ふしぎの杜で
# 9
神話のはじまり
2022.1.20

日本の森や山には、日本書紀や古事記などの書物にも記された数多の神話が伝えられており、神話のあるところには、同じできごとを違った角度から伝える民話が多く伝えられています。災害が相次ぎ、否応なしに自然と向き合わずには生きていけず、差別問題も叫ばれる今だから。

そんな神話や民話を紐解きながら、物語の中に散りばめられた自然の中に神を見出す多様性ある日本古来のアニミズム的な信仰や暮らしの術を探究してみることにしました。

監修・解説:中村 真(Imajin)/編集・文:佐藤 啓(射的)/イラスト:高橋 裕子(射的)

天地開闢:
天之御中主神と「おむすび」のおはなし

むかしむかしのカミヨのもっとまえのむかし、テンもチもなんにもなくて、セカイはコントンとしていたんだな。ウ、ウ、ウズをまいたみたいで、そこにはカミさまもいなかったんだな。

それからとってもとってもながいじかんをかけて、テンとチがわかれて、テンクウにうかぶタカマガハラに、天之御中主神というカミさまがあらわれたんだな。しばらくするとタカムスヒ、それからカムムスヒというカミさまもあらわれてきたんだけど、すぐにまたかくれてしまったんだな。

カ、カ、カミさまは、ひとりふたりじゃなくていっちゅうにちゅうとかぞえるんだけれど、みんなオトコでもオンナでもなくヒトリカミとよぶんだと、このあいだおむすびをくれたカンヌシさんがいってたんだな。

このとき、ダイチはまだまだドロンコよりやわらかくて、みずにうかぶアブラミみたいだったんだな。ぼ、ぼ、ぼくもアブラミがたくさんあるトロはとてもだいすきなんだな、うん。

それからまたながいジカンをかけて、ドロンコのなかからアシのはっぱのめみたいなものがでてきて、そこからウマシアシカビヒコジがあらわれて、つぎにアメノコトダチがあらわれてきて、このにちゅうのヒトリカミもまたすぐにかくれてしまったんだな。

天之御中主神からアメノトコタチまでのごちゅうのカミさまは、天地開闢のときにあらわれたトクベツなカミさまで、「コトアマツカミ」とよばれているんだな。そのあとにヒトリカミのクニノトコタチとトヨクモノがあらわれて、すぐにまたかくれてしまったんだな。

ながいなまえでむずかしかったけれど、これもおむすびをくれたカンヌシさんがおせーてくれたんだな。

それからやっとこさ、オトコカミとオンナカミがあらわれるんだな。
まずはウヒジニ、それからいもうとスヒチニがあらわれて、おにいさんといもうとでフウフになるんだな。ぼ、ぼ、ぼくもいもうとがだいすきだから、いつかフウフになれたらしあわせだな。

このカップルにつづいて、ツノグヒといもうとのイクグヒ、オホトノヂといもうとのオホトノベ、オモダルといもうとのアヤカシコネがつぎつぎにあらわれて、それぞれまたフウフになるんだな。みんなしあわせだな。そしてさいごに、ニホンのクニウミをするイザナギといもうとのイザナミがあらわれたんだな。

これまでのカミさまはみんなしぜんにぽこっとうまれきたんだけど、これからあとのカミさまはイザナギとイザナミのにちゅうのカミさまからうまれたんだな。そしてさいごにうまれたのが、サンキシンとよばれるアマテラス、ツクヨミ、スサノオのさんちゅうのカミさまなんだな。

おむすびをくれたカンヌシさん、いろいろとおせーてくれてありがとうございました。おむすびはやっぱり、うまいんだな。

天之御中主神と世界の始まり

『日本書記』の正伝には記述がなく、『古事記』にも詳しい記載はないが、日本の神話における初発の神は天之御中主神(アメノミナカヌシ)といい、それに続き現れた神々の登場と共に物語が紡がれていく。

天之御中主神(アメノミナカヌシ)とは、空の真ん中にあるものを意味し、つまり北極星を表現してると考えられている。北極星といえば、刻々と移り変わる天体において場所が変わらない唯一の星であり、この星と他の星の位置関係から古代の日本人、とくに海洋民族であった海の民は、季節や方角、時間などを熟知していたと思われる。これらは、現代の人間社会おいてもすべての行動原則の基準になっていることは、言うまでもないだろう。

そして次に登場するのが、高御産巣日神(タカミムスヒ)、神産巣日神(カミムスヒ)神様たちだ。この神々は目に見えないエネルギーを表現していると言われ、高御産巣日神(タカミムスヒ)は外に飛び出すエネルギー(男性性)を、神産巣日神(カミムスヒ)は中に入ってくるエネルギー(女性性)を表現している。これらは人の命にかかわるエネルギーとも考えられ、この二つのエネルギーが介在しないと命は生まれない。

つまり、世界の中心となる行動原則のもとにある内外に放出されるエネルギーの存在を、何もないこの世に生まれた初めての神々として表現してるところに、「天地開闢=世界の始まり」についての神話の自然観が現れているのではないだろうか。

また、内外へと向かうふたつのエネルギーには共に「むすひ」という言葉が使われているが、我々日本人が慣れ親しんできたあるものに、この「むすひ」の概念が隠れている。

それは「おむすび」のことで、一つひとつの命である米つぶを、命ある人の手で結んでいくことからそう名付けられたと言われている。むすぶことで生まれる目に見えないエネルギーが和合し、無数の命を結び合わせていることで、米一粒以上の力となる。

さらに「むすひ」は命が生まれる、芽吹くなどの意味としても使われ、「苔むす」などの表現にも繋がっている。想像力豊かに考えれば、我々は必ず誰かの「息子(むすこ)」か「娘(むすめ)」であり、ここにも原初の神々の姿を感じ取れる。

日常の中にも多くの神々が存在し、目に見えない力として我々を見守ってくれている。そんな日本の伝統的な価値観や言葉を、これからも大切にしていけたらと思う。


解説:
中村 真(なかむら・まこと)●イマジン株式会社代表、尾道自由大学校長。『JINJA BOOK』『JINJA TRAVEL BOOK』著者で、自由大学の人気講座「神社学」教授を務める。自然信仰の観点から日本の神社や暮らしの中にある信仰を独自に研究する神社愛好家。信仰と学び、暮らしを軸にした地方活性化プロジェクトを全国各地で展開している。ima-jin.co.jp
※本稿は、一個人の見解であることをご了承ください。

佐藤 啓 (さとう・けい)
『Tank』『Spectator』などの編集、『ecocolo』などの雑誌の編集長を経て、現在は東京と岩手の二拠点で編集者として活動。ビフィタ職人を目指しながら、雑誌や書籍、広告の制作を生業としている。株式会社 祭り法人 射的 取締役棟梁。https://shateki.jp