女性4人だけの木工所でありながら、木のおもちゃで世界進出を目指す〈一場木工所〉。次々に新商品を開発してはウッドデザイン賞を8年連続で13作品受賞するなど、破竹の勢いで突き進んでいます。台風の目となって会社を引っ張っているのは、2代目代表の一場未帆さんです。穏やかでふんわりとした印象の一場さんですが、その背景には度重なる苦境や冷遇を乗り越えてきた過去がありました。
※おもちゃづくりの記事はこちら
https://hibi-ki.co.jp/nipponmingeijourney024
7年越しの取材
実は、響hibi-ki編集部と一場さんとの出会いは今回の取材が初めてではありません。最初の出会いは今から7年前の2017年にさかのぼります。当時はまだ響hibi-kiはなく、筆者である私が飛騨五木株式会社(運営元)に入社したての頃でした。
会社で運営している遊び場〈森のわくわくの庭〉の前身施設を建てる際に、建物の目玉として47都道府県の柱材を内装に活用しようという企画があり、私はその柱材の調達係を担当することになりました。当時は今よりも県産材などの地域材を活用している事業体は少なく、それでいて、柱を1本だけ売ってくれる企業はなかなか見つけられませんでした。そもそも会社のホームページを持っていない事業体も多く、情報収集で苦労したことを覚えています。
広島県産材も最初に問い合わせた会社には断られてしまい、ネットを検索しまくって見つけたのが一場木工所でした。月に一度、一般向けに「いちば端材市」なるものを開いていると知り、こうした活動をしている方なら地域材を扱っていそうだし、1〜2本だけでも売ってくれそうと直感し、即連絡。すると、すぐに快諾の返事をくれたのが一場未帆さんだったのです。
その後はしばらく関わりがありませんでしたが、2020年に国産材アイテムのセレクトショップ〈響hibi-ki STORE〉をオープンするにあたり、商品の一つとして一場木工所のおもちゃを仕入れることとなります。同店が入居している岐阜県の木育施設〈ぎふ木遊館〉では、木育研修で一場さんに講師として来てもらったこともありました。
こうした縁を経て、響hibi-ki編集部で林業ボードゲーム「FOREST BALANCE GAME」を開発するにあたり、ゲームアイテムを収納する木箱の製作を一場さんに相談する運びとなります。もとより、一場さんが森林や林業に対して熱意を持っていることは肌で感じていたので、一緒にいいものがつくれるだろうと思っていました。
そして、今年4月末からようやくFOREST BALANCE GAMEの販売がスタートしたこともあり、ゲームを広める中で木箱のつくり手のことも伝えていけたらと思い、取材する機会をいただいたのでした。
アニキと呼ばれた
子ども時代
1967年に創業した一場木工所は、一場さんの父・光則さんが先代の仕事を会社として形にしたところから始まりました。当時はフローリング材や鴨居・敷居など、建物の内装に使われる造作材の加工が専門で、全国で先駆けて“三面自動かんな盤”と呼ばれる機械を導入するほどの勢いがあったそうです。住宅着工件数が増えていた時代だったため、営業をしなくても仕事がどんどん舞い込んでいたと言います。
そんな一場木工所の長女として生まれたのが一場未帆さんでした。
「うちは女の子が3人で、私は双子なんですよ。3人娘だった時点で『わしら(会社を継いでもらうの)諦めとる』と言われてましたし、親戚からは『男だったら良かったのに』とずっと言われ続けていました。今思うとそれはギフトだったと思っていて、どこかで『私にもできる』っていう気持ちがあったんですよね。だからか、男の子みたいな子どもでした。女の子っぽくしたくなかったのかもしれない。子どもの頃は継ぐ気はなかったですけど、今にして思えば、男だったら良かったのにと言われた幼少期がなければ、会社を継いでいなかっただろうなと思います」
今の一場さんからは想像もつかない子ども時代の姿に驚いていると、「山猿みたいでしたよ(笑)」と一場さんが幼少期のエピソードを聞かせてくれました。
「遊ぶときは田んぼか山か。当時の趣味は山をかけ下りることでした。今でいうトレイルランみたいな感じかな。山道のカーブにある木を掴んで、空中を蹴りながらカーブを回るみたいな。だからスキーの大滑降とかも好きなんですよ。私がスキーをすると男の人みたいなんで、友だちからは“アニキ”って呼ばれてました(笑)」
外で遊ぶ以外にも、家の中で本を読んだり絵を描くことも好きだったと言います。興味があるものはすべて覚えてしまう性格で、聞いたら何でも答えられるほどの雑学王っぷりだったそうです。多動で落ち着きのない子ども時代だったと振り返る一場さんは、「今でも多動の傾向が出るので、楽しいことにばーっと動いてしまって、逆に整理整頓が苦手なのでとっちらかっちゃったり、あんまり得意じゃない部分をやってるとすごくつらくなるから、最近はアウトソーシングしてます」と話します。
高校時代には、文芸部の部長、新聞部の副部長、美術部の副部長を務め、「ペンで学校を動かす女」だと先生に言われるほどの多才ぶりでした。マンガを描いて同人誌を売っていたり、そのマンガのキャラクターグッズをつくったり、創作活動に夢中だったと言います。
こうした自身の性質ゆえ、進路選択では悩まされることとなります。教科の得意不得意も極端で、得意な生物や国語は成績がトップクラスでも、苦手な数学や英語は偏差値が低すぎたため、大学への進学は断念することになりました。
「料理が好きだったので料理人になるか、理学系も好きだったので臨床検査技師になるか、デザイン方面でイラストレーターになるか、さまざま悩みました。でも、子どもの頃から生物学者かイラストレーターになりたいっていう思いがあったのと、妹も行くというので岡山科学技術専門学校の生物工学科に進学したんです。バイオテクノロジーの勉強をしていました」
卒業後は地元の紀文食品に就職し、細菌検査の仕事を10年ほどしていましたが、工場の閉鎖が決まり、一場木工所の事務を手伝うことになります。1歳の子どもを育てながらのことでした。
「事務が全然わからないから簿記2級の資格を取ったんですけど、とはいえまったく継ぐ気がないから、イラストレーターになりますって周りには宣言していました。女性起業塾に参加したあとには、『アートの小箱なな草』という屋号でイラストレーターとして起業することができました」
会社に来ない父
壊滅した工場
2009年にはフジフィルム年賀状コンテストでグランプリを獲るなど、イラストレーターとして順調に活躍する頃、父の光則さんが病気をきっかけに出社しなくなる状況になってしまいます。そんな中、一場木工所として新しい仕事をつくろうと画策しますが、会社に残っていた古参の従業員とは考え方が合わず、思うように進まない状態だったそうです。
その一方で、幼い頃から工場内の木材に触れて遊び、木に愛着があった一場さんは、大人になり仕事として家業を手伝うようになって、香りや肌触りなどの木の魅力に改めて惹かれていきました。そして得意なデザインの力を活かして木の魅力を伝えていきたいと事業継承を考えるようになったのです。
しかし、父の光則さんは斜陽産業だからと事業継承を薦めなかったと言います。心配する父親を押し切って、2012年7月に取締役に就任。光則さんからは何も教えられることなく、得意先の社長を誰一人紹介されることなく、独力で事業を進めることになります。
もともとは自社商品のない下請けの会社だっため、木の良さを提案していく会社に変わろうと広島県産ヒノキの天然乾燥材の商品化に取り組み始めます。研究機関や大学と連携して試験を重ね、木製マット「もりのらぐ®」を開発し、商品化以外に木育普及委員会を立ち上げて木育イベントの企画・運営にも挑戦してきました。
木の良さを伝えるための地道な研究と実績づくりを続けていた矢先、「西日本豪雨災害」(2018年7月))が発生。この影響で工場や事務所内はすべて水に浸かってしまいました。機械類は全損。断水と停電もあり1ヶ月ほど操業停止の事態でした。
それでもめげることなく活動を継続し、2020年4月には新オフィスが竣工しました。しかし、新たな船出のタイミングが感染症の流行と重なり、またしても行く手を阻まれてしまいます。ですが、ここで挫けないのが一場さんのストロングポイント。この間に内装木質化の効果実証実験を本格始動するなど、今日まで着実に歩みを進めてきたのでした。
目立ちたがり屋と
言われた日々
「女じゃけえ思うて好きなもんつくりやがって」
日本酒入りの広島県産材ギフトボックス「ヒノハコ」を展示販売した際に、一場さんが来場者の一人から浴びせられた言葉です。
1個55,000円(化粧箱50,000円、お酒5,000円)という高価な価格設定でしたが、地元である三次市のPRを目的としてギフト用に開発したものでした。その1週間後の別の展示会では、1万個ほしいという人も現れたそうです。
何よりこの商品は実験的な要素が大きく、地元の林業技術センターと連携し、特許技術である「木材圧密処理方法」を駆使しています。ヒノキの香りを残しつつ材の強度を高められるかチャレンジした結果、商品化されたものです。地元の酒蔵と造形作家さんとコラボした111個の限定生産でした。
こうしたチャレンジングな取り組みを数多くしている一場さんは、“出る杭は打たれる”のごとく、周りから冷や水を浴びせられることが度々あります。
「さんざん馬鹿にされてきましたよ。でも、いいんです。逆にいい意味で『あいつ変なことしよる』ってずーっと遠ざけられてきたし、『目立ちたがり屋』とか色々言われてきたことで、分かることもいっぱいありました」
煙たがられる一方で、一場さんの考えや取り組みを面白がってくれる人たちも確実に増えています。何より、木育普及委員会や内装木質化の効果実証実験では、大学の研究者や地域の林業事業体、自動車販売店等の協力により活動が実現しています。こうして広島を拠点に全国各地で活動している一場さんですが、最近では東京でチームをつくり始めていると言います。
「なんで東京かっていうと、うちの会社が内装木質化や木育の効果検証に取り組んでいる理由を、本当の意味で分かってくれて、話がすっと通るところって東京にまで行かないとないんですよね。東京は地方の特殊な人たちが集まって来てるから話しやすいのかも」
2024年6月からは、いすゞ自動車と一般社団法人ウッドデザイン協会のメンバー企業と連携し、木育トラック「manaviba」プロジェクトがスタートしました。庫内を木質化したトラックは日本初の試みで、木のおもちゃに加えて、授乳室やWi-Fi、発電機、ウォーターサーバーなどが備え付けられているため、木育トラック1台で遊び場や休憩所として開放することができるようになっています。
一場さん自身が被災した経験から、災害時でも子育てをサポートできる多機能なトラックとしてもデザインされています。1日1台の利用で税込33万円。全国どこへでも出張するスタイルです。
なぜ木育なのか
ついに“木育トラック”なるものまでつくり、本気で木育を広めていこうとしている一場さん。そこにはある思いがありました。
「木育に関わる人や興味がある人の分母を広げていきたいですね。今の木育って小さいパイをみんなで取り合ってる感じがしていて、分母を広げる取り組みを誰もやっていないと思うんです。私たちの場合は木育のノウハウやツール、エッセンスを提供する場をつくっています。参加した方がそれぞれ持ち帰って、自分なりにアレンジして活動してもらいたいですね」
各家庭のカレーに少しずつ違いがあるように、木育も活動する人により味わいが異なる、その多様さを楽しめるものなのかもしれません。
一般的に木育というと、木に触れる体験を通して豊かな心を育むといったニュアンスで捉えられるでしょう。しかし、一場さんが実践する木育は、持続的な森林や林業にも目が向けられている点が特徴です。木育普及委員会が開く「ひろしま木育アカデミー」では、全8回の講座のうち、林業編として地域の林業の現状を学ぶとともに枝打ちや植林体験、伐採見学などの内容も用意されています。
将来にわたって森林からの恩恵を受け続けるためには、林業や木材産業などの森林に関わる業界が経済的にも人材的にも豊かな状態であることが重要になってくるでしょう。特に、いまだボランティアの印象を持たれがちな木育こそ利益を生み出せる形に変えていくことで、木育に携わる人も増えて、木育を通じて森や木と出会える入口もどんどん増えていくはずです。まさに木育トラックが最たるもので、森に関わる入口としての木育活動を広げながら、収益をつくっていく事業としてスタートさせたのでした。
「林業機械の展示会に行くと、前まではドローンで広葉樹の3次元計測は難しいって言われていたのに、こないだ聞いたら大卒くらいの若い子に『ドローンでも普通にできます』って言われて、だよね~って思いました。IT関係とか異分野から若い子が入ってきてくれた方が、どんどん森林業界の技術革新も進んでいく。そのためには、この業界は面白いし儲かると感じさせられることが大事だと思うんですよね」
こうした考えを持って活動している一場さんだからこそ、環境と経済のバランスを追求するFOREST BALANCE GAMEの思想とも共鳴したのだと、取材を通じて実感しました。そして、私たちもメディア事業として理想を追いかけるだけでなく、収益化の努力を続けられるのかどうか。それは分からないけれど、まだ諦めたくはないなと思ったのでした。
●Information
有限会社 一場木工所
〒729-6332 広島県三次市上志和地町195-1
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https://www.ichibamokko.com