森で働く
# 24
30年の道づくりが
街と山林をつなぐまで【前編】
2023.11.13

遠くに見える、緑が生い茂る山々。街の中で生活していれば風景の一部に感じるその山でも、視点をグッと近づけてみれば、そこで働く人の姿がハッキリと見えてきます。今回取り上げるのは奈良県吉野郡下市町にある〈豊永林業株式会社〉です。同社では30年以上山の中に森林整備のための道を作り続けてきました。やがてその道は、森林整備にとどまらない街と山をつなぐ事業へとつながっていきます。今回はそんな、新しいことに挑戦し続ける林業事業体の歩みを取材してきました。

写真:西山 勲/文:狩野 和也

現場から発信する林業の“見える化”

“林業”と聞いて、思い浮かぶイメージはなんでしょうか?山奥で木を伐る仕事、自然を相手にする仕事、肉体労働で体力がいる仕事、危険な仕事。そういったイメージがなんとなく頭に浮かぶはずです。それでは、“林業”という仕事がどのように行われているかイメージが湧きますか?と聞かれたらどうでしょうか。

多くの人は、山の中にどれくらいの人が入って、どんなことをするのか。どんな機械で、どのように木を伐っているのか想像もつかないと思います。中には「斧一つで木を伐り倒す『樵(きこり)』のことだ!」と、昔話で木を伐ることのイメージがストップしている方もいることでしょう。

昔は生活の一部として、ごく当たり前に身近に存在していた林業ですが、街で暮らす人が増えたことで山の中の仕事は人目につかなくなりました。スギ=花粉症の原因という共通認識ができあがった現代では、なおさら山林への親近感が薄れてしまったように感じます。こうして、山林と人との物理的距離と心理的距離が少しずつ離れていったことで、林業は次第に“見えない”産業になっていきました。

このような現状に課題意識を持ち、最前線で林業を行う事業体でありながら、山の中にとどまらない活動を展開しているのが〈豊永林業株式会社〉です。

豊永林業株式会社の加藤賢一さん。

「漁業とか農業やったら生産者の顔が分かるじゃないですか。『私がつくりました』とか『私がとりました』みたいな。でも林業って誰がどんなことやってて、木がなんでこんな価格になってるのかとか全然わからないじゃないですか。だからそういうのを“見える化”することがやっぱり大事なのかなって」

そう語ってくれたのは豊永林業で現場作業を行う、入社11年目の加藤さんです。加藤さんは、豊永林業が事務所を構える吉野郡下市町出身。大学時代は法学部に在籍していましたが、会社が実家から近かった、という明快な理由で畑違いの林業に就業します。「まさか自分が林業なんてするとは思っていませんでした」と笑顔で答えてくれました。

現在は吉野郡の下市町、黒滝村、天川村にある作業現場を駆け回り、現場の管理から重機作業、チェンソーを使った仕事まで一通りこなす、豊永林業の中堅プレーヤーとして活躍しています。

事務所から車で40分+作業道を10分ほど登ると加藤さんが管理する天川村の現場が現れる。

普段山の中の現場で働き、自然を相手にしている加藤さん。なぜ“見える化”を意識するようになったのでしょうか。そのきっかけの一つに、自らが伐採した木を市場で売るときの経験がありました。

「全国の中で吉野って人工林の名産地って言われてるじゃないですか。でも実際は丸太を売りに市場に行けば、チャリンチャリン鳴り物を鳴らして『買(こ)うたってよー』ってしなきゃいけない。それっておかしい現状だと思うんです。でも一般の人はその現状を知らないですよね」

豊永林業が存在する奈良県吉野地域は“吉野林業”で知られる木材の一大産地です。長い年月と手間をかけて育てられた木は“吉野杉”“吉野桧”と銘打たれ、良質な材として取引されます。そんな言わずと知れた名木であっても、買われるための努力が必要になった理由とはなんでしょうか。

背景には、社会の変容による木材需要の変化がありました。

全国的な木材需要の流れを見てみましょう。国内の木材の需要は1973年に1億2,102万㎥とピークを迎えた後、増減を繰り返しながらも長期的には減少してきました。特に、製材用の材は、木材の一番の供給先である住宅需要の減少などから低調に推移してきました。

「令和4年度森林・林業白書」より作成

●木材需要量の推移(令和4年度 森林・林業白書、林野庁)
zenbun-26.pdf (第Ⅲ章P.117)

頭打ちに近い需要構造の変化は吉野地域でも例外ではなく、高度経済成長期の“出せば木が売れていた時代”から、“どうにかして木を買ってもらう時代”へと大きく変わっていきました。

一生懸命山から伐り出した木が思うように売れない。こうした現状から、次第に社員一人一人に「このままでいいのだろうか」という課題意識が芽生えていきました。やがてその共通認識が、後編で扱う自社ブランドの立ち上げにつながっていきますが、まずは豊永林業の本業について紹介していきたいと思います。

林業のための道“森林作業道”を作る会社

豊永林業株式会社は下市町出身の実業家永田家の所有する1,500haという広大な山林の管理を行うために1967年に設立された会社です。現在は加藤さん含む7人の実働部隊と、2人の事務員が在籍しています。

ちなみにこの“1,500ha”という広さですが、数字だけ言われてもピンとこないと思います。身近なもので例えれば、千葉県にある某有名テーマパークの広さが“51ha”のため“29個分”がすっぽりと収まる広さになっています。とにかく広い、ということだけでもわかっていただけたでしょうか。

吉野山から流れる秋野川の側にある豊永林業事務所。年季が入り風情を感じる佇まい。

本題に戻り、山林の管理とは何をする仕事なのでしょうか。キーワードになる言葉は“継承です。

今、目の前に存在している山林、樹木というのは、必ずしも自然に発生して存在しているわけではありません。スギやヒノキなどの人工林は、いつか使われる未来のために先人が植えて、長い年月をかけて育ててきたことによって、我々が利用可能な形で存在しています。

こうして受け継いだ木という財産を次代へと受け渡すための仕事が山林の管理です。具体的には、木を植える仕事、手入れして木を育てる仕事、木を伐採して収穫する仕事という林業のサイクルを通して、より豊かな山を作っていく仕事です。

上記のように山林を管理していくためには、前提として目的となる場所まで山を登り、作業をする必要があります。しかし、テーマパークとは違い、山には傾斜があり、足元にも草が繁茂しているため非常に歩きにくい環境です。作業には道具が必要なため、それを担いで登っていく必要もあります。目的地は山の上ですので、たどり着くだけで一苦労です。

今回のように1,500haにも広がる土地を全て徒歩で管理しようと思うと、なかなか容易ではありません。そこで重要になるのが“森林作業道”。山の中の道の存在です。

山の中に道があれば、山の上の現場にも車で直接アクセスできるようになります。作業用の道具もすべて車に載せられますし、往復の移動時間も大幅に短縮されます。現場で伐った木を運び出すときにも、トラックでまとめて運び出すことができるようになります。

奈良県は急峻な地形が多く、ヘリコプターで木材を集める方法が主流ですが、コストが高いため、運び出せる木は採算の取れる大きい木などに限られます。山林を管理する中では、当然細い木も出てきますので、そういった木の運び出しまで考えると、道の存在が重要なのです。

●吉野林業のヘリコプター集材についてはこちら
https://naranomorikara.nara.jp/contents-learn230510/

ルート選びから始まり、多くの工程を経て道が作られていく。手順の詳細は豊永林業さんのHPやInstagramから見ることができる。

山に道が入ることで、捨て置かれるはずの木に値段が付き、山全体の価値を上げることに繋がっていきます。長期的に山を豊かにしていくという視点から、豊永林業では1991年から作業道開設事業を開始しました。それから30年以上、豊永林業では、森林整備と並行して道づくりを行い続けてきました。

後編では、こうして作ってきた道を起点として、市街地に住む人と山林との繋がりを生み出した豊永林業の取り組みに迫ります。

▶後編はこちら

●Information
豊永林業株式会社
〒638-0041 奈良県吉野郡下市町下市135番地
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狩野 和也 (かの・かずや)
将棋の町、山形県天童市出身。前職は林業系の地方公務員。情報収集のために響hibi-kiを見ていた一人の読者に過ぎなかったが、気づいたら編集部に仲間入りを果たす。他人の思想とそこに至るまでの過程を覗くのが好きな思想マニア。