私たちが林業ボードゲームの体験会を開催する中で、子どもたちに林業のことを伝えていると話す女性に出会いました。農林高校で非常勤講師を担当し、フリーランスのフォレスターとしても活動している〈MORI・IKU〉代表の山田真弓さんです。その不思議な働き方に興味を持たずにはいられず、彼女がフィールドとする静岡県森町まで足を運び、真弓さん的森の働き方について取材をしてきました。
フリーランスの
フォレスターって?
「フォレスター」という言葉を耳にしたことはあるでしょうか?この言葉の対象は発言者の意図によって変わってくるのですが、大元はドイツやオーストリアなどのヨーロッパで活躍する森林専門の公務員を指しています。学校で専門知識を学びながら林業現場で実践を積む育成システムが確立しており、晴れて資格を取得した際には各国の法律に基づいて森林を管理する権限を持っています。
このヨーロッパ版フォレスターを参考にして日本で創設された資格が「森林総合監理士」です。地域の森林や林業について管理や経営の計画立案を支援することが主な仕事で、本場のフォレスターとは異なり権限があるわけではありません。現状では資格保有者の多くが都道府県や市町村の職員であり、林業現場の経験を有している人材は少ないようです。最近では行政職員ではない人も資格を取得しつつあるようで、真弓さんもその一人になります。
「フリーランスのフォレスターって何やってるんだってよく言われるんですけど、『林業系フリーターです』『木を伐る以外はなんでもやりますよ』と説明しています。森林経営計画を立てるとか補助金を申請するとか、そういうスポットで助けてほしいっていう声が小さい事業体さんにはあるんです。それこそ知り合いの事業体さんで森林経営計画を立てるのを手伝ったり、補助金申請の書類をつくったり、測量したり、そういうのをお手伝いしています。あとは、天竜高校に森林・環境科があるのでそこで非常勤講師をしていますし、静岡県立農林環境専門職大学などでは森林施業プランナーやフォレスターの授業でスポットで呼んでもらっています」
フリーランスはどの業種でも同じかもしれませんが、食べていけるのか不安はあるものの、真弓さんにとっては自分に合った働き方ができていると感じているようです。
「誰かに雇われたくなくて(笑)。お勤めしていると自分の好きな仕事だけやれるわけではないじゃないですか。その点、今は好きな仕事を選んで受けられるからいいですね。仕事がなくなったら(不安で)胸がキュってなるけど、一つ仕事を手放すと、意外と新しい仕事が一つ入ってくるんですよね」
もちろん、こうした仕事を受けられるのも、真弓さんがかつて森林組合や民間の林業会社で働いていた経験があるからです。ここに至るまでにどんな道を歩んできたのでしょうか。
青年海外協力隊で
ボリビアへ
名古屋生まれの真弓さんが森町へやってきたのは2歳頃のことでした。父親の転勤で街から山へ引っ越してくることになったのです。山の中で育ち、「フジのツルでターザンをするような幼少期」だったと言います。そんな真弓さんが進路を考えるようになった高校生の頃、獣医になりたいと獣医学部の入学を目指すようになります。しかし、当時の人気漫画『動物のお医者さん』の影響もあり、獣医学部の倍率は跳ね上がりました。浪人を経るも、獣医学部への入学は叶わず、生物系の学部に進学することになりました。
「動物と植物と森林のコースがあるんですけど、森林の実習に行くとちょっと元気になる感じがして、何となく森林のほうに進もうかなって思うようになりました。学生時代から青年海外協力隊に行きたいのもあって、先生から海外ネタの方がいいんじゃないかとアドバイスをもらって、マングローブの研究をしていました。まさか自分が将来人工林に関わるなんてそのときは全然思ってなかったです(笑)」
大学卒業後は、種子や苗木の生産を行う育種場で修行などをしながら、青年海外協力隊になるための試験を受けました。しかし、なかなかチャンスが巡って来ず、教員採用試験を受けてみたところ合格。そこから高校の教員として働くことになります。赴任先の引佐高校(現:浜松湖北高校)では主に農業を教えていたそうです。
「教員4年目で3年生の担任をしていたときに、青年海外協力隊の“現職教員特別参加制度”ができたんですね。卒業生を送り出してから参加したらキリがいいわと思って試験を受けました。本当は森林で受けたかったけど絶対に受かる分野にしようと思って、当時高校で野菜を育てる授業を受け持っていたので農業分野で受けたら試験はなしになって。2次試験の面接ではどこに行きたいですかみたいな感じでポンポンって話が進んで、南米のボリビアへ行くことになりました」
ボリビアでは農業の専門学校のような教育機関で野菜づくりを教えていたと言います。青年海外協力隊としては訓練期間を含めて2年間の活動でした。
「現地の先生に日本のやり方とかをお伝えするものだと思っていたら、先生は1回も来なかったですね。一応授業もしていて、大根をつくったりしていました。ただ、停電なんかがあるのでお水が出なくなることがあって、苦労しながら育てていました。あとテストもやってみたんですけど、現地語で答えを教え合っていたので苦戦しました。学校はほどほどで、カーニバルで踊るのを楽しんでいましたね(笑)」
帰国後は再び高校の教員に戻りましたが、ボリビアの暮らしに馴染みすぎたせいか逆に日本に適応できなくなっていたとか。
「ボリビアのゆるさから戻ってこれなくて。すぐ辞めちゃいけない、御礼奉公だと思って高校で2年勤めました。退職してから1年くらいは屋久島でバイトをしたり海外旅行に行ったりして、それから、やっぱり自分の好きな森林分野に行きたいなっていうことで森町森林組合に就職したんです。最初は森林の地籍調査の仕事だったので、それはそれですごい勉強になりました。ですけど、もっと森づくりの仕事に関わりたいなって思っていました。そのときにちょうど“森林経営計画制度”(※)ができた影響で、天竜(浜松市)にある民間の会社さんに声をかけていただいて、そこに転職して森林施業プランナーの仕事をするようになりました」
森林組合で約3年、民間の林業会社で5年半ほど経験を積んだのち、環境教育などに携わりたいという思いから今のようなフリーランスの形に移ってきたのでした。
※森林経営計画制度とは、「『森林所有者』又は『森林の経営の委託を受けた者』が、自らが森林の経営を行う一体的なまとまりのある森林を対象として、森林の施業及び保護について作成する5年を1期とする計画」のこと。(引用元:https://www.rinya.maff.go.jp/j/keikaku/sinrin_keikaku/con_6.html)
防災の森づくりと
森林教育
フリーランスだからこそ、自分にしかできないフォレスターとしての仕事をつくっていきたいと話す真弓さん。さまざまな経験を経てきたからできることが確かにあります。
「林業は専門でできる人が他にもいっぱいいるので、自分はお手伝い程度で関われればいいかなって。防災の森づくりと教育が今の自分のミッションだと思っています」
「山奥で生活していると、荒れた山の影響をすごい受けるんですね。私が住んでいる場所もそうなんですけど、去年も今年も台風の被害がひどかったですよ。うちは水道じゃなくて共同で山からお水を引いていて、その水を溜めるところに台風で土がどんどん入り込んでしまって掃除が大変でした。5年に1回ぐらいでよかった掃除が毎年になっちゃったので。下層植生(森林に生えている背の低い草木)がない森林は雨が降ったら土が流されてきちゃうからそうなるんですよね。だから森の手入れをちゃんとしなきゃいけないっていうことを知ってもらいたいし、防災の森づくりもしていきたいですね。自分でも勉強をして、行政にも『こういう制度つくれませんか』って提案もしています」
林業側からすれば木を運び出さないとお金が合わず、防災のための森の手入れまでする余裕がない、というのが実情でしょう。しかし、それでは山地災害が起きる可能性は増す一方です。だからこそ、真弓さんは行政を巻き込みながら森づくりを進めていこうと奮闘しているのでした。また、教育については教員の経験がもたらした影響があるようです。教育に携わってきた身としても、ただ教えるのではなく、どういったアプローチであれば伝えたい内容が子どもたちに響くのか、その視点を大切にしていると言います。
「やっぱり伝えていかないとっていう思いがあります。暮らしと森はつながっていることや、木は切っちゃいけないと思っている子どもたちに人工林は木を使わないと荒れてしまうんだなってわかるような、腑に落ちるようなアプローチを教育としてやっていくことが大事かなって思いますね」
こうした思いを具現化した取り組みが森町で2022年から始動しました。町内の小学校を対象にした“森林教室”を教育委員会や森林組合と連携して実施しています。今回の取材では、2023年11月に開催された教室の模様も見学させてもらいました。ヒビキツアーズの記事も合わせてご覧ください!
▼ヒビキツアーズ#38
「林業機械に“乗車”?! 森町森林教室」
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