日本の森や山には、日本書紀や古事記などの書物にも記された数多の神話が伝えられており、神話のあるところには、同じできごとを違った角度から伝える民話が多く伝えられています。災害が相次ぎ、否応なしに自然と向き合わずには生きていけない今だから、そんな神話や民話を紐解きながら、物語の中に散りばめられた自然の中に神を見出す日本古来のアニミズム的な信仰や暮らしの術を探求してみることにしました。

監修・解説:中村 真(Imajin)/編集・文:佐藤 啓(射的)/イラスト:高橋裕子(射的)

スワの建御名方のおはなし

むかしむかし、オオクニヌシがイズモのくにをおさめていたころのことじゃった。
テンジョウカイにおわすアマテラスがオオクニヌシにくにをゆづってほしいとつたえるため、うでっぷしのつよいタケミカヅチをシシャとしておくってきたのじゃ。
オオクニヌシは「ムスコのコトシロヌシにきいたらよかろう」とこたえた。

そこでタケミカヅチはコトシロヌシにたずねたのじゃ。
するとあっさり「オッケーよー」とこたえ、コトシロヌシはツリをしていたフネをかたむけ、したむきにてをうち、フネをアオバのついたシバのカキネにかえ、そのなかにカクれてしまった。

「ほかにもイケンがあるこどもたちはおるかー?」
とタケミカヅチがたずねると、オオクニヌシは建御名方(タケミナカタ)にもきくようにこたえたのじゃった。

すると建御名方は「そこでコソコソとはなしているのはダレじゃ?ドウドウとチカラクラべをしようぞ!」となのりでたのじゃ。建御名方はクニユズりをダンコとしてことわり、タケミカヅチと建御名方のたたかいが始まったのじゃった。
ふたりのタタカいは、スモウのきげんとしてつたえられておる。

建御名方はチビキノイワというそれはおおきなイワをかたてでカルガルともちあげるほどのチカラジマン。そのカイリキでぎゅっとタケミカヅチのてをつかんだ。すると、タケミカヅチのてはツララへとカタチをかえ、さらにツルギにかわったのじゃ。

タケミカヅチが建御名方のてをつかむと、アシのワカバをつむようににぎりつぶしてなげつけた。「これはかなわぬーくわばらくわばら〜」といい、建御名方はにげだしてしまったのじゃった。

タケミカヅチは建御名方をおいかけ、やまをこえ、たにをこえ、スワコまでおいつめた。すると建御名方はカンネンしてこういったのじゃ。
「アシハラノナカツクニはアマテラスさまにおゆずりします。どうかわたしをころさないでくだされ〜。オオクニヌシやコトシロヌシのいうことをきいて、このスワにこもりまする〜〜」

アシハラノナカツクニがアマテラスのものとなると、クニユズリのかわりにイズモにはイズモタイシャが、スワにはスワタイシャができた。建御名方はそのあとスワからうごけなくなり、ヤオヨロズのカミがイズモにつどう「カンナヅキ」にもスワにはカミがのこるといわれておるのじゃ。

「建御名方」の解説

出雲の「国譲り」の神話は、『古事記』に登場する神話としてよく知られいる。しかし、その神話の主要キャストであり、諏訪大社の祭神である建御名方命(タケミナカタノミコト)については、その後に編纂され日本の正史とされている『日本書紀』だけでなく、地域の神話をまとめた『出雲国風土記』にも記載がなく、出雲にはそのゆかりの地の伝承など一切残っていない。にも関わらず、本当に出雲から逃れてきたならば、日本全国に鎮座する諏訪神社に戦いの神として広く祀られているのは、何故だろうか?
ここに、ひとつの仮説が成り立つ。

建御名方は出雲の神などではなく、全く別の神だったのかもしれない。歴史を綴る側にとってあまり残したくない存在だったため、諏訪の神の存在を全く別の話として残したのではないだろうか。

建御名方のように諏訪に逃れた一族がいる。その名は物部。時はライバルである蘇我一族が仏教の普及を進めていた頃、神道を守ることを主張していた物部守屋は政争に敗れ、その一族は信州諏訪の地に逃れたという記録が残っている。これは諏訪大社の背後に鎮座し、明らかにその御神体であろう守屋山の正反対に位置する物部守屋神社が伝える話であり、守屋山の山頂には、諏訪大社奥宮ではなく、守屋神社奥宮がある。因みに、諏訪大社の先代の宮司の著作によると、諏訪大社の御神体が守屋山ではなくなったのは、明治以降、同社が神社庁の配下になってからのことだそうだ。

物部氏はかつての大豪族であり、大和朝廷では軍事刑罰を司ってきた一族。その一族が物部守屋を武神として祀ったことが諏訪大社の始まりなのかもしれない。物部一族が諏訪の地で勢力を誇っていたことを認めたくない権力側としては、「いやいや、建御名方は出雲の話だよ」と『古事記』に記すことで体裁を繕い、逃れてきた守屋の一族としても大々的に物部守屋を祀ることはできずに、神の名を猛々しい建御名方と呼んだのではないだろうか。

代々、諏訪大社の神職を務めるのは守矢氏という一族であり、守矢氏の祖先は洩矢神(モリヤノカミ)と伝えられ、それは物部守屋の弟だと言われている。守矢は守屋につながり、物部氏の血を継ぐものなのではないだろうか。
物部氏というと、初期の大和朝廷を武力で支えたイメージがあるが、おそらくは大和朝廷以前からの有力豪族であり、もしかすると縄文の血を継ぐ一族であったのかもしれない。そんな物部氏が逃れてきた諏訪の地は、「ミシャグチ」など縄文的な信仰が色濃く残っているとされるが、それはまた別のお話にて。
縄文を巡るロマンは続く……。

※本稿は、諏訪地方の伝承に現代の研究内容を重ねた、想像力逞しい一個人の見解であることをご了承ください。

Profile
中村 真(なかむら・まこと)●イマジン株式会社代表、尾道自由大学校長。『JINJA BOOK』『JINJA TRAVEL BOOK』著者で、自由大学の人気講座「神社学」教授を務める。自然信仰の観点から日本の神社や暮らしの中にある信仰を独自に研究する神社愛好家。信仰と学び、暮らしを軸にした地方活性化プロジェクトを全国各地で展開している。ima-jin.co.jp

佐藤 啓 (さとう・けい)
『Tank』『Spectator』などの編集、『ecocolo』などの雑誌の編集長を経て、現在は東京と岩手の二拠点で編集者として活動。ビフィタ職人を目指しながら、雑誌や書籍、広告の制作を生業としている。株式会社 祭り法人 射的 取締役棟梁。https://shateki.jp