ソロキャンプブームやコロナ渦に伴う三密回避の流れを背景に、関心が高まりつつある個人による山林所有。今、一部の不動産会社には「自由にキャンプをしたい」というひとたちから山林購入に関する問い合わせが急増している。一方、購入したものの手入れができずに荒れさせてしまい、地元住民を困らせたり、里山の生態系に影響を及ぼしたりしているケースもある。文字通りの「大きな買いもの」を検討する際に踏まえておきたい事例や現状を、森の生態系の専門家の視点も交えて確かめたい。
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急増する問い合わせ
八ケ岳や南アルプスの景観が優れ、都心から2時間程度で訪れることができる山梨県北杜市。古くから別荘地開発が盛んなこの地で40年近く不動産業に携わる「サンスイ地所」の髙橋幸一さん(71)は、昨年夏頃から「山林購入の問い合わせが急増した」と話す。特に目立つのが「キャンプをするために山林を買いたい」という内容。営業目的のキャンプ場を新規開設したり、個人でキャンプを楽しんだりしたいという問い合わせが「昨年夏以降から、50~60件ほどある」という。そのうちの約1割で売買が成立したといい「従来のキャンプブームに加えてコロナ渦が影響しているようだ」とみる。
これまで同社ではシニア世代による別荘保有目的の不動産取引が中心だったが、コロナ渦以降、問い合わせの年齢層が30代から50代も含めて幅広くなったという。問い合わせの内容も「別荘だけではなく、山林を活用してのキャンプや企業のサテライトオフィス建設など用途が広がってきた」と変化を感じている。「営業目的でキャンプ場を開設するひとの中には自分で重機をリースして山林を整備しているひともいる。個人の場合、少しずつ自分で木を伐るなど作業自体を楽しんでいるようだ」と説明する。
同社で扱う物件は、北杜市の中でも比較的、土地価格が安く、広めの山林物件が市場に出やすい南アルプス山麓地域が中心。営業目的のキャンプ場を新規開設する場合は2000~3000坪、個人によるプライベートキャンプが目的の場合は300~600坪程度の山林購入を検討する人が多いという。北杜市は都心から比較的近く、別荘地や観光地として人気があるため、いわゆる「田舎」の中でも不動産価格が全般的に高い傾向がある。それでも山林の場合は1000万円以内で3000坪以上の物件が買えるケースもある。購入時の経済的な負担が比較的少ない点も、幅広い世代からの問い合わせが増えている背景といえそうだ。
懸念される購入後の荒廃
農地法などで売買が規制されている農地と異なり、山林の売買手続きは通常、比較的簡単だ。ただ山林の場合、傾斜があったり、木が生えていたり、面積が広かったりするなど一般の住宅向け分譲地とは立地や規模、環境が大きく異なる。記録的豪雨などの異常気象が近年、全国で多発する中、土砂災害の危険性について認識しておくことも重要だ。将来を見通して利用や管理の方法をイメージしておかないと、購入した山を放置させて荒らしてしまう可能性がある。
北杜市ではバブル経済のころ、別荘建設や投機目的で、多くの山林が切り売りされた。地元で長年、国蝶「オオムラサキ」の保護や里山整備の活動を続けるNPO法人「自然とオオムラサキに親しむ会」会長で、北杜市オオムラサキセンター館長の跡部治賢さん(72)は、「県外の人が買ったものの管理されずに長年放置され、倒木だらけになって荒れてしまった山林が少なくない」とため息をつく。親が買った山林を子どもが相続したものの関心がなく、土地の場所すら知らなかったり、荒廃した山林を整備するために登記簿に記載された所有者に手紙を出しても、転居などで連絡がつかなかったりすることが多いという。
「荒廃した山は隣接する道路や人家に枯れ木などが倒れる恐れがある。低木やササが密集し、イノシシやニホンジカといった野生動物のすみかとなり、農業被害を及ぼす問題もある」と跡部さんは懸念する。生態系への影響も不安材料だ。かつて各地で薪炭利用が盛んだった落葉高木のクヌギは、放置されて老齢化すると、木の成長とともに樹皮が厚くなり、昆虫が好む樹液を出しにくくなるという。オオムラサキが幼虫時代に食べる葉をつける落葉高木のエノキは「林の中でも比較的明るい場所を好むため、荒廃して暗くなった林の中では生育しにくい」と話す。「地域住民が長年暮らしの中で利用してきた里山は、手入れを続けることで生態系が保たれる。下刈りや間伐などの手入れをできなければ、できるひとにお願いしてほしい。山を持つひとは地域に責任がある」と訴える。
山林の場合、固定資産税が宅地と比べて非常に安く、長年所有していても経済的負担がほとんど生じない場合が多いため、所有者の無関心を招いている側面もある。キャンプブームを受けた都市住民による山林購入が、将来にわたる森の適切な管理につながるかどうかは、見通しにくいといえる。
継承途絶える
森の手入れ
植林や伐採などで一度、人の手が入った山の場合、枯れたり弱ったりした木を伐ったり、木の幹に巻きつくツル性の樹木を途中で切って枯らしたり、繁茂するササや低木などの下刈りをしたりといった手入れを続けないと、手をつけられないほど荒れてしまうことが珍しくない。隣接する道路や民家などに向かって自分の山の木が倒れたり、枝が張り出したりしないように、病虫害で弱った木や傾いている木などを事前に伐採しておくことも大事だ。キャンプ目的で山林を購入した場合も、もちろんこうした管理が必要になる。
このような作業にはのこぎりやナタ、チェーンソー、刈り払い機といった道具を使いこなす技術や体力が必要で、自分や仲間内だけで安全に作業をできるかどうかを見極めるための判断力も求められる。専門の伐採業者などに頼まないと作業自体が難しい場合も多い。
日本の山村の場合、70歳を超えるくらいの住民だと、子どもの頃に炭焼きや間伐、植林といった山仕事を見たり手伝ったりして、森林整備に必要な技術や知識をある程度身につけている人が少なくない。島根県美郷町で和牛の繁殖を手掛ける尾原章宏さん(73)は、山の中で牛を放牧する「山地放牧」を始めるために脱サラし、15年ほど前、自宅近くの約10ヘクタールの山林を購入した。伐採や抜根、重機を使った山の中での道造りなどをひとりで行ったが「子どもの頃から父の後について山に行っていたのでチェーンソーの使い方など山仕事は見よう見まねで知っていた」と話す。ただ尾原さんのように自分で山の手入れをできる世代の人たちは高齢化してきている。近年のキャンプブームを受けて山林所有を検討する人たちのほとんどが山の中での作業に携わった経験がないとみられる。
技術習得とプロの力
前回紹介した長野県富士見町の伊澤直人さん(48)も山仕事の経験がなかったが、同町の460坪の山林を4年前に購入後、自宅建設のため、敷地内の高さ約20メートルのカラマツの伐採にチャレンジした。付き合いがあった2人の地元住民にアルバイトを頼み、3人がかりで取り掛かったものの、伐採の熟達者はおらず、隣り合う木々の枝や幹にもたれかかって倒れない「掛かり木」の「オンパレード状態になってしまった」という。軽トラや手動のウインチで幹を引っ張るなどして、何とか木を地面まで倒したものの、10本程度を伐ったところで自力での伐採をあきらめた。近隣の林業会社に残りの作業を依頼したところ「半日ですべての作業が終わった」とプロとの技術レベルの違いに驚かされたという。
伊澤さんが奮闘した掛かり木の処理は、林業の現場でも特に死傷事故が多い危険作業の代表格だ。木々が混み合って生えている山の中では、経験が浅い人が伐採すると、かなりの頻度で掛かり木になる。「当時はチェーンソー用の防護衣どころかヘルメットすらかぶらずに作業をしていた。事故がなくて本当によかった」と振り返る。その後、小型重機の運転に必要な資格を取得。レンタルした重機で伐根にも挑戦したが思うように進まなかったため、一部を除いて業者に依頼した。伊澤さんは「すべてを自分でできない場合は、地元の業者に頼む姿勢も大切。後々も困ったときにいろいろなお願いができる」と臨機応変な対応をすすめる。
一方、自然とオオムラサキに親しむ会では、地元住民のほかに首都圏などからの移住者が会員に加わり、週に数回、毎回20人程度が里山での下刈りや植林、伐採といった活動を続けている。同会の跡部さんは「慣れたひとと一緒に仕事をしながら時間をかけて経験を積むことが大事」とアドバイスする。
次世代見据えた
山林所有を
個人で山林を購入した場合、高齢になるなどして売却しようとしても、面積が広すぎるなどの理由で買い手がなかなか見つからない可能性がある。伊澤さんは購入した山林の将来について「あまり具体的には考えていないが、現在行っているキャンプツアー事業を副業などとして誰かが引き継いでくれればいい」と話す。一方、跡部さんは「山仕事には充実感がある。例えば昆虫採集や焚き火、山の手入れなどを親子で一緒に楽しむことで、次の世代が山に対する愛着を持ち、引き継いでいってくれるのでは」と期待を込める。
八ケ岳山麓などの寒冷地では住宅に薪ストーブを置く世帯が幅広い年齢層で増えている。山林を所有していなくても、自分で薪作りをするためにチェーンソーを購入する人が少なくない。薪作りをきっかけに森林整備に関心を持つ人もおり、自治体などが主催するチェーンソー利用の初心者講座では定員を超える申し込みがあるケースもある。林業現場に目を転じると、大型重機を使った大規模集約型の森林整備が全国的に推奨される一方で、自分で所有したり、管理を任されたりした地域の山を副業などとして個人や仲間で少しずつ手入れをする「自伐型林業」への関心も、若い世代を中心に高まっている。
キャンプブームを背景とする個人による山林所有は、こうした流れとは異なるものの、薪炭利用がなくなり、長い間目を向けられなくなっていた里山などの山林に、都市部を中心とする比較的若い世代の視線が向けられつつある大きな流れのひとつといえそうだ。
跡部さんのもとには大手旅行代理店から里山を活用するキャンプ事業について相談が寄せられた。ソロキャンプを楽しむひと向けに地元のフィールドを紹介して喜ばれるなど、身近な山林に対する都市住民の価値観の変化を感じ始めている。一方、首都圏から多くの観光客が訪れる八ケ岳山麓では、野外フェス形式のイベントが人家の近くで開催され、騒音問題で地元住民とトラブルになったケースもある。個人で山林を所有した際も、周辺の山林は地元住民によって先祖代々管理されてきたり、近隣には住民の生活エリアがあったりすることを自覚し、モラルを守りながら活用する意識が大切になる。
「地域の人も、新しく入ってきた人も、ともに溶け込もうとする姿勢が大切だ」と跡部さん。コロナ渦も背景とした都市住民の価値観やライフスタイルの変容を受け、里山に訪れつつある静かな変化の波が今後どのように広がっていくか、注目している。