森の中には何か不思議なものがある―――「本」と「映画」に潜むラビリンスにはどっぷりはまり込む当連載「Memento Mori」。深い森についての映画と本を毎回1冊ずつ取り上げ、テーマに合わせて読み解いていく。今回は「自然に還る」。
土地や肉体に宿る、
無数の記憶と痕跡をたどる
世界が情報とマネーで覆い尽くされたように見える現在だからこそ、その分厚い壁の裂け目からほとばしる現実の力や、「自分探し」では決してたどり着くことのできない豊饒な神話の源流に、私たちは自分自身の身体で直に触れてみたいと思うのだ。(「はじめに」より)
パワースポットという言葉がもてはやされるようになったのは、いつ頃からだろう。神社仏閣を訪れるのがカジュアルなこととなり、より多くの人が日本の伝統文化や自然を身近に感じられるようになったのは、その恩恵といえるだろう。しかし、である。『野生めぐり 列島神話の源流に触れる12の旅』を読むと、そんな言葉に踊らされていることが滑稽に思えてくるし、自然と近い距離で生きている人ほど、人間と自然の間に横たわる厳然たる境界を意識していることを教えてくれる。日本人にとって自然は、今も昔も変わらず畏怖すべき存在なのだ。
ヒマラヤ周辺や日本各地で山岳信仰等のフィールドワークを行ってきた人類学者の石倉敏明氏と、『東北』『魚人』で土地に根を張って生きる人々や風習を撮影してきた写真家の田附勝氏。ともに1974年生まれのふたりが、タイトルにある通り、“野生をめぐって、列島神話の源流に触れる12の旅”をしていく。
本書の構成は基本的に、それぞれの旅で訪れた土地の実感、体験したことの考察が対話スタイルで自由に語られ、田附氏の写真と石倉氏の文章がそれらを補い、深めるかたちになっている。全編を通して感じるのは、日本にもまだ、こんな荒々しく原始的な風習が残っているのだという驚き。アスファルトやコンクリートに覆われ、さまざまなことがリモートで成り立つようになった環境で暮らす者からすると、にわかに信じられないような生々しい場所ばかりなのだ。
たとえば、童話の世界でしかお目にかからなくなったオオカミを、神の使いとして信仰する風習が残る埼玉・秩父。「オイヌ様」と呼ぶオオカミ、もしくは山そのものにご飯をお供えする儀式に参列したふたりは、「見えないオオカミが集まっている」という神官の言葉を聞き、洞窟壁画で有名なラスコーで古代人が見ていたであろう動物に思いを馳せる。
アニミズムが息づく熊野では、一度は毒殺されたものの、湯の峰温泉の「つぼ湯」で復活した小栗判官の伝説を死と再生の追体験とみなし、剥き出しの自然が生から死、死から生へと揺り戻す力強さを感じる。あるいは、ワラや木の葉などで作った「カシマサマ」という巨大な精霊像を、集落の入り口や巨木の下に立てて災厄の侵入を防ぐ秋田南部の風習に、アメリカ・インディアンのトーテンポールを重ね合わせてみたり。
三陸海岸では、山から木の生命をいただいて船を造る船大工が、山と海の魂をつなぐ重要な役割を果たしていることを知る。
これらの旅は2012年から2013年にかけて、つまり東日本大震災発生からそれほど歳月が経っていない時期に行われているのも大きな意味を持っている。そして人間が太刀打ちできない自然の恐ろしさと偉大さを目の当たりにして得た気付きは、未知のウイルスに脅かされている今この瞬間にも通じているのではないだろうか。
『野生めぐり 列島神話の源流に触れる12の旅』
著者:石倉敏明・田附勝
出版社:淡交社
価格:2,000円(税別)※品切れ中
“Vision”が示す人間と森のあり方
『萌の朱雀』でカンヌ国際映画祭のカメラドール(新人監督賞)を史上最年少で受賞し、『殯の森』では審査員特別大賞グランプリを受賞した、カンヌと相性のいい河瀨直美監督。代表的なこの2作もそうだが、彼女がコンスタントに作品の舞台にしているのが、自らの故郷である奈良の森だ。
2018年に製作された10作目の長編劇映画『Vision』は、フランスのあのジュリエット・ビノシュが出演を熱望し、河瀬監督が脚本を当て書きしたことでも話題になった作品で、やはり奈良でオールロケを行っている。
ジュリエット・ビノシュが演じるのは、世界中をめぐって紀行文を執筆している、ジャンヌというエッセイスト。彼女が吉野の森を訪れ、お互いに惹かれ合うのが、外界との交流を避けるように孤独に暮らしている山守の男・智(永瀬正敏)だ。近所に暮らす盲目の老女(夏木マリ)は、ジャンヌが来ることを予言していて、喪失感を抱えるジャンヌは1000年に一度姿を見せ、人類のあらゆる苦痛を取り去ることができるという幻の薬草“Vision”を探していた。なぜジャンヌはその薬草が吉野の森にあることを確信しているのか。智はなぜ都会の暮らしを捨てて20年以上、森でひっそりと暮らしているのか。老女はなぜ、ジャンヌがこの森にやって来ることを知っていたのか。そしてあるときから、智の仕事を手伝うようになる青年(岩田剛典)は何者なのか。
いかにも河瀬監督らしい、多くを語らず感覚に訴えてくるような作品なのだが、その世界観を印象づけているのが、表情豊かに映し出される森の姿だ。天に向かって伸びる木々、風に揺れてざわめく無数の葉、さまざまな生き物の気配、新しい命が生まれては消えていく循環。人間を包み込むように存在する森は、宇宙そのものだ。
1000年周期で胞子を放つというVisionも、ジャンヌや智のような個々の人間とは全く異なる時間軸で生きている。しかし次の世代へと命をつないでいく人間を、森やVisionのようにひとつの種として捉えれば、個々ではわからない時間軸での生き方や進むべき方向が見えてくるのかもしれない。
「視覚」「洞察力」「先見の明」「幻想」……。Visionという抽象的な言葉が持つ広がりとともに、人間と森のあり方や関係性など観る者のイメージを膨らませてくれるが、誰もが納得できるようなわかりやすい答えを本作は用意していない。Visionは他者が示してくれるのではなく、あくまでも自分で見つけるものなのだ。
『Vision』
監督・脚本:河瀨直美
製作年:2018年
製作国:日本・フランス
Blu-ray価格:6,800円(税別)
DVD価格:5,800円(税別)
発売元:バップ