都留市の西端、標高850mの奥地で2020年7月にオープンした1日1組限定のプライベートグランピング場〈FOREST GATE〉。秘密基地のような空間は早くも話題を呼び集めています。オーナーである石尾遼さんが移住後にDIYでつくって運営していると聞きつけ、どんな経緯をたどってきたのか話を聞かせてもらうことになりました。
自由で安全な地を求め
見つけ出した売地
「キャンプ場をやりたいなんて1ミリも思ったことはなかった」
そう話す石尾さんが東京から地方への移住を考えるようになったのは、東日本大震災が大きな契機だったと言います。
「3.11があって、抵抗できない力があるなっていうのを感じましたね。この先もインフラが機能しなくなる可能性は十分にあると思って、とりあえず水源の確保をしようと移住先を探すようになりました」
震災以降、山梨県富士吉田市の「不動湯」へ毎月水汲みに通うようになります。4年ほど通ったその道中で、周辺の地域を車で走り、理想の土地を探していました。
「水汲み場の近くに住んでいるおじさんとたまたま温泉で会って、『都留は水がきれいだよ』って教えてもらったんです。それで都留周辺を調べていて、たまたま見つけたのが今の物件です。ここだったら東京からでもなんとか歩いて来れるし、水と土と木があるので生活もできるし、両親や友だちの避難場所にもなるかなと考えました」
石尾さんが見つけた物件は450坪の土地付き別荘で、550万円で売りに出されていました。見つけてから買うまでに2年弱ほど要したそうです。
●石尾さんの詳しい移住情報はこちら
「この土地は接道していないので住宅扱いになりません。なので住宅ローンも通らなくて、一括で買うしかなかったんです。フリーランスで働いているので一括500万はなかなか借りられなくて、お金の工面に時間がかかりました。その間にオーナーさんに許可を取ってここでキャンプをして、『どう使おうかな~』ってずっと悩んでいましたね。もともと家賃を払うのが嫌いで、家賃分の収入はその家を活用して稼ぐっていうのをルールにしていて。この自然をシェアしたら土地を購入した分の収入は入ってくるんじゃないかなと思って、キャンプ場の案が出てきました。それまではキャンプ場をやるつもりはまったくなかったんですけどね」
そう話す石尾さんですが、野営場でキャンプをするほどのキャンパーでもあります。自身の経験は大いにグランピング場づくりに反映されています。
「友だちとキャンプ場へ行ったときに、東京からわざわざ山へ行っても結局すごい人が多くて混雑していたり、夜中まで騒ぐなって怒られたり、全然面白くなくて。20代の頃にオーストラリアで最寄りのスーパー100㎞みたいな、地平線しかないようなところで生活した経験があって、そこがすごい心地良かったんですね。そういう空間がつくれたらいいなあと思って、1日1組限定のグランピング場にすることにしました。邪魔することもされることもなく、ただただ自由に遊べる場所って、いくらお金を出してもそうそうないと思います」
〈FOREST GATE〉は都心から約90分。金曜の夜に仕事が終わってからでも遊びに行ける距離です。コロナの影響もあり、人がいない場所を求めるニーズと合致して、関東圏からの利用者、特に家族連れが多く訪れていると言います。
「他のテントサイトだと、子どもが迷惑かけちゃうんじゃないかっていうのを一番気にされているみたいです。ここならその心配がまったくないんですけど、それが初めての経験みたいで、『すっごい居心地良かったです』って感想をもらえます。テントの中もベッドがあって、あったかい羽毛布団とか電気毛布もあるし、ストーブもついてるので全然寒くないですよ。キャンプとは思えないくらいです。『家よりもよく眠れました』って帰って行く人も多いですね」
荒れた土地の開拓から
施設づくりまですべてDIY
「最初はめちゃくちゃ荒れ地だったんですよ。ガス屋さんが『検針に来るのが怖い』『うちはもう行きたくない』って言うくらい、鬱蒼としておどろおどろしい感じでした」という状態から、土地の開拓がはじまりました。
「業者さんはほとんど入ってないです。電気を引き直したときに工事をしてもらったくらいですかね。あとは生コン車を呼んだりとかそれぐらい。『生コンクリート何立米いりますか?』って言われて、『全然わからない…』みたいなそんなレベルでした(笑)。一緒に開拓してくれた人が庭師だったので、その人に教えてもらいながら工事を進めることができました。YouTubeとかブログも参考にして、建物の基礎を打つのもDIYでやりました。土地を水平にするために50センチ掘らないといけないことがわかって、ユンボを借りてきて掘って、砕石を買って敷き詰めて。砕石だけで150トンくらい買いました。想像以上にお金がかかちゃって、なんだかんだ2000万円くらい。なめてました完全に。最初は土地が500万で、そこにプラス500万で工事ができるだろうと思ったら全然足りませんでしたね」
●グランピング場づくりの当時の様子はこちら
自治体によっては移住者向けにリフォーム費用などの補助金制度が設けられていますが、石尾さんはほぼ使っていないと言います。
「全部DIYでやっちゃったんで適用されないんですよ。助成金を使おうと思うと、依頼する業者の指定があったり制限があるので。リフォームする場合だと上限50万円で費用の2分の1が補助されますけど、100万円かかって50万円もらうより、自分でつくって費用を浮かせた方がいいなあって。例えば、トイレ工事を業者さんに頼むと20万円くらいかかるんですけど、Amazonで7万5千円で買ったトイレを自分で取り付ければ13万円浮くんですよね。それでいいやと思って、トイレも自分で取り替えちゃいました」
これだけの施設をつくるのに、どういう計画を立てて進めていたのでしょうか。
「どうやってつくろうとかあんまりなくて、その場その場で決めてます。ただ、ルールがないとぐちゃぐちゃになっちゃうんで、黄金比の『1:1.618』に基づいて全部デザインしています。最初は半年でできると思っていたけど、全然終わらなくて。結局1年半くらいずっと開拓してましたね」
世界を旅した元花火職人
カメラマンとして活動する現在地
どういう経歴をたどると、こんなにDIY精神が強くなるのか。石尾さんに移住前のことを聞いてみました。
「高校を卒業してすぐアメリカに1年留学して、そのあと半年間韓国に留学しました。帰国後に鹿児島から東京まで自転車で走って、そこからヒッチハイクで九州へ戻って、さらに船で韓国へまた行きました。そこからユーラシア大陸の西まで陸路で横断したのが21歳くらいのときですね。そのあともワーホリでオーストラリアやカナダにも行ってました。理由はめっちゃ単純で、高校生のときに沢木耕太郎の『深夜特急』を読んで感化されたってだけです」
とにかく転々として遊び続けていたと、石尾さんは当時のことを振り返ります。実際、どうやって生活していたのでしょうか。
「高校3年のときからずっと神奈川県の花火屋さんで打ち上げの仕事をしていたんですけど、それが割とお金になりました。花火大会の打ち上げ準備をして、打ち上げて、片付けるみたいな仕事です。夏の間に一気に働いてお金を貯めて、シーズンが終わったら海外へ行って、お金がなくなったら日本へ帰ってきてまた働く、みたいな。海外だと月5万円くらいで生活できるんですよ。もうめっちゃいい加減に生きてきました(笑)」
そうした生活に終止符を打ったのが、やはり東日本大震災でした。
「花火の仕事はずっとやろうと思っていたのに、震災の影響で仕事がなくなっちゃって。他にやれることといったらカメラくらいだったので、ハローワークへ行って、テレビの制作会社に入ることになりました。だけど、すごい大変で。10ヵ月くらいで嫌になっちゃったのと、もともと皆既日食を見に行くためのお金を貯めるつもりで入っていたので、ちょうど日食前だったしもういいやと思って辞めました。そのあともいろんなところを転々としてから、スタジオをつくって、フリーのカメラマンとして活動するようになりました」
石尾さんは現在、妻の萌衣さんとグランピング場を運営しながら、カメラマンとして企業のウェブCMなどの映像制作を行っています。1年の半分くらいは東京を拠点に仕事をするという、いわゆる二拠点生活を送る日々です。
「妻は広告代理店でバリバリ働いていた人なんですけど、『もう東京には帰りたくない』って言ってますね(笑)。本当に働いてたのかなってくらい今はゆっくり生きてますよ。自分も東京へ行くのは月1~2回くらいにして、徐々に活動拠点をシフトさせたいと思ってます」
働きたくないし
全部遊びだと思って生きてます
これだけ自力でつくり込んだ空間は、石尾さんにとってかなり思い入れが強くなっているのだろうと話を聞き進めると、どうやらそうではないことがわかってきました。
「この場所はとても好きですけど、執着はないです。もし他にいい土地が見つかったらまた開拓をしに行きたいと思っています。まだ人が手を付けていない自然には、育てていく楽しさと面白さがありますから」
「最初に500万円でこの土地を買ったときに、『500万で何年遊べるかな』みたいな、おもちゃを買ったみたいな感じなんですよ。全部遊びだと思って生きてて、遊ぶことに真面目というか本気でやってますし、やりたいように自由にやってます。基本は働きたくないので、“生活しているだけで生きていける”っていうのが僕の目標です。生活空間の延長線上に人が泊まりに来て、おこづかいをくれるぐらいの感覚がいいですね。自分たちが森で楽しんでいると、面白そうだなって人が来て、楽しめたことに『ありがとう』ってお金をくれる。そんなエネルギーの循環があると思ってます」
最後に、地域の方との関係性について聞いてみました。
「近くの製材屋さんはずっと仲良くしてもらっていて、材料をわけてもらったこともあります。木を伐採するときもチェーンソー屋さんのおじさんに良くしてもらったし。ここを開拓するのに必要なお店があったので、それで仲良くなりました。道の駅もよく行くので、売店のおばちゃんも覚えてくれてしゃべりますね。散歩に来るおばちゃんも『お兄ちゃんが来てきれいになって良かったよ』って声をかけてくれました。『ベンチもつくっといてー』みたいな(笑)。近所のキャンプ場のおじさんも土をくれたし、みんな助けてくれますね。移住してきて嫌な思いをしたことはないです」
石尾さんが住む場所は町の中心部から少し離れていて、周辺にも民家がないため、お客さん以外で人に会う機会は少ないそうです。スーパー、道の駅、温泉、コーヒー屋など、10軒くらいのお店と、Amazonで生活は完結してしまうそうです。人も店も娯楽も少ないけれど、この地域を勧めたいと話します。
「都留はこれから発展する地域だと思います。移住者がたくさんいる地域はすでに開拓されていて面白くないから、あえてこういう場所を選んだところもあります。今は何もないからこそ、ちょっと工夫して何かやれば、外から人が来ておもしろい場所になっていくんじゃないかな」
石尾さんはまさに森で自由に生きている人そのものでした。『ここなら自分にもできるかも』『その考え方いいな』『この部分は真似してみよう』。そうした自分の中の可能性を探るためのヒントが、話の中にたくさん散りばめられていた気がします。実際にグランピング場を訪れて、自分の琴線にふれるものを探してみることからはじめてみるのもいいかもしれません。
●Information
FOREST GATE
〒402-0023 山梨県都留市大野2880-3
HP https://www.forestgate-camp.com/
Instagram https://www.instagram.com/_forestgate_/