森で働く
# 19
森で馬と
生きる人
2022.5.23

この連載で以前、牛と山で暮らす人を紹介したことを覚えていますか?響hibi-kiのYouTubeチャンネルではその取材時の動画が再生数6万回以上と、予想を超える反響がありました。そこで、次は“馬”に注目してみます。岩手県遠野市で馬とともに農林業に勤しみ、“馬搬”の普及に一役買っている岩間敬さんの活動の一部を取材してきました。

写真:野口 恵太/文:田中 菜月

林業と馬搬を
はじめた理由

《馬搬×林業》
馬方/一般社団法人「馬搬振興会」代表理事
岩間 敬さん
※引馬は寺優(てらゆう)

「おいしいお米が食べたい」―― 誰でも一度は思ったことがあるでしょう。手間暇かけて土鍋で炊いてみたり、高機能な炊飯器を買ってみたり、上質なお米を使ってみることもあれば、三ツ星レストランへ行くなど、選択肢はさまざまです。中にはこんな方法もあります。

「手づくりの炭を使って、かまどで米を炊く」
ここから、いつの間にか林業をはじめていたというのが、岩手県遠野市に暮らす岩間敬さんです。

「20歳のころ、お米を最高においしく炊く方法はないかなと調べていたら、『将太の寿司』っていうマンガで“蒸しかまど”と“炭”を使って米を炊いててね。うちのじいさんに聞いたら『うちにも炭窯とかまどあるぞ』っていうから、それでまずは炭焼きをやってみることにしました。炭も買うんじゃなくて自分でつくろうと思って、実家の山に入って木を伐り出すところからはじめました」

岩間さんは“米をおいしく食べるため”に山へ入り、林業にも携わるようになります。そして、運のいいことに、おいしい米を食べるために必要な環境は他にもすでに整っていたのでした。

「自分で山から木材を出してくるのは大変ですよ。機械も入れないし。でも、馬は持ってたし、昔はこのあたりで馬が木を運んでいた話を聞いた覚えがあって。そこからですね、馬搬をやりはじめたのは。馬搬だけじゃなくて、馬糞と馬耕で米もつくっちゃおうと」

遠野市は「南部駒」に代表されるサラブレッド種の産地として、競馬界では名の知れた馬産地です。岩間さんの生家近くには「遠野馬の里」があり、競走馬・乗用馬・農用馬の繁殖改良や調教が行われています。そのため、岩間さんにとって馬は幼いころからとても身近な存在でした。

馬の文化に慣れ親しんで育った岩間さんは、高校生のころから乗馬をはじめ、馬術競技の選手としてオリンピックに出ることを目標にしていたと言います。同時に建築の専門学校にも通うなどいくつかの道を検討する中で、馬の道を選び、東京の乗馬クラブや前出の馬の里で働く日々が続きました。

「最初はオリンピックに出たいと思って、スポーツホースばかり集めて自分で育てていたんですけど、それよりも働く馬のほうが、田んぼや山に価値をつけられるからいいなあと思うようになりました。それで30歳のときに今の世界にシフトしました」

そして、馬搬の技術を身につけるべく情報収集する中で、近所に現役で馬搬をやっている人がいると知った岩間さんは、早速その人たちの現場を見学したのでした。それからというもの、2人の師匠から教えを乞い、馬搬に必要なノウハウを習得していきます。2011年の英国馬搬技術コンテストシングル部門で優勝を果たすほど、めきめきと馬搬の腕を上げていきました。

馬はかつてトラクターだった

林業では木材を山から運び出すために大型機械が欠かせません。農作業でも同様です。しかし、以前はその機械の役目を家畜である馬や牛が担っていました。専用の器具をつけた馬が木を引っ張り出し、田畑を耕していたのです。

これは遠野に限った話ではなく、全国各地で同じようなことがなされていました。今の生活に置き換えると、家畜は電気やガソリンのような動力源そのものだったわけです。

私たちは岩間さんが所有する山林に入り、今では全国的に貴重になってしまった馬搬の様子を見せてもらいました。今回はデモンストレーションということもあり、チェーンソーで伐り倒した木を1本ずつ運び出します。実際は、たくさんの木材が一度に運べる台車のようなものを馬に取り付けるなど、そのときどきの状況に応じて、多様な搬出方法があるそうです。取材時に見せてもらった手法は、木々が生い茂っていて道がないような場所で使われる搬出方法です。

運び出す木にチェーンをくくりつける。

運び出す際は、木の長さを考慮したルートであることが必須です。岩間さんは瞬時に搬出経路を把握して、寺優(馬)に指示を出します。

「ゴーゴー!」
「ストップ!」
「もうちょいまえ~」
「ひだり~」
「おっけい」
「バックバック」
「はい、ゴー!」
「ゆっくり~」
「いいよ~」
「かいて~ん」

指示通りにサクサクと動く馬を見ていると、「言葉がわかるんだ!」と感嘆してしまいます。岩間さんによると、慣れれば言葉や仕事内容を覚えてしまうのだそうです。

「音声というか仕草や口元を覚えるんで、手綱はとりあえず持ってるような感じです。馬もAIみたいにだいぶ仕事を覚えますよ(笑)。何回も同じような作業をやっていれば、言葉も状況も覚える。例えば、急斜面で危ない場合は丸太だけ先に下に落としちゃうんですけど、そういうときに馬は自分が次にどこへ行けばいいかわかっているんですよ」

「馬搬の一番いいところは、ゆっくり動かせて小回りが利くこと。ちょっとでも木口(丸太の端の断面)が障害物に当たりそうになったらスッとずらすとか、止まるとか、細かい動きが必要です。馬はとんでもない馬鹿力があるから、暴走されようものならえらいことになります」

機械だったら、わざわざ道や橋をつくらないと通れないような場所でも、馬ならグイグイ進んでいきます。働く馬のかっこよさに見惚れていると、岩間さんの口笛が聞こえてきました。こんな情緒的な口笛が聞けるのはたぶんここだけです。

「今日はのんびりやっていますけど、何頭か馬を持っていけば交互に使えるんで、たくさん木を運び出すこともできますよ。多いときで、1日に15㎥(※)。平均で5㎥/日かな。交代で休ませながら1日作業を続けられます。それに山の中って意外と馬が食べるものがあるんですよ。笹とかね」

※木の“量”についてはこちら

確かに、搬出中の寺優を観察していると、途中で周辺の草をむしゃむしゃ食べていました。これだけパワーを使う仕事をすればすぐにお腹も空くものです。

寺優は、下北半島で生まれ育った「寒立馬」(かんだちめ)。厳しい冬の寒さに強く、昔から農耕や荷役などの労働力として活躍してきた品種だ。

通常、林業機械を利用する場合は、先に山の中に道をつくる必要があります。そのために、測量して、道の設計図を書いて、図面に沿って道をつくる工程を経て、ようやく本格的に木材の生産ができるようになります。

でも、あまりに傾斜が急な場合は道をつくっても崩れやすくなることもあれば、道をつくっている途中で予測していなかった巨大な岩が出てきてどうにも道を通せない場合もあります。

「機械が通用する山なら機械を使えばいいんです。多くの山では機械が入れません。それに馬の方が機動力もある。特に、木を1本運び出してくるなら馬のほうが圧倒的に速いわけです。機械は準備するだけで大変だし。状況や使い方によっては、馬搬の方が理にかなってるなと思います。馬が一頭いれば田んぼと畑の作業もできますから。あと、馬のエネルギーはなんと言っても“草”なのでそれほどお金もかかりません」

馬搬では傾斜がある場所でも作業でき、道をつくる必要もありません。「これ、全部どこでも行けます」と、岩間さんは斜面を見下ろしながら躊躇なく言ってのけるのでした。

「登りは楽なところを通って、下りは傾斜が30度くらいまでなら行けるんですよ。一見すると道がないところでも、こういう馬搬をやっていると、昔の人が使ってたであろう道が見えるようになります」

この連載でも“森で働く人”をひとくくりにしていますが、仕事内容や方法の違いによって、森の中の見え方はその人ごとにずいぶんと違ってくるのでしょう。岩間さんには、あらゆる馬の通り道が見えているのでした。

斜面では摩擦力が働くため、思いのほか丸太は転がらない。枝や木口もブレーキになるという。

それに、岩間さんの話を聞いていると、“森で働く”だけには留まらない要素を馬搬が内包しているように感じます。いや、馬搬というよりも、岩間さんの生き方そのものが馬搬を通じて映し出されているのかもしれません。

「働くっていうよりは運動感覚なんです。馬も毎回変えています。単純に仕事として馬搬をやるだけじゃなくて、同時に馬を調教したり、人に教えたりしています。機械も最初は面白いし便利なんですけど、馬みたいなことができないから飽きるんですよね」

▼馬搬の動画を見る

馬搬はスポーツだ

岩間さんは2010年に馬搬振興会を立ち上げ、馬搬の普及啓発に取り組んできました。それくらい、当時は今よりももっと馬搬の担い手がおらず、その存在も世間から忘れ去られていました。

ですが、各地で講習会などを行うことで馬搬に興味を持つ人、やってみたいという人が全国でじわじわと増えつつあります。

そんな岩間さんのもとには、馬搬を習いたいと全国からの訪問者が絶えません。取材時も見習い中の倉本伸幸さんが同行し、寺優の手綱を取る場面もありました。倉本さんは2021年5月に岩間さんのもとに来たばかりだと言います。

「生きものが好きで千葉にある動物の専門学校に通ってました。そこから馬が好きになって、山梨県の乗馬クラブに就職したんですけど、数年で辞めてしまいました。1年くらい経って、また馬の仕事をしようと思って調べていたときに、岩間さんのことを思い出したんです。3年くらい前に横浜の赤レンガ倉庫の近くで『ホースメッセ』っていう大きな馬のイベントがあって、そこで岩間さんの講演会に少し参加したことがありました。

『そういえばそんな人いたな』って思い出して、馬搬振興会に連絡したんです。それから何回かお会いして、岩間さんの会社で働くことになりました。実際にやってみると面白いですね。乗馬クラブだと毎回同じことの繰り返しですけど、こっちは毎日違うことしかないから(笑)。今はまず、ちゃんとした馬搬の技術を身につけたいと思っています」

倉本さんが馬搬をする際は、岩間さんのよく通る声が林内に響き渡ります。

「なるべくゆっくり動かして」
「バタつかせないように」
「倉本くん、いいポジションに入って。危なくないように」
「うん、おっけー」
「木口、立木にぶつけないように。傷ついちゃうから」
「そう、いいよ~」
「ゆっくりゆっくり~」

機械よりも機動力のある馬搬ですが、その馬を使いこなせるようになるまでに、何年もの時間がかかります。乗馬の経験があれば短期間での習得も可能かもしれませんが、日頃から馬に触れている人はごくわずかでしょう。林業のノウハウも含めると、独立するには10年くらいかかるようです。

「こういうのって実践で覚えていくしかないんですよね。馬もゼロから育てるなんてわからないですから。教えてくれる人と一緒にやって覚えるしかないです。僕も2人の師匠に教えてもらいました。道具の使い方とか、馬の能力とか、山のこととか、師匠を見ていたらわかるようになりますよ」

馬搬を習得するのは簡単なことではありませんが、気負わない岩間さんのスタイルは馬搬振興会の一つの魅力になっていると感じます。

「仕事だと辛いなあって思うから、スポーツだと思えばいい(笑)。馬搬をやっている人は大金持ちじゃないけど、みんな楽しく暮らしてます。それに、山は今ほぼタダで手に入りますから。馬は仕事の広告塔になってくれますから、『馬搬で出してきた木で家を建てたい』って思う人も出てくるわけですよ。1本のなんでもない木に価値をつけようと思ったら、木に興味がない人にもいいなと思ってもらえる形でやっていけばいいかなと。そうやって馬を活用して、山の価値を高めつつ、自分たちも食べていけるといいなあと思います」

日本の馬搬がアフリカへ

岩間さんは馬搬作業に加えて、馬搬材そのものや馬搬材を使った木工製品の販売、馬耕かつ無農薬で育てた酒米で日本酒もつくっています。

また、馬を使った伝統行事存続のための技術指導や、馬の派遣のほか、自らも流鏑馬(やぶさめ)や草競馬を披露しています。最近では引退競走馬が畑で馬耕できるよう指導もしているそうです。馬が扱えるようになれば、仕事の幅はぐんと広がります。

岩間さんの製材の師匠である大工から引き継いだ製材所。馬搬で出してきた丸太を岩間さん自ら製材している。
馬搬に興味を持ってくれるクライアント(工務店や施主など)から依頼を受け、直接木材を販売しているという。
岩間さんが企画した馬糞型の積み木「ウンキ(運気)ー」。馬搬による木材を使用。意外と積むのが難しい。

「一番重要なのは木材のブランディング、商品開発ですね。出口があれば絶対仕事は続きます。家はもちろんだし、今、新潟県で馬耕もやっているんですけど、その田んぼの米で日本酒もつくってます。お酒が売れればもっとお金が回るようになるし、担い手も馬も増える。

最近は時代が変わってきて、馬で農作業したいという人も出てきています。そういう人たちのトレーニングをしてお金をいただくこともあります。新しい農法を考えて実践もしているし、セラピーとして馬と触れ合うこともやってます。馬の後ろにスノーチューブをつけて引いたり、馬と綱引きして遊んだり、いろんなことができますよ」

新潟県十日町での馬耕の様子。
馬耕で耕した津南町にある圃場での田植え。

近頃は馬搬よりも馬耕がメインになっているため、拠点である新潟県津南町と遠野を行ったり来たりの生活が続いているとか。

「もともと馬耕を教えていたのが新潟だったのと、“米どころ”でもあるし、関東から近いのもあって、新潟を拠点に日本酒づくりをやっています。最初はブドウ畑でワインをつくろうと思ったんですけど、やっぱり日本だし日本酒からはじめてみようと。

他にも、ちょうど使っていない田んぼが見つかったり、いろんなタイミングが重なった結果はじまった感じですね。海外の人をターゲットにしていて、海外でも少しずつ販売しています」

馬耕で耕し無農薬で育てた酒米から生まれた日本酒「田人馬」(たじんば)。岩間さんが代表を務める〈三馬力社〉から発売。同社は20年6月、働く馬とともに農林業の新たな価値創造を目指して設立された。詳しくはこちら

「基本的に馬は動力だからなんでもできます。産業革命以前はもちろん、戦後から昭和の中期までは馬や牛が物流を担っていた世界ですからね。現代人からすると新しいようだけど、全然新しくない(笑)。昔と今の違いは世界と交流できることです」

岩間さん自身、イギリスのコンテストに出場したり、農水省の事業でセネガルやモザンビークへ行ったりと活動はワールドワイドです。

「アフリカには馬やロバ、牛を使う技術者はいるけど、それらを労働力として使うための“いい道具”がないんですよ。日本は昭和初期ごろにいい道具をいっぱいつくっていたし、今もその技術はあります。いい道具をアフリカの方たちに紹介して、結局は買ってもらうんですけど、それで生産性と効率が上がれば、彼らの仕事の質が上がって収入を増やすことができます。

“手の農業”から“機械の農業”をいきなりはじめるのは金銭的にハードルが高いし、環境にも良くないので、今ある畜力(家畜の労働力)を強化するのがいいです。機械を維持するのも大変ですからね」

アフリカで活動中の様子。岩間さん写真提供

そして、アフリカへ行ったのには、もう一つの理由がありました。

「畜力を使う人たちと、化石燃料を使う人たちのエネルギーの相殺の仕組みを海外でつくりたいと思っています。僕は『アニマルカーボンオフセット』って呼んでいるのですが、畜力でオフセットできないかなと考えています。それを電子マネーなどの仕組みを使って途上国の発展につなげることができないかなという思いもあってアフリカへ行っています」

馬搬は単なる昔ながらの技術ではなく、また、遠野や津南町のような山間地・過疎地に限定されるものではありません。思いもよらない場所や地域で必要とされるときが来ることを、岩間さんの活動からうかがい知ることができました。実際に馬搬をやるかやらないかはさておき、生きる知恵として畜力の存在は忘れたくないと思ったのでした。

●Information
一般社団法人 馬搬振興会
〒028-0545 岩手県遠野市松崎町駒木4地割106番地3
https://japanhorselogging.org/
田中 菜月 (たなか・なつき)
1990年生まれ岐阜市出身。アイドルオタク時代に推しメンが出ていたテレビ番組を視聴中に林業と出会う。仕事を辞めて岐阜県立森林文化アカデミーへ入学し、卒業後は飛騨五木株式会社に入社。現在は主に響hibi-ki編集部として活動中。仕事以外ではあまり山へ行かない。