡 宏明/文:狩野 和也

石川県の木、
アテ(档)について学ぶ

株式会社宮本水産 取締役会長/宮本榊園 代表
宮本 惣一郎さん

皆さんは自身が住んでいる「都道府県の木」をご存知でしょうか。各都道府県がシンボルとなる木を指定したもので、わかりやすい例としては、広島県の木は「モミジ」、筆者の出身地である山形県の木は「サクランボ」などが挙げられます。今回取材に訪れた石川県の木は「アテ(档)」。あまり聞き馴染みのないアテという名は、針葉樹である「ヒノキアスナロ」の呼び方の一つです。ちなみに、青森県ではこの木は「青森ヒバ」という名前で知られています。

石川県で育つアテはその99%が能登半島に分布していて、「マアテ」「クサアテ」「エソアテ」など、いくつかの品種が存在します。能登地域では昔から、品種毎の特性を活かしてアテの木材を利用してきました。例えば、立木の段階でねじれて育つマアテは輪島塗の木地(漆を塗る前の木材)に使われ、ねじれが少ない「クサアテ」や「エソアテ」は建築の柱材や土台材として使われてきました。品種によって全く異なる特性を持っているのもアテという木の特徴です。

樹齢約800年のねじれるように育つマアテ。「アテの元祖」という名で観光スポットになっている(編集部撮影)

今回お話を伺った宮本さんが育てているのは「カナアテ」という品種です。これは、アテの中でも分布が限られる希少な品種であり、現在生産しているのは、宮本さんただ一人となっています。なぜカナアテを育てているのか、宮本さんの所有林で地域の歴史や木の特徴を含めて教えてもらいました。

「この地域では昔から林業が盛んでした。戦時中には伐採が非常に進みましたから、戦後の1940年代からは山の中は経済木として植えられたスギ・ヒノキが大半になったわけです。カナアテという木は、昔からこの辺りに天然にあった木でした。その特徴は、スギ・ヒノキと比べて非常に生育が遅いということ。当時は自分の山がどこかをわかりやすくするために、山の境界に植えられた木だったんです」

山には「林班」という住所のようなものが割り振られ所有者が分かれていますが、住宅の区画とは違い、山の中には明確な境界がないことがほとんどです。昔の人は石を積んだり、針葉樹の林に1本だけ広葉樹を植えたりしてわかるようにしていましたが、この地域ではカナアテを植えることで境界を明確化していたようです。

宮本さんの山で境界木として植えられたカナアテ。120年生の木だが直径は40㎝くらい。

「このカナアテっていうのはさっき言った通り成長が悪い。木の育ち方を見てみると、スギやヒノキなんかは芯(苗木を植えた時点で一番長かった部分)が光を求めて一番伸びる。でもカナアテは芯よりも横の枝が先に伸びてきて、木全体の形が丸くなっていく。これが特徴です。だから、カナアテの成長が遅いっていうのは、芯が10年たっても全く伸びないからなのです」

成長が遅いという事は、それだけ収穫までの期間が長くなってしまうということです。投資先としての魅力に欠けるため、カナアテはスギ・ヒノキや他のアテと違い、優先的に植林されることはありませんでした。そのため、現在は能登地域にカナアテだけの林は存在していません。

中能登森林組合の若手職員の研修を兼ねて植えたカナアテの苗木。10年生でも樹高1mに満たない。

その成長の遅さから、今まで植林されてこなかったカナアテですが、一方で木材としての価値は認められていました。それは、カナアテは他のアテと比べて、最も堅く、湿気に強いという特徴があったためです。

「富山に“海王丸”っていう引退した船があるんですけど、その船の甲板に使うのはどうかという話も過去にはあったんです。甲板に使うというのは、カナアテは湿気に強くて腐るまでに非常に年月がかかることがわかっていたから。でも、山には製材して出すような大きな(カナアテの)木がない。それで売ることができなかったんです」

カナアテには需要があるのに、山には木がない。この状況に悔しさを覚え、宮本さんはカナアテの植林を決意します。植林のためには苗木が必要ですが、誰も植えないカナアテの苗木を作っている人はどこにもいませんでした。まずは自身でカナアテの苗木を生産するところから森づくりが始まりました。

スギ・ヒノキといった全国で生産されている苗木は、種から育てたり、挿し木(若枝の一部を土に挿して発根を促し苗木を育てる方法)で育てたりするのが基本です。しかし、宮本さんは「空中取り木」という珍しい方法で苗木を生産していました。今回はその空中取り木を実演してもらいました。

ハサミで枝に切れ込みを入れている。
切れ込みに合わせて樹皮を剥いだ後。

宮本さんが樹高1mほどのアテの木の枝を手に取り、枝先から50㎝くらいのところに2㎝幅の切り込みを入れ、ぐるりと樹皮を剝いでいきました。これは「環状剥皮(かんじょうはくひ)」という作業です。削り取った部分には湿らせたミズゴケを巻き、ビニール袋をかぶせて紐で縛ります。こうすることで、穂先や葉から出てくる成長ホルモンが切れ込み部分に集まり、ミズゴケを土と勘違いした結果、削った部分から根が出てきます。これを枝から切り離せば苗木が完成します。

挿し木では苗木ができるまでに2年はかかりますが、空中取り木であれば5月に作業を行えば11月には発根して植え付けが可能になるそうです。大きい枝をそのまま植え付けできるので、育てる期間を少しでも短縮するためにも、この方法が一番良いとのことでした。

アテが発根している様子。画像提供:石川県奥能登農林総合事務所森林部

この空中取り木という方法をアテの木でできることを発見したのは輪島市の林家、石下哲雄さんでした。宮本さんは石下さんの元を足繁く訪れ、アテの木の苗の取り方や植え方を習ったと言います。「中能登では後継者は私だけです」と誇らしげに語ってくれました。

山を愛する男、
宮本のココロ

宮本さんが住む七尾市(旧中島町)は山と海に挟まれていて、平地が少ない土地です。農地の面積も少なく、農業で生計を立てることが難しい地域でした。このため、宮本家では林業を営んで生計を立ててきました。宮本惣一郎さんは4代目であり、現在は40haの山林を管理しています。

「この地域ではそんなに山林の面積がなくても、高い値段で木材が売れたんです。それはなぜかって言ったら山と海が近いから。船で木材を運んでいましたけど、山と海が近くて運送経費が掛からないから儲けが大きかったんです。とはいえ、木材をより高く売るためには管理が必要だったので、少ししか山の面積を持ってない人も朝晩夕方みんな山に行って、植えたら枝降ろしをして、というのが日常の生活でした」

しかし、林業だけで生活できる時代は長くは続きません。丸太価格は1980年代をピークに低下し、林業は衰退していきました。山で仕事をしていた惣一郎さんは、このまま続けてもお金にならないと判断します。そうして約40年前に、能登地域では明治期から行われている牡蠣の養殖に着手し、〈宮本水産〉を立ち上げました。

また、山と海という能登の資源を最大限活用して仕事してきた宮本さんは、地方議員としても活動してきました。旧中島町では町議会議員として活動し、最終的には県議会議員も務め上げ、70歳の時には国の叙勲である旭日双光章も授与されています。議員の任期を満了した後も、中能登森林組合長や農協の副組合長を務めるなど、農林水産業すべてにまたがる縦横無尽な活躍を見せた、地域のスーパープレイヤーでした。

倒木を見つけたら切らずにはいられないという宮本さん。

現在では、海の仕事は全部息子さんに任せているとのことですが、山の仕事は現役です。3日に1度は自身の山に入り、チェンソーも扱っているという宮本さん。所有林を見回る際には、倒れている木は全て持って帰るのが信条と語ります。言われてみれば、宮本さんの山には切って放置された木がなく、林内がとてもスッキリしていることがわかります。

「うちにはこたつがありません。暖房は全部炭と薪ストーブです。山で朽ちてしまうものを薪にして持ってきています。せっかく大きく育ったのに、雪で折れたり、台風で返ったりするのを置いておくのはかわいそうです。これじゃあ木は泣いとる。山は泣いとるよ。だから、俺んとこにきて薪になりな、っていったら喜んで薪になるんです。山の木はすべて利用する。それが山を愛する宮本のココロだ!」

ご自宅の駐車場には山から持ってきた丸太が積まれており、薪も倉庫に山積みです。「これで5年は薪に困らない」と笑顔を見せてくれました。

山を大切に育て、利用している宮本さんの話を聞いていて、気になったのは後継者のこと。宮本さんの山の管理を引き継ぐ人がいるのか尋ねてみました。

「俺は山が好きなんで海側はほとんど行かない。もう60歳になる息子は海の仕事で手一杯です。でも、海の仕事も生計のために必要、山の仕事も生計のために必要。両方必要なんです。今年の春には富山に勤めていた孫が帰ってきた。なので後継者はおるんです」

まだまだ管理が必要なカナアテと、山を愛する宮本さんのココロ。どちらもちゃんと引き継がれていくようです。

100年後にここにしかない木

山でカナアテを見た後に気になるのが、木材になったカナアテの姿。場所を移動して、〈中島建具センター〉でその姿を見せてもらいました。七尾市内にある中島建具センターは木製建具や家具を取り扱う会社で、現在は宮本水産のお食事処で使う、テーブルや衝立(ついたて)をつくっています。

まずは、板材となったカナアテを見せてもらいます。じっくり見てみると木材としての特徴がわかってきます。最初にわかるのは「横線」の存在です。山に生えているカナアテの樹皮は「イモ肌」と呼ばれ、サツマイモの皮のようにボコボコと隆起していて線のように見えます。この特徴は木材になっても現れていて、よく見ると独特の模様が現れていることがわかります。

「イモ肌」と呼ばれるカナアテの樹皮(編集部撮影)
カナアテから切り出した板材。写真では見えづらいが特徴的な線が入っている。

次の特徴は「節」です。一般に流通しているスギの木は節が抜けやすく、板材にした後に節が取れて、穴が空いてしまうことがあります。しかし、カナアテの場合は節が抜けることはほとんどなく、一体化しています。また、通常は材質が柔らかい針葉樹であっても、カナアテの場合は爪が立たないほど堅い節が入っているため、家具にしても強度が保てるそうです。節を活かした加工ができるのがカナアテの強みなのです。

宮本水産のお食事処に置くテーブル。写真よりひと回り大きいサイズの物が納品される予定。

最後の特徴は前の章でも述べたように、材質が堅くて湿気に強いという点です。船の甲板の依頼があった他にも、2020年に金沢城公園の整備にて復元された「鼠多門・鼠多門橋」にカナアテを使いたいという依頼があり、宮本さんがカナアテを提供したこともありました。しかし、現在では山にカナアテがないため、しばらくは提供できないそうです。こうした背景が、今、宮本さんがカナアテを植える理由に繋がっています。

140年の時を超えて復元整備された鼠多門・鼠多門橋。金沢城の西側に位置している。 画像提供:石川県観光連盟

「私の家には『金が欲しいときには山の木を売りなさい。売るということは切るということだから、切ったら必ず植えなさい』という先祖代々の格言があります。私が今、カナアテを植えているのは、なにも目先のことを考えてではないんです。10年、20年では金にならないけど、80年後には金になる。誰も植えてないカナアテを植えたんです」

「『100年経ったら、カナアテは日本中で宮本のところ以外にはないんだよ』って響hibi-kiに書いておいてください」と茶目っ気たっぷりで話す宮本さん。100年後のカナアテがどうなっているか、おそらく私は見ることができませんが、山を愛する宮本さんのココロが多くの人々に受け継がれていく様子を見守っていきたいと思います。

●Information
株式会社 宮本水産 ※現在は臨時休業中
〒929-2213
石川県七尾市中島町 外 イ-29
TEL 0767-66-0002
WEB https://www.notokaki.com/

※能登に住む人の思い、暮らしや文化の大切さ、地震によって失われたものの大きさを多くの人に知ってもらうためにも本記事を掲載させていただきました。現地ではインフラの被害が大きく、未だ断水状態の地域もあったりと安心できない状況が続いています。宮本水産についても被害が大きく、現在は休業中となっておりますが、再開の際にはおいしい牡蠣を食べに多くの方に訪れていただければ幸いです。どこに住んでいるかに関わらず、それぞれにできることが必ずあるはずです。今後も引き続き、自分にできる範囲での復興支援について考えていきましょう。

狩野 和也 (かの・かずや)
将棋の町、山形県天童市出身。前職は林業系の地方公務員。情報収集のために響hibi-kiを見ていた一人の読者に過ぎなかったが、気づいたら編集部に仲間入りを果たす。他人の思想とそこに至るまでの過程を覗くのが好きな思想マニア。