森の中には何か不思議なものがある―――「本」と「映画」に潜むラビリンスにはどっぷりはまり込む当連載「Memento Mori」。深い森についての映画と本を毎回1冊ずつ取り上げ、テーマに合わせて読み解いていく。今回は「シェルターとしての森」
なぜ森は心が安らぐのか
その答えが意味する真実
絵画のように美しくも、どこか不穏な空気が漂うメインビジュアル。制服を着た、ひと目見ただけでは男性とも女性とも判別のつかない人物が、こちらをじっと見つめて森の中に立っている。足元にはキツネがいて、背後には薄暗い森に溶け込むようにヘラジカなどほかの動物の姿も見える。システマチックな人間社会の象徴といえる制服と、ほとんど光の差し込まない鬱蒼とした森のイメージが瞬時に結びつかず、胸騒ぎを覚えてしまうのは、文明に浸りきった現代人でもかろうじて持っている本能がなせる技なのだろうか。
その人物の名は、ティーナ。スウェーデンのとある港で税関職員として働く女性で、羞恥心や恥のようなネガティブな感情を嗅ぎ分けられる特殊能力を生かして、違法な品を持ち込もうとする人を水際で防ぐ仕事をしている。能力だけでなく風貌も独特で、その“醜さ”は染色体の異常だと本人は聞かされている。好奇の目を避けるように人里離れた森の中にある一軒家で、ヒモのような男とひっそり暮らしているが、ふたりの間に肉体関係はなさそうだ。少々内向的な性格だが自分を卑下するわけでもなく、虫や動物や自然を愛する姿や、介護施設で暮らす父親に時折会いにいく様子から、優しい心の持ち主であることが伺える。そんなある日、いつものように不審な入国者を通路に立って見極めているとき、彼女の嗅覚がただならぬ何かを感知する。徐々に近づいてきたヴォーレという男性は、ティーナととてもよく似た顔つきをしていた……。
ジャンル分けが難しいというか、ジャンル分けをすること自体が無意味に思えてくる、いろんな意味で観たことのない映画なのだが、重苦しい雰囲気のなかで一筋の光となるのが、ティーナの内面の美しさと、彼女が癒される森の美しさだ。自宅のすぐそばに広がるおとぎ話の世界のような森や湖は、緊張感のある仕事をしている彼女にとってのシェルターで、飼い慣らされた猫のようにそばに寄ってくる野生動物たちは、人間よりも心を開ける存在であることが伝わってくる。一方で、孤独のなかで創り上げてきた彼女の世界が、ヴォーレとの出会いによって少しずつ揺らいでいく様からも目が離せない。
ティーナの出生をめぐる秘密と、特殊な能力が見込まれ捜査協力をする児童ポルノの摘発、そしてヴォーレが彼女の前に現れた理由が絡み合い、やがて境界を失っていく。それとともに、都市と自然、人間と人間以外の生き物、美しさと醜さ、善と悪、男と女、あるいはオスとメスなど、さまざまな事象の境界線を揺さぶっていく。提示されたボーダーを前に何を思うのか、私たちは試されている。
『ボーダー 二つの世界』
監督:アリ・アッバシ
製作年:2018年
製作国:スウェーデン・デンマーク
Blu-ray価格:4,800円(税別)発売&レンタル中
販売元:ハピネット・メディアマーケティング
“住む場所考”に一石を投じる
山奥とニートの親和性
『「山奥ニート」やってます。』の著者・石井あらた氏は、1988年生まれ、名古屋市出身。教師の両親を持ち、小さい頃は本人によると「大人しくて、トラブルを起こすことはほとんどない、問題児とは真逆の優等生だった」そう。大学生までは辛うじて社会のレールに乗っていたが、あることがきっかけで離脱してそのまま引きこもりに。2014年、ネットを通じて知り合ったニート仲間と、和歌山の山奥に移住。本書はそこでの暮らしぶりや日々思うこと、山奥ニートの可能性(というと前向きすぎるかもしれないが)などについて綴った、5年間の記録だ。
著者の暮らす山奥がどのくらいのレベルかというと、最寄りの駅までは車で2時間、一番近い信号機までは1時間。「住む人がひとりもいなくなった消滅集落をいくつか通り過ぎ、曲りくねる狭あい道路をうんざりするほど走り続けたその先に」ある限界集落だ。もともと住んでいた地元の人はたったの5人で、平均年齢は80オーバー。そして著者のような山奥ニートという名の新規移住者は、10代~40代まで15人。その多くは、廃校になった小学校の木造平屋校舎で共同生活を送っている。
著者のように社会生活をドロップアウトした人が、赤の他人とひとつ屋根の下で暮らすことなんてできるのか。そんな疑いが生じるのも無理はないと思うが、意外と大した問題ではなさそうで、最低限のルールでお互いに干渉し合わずゆるく暮らしている。山奥だからといって、生活スタイルが大きく変わるわけでもなく、豊かな自然を享受するわけでもなく、昼前に起きて快適なネット環境でゲームやアニメ、SNSなどを楽しんでいる。日々の食事はコンビニやファミレスが近くになく、自炊が必須であることから、都会にいるときより少しはまし、といった程度。畑仕事も気が向いた人がやっているけれども、一生懸命とまではいかない。よくいえばのんびり、悪く言えば怠惰な日常。
最初こそ、堂々と楽をしていることへのうらやましさが裏返って、懐疑的に構えていた部分も正直あったのだが、読み進めていくにつれ、山奥とニートは本当に相性がいいのではないかと思えてくる。たとえば、ちょっとした季節労働。著者はまったく働いていないわけではなく、月1万8000円の生活費を自分で賄っているのだが、主な収入源は、山に入ってサカキなどの葉っぱを採ってくる「花切り」という仕事、梅農家の収穫補助、夏のキャンプ場の清掃など。定職につくのは結構な負担を強いられるけれども、期間限定ならできないことはないし、足るを知る彼らは少しでも多く稼ごうという気持ちにはならない。しかも多少体力がなくても、若い人が少ないエリアなので、それだけで重宝されるというメリットも。自分の存在が認められることは、生きるうえで何よりも大切だという当たり前のことに、その関係性が気づかせてくれる。
後半、移住を可能にしてくれた人とのエピソードや、ほかの山奥ニート数名に行ったインタビューも興味深い。著者は言う。自分たちが山奥に集まって一緒に暮らしているのは、ビジネスでも、イデオロギーでも、イベントでもなく、普通の日常だと。都市部での暮らしや学校、会社にはうまく馴染めなかった人たちが、森というシェルターを得て、今まで誰もやらなかったような暮らしを実現させた。コロナ禍で住む場所に対する意識や求めることが変わりつつある今、本書はひとつのヒントになるのではないだろうか。
僕はこの世界を捨てるつもりで、彼女も贅沢も人との繋がりも諦めて、山奥に住むことにしました。
(「はじめに」より)
ところが、それから6年経った今、僕には妻がいます。
お金はありませんが、ひきこもりのころよりずっと良い食生活をしています。
街からは遠く離れているけれど、人との繋がりは強くなりました。
『「山奥ニート」やってます。』
著者:石井あらた
出版社:光文社
価格:1,500円(税別)