学びの森をカタチづくるライスワーク、趣味のアンティークストーブ収集と修理の傍、春から秋にかけてライフワークの山菜・きのこ採取に精進する日々を送る菅原氏。山で出会ったとある昭和の先達から大正生まれの文豪・檀一雄氏の名著『檀流クッキング』を伝授され、料理に目覚めた。30半にして15年以上の山歴を誇る料理童貞の若き山幸ハンターが令和のときに料る狩猟採取料理とはーー。
茸狩ペナントレース開幕
スリーシーズン制で知られる米帝でチョコレートマッシュルームを頬張りながら米式蹴球に興じる輩が増え始める頃、此処日本ではとあるスポーツの季節が始まる。森で山で、皆が背を丸めて地表に目を凝らし一心不乱にお宝を奪い合う競技、則ち「茸狩」だ。
2022年の夏は猛烈に暑く、熾烈に雨が降った。こんな夏の後は、決まって早々に奴らが姿を現してくる。文壇デビューとなった連載初回で「ツンデレなじゃじゃ馬」と評した愛しい奴、「香茸」が小生にとって唯一無二の獲物であることは云うまでもあるまい。
通常、どんなに豊作であったとしても、選手達は決してシーズン中に「今年は豊作だ」などと口にすることはまずない。ストーブリーグに入りやっと「今年はまずまずだった」と言うのが慣しなのだが、今年は9月中旬には小生を含む何人ものMVPクラスの選手達が豊作と断言するほど、稀に見る豊作なのである。
スタコラ サッサッサのサ
実際、去年より半月以上早い9月上旬からその香りを嗅ぎつけた小生は、いつものように獣避けとして米帝民謡『森のくまさん』を口遊みながら無心に香茸を狩るうちに、気がつけば若き燕軍団主砲のホームラン数を超えていた。
しかしながら、キノコ問屋はすんなりと卸してはくれない。開幕ダッシュ成功には、常に危険が付き纏う。おませな年は気温が高いことが多いために成長が早く、採取期間も短くなってしまうのだ。さらには虫が入り傷みきった香茸を目にし、「ジーザス」と嘆くこともまた増えていく。
雲南HIGH
思わず馬も恍とするその香りを纏いながら家路につき、拙宅で香茸の香りをブーストするため乾燥させる日々を送っていると、「こいつと、いつもとは違う世界へ行ってみたい」と云う欲望が丹田のあたりから次第に身体中に染み渡ってくる。全く人間って奴は、いつだって欲望と快楽の奴隷なのだ。
そこで数多ある檀先生のレシピを紐解くが、どうもビンとくるものが見つからない。ならばと我が師と並ぶ文壇の美食家・池波正太郎氏の随筆を読み漁っていると「マツタケチャーハン」なるものと邂逅したのだが、残念ながらその作り方に関する記載はない。
そんな折、遠征で赴いた山梨の森で出会い、意気投合した茸狩同志でありアートディレクターの通称ヒグマ氏が「茸の国・中華の雲南省で食べた香茸の炒飯が、今でも忘れられないの️」と恍惚の表情で語りながら、当時撮影した炒飯の写真を小生に託してくれた。炊き込みご飯ではなく炒飯とは、やはりアートディレクターはトレンディである。
「やれやれ」。
ノキノンザヘブンズドア
一枚の写真から持ち前の妄想をはち切れんばかりに膨らませ、一皿拵える。そんな試みをする小生もまた、トレンディに他ならない。
雲南の香茸炒飯はと云うと、至ってシンプルなようである。具材は恐らく大蒜、長葱、白飯、香茸で、味付けは土地柄から察するに、醤油かオイスターソースといったところに違いあるまい。
香茸は乾燥させたものを戻した方がよいと思うのだが、ヒグマ氏の「生っぽい食感だった」と云う言を手懸かりに、半分だけ乾燥させたものを使うとしよう。香茸は手で裂くべし。すると断面が凸凹になることで表面積が増えて香りが増し、味が染みやすくなる。これは我が茸師匠であるジッちゃんの遺言である。
シャンロォンチャオファン
皿までの道のりはもう長くない。大蒜を油でゆっくりと熱し、長葱を加え、冷めた白飯を炒めた後、香茸を加えしっかりと火を通す。香茸の誇り高き香りは、炒めても尚し。味付けは、今日は醤油だけにして、さっと回し入れたら火を止める。まさに刹那である。
口中だけでなく部屋中に漂う香茸独特の香りに加えその歯応え、醤油がピリッと効いたおこげのような味わい、そんな香茸炒飯と共に味わうのは、56号目と最年少三冠王のテレビ中継を待ち焦がれながらの瓶ビール以外に無かろう。
茸狩シーズンはまだ折り返し地点に着いたばかりだ。小生の茸狩シーズンは、まだまだ続く。
米帝も 中華も倭国も 茸HIGH
Profile
菅原 徹(山菜・きのこ採取&料理&写真)すがわら・とおる●1987年生まれ。地元岩手県矢巾町で18歳の時から祖父、父と山に入り、「キノコや山菜は生活の一部」という環境で育つ。キノコ・山菜歴は16年。岩手菌類研究同好会所属。岩手県・住田町でのきのこ講座、盛岡つどいの森での採取会、県内各地の緑化センターなどで、きのこの見分け方指導や展示などの活動をする。