木桶に番茶と塩を入れ、大きな茶せんで泡立てていただく「いなぶ桶茶(おけちゃ)」。愛知県豊田市稲武地区に伝わる、少し不思議な食文化のひとつです。
昭和初期まで続いていたものの、いつしか途絶えてしまった桶茶。その地域の食文化をもう一度よみがえらせ、次の世代へつないでいこうと活動しているのが、「いなぶ桶茶茶温会」です。
桶茶は一体どんなお茶で、どのような想いで活動を続けているのでしょうか。今回は、会員の中根めぐみさんにお話を伺いました。
大木の下でいただく「桶茶」
今回の取材で向かったのは、稲武地区にある「大野瀬神社」。境内には、推定樹齢400年以上ともいわれる2本の杉の大木とイチョウの巨木が立っています。

「まずは、桶茶をいれてみましょうか」
そう笑顔で話すのは、中根さん。木桶に煮出した番茶と塩を入れ、大きな茶せんで勢いよく泡立てていきます。
茶せんを動かすたびに、茶色のお茶にふわふわと泡が立っていく。目の前で見ると、やっぱり不思議な光景です。

一口いただいてみると、ふんわりとした泡の中に、まろやかな塩味。
これまで飲んだことのない味わいでしたが、どこかほっとするような、素朴なおいしさがあります。大木を見上げながらいただく桶茶は、また格別でした。

お茶に添えられていたのは、野菜の漬物と、この地域の伝統的なお菓子「からすみ」。
魚卵の「からすみ」ではなく、米粉と砂糖を熱湯で練り、型に入れて蒸したものです。もっちりとした食感で、桶茶の塩気にもよく合います。
茶道にあこがれた
庶民から生まれた「振り茶」
この地域の桶茶は、もともとは茶道にあこがれた庶民が始めたものだといわれています。

木桶に番茶と塩を入れて泡立てたものを、それぞれの茶碗に注いで味わう。
こうした番茶を泡立てていただくスタイルは「振り茶(ふりちゃ)」と呼ばれ、江戸時代に庶民の間で広まったとされています。沖縄の「ぶくぶく茶」や、富山県の「バタバタ茶」なども、そのひとつ。全国的にもその地域固有の振り茶の文化が残っています。

かつては人が集まる場で親しまれていた桶茶ですが、時代とともにその風習は少しずつ姿を消していきました。
そんな地域のお茶を、もう一度この土地の暮らしの中へつないでいるのが、「いなぶ桶茶茶温会」です。
現在は、地域の住民とともに10人ほどのメンバーで活動。春のひな祭りや秋の紅葉の時期に桶茶をふるまうほか、講座やイベントも随時開催しています。

2024年には、文化庁が全国各地に伝わる食文化を選定する「100年フード」にも登録され、桶茶を体験してみたいという人が全国から訪れるようになりました。
一時は途絶えていた地域のお茶を通して、新たな人との出会いを生み出しています。
「復活させたい」
偶然の出合いから始まった活動
中根さんが桶茶を伝える活動を始めたのは、2012年の夏のことでした。
茶道をする母のもとで育ち、子どもの頃からお茶が好きだった中根さん。「日本茶インストラクター」の資格を取得し、2009年からは、日本茶を楽しむための月1回のサロンを主宰していました。
そんなある日、知り合いから「桶茶の道具が置いてあるから、行ってみたら?」と教えてもらいます。訪ねたのは、稲武地区にある古橋懐古館。そこには、桶茶に使われていた道具が展示されていました。
現在は、桶茶の道具が目立つ場所に展示され、訪れる人にもその存在が分かるようになっています。しかし当時は、とても目立たない場所に置かれていたそうです。

実は、中根さんはそれ以前にもこの場所を訪れたことがありました。それでも、桶茶の道具があることには気づいていませんでした。
「せっかくここに残っているのだから、これを復活させたい」
そう思ったことが、活動の始まりでした。
「自分も以前ここに来ていたのに、桶茶の存在に気づかなかった。だからこそ、何かきっかけをつくりたいと思ったんです」
その翌週から、桶茶の復活に向けた活動が始まりました。活動を始めてしばらく経った頃、桶茶に使う茶葉をつくれそうな地域があると教えてもらったことをきっかけに、現在の活動拠点でもある大野瀬梨野の地域の人たちともつながっていきます。

そして2012年8月。桶茶の活動に関心を持った人たちと一緒に、桶茶を飲む場を企画しました。
暑い夏の日、炎天下での作業を終えた後に飲んだ桶茶は、塩味が効いていて、思わず「これはおいしい!」と声が上がるほど。「桶茶を伝えていきたい」という想いがより強くなった瞬間でした。
この体験をきっかけに、桶茶を伝えていく活動が本格的に動き始めます。
その後、桶茶について調べていくなかで、中根さんは各地に残る「振り茶」の文化にも関心を持つようになります。実際に現地を訪ねて、それぞれの土地でどのように振り茶が飲まれているのかを見て回りました。

旅先で出会った人から、「初めて会ったとは思えないね」と声をかけてもらったことも。そこから交流が始まり、振り茶を通じた人とのつながりが広がっていきました。
「今振り返ると、桶茶との出合いは、偶然ではなく必然だったようにも感じます」と中根さん。
地域の人と一緒だから
続けてこられた
とはいえ、一度途絶えてしまった食文化を復活させるのは、決して簡単なことではありませんでした。大きな壁となったのが、桶茶についての記録があまり残っていなかったこと。
どのようなスタイルで飲まれていたのかを調べようにも、参考になる文献は少なく、地域の人に尋ねても「知らない」と答える人が多かったそうです。
それでも、「昔はやっていたよ」と話してくれる人を一人、また一人と見つけ、そこから少しずつ情報を集めていきました。

こうして桶茶の記憶をたどる中で、次第に地域の人たちとのつながりも生まれていきました。茶葉や道具のことを教えてもらうこともあれば、イベントで力を貸してもらうこともあります。
「地域の方たちが快く協力してくださることが、活動を続ける励みになっています」と中根さん。地域の人たちと関わりながら、桶茶の輪が少しずつ広がっていきました。
お茶だけでなく
会話や季節も一緒に味わう
桶茶をふるまうイベントや講座を始めた当初は、飲んだ人の反応がいまひとつ、ということもありました。
表情を見れば、それがおいしいのかどうかは分かるもの。そもそも桶茶に使う番茶は、一般的にイメージする「おいしいお茶」とは少し違い、旨味が少ないタイプのお茶です。
「どうしたら、桶茶の魅力をもっと伝えられるだろう?」。中根さんは、試行錯誤を重ねました。

たどり着いたのが、お茶そのものだけではなく、季節や道具、お茶うけ、そして「会話」まで含めて体験してもらうこと。
季節によって淹れ方を変えたり、その土地のお菓子や漬物を添えたり。桶茶を囲んで話す時間そのものも、大切なものとして考えるようになりました。こうして工夫を重ねながら、10年以上にわたって活動を続けてきました。

そして、数年前からは地元の小学校で小学5年生を対象にした桶茶の授業も行っています。茶せんを動かすと、どんどん泡が立っていく。その面白さに、「ぼくのほうがたくさん泡が立ったよ!」と夢中になって競争する子どもたちの姿もあるそうです。
そんな様子を眺めながら、「また違った角度から桶茶の魅力に気づかされています」と中根さんは語ります。
細く長く、
次の世代へも伝えていきたい
取材の最後に、これからの活動について尋ねると、中根さんから返ってきたのは、こんな言葉でした。
「この活動を、細く長く続けていきたいですね」

この地域には高校がないため、多くの子どもたちは高校進学を機に地域の外へ出ていきます。その後、大学や就職を経て、いつか地元に戻ってくる人もいます。
「その時に、桶茶のことを思い出してもらえたら嬉しいですね」と中根さん。
一度は途絶えてしまった桶茶ですが、今は地域の人たちの協力を得ながら、その記憶が次の世代へと受け継がれています。伝統を「残す」ということは、昔の形をそのまま保存することだけではないはずです。
人と人が集まり、お茶を囲んで話し、季節を感じる――。そんな時間を共にすることもまた、地域の文化をつないでいくことなのかもしれません。
一杯の桶茶から生まれる会話や出会いが、これからも細く長く、次の世代へとつながっていきますように。