能登半島の真ん中にある、海と山に囲まれた町で牡蠣漁師と結婚した山口敦子さん。能登森林組合に所属し、現在は絶賛育休中です。そんな育児真っ只中の敦子さんにお時間をいただき、産休・育休までのこと、そして復帰後の働き方について話を聞かせてもらいました。
※この記事は2023年10月に取材したものです。令和6年度能登半島地震において被災された方々には心からお見舞いを申し上げるとともに、一日でも早く平穏な日々を過ごせることを祈念しております。
産まれたてのわが子は
チェンソーより軽い!?
—— お子さんが産まれて3ヵ月くらいなんですよね。初めての出産と育児を経験してみてどうですか?
「子育てをはじめてみると、山の仕事をしてよかったなあと改めて感じています。木も子どもも、育てるのに手がかかるのってだいたい最初の10年くらいじゃないですか。木を同じように植えても、よく育つ木もあればそうじゃない木もあって、さまざまなタイプがあります。それと一緒で、子どもに対しても『こういうタイプなんだなあ』って大らかに受け止められています。そう思えるのは山の仕事をしとったからかもしれません」
—— 確かに子育てと木を育てる感覚は似ているかもしれませんね。体力面でも影響はありましたか?
「林業現場で働いていたおかげで筋力があるので、臨月でも背筋をまっすぐにして歩けました。寝る暇もない産後の時期も、体力があったから他の人よりは乗り越えやすかったと思います。あとは、子どもを抱いたときに『チェンソーより軽い』『チェンソーより重くなった!』って感覚があることですかね(笑)。息子はスクスク大きくなるタイプで、生後3ヵ月の今はチェンソーより重くなってしまって。ちなみに私のチェンソーはバー付きの燃料入りで6㎏弱ぐらいでした」
—— 林業現場で働いていた人ならではの感覚ですね(笑)。現場経験者で産休・育休を取っている人は業界的にも珍しいと思うんですけど、周りの反応はどうでした?
「ある日突然『妊娠しました』と報告することになり、少なからず職場の皆さんにご迷惑をおかけすることになるので、どんな反応をされるか不安でした。ですけど、想像以上に喜んでいただけてホッとしたことを覚えています。産休・育休に関しては、事務方の仕事をされている方でここ3年間の間に2回取得されたという方もいますし、過去には現場で働いていた方も取得された例があると思います。
というのも、奥能登は林業をしていた女の人が結構多い地域なんですよ。組合の面接を受けたときに産休の話になって、『現場で働いたら産後ダイエットせんくてよかったわって作業員のおばちゃんが言っとったわ』って聞いていました。なので、現場作業しとって妊娠しましたっていうのは組合にとって初めてのことではないです。ただ、現場の作業員(現在は作業員は技能職員となっている)が産休を取るのは、何十年ぶりかのことではありました」
—— へえー!能登は昔から林業に関わる女性がいたのですね。平坦な地形も関係しているのでしょうか?
「たぶん大いに関係していると思います。それと『能登のととらく』って言葉があって、能登は女の人が働き者で男の人は楽できるみたいな意味なんです。能登はもともと女の人がよく働く地域で、山主さんのところに話に行くと、『私も林業やっとった』っていうおばあちゃんがおって。その人は70代後半くらいなんですけど、子どもを何人か産んだあと、義理のお母さんに子どもを預けて山仕事しに行っとったって言っていました。50年以上前に日給1万円以上もらっていたみたいで、めっちゃ儲かる仕事だったらしいです。そのときは下草刈りとかの育林の仕事が多かったから、女性でもやりやすい仕事だったんだと思います」
—— 林業で稼いでくるお母ちゃん、かっこいいですね。敦子さんの場合はどんなふうに働いていたのですか?
「木を植えるところから伐るところまでなんでもやらせてもらいました。木の伐採はもちろん、下草刈りも枝打ちも竹林整備も測量も。能登森林組合の本所の作業員は人数も少ないですし、下請けの会社もほぼないので、どんな仕事でも森林組合でやっています。他の支所は育林班とか伐採班とかで分かれると思うんですけど、そんなんゆってられんので全員でオールマイティ班みたいな感じです(笑)」
「林業の仕事は体力的にしんどいですけど、私はとにかく楽しかったです。最初はうまくいかなくても努力すれば目に見えて上達がわかるからやりがいがあるし、林業は力がなくても技術とやる気さえあればある程度はできる仕事だと思います。物理的に重いものを運ぶっていのうはやっぱり男の人と比べたら無理やなあってなるんですけど、それは『代わりにお願いします』って言ったらいいだけで、自分ができることを一生懸命すれば男社会でも私の場合は受け入れてもらえたなって感覚はあります」
—— 最近は大型の林業機械を使うところも増えてきてますし、林業は体力だけが求められるわけではないですよね。
「私もグラップルにようやく乗って作業できるようになって、それから2ヵ月後くらいに妊娠がわかりました。ほんとは道をつけられる人になりたかったんですけどね。現場の作業は妊娠を機に一旦離れて、森林施業プランナーになる予定で現場管理の仕事に移りました。補助金とか森林経営計画の書類作成だったり、山主さんのところへ経営計画の相談に行ったり、伐採依頼の見積りをつくったり、事務的な仕事ですね。
育休は1年取るので、来年の8月に復帰する予定です。『絶対私はチェンソー持ちたくなると思うんで』って上司には言ってあって、復帰後は現場管理をしつつタイミングがあれば現場作業もできたらいいなあと思っています。でも、自分ひとりの命じゃなくなったので、危ない仕事しとっていいのかって葛藤はあります。夫も体を張る仕事ですし」
—— 子どもができると選択肢も変わってきちゃいますよね。相談できる人は職場にいますか?
「組合には私以外に現場で働いている女性が2人います。一人は60代で、もう一人は50代の方です。60代の方は子どもを生んでから子育てが落ち着いたタイミングで森林組合に入って、30代半ばから現場で働きはじめた方。もともとは保険のセールスをされていたようです。普段は違う支所で働いているからあんまりお会いすることはなかったんですけど、たまたまモヤモヤしとるときに会うタイミングがあって話を聞いたらいろいろと教えてくださって。『子どもがちっちゃいうちは無理せんほうがいいよ』って。そのおかげで、自分のタイミング的に今は管理側の仕事を頑張るべきタイミングなんやと思えるようになりました」
—— 現場の先輩に同性の方がいるのは心強いですね。一般的に女性が少ない林業現場でも、能登だと馴染みやすいんですかね。そのあたりどうでしょう?
「私の場合、最初は大卒で、女で、どうせ続かんやろと思われとったらしいのですが、周りには女の人と一緒に働くことにそこまで抵抗がある人はいないと思います。最初は若いねえちゃんやからって気を遣われていると感じたことはありましたけど、1ヵ月もすれば普通にいじられるようになりました(笑)。
私の師匠もお母さんが林業しとったみたいですし、私が入る5年前まで、同じ本所に女性の作業員がいらっしゃったそうで、もう一人の師匠はその女性に仕事を教えてもらったと聞きました。それに、その方は下草刈りがめちゃくちゃ上手だそうで、師匠よりも速かったそうです。会ったことはないですが、私もがんばりたいと彼女の姿を追いかけてきました。そんな感じで、奥能登では、女の人が林業現場におることは珍しいことじゃないです。数では女の人は少ないですけど、能登は女の人でも働きやすい環境です」
—— なるほど。ちなみに、以前響hibi-kiの記事で林業女子の困りごとをテーマに取り上げたことがあって、トイレやウエア問題について何人かの林業女子の声を聞きました。敦子さんはトイレやウエアについて思うことはありますか?
「トイレに関してはあまり気にしないタイプです。最初入ったときは姫が来たかのように扱われて、『現場にトイレ持っていこうか?』って言われましたけど、『そのへんでするんで』って断りました。現場のそばでトイレしてると、先輩たちに『お前近すぎるわいやー』って言われて、『ちょっとこっち見んといてください、見たら5千円です』みたいなことを言い合ってます(笑)。あと、生理のときは事務の仕事をしてます。最初から『生理のときは現場作業は無理です』って伝えていたので。
ウエアについても私は身長が160㎝なのでサイズはなくはない。私より小柄な男性の作業員もおったんで大丈夫です。性別で差を感じるのは力仕事だけですね。苗を運ぶとか、竹を積み上げていくとか。私がめっちゃ働けば、『あの姉ちゃんに負けてられん』ってならんかなと思ってがんばりました。でも、無理したら途中で体力が終わってしまうんで、一日中同じ調子で働けるように考えて身体を使っています」
—— 特に大きな不満もなく働けているんですね!本当に林業の仕事が好きなんだなって伝わってきます。
「現場から事務所へ帰ってきたときに『いい顔しとるね』って職場の人に言われたことがありました。他にも、現場の仕事が楽しくてしょうがないという話を同僚にしていたら、『大地さん(旧姓)、天職やわ』と言われたことも。林業は私にとって天職かもしれないなって思います」
能登で林業をはじめた理由
—— 敦子さんは丹波のご出身だそうですね。能登に来たきっかけはなんだったんですか?
「あるあるやと思うんですけど、高校生のころは地元に何にもない、夢もない希望もないって思っていました。でも、大学進学を機に東京に行ったらそんなことはなくて、田舎には田舎のよさがあることに気づいたんです。たまたま東京で丹波のことを盛り上げているキラキラしたかっこいい大人たちに出会って、私も地元を元気にする活動がしたいなって思うようになりました。それで、石川県七尾市にある民間のまちづくり会社が運営している『能登留学』に参加して、まちづくりを学ぶために能登へ来ました」
—— そこから林業がどう結びついてきたんでしょう?
「能登で暮らすうちに、森と海がつながっていることを初めて実感しました。こんなにおいしい牡蠣や魚が食べられるのは、いい山があるからやって。あと、能登は祭りの文化がすごく盛んで、『キリコ祭り』の燈籠に使われるアテ(ヒノキアスナロ)の木のことを教えてもらう機会があったんです。『キリコに使えるようなアテが山にないから、次のキリコがつくれんくなるかもしれん』って話を聞いて、かなりショックでした。
私も祭りに参加するくらい大好きですし、キリコに命をかけている人はたくさんいますからね。能登らしさを残すために、山を大事にすることはまちのためになるし、それってまちづくりになるなあって気付いて。それで林業って感じです」
「地元で林業をする選択肢もありましたけど、自分が山で仕事したいって気付いた地域で林業をしようと思いました。『能登 林業』で検索したら能登森林組合が出てきて、それで話を聞きに行ったんです。『今も女の人おるし、昔もおったし、入っていいよー』って感じやって、『じゃあお願いしまーす』みたいな感じでした(笑)」
—— そんなあっさり(笑)。話は変わりますけど、牡蠣漁師である夫の翔太さんとはどういう出会いだったんですか?
「ゴルフの打ちっ放しです(笑)。隣のレーンで練習しとって、『さっき隣で練習してましたよね』みたいな会話から、話すうちにお互い第一次産業で働いとることに気づいて盛り上がっていった感じです」
—— 出会いの場がゴルフの打ちっ放しとは、想像の斜め上でした(笑)。翔太さんとは山のことを話したりするんですか?
「しますします。2023年の5月に夫のおじいちゃんが亡くなって、相続のときに山の存在を知りました。その山がどこにあるか誰も聞かされず、おじいちゃんは逝ってしまった。よくあるパターンですよね。でも、すごくいい勉強になりました。まず山を探すところから夫とはじめて、最近見つかったんです。ちょうど2週間くらい前に一緒に山を見に行って、今はスギ林なんですけど、ゆくゆくは広葉樹の山に変えていきたいねって話していたところです」
—— 翔太さんも敦子さんから影響を受けていそうですね。
「牡蠣にとって山が大事ってことはある程度知っとったはずなんですけど、大いに私の影響は受けていると思います。自分で言うのもあれですけど(笑)。『俺も木を伐ってみたい!』って言ってますよ。冬にかけてもっとムキムキになるので体力仕事は頼もしいですよね。ちなみに、『かき漁師 しょうた♂』って名前でYouTubeもやってるので、チャンネル登録お願いします!」
「彼ももともと山好きというか、カブトムシとクワガタを採りに行くのが好きで。臨月のときに一緒にカブトムシ捕りに行きましたよ(笑)。今はカブトムシが寄ってきてくれるような山をつくることが目標ですね。そうすれば子どもとか人が集まる山になると思います。
カブトムシが好きなクヌギなんかの広葉樹があると、腐葉土ができて植物プランクトンが豊富になって、その植物プランクトンを牡蠣が食べてって、全部つながるんです。おいしい牡蠣を食べ続けるためには山が大事ですって言うと、一般の人にもより伝わりやすくなると思いますし、牡蠣漁師さんがもっと山を大事にしていく時代がこれから来るかもしれないですね」
—— なるほど。YouTube、早速登録しました!翔太さんは結構前に出るタイプなんですね。
「私の場合はもともと出たがりじゃなかったんですけど、夫に『出たくても出れん人もおるんやから出たらいい』って言われて、それから考え方が少しずつ変わりました。夫のおかげで取材をポジティブに受けられるようになったので、ほんとにありがたい存在です。
林業女子として取材を受けることがたまにあって、私は本当に嫌やったんです。実力もないのに目立つことがすごく嫌で。私より苦労して上手くなった先輩とかいっぱいおるのに、その人たちは取材されなくて、でも取材されていないような方たちがずっと林業を続けてきてくださったおかげで能登の林業はあるはずなんで、先輩たちにフォーカスが当たるといいなあって思っていました」
—— そうだったんですね…!出産直後ということもあって、取材するかどうか私たちもかなり迷っての依頼だったんですが、今回はなんで取材を受けてくださったんですか?
「今の自分の思考を整理したいと考えていたタイミングで声をかけてもらったので、逆にありがたいと思って受けました。そうじゃなかったら断っていたかもしれないです(笑)。それと、『いつでも預かるよ!!』ってお義父さんとお義母さんが言ってくださっていて、“孫がかわくてたまりません”って顔に書いてあったので(笑)。素敵な義理の両親は、私の自慢の存在です。本当にいつも助かっています。ありがたいです」
一緒に林業やろう
—— 夫婦で取り組んでいきたいと話していた山づくりについて、もう少し詳しく聞かせてください。
「私たち夫婦が漁業と林業で働いているからこそ、自分たちで山づくりをやる意味があると思っています。ただ、広葉樹を植えただけでは木が育たないですし、植えて伐って何に活用するか。そこまで考えて山づくりをしていきたいです。産んだだけで子どもが育つかってことですよね。ちゃんと愛情をかけて育てていくことと、ほったらかしにすることと、全然違うと思う。海と山を守っていくことが能登らしさを残していくことにつながることを広めていきたいです。私たちの活動をもっと発信していって、山づくりの仲間も増えたらいいなあ」
「前は林業の指導者にもなれる技術者になりたかったんですけど、今は技術者になることから離れちゃったので、山の大切さを人に伝えることがこれからの自分にとっては大事なのかなって思います。ちょうど牡蠣屋さんの嫁になったので、余計に伝えやすい立場になりましたし。夫が学校の講演に結構呼ばれるんですよ。明後日も東京の高校生が修学旅行の一環で来るんですけど、『森と海の話するわ~』って言ってくれるのでありがたいです。いい種まきにはなりますよね。発芽するか、苗になるかはその子次第。
組合の人には、子ども向けに話す機会があるんやったらどんどん使ってくださいって伝えてます。チェンソーを使ったり重機を操作したり、林業は技術がいっぱい必要な仕事で難しいところもあるけど、だからこそ面白い仕事。そんな仕事って私の中では他になくて。それを伝えていけたらいいなって思います」
—— 生活が変われば、考え方や目指す方向も変わっていきますよね。それに敦子さんみたいな方だと子どもたちも話が聞きやすいかもしれません。
「大学生から相談されることもありますよ。それこそ今週も日本一周中の大学生がたまたま能登に来るらしくて、会う予定です。何人かそういう学生がいる中で、私と同じようにIT関連の勉強をしていた子が『自分が生きるために必要なのはITとかじゃなくて農林水産業や』みたいな感じで、どっかから私のことを知って訪ねて来る子がよくいます。
ITやAI技術とかが発展すればするほど、その反動で一次産業を見直す子がいっぱい来ると思うので、そういう子たちが来たときにちゃんと歩ける道をつくることも私が担えたらいいなあって思います。『一緒に林業やろう』って言えたらなって思っていたことを今、思い出しました。育児ばっかりで忘れてましたね(笑)」
—— 思い出せてよかったです(笑)。育児に追われていると、それどころじゃなくなっちゃいますもんね。今日はお話しを聞かせてくださってありがとうございました!
外見はおっとりしたように見える敦子さんですが、話してみるとめちゃくちゃ熱くて、真っ直ぐで、度量が大きい方だなと感じました。祭り文化が大好きなのも納得です。そして、学校教育で林業にふれる機会を増やそうと取り組む私たち響hibi-kiとも近い志を感じました。
敦子さんのように現場で実際に働いた経験のある方たちが、子どもたちに生の声を届けていったら一層伝わるものがあるはずです。こうした人がどんどん前に出てきたらいいなあと願いつつ、取材を通じて林業を伝える人たちにもっと出会って声を聞いていきたいと思いました。
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