日本の森や山には、日本書紀や古事記などの書物にも記された数多の神話が伝えられており、神話のあるところには、同じできごとを違った角度から伝える民話が多く伝えられています。災害が相次ぎ、否応なしに自然と向き合わずには生きていけない今だから。
そんな神話や民話を紐解きながら、物語の中に散りばめられた自然の中に神を見出す日本古来のアニミズム的な信仰や暮らしの術を探求してみることにしました。
日本各地の桃太郎のおはなし
むかしむかし、あるところにジイさまとバアさまがすんでおった。あるとき、ジイさまはやまへシバカリに、バアさまはかわへセンタクにいったのじゃ。バアさまがセンタクしていると、ドンブラコ、ドンブラコ、おおきなモモがながれてきたのじゃった。
「おやま、これはジイさまにいいミヤゲになるわな」
バアさまはおおきなモモをひろいあげ、いえにもちかえったのじゃ。そしてジイさまとバアさまがモモをたべようとふたつにきりわけると、なんということでしょう、なかからでてきたのは、ゲンキのよいオトコのアカちゃんだったのじゃ。
「これはきっと、カミさまがくださったにちがいなかろうもん」
こどものいなかったジイさまとバアさまは、それはそれはよろこんだのじゃった。モモからうまれたオトコのこは桃太郎となづけられ、スクスクそだって、やがてつよいオトコのこになったとさ。
そしてあるひ、桃太郎がいいました。
「オラ、オニガシマへいって、わるいオニをタイジしてくるっちゃ」
シンパイするバアさまにキビダンゴをつくってもらった桃太郎は、オニガシマへでかけていったのじゃ。
たびのとちゅう、イヌがあらわれた。
「桃太郎さん、どこへいくのですか?」
「オニガシマヘ、オニたいじにいくっちゃ」
「ではおトモしますので、おこしにつけたキビダンゴをひとつくださいな」
イヌはキビダンゴをもらい、桃太郎のおトモになったのじゃ。
そしてこんどは、サルがあらわれた。
「桃太郎さん、どこへいくのですか?」
「オニガシマヘ、オニたいじにいくっちゃ」
「ではおトモしますので、おこしにつけたキビダンゴをひとつくださいな」
サルはキビダンゴをもらい、桃太郎のおトモになったのじゃ。
デレレレッテレー、こんどはキジがあらわれた。
「桃太郎さん、どこへいくのですか?」
「オニガシマヘ、オニたいじにいくっちゃ」
「ではおトモしますので、おこしにつけたキビダンゴをひとつくださいな」
キジはキビダンゴをもらい、桃太郎のおトモになったのじゃ。
こうして、イヌサルキジというナカマをてにいれた桃太郎は、ついにオニガシマへやってきたのじゃった。
オニガシマでは、オニたちがちかくのムラからぬすんだタカラモノやゴチソウをならべて、ダイエンカイをひらいておった。
「みんな、ぬかるなかれ。えいやーこらさ、かかれー」
イヌはオニのおしりにかみつき、サルはオニのせなかをひっかき、キジはくちばしでオニのめをつついた。
桃太郎も、カタナをふりまわしてオオアバレじゃ。
「まいったぁ、まいったぁ〜、コウサンだ〜、たすけてくれぇ〜〜」
そしてとうとうオニのオヤブンは、てをついてあやまったのじゃった。
桃太郎とイヌサルキジは、オニからとりあげたタカラモノをクルマにつんで、イキヨーヨーとイエにもどったのじゃ。
ジイさまとバアさまは、桃太郎のぶじなスガタをみておおよろこび。さんにんは、タカラモノのおかげでしあわせにくらしましたとさ。
「桃太郎」の解説
「むかーし、むかし」の語り口調で有名な『日本昔ばなし』は、その多くの主人公が小さな子どもとお爺さん、お婆さんで、相対する敵がいる。『桃太郎』における敵はいわずもがなの「鬼」であり、その鬼退治こそが物語の軸となっているのは、みなさんもご承知のところだろう。
今回は、日本一有名な昔ばなしである『桃太郎』の話をもとに、その構図に隠された謎と相対する敵としての「鬼」にフォーカスすることで、『桃太郎』という話の誕生譚を考えてみたい。
まず「鬼」という存在は、この日本においてはとても特殊な言葉であり存在であることを念頭におかねばならない。なぜならその使い方は相反する局面においてまったく別の意味をなしているからであり、例えば『古事記』や『日本書紀』に記された日本神話において表現される多くの「鬼」は、蔑称としての表現であり、よくイメージされる角が生えた化け物ではなかったはずだ。
歴史とは常に勝者の歴史であることを踏まえると、征服者と被征服者の関係において、歴史は征服者が記し、鬼や蔑称で呼ばれる存在こそ被征服者であることが多くみられる。征服側からみれば自分たちの意にそぐわない勢力を「鬼」と表現し、被征服側からすれば侵略者に対し勇敢に立ち向かう勇者であったとも考えられるのだ。
有名なところでは、東北のアイヌ民族は「蝦夷(えみし)」と呼ばれ、奈良の土着勢力や山岳民族は「土蜘蛛(つちぐも)」「国栖(くず)」など蔑む言葉で表現されてきた。しかしながらその実、彼らはみな僕らと同じ人間であったことは、言うまでもない。
さらに紀伊半島の背骨たる大峰山脈において発生した山岳信仰「修験道」の開祖は、「役行者(えんのぎょうじゃ)」と呼ばれる賀茂君役小角(かものえだちのきみおづぬ)だが、その役行者がある山で悪さをする鬼退治の話がある。
退治された鬼は改心し役行者の弟子となるが、今も奈良県の修験道の地において、その鬼の子孫を名乗る人々が神社の宮司一族であったり、修験者たちの宿泊を担う宿坊を営んでいることを考えると、鬼は異形の化け物ではなく、当時のその土地にすみつく土着の山賊であったことが伺える。
ではいつごろから「鬼」に対する「角の生えたトラ柄のパンツをまとったイメージ」が生まれてきたのだろうか。この問題を、『桃太郎』の物語の中から見出してみたいと思う。
まず、物語は「お爺さんは山へ芝刈りに、お婆さんは川へ洗濯に」から始まるが、お爺さんが刈りにいったのは、「芝」ではなく「柴」という木の枝であったというのは、意外と広く認識されている考えだ。
お婆さんの「川へ洗濯に」を妄想逞しく考え、「川での禊、心の選択」と捉えると、おじいさんの「山へ柴刈りに」を「山へ祀葉(しば)=榊(さかき:神社での玉串奉納される植物。日本全国に生息)刈りに」と捉えることができるのではないか。これらの行為はそのもの神々への奉仕であり祈祷とも考えられる。
今でも神社でご祈祷をお願いすると、まず修祓の儀(お払いの儀式=穢れ払い=禊・みそぎ)が執り行われ、その後玉串(榊=祀る葉=祀葉)奉納が執り行われる。すると祈りや想いは神様に届けられるわけだが、『桃太郎』においては命の誕生そのものを表現する「桃」が、川の上流から流れてくるのだ。
その桃から生まれた桃太郎は、いつしか鬼退治に旅立つが、その道中、イヌ、サル、キジを仲間に迎える。なぜ、あえてこの三種類の動物が鬼退治に登場するのか?考えたことがない人が大抵ではないだろうか。
ここに「鬼」のイメージが「角しまパンツ」として具現化された鍵が隠されている。
まず、鬼や鬼の住む方向を意味する「うしとらの方角」という言葉に注目してみよう。古来、うしとらの方角こそ鬼門と呼ばれ、北北東を表していると考えられてきた。奈良や京都を中心に見立てたとき、北北東は日本列島の東北を表し、そこには大和朝廷になかなか与さないアイヌ民族がいた。その鬼門を封じるためにその方角に何某かの呪術的施策を施し、「うしとらの方角から鬼や魔物の侵入を許さない」鬼門封じがおこなわれてきた。
まさに、ここに「鬼」のイメージが隠れている。
お気づきの方は多いだろうが、「うしとら(の方角)」とは、干支に表現される方角である。干支を見てみたとき、北北東はまさに「丑」と「寅」であり、これにより「うしとらの方角」が表現された。牛には短い2本の角があり、「鬼」は寅のパンツをはいている。干支こそ「鬼」を「角しまパンツイメージ」に仕立て上げた張本人といえるのではないか。
また、そのうしとら(丑寅=鬼門)の反対側=裏鬼門を眺めてほしい。そこに存在するのは犬(戌)、猿(申)、鳥(酉)だ。丑寅の鬼を封じるためには裏鬼門である犬、猿、鳥(きじ)の力が必要であり、その力を身に着けた桃太郎は、鬼を退治する。
桃は古来日本はもとより、中国の道教においても、神聖な果物であり特別な意味を持つ。その最たる呪術的な意味は「魔除け」であり、『古事記』や『日本書紀』においても黄泉国(よみのくに)から逃げかえる伊弉諾尊(イザナギ)の神話に登場しているのだ。
日本一有名なむかし話『桃太郎』は、川で禊をおこない、山から榊(祀葉=柴=芝)を刈だし神々へ祈ることで、古来から伝わる「魔除け」や「命そのもの」の存在である桃をいただき、その結果、干支が生み出した「鬼」のイメージを具現化させ、同じく干支が生み出した裏鬼門の存在が「鬼退治」において活躍する、日本の神と呪術的な世界観満載の話とも受け止めることができるのではないだろうか。
解説:
中村 真(なかむら・まこと)●イマジン株式会社代表、尾道自由大学校長。『JINJA BOOK』『JINJA TRAVEL BOOK』著者で、自由大学の人気講座「神社学」教授を務める。自然信仰の観点から日本の神社や暮らしの中にある信仰を独自に研究する神社愛好家。信仰と学び、暮らしを軸にした地方活性化プロジェクトを全国各地で展開している。ima-jin.co.jp