ふしぎの杜で
# 4
八岐大蛇と須佐之男命
2020.6.29

日本の森や山には、日本書紀や古事記などの書物にも記された数多の神話が伝えられており、神話のあるところには、同じできごとを違った角度から伝える民話が多く伝えられています。災害が相次ぎ、否応なしに自然と向き合わずには生きていけない今だから。

そんな神話や民話を紐解きながら、物語の中に散りばめられた自然の中に神を見出す日本古来のアニミズム的な信仰や暮らしの術を探求してみることにしました。

監修・解説:中村 真(Imajin)/編集・文:佐藤 啓(射的)/イラスト:高橋裕子(射的)

イズモの八岐大蛇と須佐之男命のおはなし

スサノオノミコトが出雲の国のヒイガワの上流にあるトリカミに降りたった

タカマガハラをおいはらわれた須佐之男命(スサノオノミコト)が、イズモのくにのヒイガワのじょうりゅうにあるトリカミにおりたったときのことじゃった。

クシナダヒメというちいさなムスメをかこんで、アシナヅチとテナヅチというじいさまとばあさまがシクシクとないておったのじゃ。

「はちにんもムスメがおったのに、八岐大蛇(ヤマタノオロチ)というおそろしいバケモノがやってきては、まいとしひとりづつムスメたちをたべてしまったのす。そろそろことしもまた八岐大蛇がやってくるころなので、さいごのムスメのクシナダヒメもたべられしまうかとおもうと、かなしくてかなしくて、ナミダがとまらんのすー」

須佐之男命が八岐大蛇とはどんなものかとたずねると、ふたりはつづけてこたえたのじゃ。

「ひとつのドウタイにやっつのアタマ、やっつのオがあるのす。メはほおずきのようにマッカッカ。カラダにはこけだのひのきだのすぎがはえていて、やっつのタニとやっつのオカにまたがるほどキョダイなのす!おなかはいつもチでただれている、それはおそろしーバケモノなのシクシク」

若い娘を食べてしまったヤマタノオロチ

須佐之男命はそのおそろしいすがたをしばらくかんがえ、こうきりだしたのじゃ。

「うひょ。クシナダヒメをわしにくれるなら、八岐大蛇はタイジしてやろう。おまえたちはいまからワシのいうとおりにするのだ。さすれば、バケモノはかならずやタイジできるぞー。うひょひょ」

「なんとまあごむたいな。でも、ムスメのいのちがたすかるのなら。たすけてけろー」

きゅうなもうしでにアシナヅチとテナヅチはおどろいたのじゃが、そういってうなずいたのじゃった。

須佐之男命は、まずはおヨメになったクシナダヒメのみをまもるため、かのじょのすがたをクシにかえ、じぶんのかみにさした。

そして、としおいたアシナヅチとテナヅチに「はっかいもくりかえしてジョウゾウしたつよいサケをつくれー。それからカキネじゃー。カキネにやっつのモンをつくり、モンごとにやっつのタナをおき、タナごとにサケをおいておくのじゃー」と、シジをした。

アシナヅチとテナヅチはいわれたとおりにヨイコラヨイコラとじゅんびして、八岐大蛇がやってくるのをまったじゃった。

ヤマタノオロチを退治するスサノオノミコト

ズズーイ、ズズーイと、すさまじいジヒビキをたてながら、そこに八岐大蛇がやってきたのじゃ。

すると、「ムスメよりサケじゃーっ」といわんばかりに、やっつのモンにそれぞれのアタマをいれて、ガブガブとあたりにヒビキわたるゴウオンをたてながらサケをのみはじめた。

しばらくすると、よっぱらってしまったのか、八岐大蛇はグォウグォウとすさまじいイビキをかきながら、ねむりこけてしまったもじゃ。

そのようすをかくれみていた須佐之男命は、ウヒョヒョーっとカタナをふりかざして八岐大蛇にきりかかり、カラダをきりきざみはじめたのじゃった。

カタナがシッポにさしかかったとき、なにかがハサキにあたった。なかをさいてみると、なんとツルギがでてきたのじゃ。

このツルギはアマノムラクモノツルギで、ふしぎにおもった須佐之男命は、あとであねのアマテラスにけんじょうしたのじゃそうじゃ。

クシナダヒメと暮らすことになったスサノオノミコト

八岐大蛇をぶじにタイジした須佐之男命は、イズモのちがきにいり、クシナダヒメとくらすためのキュウデンをつくることにしたのじゃった。このキュウデンをつくるとちゅう、そらにクモがひろがったようすをみて、須佐之男命はウタをよんだ。

八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに 八重垣作る その八重垣を

これはニホンではじめてよまれたワカとしてシンワにのこされおる。

須佐之男命とクシナダヒメはたくさんのこどもにめぐまれ、そのひとり、須佐之男命のゴダイあとのマゴが、イナバのシロウサギでもゆうめいなオオクニヌシといわれておるのじゃ。

「八岐大蛇と須佐之男命」の解説

スサノオ(須佐之男命)とヤマタノオロチ(八岐大蛇)の神話は多くの人が知るところだと思うが、これを歴史的な事実だと捉えると、もちろん摩訶不思議な話に他ならない。そこで、多くの学者が唱えてきた説ではあるが、別の見立てをしてみると、出雲の土地の持つ様々な条件が大きく関係していることに気がつく。

高天原という神々の世界では、乱暴者やヒール扱いされることの多いスサノオは、出雲の地では泣いて困っていた老夫婦とその娘を助ける英雄に生まれ変わり、結果的には助けたその娘であるそのクシナダヒメとの間に子孫をもうけた。その五世の孫(『日本書紀』では子、または五世の孫あるいは六世の孫とする)がオオクニヌシ。

一方、退治されたオロチは、古代においては「蛇=水の神、山の神」であり、雨や水を司る存在とも見てとれる。雨はしばしば雷を伴い、稲妻が蛇の形に似ていることから雷神ともされていたという説もある。さらに、稲の成育には水が必要なことから、農耕とも結びついていたと考えられる。

古代から、出雲の暮らしの中心には肥河(斐伊川)という大河がある。山から流れてくるこの川は、農耕に必要な水を供給すると同時に、しばしば洪水を引き起こした。洪水は、一時的には農耕に害を与える一方で肥沃な土地を生み出すことから、肥河=大蛇=農耕の神と解釈することもできるのではないだろうか。実際に、オロチ退治を「肥河の氾濫と治水の象徴」とする学説も多くされている。

さらにクシナダヒメは、『日本書紀』では「奇稲田姫」と表記されており、「クシ」は美称で、稲田を賛美したものと考えられ、田の神さまに仕える処女神とも考えられ、もしかするとヤマタノオロチとクシナダヒメの関係を、水神と田の神との婚姻とも解釈できる。

また、出雲の神話におけるこの剣の現れ方にこそ、ヤマタノオロチの神話の真髄があるように思える。オロチの尾を切り開いて出てきた「天叢雲(あまのむらくも)の剣」が、ヤマタノオロチを殺した「十拳剣(とかのつるぎ)」よりも重視されているのだ。本来ならば後者の方が後世で重んじられるべきではないだろうか。

先ほど、ヤマタノオロチ=斐伊川という大河であると説明したが、そうであればこの暴れ川を支配下に置くという表現は、治水工事などを施し川の流れや勢いをコントロール可能にしたということになる。その際、もうひとつ意識したいのは出雲ならではのタタラ文化の存在だ。

出雲地方、特に奥出雲と呼ばれるエリアには、昔から斐伊川の砂鉄をもとに製鉄を営んだタタラ文化が色濃く残っている。タタラの生きる土地には今も多く保水力に優れた桂の木が植えられていて、万が一タタラ場から火が漏れても桂の木が火を消し止めてくれると考えられていた。余談だが、私は桂の木が群生している地域にはタタラの跡が今でも残っていないか探してしまう癖がある。

タタラ民族とヤマタノオロチの関係性は、神話の「ひとつの胴体に八つの頭と八つの尾を持ち、目は真っ赤に染まり、身体中にヒノキやスギが生え、カズラが生い茂り、八つの谷と八つの丘にまたがるほど巨大で、中腹は地がにじんでいる」と言う一説に見てとれ、「赤」「血がにじむような」「カズラが生い茂る」ようなヤマタノオロチと、タタラが盛んにおこなわれてきた斐伊川の地理的な関係性を表していると考えられないだろうか。

タタラは鉄を生み出す。鉄を生み出す力を手にしたものは、農耕器具や武器を作る力を得ることができる。つまり、製鉄=権力と考えると、そのタタラを行う一派が斐伊川の元々の支配権を持っており、その勢力をヤマタノオロチと表現し、斐伊川の治水工事をオロチ退治としたのではないかと思う。

そう考えると、ヤマタノオロチを退治したスサノオが最後に尾を切り裂くと「天叢雲の剣」が出てきたという話も、タタラ一族を勢力下におさめ、素晴らしい原材料と技術に基づいて作られた剣を手にするに至った、という考えにつながっていく。さらに、オロチの尾を切り裂くとき、十拳剣が刃こぼれしたという下りがあるのも、それまでの剣の原材料(おそらく銅ではないだろうか?)に対して、さらに強い鉄の剣の登場とも受け取れ、故にその後アマテラスに献上され、現代につながる三種の神器となっていったのかもしれないと、想像は膨らんでいく。

斐伊川の流れは、上流から水とともに肥沃な土も運んでくる。その土が出雲平野を作り上げ、その出雲平野は昔から豊かな土地として人々の暮らしに寄与してきた。そんな出雲の地に降り立ったスサノオをいきなり英雄にまつりあげたのは、何か理由があるはずだ。

先に述べたように、もしかするとヤマタノオロチ(蛇、水の神)はクシナダヒメ(田の神、稲の神)と仲良く暮らしており、その結果肥沃な大地が生まれてきた。そこにスサノオが現れ、その支配権を略奪したのかもしれない。出雲では英雄とされているスサノオも、実際は出雲の侵略を担った高天原勢力による侵略者だったのかもしれないが、それは出雲の土地のみぞ知る真実。

いずれにしても、八頭八尾の巨大な化け物が実在したとは考えられず、この神話が何を伝えようとしているのか、あなたも是非自分なりに読み解いてみてはいかがだろうか。

※本稿は、『古事記』や『日本書紀』に残された神話と、島根県出雲地方に綿々と受け継がれる暮らしや地理的条件を研究した、一個人の見解であることをご了承ください。


Profile
中村 真(なかむら・まこと)●イマジン株式会社代表、尾道自由大学校長。『JINJA BOOK』『JINJA TRAVEL BOOK』著者で、自由大学の人気講座「神社学」教授を務める。自然信仰の観点から日本の神社や暮らしの中にある信仰を独自に研究する神社愛好家。信仰と学び、暮らしを軸にした地方活性化プロジェクトを全国各地で展開している。ima-jin.co.jp

佐藤 啓 (さとう・けい)
『Tank』『Spectator』などの編集、『ecocolo』などの雑誌の編集長を経て、現在は東京と岩手の二拠点で編集者として活動。ビフィタ職人を目指しながら、雑誌や書籍、広告の制作を生業としている。株式会社 祭り法人 射的 取締役棟梁。https://shateki.jp