森で働く
# 33
チームプレーが光る
森づくり集団
2024.10.31

取材で広島県を訪れることになった響hibi-ki編集部。リサーチする中で、今勢いのある林業系の会社があると教えてもらったのが庄原市を拠点に活動する〈株式会社FOREST WORKER〉でした。造林を主軸に、自伐型林業や木製品の販売も展開するなど、確かに勢いを感じます。どんな思いを持って事業を広げているのか、代表の田村栄太さんに話を伺いました。

写真:西山 勲/文:田中 菜月

迷彩パンツ集団、現る

トレードマークになっている迷彩柄のパンツと、デニムのジャケット。FOREST WORKERのインスタを見て一番印象に残ったのがそれでした。ちょっと怖そうだけど、かっこいい。今まで取材で出会った、森で働く人とはまた違った雰囲気にとても惹かれました。
https://www.instagram.com/forestworker.inc/

「子どもたちに憧れられるような集団でありたいなって思っていて。普通の作業着を着るより、迷彩パンツで揃えた方がかっこいいかなって、そんな軽いノリです(笑)」

どこでも目立ってしまうFOREST WORKERの皆さんですが、普段は誰の目にも触れることのない山の中で作業しています。メインとなるのは造林・育林の仕事です。依頼を受けた山林内で苗木を植えたり、下刈りをしたり、除伐や間伐をして植えた木が育ちやすい環境をつくっています。

代表の田村栄太さん。広島県内にある工場に勤務しながら社会人野球をしていたが、肩の故障をきっかけに地元・庄原市へ戻り、林業の世界に足を踏み入れた。

もともと地元の森林組合で造林や保育の担当をしていた代表の田村さん。経験を積む中で徐々に独立を考えるようになったと言います。

「一番初めに僕が林業で仕事をさせてもらったのが“枝打ち”の作業だったんですよ。ノコギリで木の枝を打っていくんですけど、これって技術職だなと。本気で技術を身につければ自分でお金を稼いでいけるんじゃないか。それまで野球しかしてきてなかったんですけど、やるからにはプロを目指すわけですよね。プロ野球選手も技術でお金を稼いでいて、業種はまったく違うんですけど、根本的な性質は林業と似ているなっていうのがあって。そこで、造林・育林の技術をしっかり身につけて、5年間は必死にやってみようと思ったんです。5年やって駄目だったら、そのまま森林組合さんのもとでずっと働いていけばいいかなと。5~6年経った頃に『いけるんじゃないかな』と思い始めて、独立を考えるようになった」

その後、7年半働いた森林組合を辞めて独立し、2017年4月にFOREST WORKERを設立する。森林組合の下請け事業を中心に、行政や電力会社からの仕事依頼も増え、徐々に業績を伸ばしています。今後は自社林を確保して、本格的な山づくりに力を入れていきたいと話す。

「自社林を確保することによって、“後世に残せる山づくり”をしていきたいと考えています。林業って本来は代をまたいで、つないでいく生業かなと思っていて。広島県はそういった山づくりをしているところは少ない気がします。でも、他の地域の施業現場を見学させてもらうと、『こんな山づくりの仕方があるんか』みたいに驚かされたし、感動させられた部分がありました。だから、自分たちの地元でもそういった山づくりに挑戦していきたいです」

今後は造林・育林だけでなく、木を伐り出して木材市場に売ったり、木製品を販売したり、森林資源を循環させながらの山づくりにトライしていくことになります。最近では、管理を任せてもらっている山で間伐した丸太を木材市場に初めて出品し、販売する機会もありました。自伐型林業推進協会にも加入し、壊れない道づくりや持続的な森林経営の手法を学び、理想の山づくりに向けて着実に歩みを進めています。

FOREST WORKERで
一緒に働きたい!

現在のFOREST WORKERの社員数は7名です。ほとんどが林業の未経験者だと言います。田村さんの弟2人も転職を経て、一緒に働いています。

「上の弟の孝太はもともと地元で介護の仕事をずっとしていました。僕が独立して、一人で山に入るっていうことに対して、彼なりに心配だったんでしょうね。休みの日とか手伝いに来てくれたりしてて。山に一緒に入って作業するのが楽しかったみたいなんですよ。いろいろ彼も考えるようになって、転職するんだったら今しかないっていう感じで、それで思い切って林業の世界に飛び込んだみたいです。末の弟の修太は京都で料理人をやっていたんですけど、この4月から正社員として入ってきてくれた」

事務や広報を担当している田村修太さん。

「たまに実家に帰ってくると(兄が)楽しそうだったんで、羨ましいなって思っていました」と話すのは修太さん。兄たちの姿に惹かれ、入社を決めたそうです。また、社員の多くは林業の仕事を探す中でたまたまFOREST WORKERを見つけてやってきていると言います。近頃はインスタをきっかけに求人の問い合わせが来ることもあるよう。担当の辻聡士さんが自発的にやっているという投稿は、画面越しでも面白そうな雰囲気が伝わってきます。

「DMでいきなり履歴書とか送られてきますよ。『フォレストワーカーで働くのが夢です!』みたいな感じで。鹿児島の人から電話がかかってきたこともありますし、こないだもアフガニスタンの人からメッセージと履歴書が届きましたからね。なんでうちに興味を持ってくれるかはわからないですけど、楽しそうっていうのはよく言われます」

林業に限らず、どの業界も人手不足が叫ばれる現在ですが、FOREST WORKERの場合は自ずと人が集まってきているのでした。その反面、未経験者ばかりだと会社を回していくのも大変な気がしますが、実際はどうだったのでしょうか。

「最初の2~3年はマジでやばかったですね。火の車といいますか。でも、やっぱり技術職なんでちゃんと教えてあげて、経験を積んでいけば未経験者でも絶対できるようになるんですよ。もちろんそこは安全に、ですね。人が育ったら、また次の新しい子、次の新しい子って入ってきやすい環境をつくっていけるかなって思います」

田村さんの話を聞いていると社内のコミュニケーションを大切にしていることが感じられるとともに、FOREST WORKERの皆さんがだんだん野球チームに見えてきました。

「うちはこぢんまりとした事業体なんで、距離がすごく近いんですよ。今年の春まで僕も現場に出てましたし。一緒に現場でしんどいことを乗り越えたり、作業をやり終えた後の達成感を共有したりすることで自ずとチームがつくれているのかなって思います。会社の事務所は2~3年前にできたんですけど、ここでプロジェクターで映画を見ながら、ウイスキーを飲みながら、気付いたら皆寝落ちしてて。事務所に寝袋を並べて寝てますよ」

コミュニケーションをとるだけでなく、各人の思いや特性を尊重して仕事の役割も決められていくのだと言います。

「例えばインスタを担当してくれている彼なんかは釣りが大好きで、海が好きなんですよ。海を守るためにはやっぱり山をやらんといけんってことでうちに来てくれました。こちらから一方的にこうやれ、ああやれじゃなくて、社員一人ひとりがそういった思いを持って取り組むことが大事。なので、毎月みんなで会議もしていて、そこで何かやりたいことはないか、どういったことをしたいんや、みたいな話をして、意見を出し合っています」

ただし、「チャンスはなんぼでも転がってるけど、そのチャンスを掴んでものにする努力は必要です。そこは体育会系ですね」と話すのは、田村さんと前職時代から一緒に仕事をしてきた草川修壮さん。向上心を持って取り組み、日々の積み重ねがあってこそ今のFOREST WORKERがあるのだと教えてくれました。かっこよくて、楽しそうなFOREST WORKERですが、その裏には苦労の数々が支えとなっているのでした。

木の一生が追える
プロダクト

FOREST WORKERでは、山づくりだけでなく、地域との関わりにも重きを置いて活動しています。その1つが、地元の小学校での授業です。今年は5回の授業を実施予定で、森林についての座学や自然体験に加えて、山で拾ったドングリを子どもたちが育て、その苗木を翌年植林するといったような体験を計画していると言います。

そうした授業の際に子どもたちにも大好評なのが、“TREE-ID”です。1つの木に対して、1つのIDがつけられており、WEBでIDを検索するとその木の樹種や樹齢、伐採地がネットで閲覧できるようになっています。

TREE-IDを読み込むと表示される画面イメージ。

「子どもたちが植えた木に1本ずつTREE-IDを打つことで、何十年か後に誰かがその木を収穫して、製品になっていくところまで追えたら1つの物語になっていくと思いますし、苗木を植えたあとの楽しみが増えていいですよね」

このTREE-IDが生まれたきっかけは、JR西日本が取り組む「てみてプロジェクト」に参加したことから始まりました。このプロジェクトでは、JRと地域のプレイヤーが連携し、地域の魅力を発信するとともに、新たな価値を生み出していこうとさまざまな活動に挑戦しています。

TREE-IDの発想とともに誕生したプロダクトが「HIBA RINGs」(ヒバリングス)です。ブックエンドやコースター、スツールについたQRコードを読み込むと、先述のような樹木データを見ることができます。プロジェクトアドバイザーであるデザイナーと木工会社と共同開発し、現在ではプロダクトの製作はFOREST WORKERが担っています。

▼HIBA RINGs
https://hibarings.jp

「デザイナーさんと一緒にどういったことがしたいかを話し合ったときに、補助金頼みになっている山側の課題の話になりました。その流れを変えるのは難しいかもしれないですけど、すべてがそうでなくてもいいんじゃないかっていう思いもあって。大切に育てた木がちゃんとした値段で売れて、その分を山に還元していくような仕組みがつくれたらいいよねっていう話の中で、木のトレーサビリティが追える製品があったら面白いんじゃないかというアイデアが出てきました。ありそうでないプロダクトだなと思いましたね」

日頃、山主さんと話す機会がある田村さんだからこそ、消費者が山側の思いに触れられるようなプロダクトが必要だと感じていたようです。

「山林所有者さんの思いを汲んであげたいなっていう考えもありました。100年の森をつないでいってほしいみたいな思いを持たれている所有者さんも実際におられるんですよね。それなのに、今は山も木もすごく安いじゃないですか。すごく悲しいなって思うんです。だから何か違った形で付加価値をつけながら、売っていける商品づくりをしていきたいと思っています」

デザイナー目線で考える

造林、自伐型林業、製品化と川上から川下までの取り組みを徐々に広げてきたFOREST WORKER 。後世に残せる山づくりのためにも、この先まだまだ挑戦してみたいことはあると田村さんは話します。

「正直なところ、うちで今やっている自伐型林業は全然お金にならないんですよ。僕らはもともと造林をしていて、そっちで収益を上げることはできていて。そこで力を蓄えて、自分が本当にやりたい後世に残せる山づくりにチャレンジしている感じですね。だけど、自伐型林業でも稼げるようにならないと生業にならないので、今いろいろと考えているところではあります。林業っていうと木を売ることをつい考えがちなんですけど、フィールドとしての森林を活かしていくような山があってもいいですよね」

昨今、業界内でよく話題になる森林サービス産業のような展開も考えているようでした。こうして柔軟に物事を考えられるようになったのも、デザイナーとの出会いが大きかったと言います。

「これからキーワードになってくるのは“プラスアルファ”とか“コラボ”なのかなと思います。そういった考えになったのもヒバリングスのおかげだと思いますね。デザイナーさんってすごいなって思いました。木材のトレーサビリティもそうですけど、僕らになかった着眼点がすごいあるんですよ。すごく学びになったし得るものがたくさんありましたね」

取材当日は雨だったため、急遽予定を変更して木材がストックしてあるという倉庫を見学させてもらうことになりました。中に足を踏み入れてみると、製材した木材だけでなく、短い丸太や細かい枝など、個性豊かな木々が並べられていました。しかも、樹種のバラエティーがめちゃくちゃ豊富!多くが住宅の庭木などの支障木伐採で伐った木なのだそうです。

「支障木伐採で伐った木は処分を希望される依頼主が多くて、『もらっていいですか』っていただいてくるんです。庭木なのでカリンとか珍しい樹種が結構ありますね。挽ける製材所がないくらいの大径木もあって、ツテのツテをたどってようやく見つけた製材所で挽いてもらったこともありました。中には重機が入れないような険しい現場とかもあって、その場で自分たちでチェンソー製材することもあります。僕は広葉樹の方に魅力を感じていて、木材の表面に独特の表情が出るから面白いですね。とりあえず持って帰ることが多いので何に使うかは考え中のものもありますけど、ワークショップでコースターづくりに使ったりしてます」

ここでもコラボの発想がありました。

「今度は家具屋さんや建具屋さんと一緒に使い道を考えようかなと思っています。うちが持っている材にはTREE-IDを通じてストーリーがついてるので、家具屋さんや建具屋さんとコラボすることでさらに付加価値を増やせるんじゃないかなと。大量には難しいかもしれないですけど、支障木伐採で伐ったような材を供給できる仕組みをつくっていきたいです。いずれは木材のお店もやってみたいですね」

材料はふんだんにある。あとはそれをどう活かしていくか。そこに挑戦していく難しさと面白さを感じているであろうFOREST WORKER の皆さんの高揚感がビシビシ伝わってきて、話を聞いているこちらまでワクワクした気持ちになってきたのでした。そうした雰囲気に惹かれて、FOREST WORKERの周りには愉快な人たちがぞくぞくと集まってきているのかもしれません。

●Information
株式会社FOREST WORKER
〒727-0025 広島県庄原市市町569-1
0824-74-6683
info@forest-worker.com
https://forest-worker.com/

田中 菜月 (たなか・なつき)
1990年生まれ岐阜市出身。アイドルオタク時代に推しメンが出ていたテレビ番組を視聴中に林業と出会う。仕事を辞めて岐阜県立森林文化アカデミーへ入学し、卒業後は飛騨五木株式会社に入社。現在は主に響hibi-ki編集部として活動中。仕事以外ではあまり山へ行かない。