森で働く
# 16
山の中のBMXパークと
100年契約の森
2022.3.16

岐阜県の中でも山深い本巣市・根尾に、BMXパークを息子さんと一緒につくった林業家がいることはご存知でしょうか?その模様はメディアでも取り上げられています。ですが、その林業家である根尾開発・小澤建司さんの本業についてはまだまだ知られていないことがありそうです。型にとらわれない多彩な取り組みについて、根尾の山中を駆けめぐりながら話を聞きました。

写真:西山 勲/文:田中 菜月

子どもとつくった
BMXパーク

《林業家》
有限会社根尾開発
代表取締役
小澤建司さん

BMXといえば、2008年の北京オリンピックから正式な種目に採用された自転車競技です。起伏に富んだ専用コースでスピードを競います。そして、2020年の東京オリンピックからはジャンプやトリックなどの技を競うフリースタイルも正式種目になりました。

NeoBMXパークのコースの上に登らせてもらった編集部。一番奥の高いところがスタート台。
上からの見晴らし。

根尾にあるBMXパーク(通称「Neoパーク」)は2021年の夏に完成したばかりで、小澤家特製のフリースタイル用コースです。子どもたちが自由気ままに練習できるようにとつくられました。というのも、小澤家の子どもたち7人のうち、6人がBMXの乗り手なのです。中でも、中学2年の長男・楓(かえで)くんは2021年9月に開催された「第5回全日本BMXフリースタイル選手権」(男子13-15)で優勝するなど、各大会で優秀な成績を収めています。過去には世界選手権で優勝し、ジュニア世界チャンピオンになったほどの実力者です。

▼楓くんのInstagram
https://www.instagram.com/kaedebmx/

子どもたちの集合写真を見せてくれた建司さん。

楓くんがBMXをはじめたきっかけは父・建司さんでした。もともとBMXをやっていた建司さんから、専用の自転車をプレゼントしてもらい、小学2年生の頃からBMXフリースタイルをはじめたと言います。ところで、話を聞いているとなんだかBMX一色で、林業の“り”の字もありません。そのあたりは実際どうなんでしょうか。

「一応、子どもたちは“林業仕様”にしてあるんです。僕が子どもの頃は親父に山へ連れて行かれてたんですけど、ほとんど仕事の話しかしてなくて。全然面白くなかったですね。だから自分の子どもたちとはただ山を楽しむようにしてます。川へ行ったり、栃の実や栗を拾ったり、遊んでるだけですね」

そう話す建司さんですが、よくよく聞いてみると、その“仕様”は少し特殊でした。

「うちに薪ストーブがあるんですけど、一人で薪をつくるのが大変だったんで、息子を連れて一緒にやってたんですね。段々めんどくさくなってきたんで、息子(楓くん)に『重機乗ってきて』って頼んで、重機で木を運んでもらってました。それが年中さんくらいのときです。それが遊びになってるんですよね。Neoパークの造成も全部彼がやってるんですよ。『倉庫からホイルローダー持ってきて』って言ったらホイルローダーに乗ってましたからね(笑)」

これぞ小澤家の成せる教育です。重機がある家はそうそうないかもしれませんが、遊び感覚でなんでも自分でやってみる精神は大人の自分でも見習いたいものです。「これが究極の木育です!」という建司さんの一言にぐうの音も出ません。

Neoパークはローカル線「樽見鉄道」の線路がすぐそばにある。

そんな小澤親子のタッグで実現したNeoパークですが、実は、同じ敷地内に屋内型のパーク構想も進行中です。現状のコースの奥にある広大な敷地に建設を予定しています。世界や日本各地の大会で知り合った選手たちを呼んで、練習や大会が開ける場所にしていくようです。根尾が“世界のBMX聖地”になる日もそう遠くないでしょう。

水源林を育て
淡墨桜を守る

BMX色に染まりつつある根尾ですが、恐らく皆さんが小中学生の頃、社会の教科書で目にしたであろう「根尾谷断層」で知られる地域でもあります。建司さん、そして会長であり父の建男さんもこの地で生まれ育ちました。建男さんが30歳の頃、一念発起して地元で起業したのが根尾開発です。

「親父はもともと村の役場に勤めていました。そこで森林関係の担当だったんじゃないですかね。国が進めていた造林の予算がめちゃくちゃあったけど、村にその受け皿がなかったみたいで。誰もやらないから自分が起業して造林するって感じだったんだと思います」

それから約50年経った現在は建司さんが跡を継ぎ、事業を展開させています。主要な事業は、造林・木材生産・土木・造園です。

中でも特徴的なのが、水源域となる奥山で木を育てている造林部門でしょう。国の機関・森林整備センターが行う「水源林造成事業」における“造林者”として分収造林契約(※)しているため、契約期間の約100年間、根尾開発が造林を担うことになります。期間中の造林費用は国費でまかなわれるそうです。そして、木を伐って販売した収益のうち、森林整備センターに50%、森林所有者に40%、造林者に10%が割り振られると言います。

※分収造林契約とは、造林地の所有者と、その土地で実際に造林する事業者、そしてその造林費用を負担するもの(国など)で締結する契約のこと。伐採時の収益は契約した当事者間で分収する。

「例えば今、分収造林契約したとすると契約期間が95年になります。契約するときに『息子さんいますか?』って聞かれますけど、95年も生きていられるかなんて分からないですよね(笑)。一応、65年くらい経った頃から伐採はできますけど、全部をいっぺんに伐れないんで、ちょっとずつ伐っていくことになります」

100年仕事となると、なかなかの重圧がありそうです。しかし、森を育てるにはそれくらいの時間と覚悟が求められるということでしょう。水源林造成地には木が生えていない荒れ地もあるため、丁寧に苗を植えていくことも重要になります。何万本もの苗木が必要になるため、岐阜周辺だけでなく、東北から調達することもあるのだそうです。

そして、造林や木材生産の作業ができるように、重機や車両が通れる道を山の中につけていく必要もあります。そこで活躍するのが土木部門です。年間で10㎞ほどの作業道を新たにつくっていると言います。それぞれの部門が有機的に働くことで、広大な山林を管理できているのです。

11月の淡墨桜。1989年から管理を請け負っているという。

そしてもう一つ、根尾開発を特徴づけているのが、造園部門における「淡墨桜」(うすずみざくら)の管理です。日本三大桜の一つで、国指定天然記念物に指定されています。年間20万人近い観光客が訪れるほど、根尾になくてはならない名所となっています。

根尾開発の事務所に飾ってある淡墨桜の写真たち。

地域の宝ともいえる桜の管理となると責任重大です。週1回は様子を確認しているそうですが、1年のうちで一番大変なのが秋冬だと言います。例えば、栄養が乏しくなる冬が来る前に、桜の周りの土にススキをまいて土壌を改良します。ここ最近、ススキの数が減っているらしく、各所から探してくるのが年々大変になっているようです。こうしてなんとか土の養分を保っている一方で、そのために野生動物との軋轢も生じています。

「アナグマが淡墨桜の周辺に棲んでて、それを捕るために四苦八苦してます。土壌改良してミミズが増えるとそれを食べるイノシシとかも来るんで、いたちごっこみたいな感じです(笑)」

そして冬といえば雪です。根尾は1m近く積雪する地域なので、その対策として「雪吊り」を施す必要があります。

「雪吊りはドラム缶の中に人が入って、クレーンで吊られながら紐を縛っていくんですよ。そのときに全部の枝もチェックします。芽を見て、来年咲くか咲かないか、どのへんが調子悪いのか。雪吊りのときしか間近で見れないので。根っこの調査もしてますね。あと、たくさん積もった時は雪を下ろしにも行きます」

樹齢約1500年もあるという淡墨桜はさすがに弱りつつあるようですが、こうした地道な管理によって毎年美しい花を咲かせています。何十年何百年と人が手入れを続けてきた、その膨大なエネルギーがつまっていることも、多くの人を魅了する要素になっている気がします。

伐採木のその後を知らなかった林業家と
林業現場を見たことがなかった木工家

根尾開発は山仕事だけでなく、家具づくりにも一役買っています。連携先は飛騨高山の家具メーカー「オークヴィレッジ」。地域材や国産材を使った木のおもちゃ、家具、家づくりを手がける木工家集団です。東京の自由が丘や青山にも直営店があるなど都市部で人気を博しています。

「最初にオークヴィレッジさんにうちの山へ来てもらったとき、広葉樹の丸太の中から『これがほしい』っていうのを提供して、家具づくりに使えるか試してもらいました。その丸太はうちでパルプとして売ろうとしてたものです。でも、木工家から見れば意外に使えるものがあるみたいなんで、自分たちで判断するより相手に一回聞いてみるのがいいとわかって。同時にこっちの状況も伝えることができれば、広葉樹の利用の幅が少しは広がって面白いなと思いました」

日本の広葉樹は曲がっていて、家具用材として使いづらい太さのものが多く、加工するのが難しいとされています。そのため、伐採されたとしてもほとんどが製紙用のパルプ・チップになっているのが現状です。しかし、実際に木工家の意見を聞いてみれば、家具などの材料にできそうな広葉樹もあるようなのです。もちろんそこには技術力も必要でしょうが、林業側の思い込みもあったのかもしれないと気付かされます。

▼根尾開発×オークヴィレッジのコラボ家具
https://shop.oakv.co.jp/view/item/000000002521?category_page_id=ct599

「僕らも(出荷したあとの丸太が)加工されたものってあんまり手にして見ないんで。それはオークヴィレッジさんも同じで、『林業現場なんて一回も見たことない』っていう人たちばっかりだったんですよ。『こんなとこで作業してるんですか?』みたいな(笑)。こっちも『こんなとこばっかですよ、ここから下までダンプで運んで来るんですよ』って。そうすると、『こんだけ苦労されてるんだからもうちょっと広葉樹の活用方法を考えないといけないですね』って話になるんですよね」

「加工する人は市場で木材を買ってくることがほとんどですけど、山から出てくる広葉樹材はごくごく少数。だいたいパルプに行っちゃう。でも、『市場に(広葉樹は)こんだけしかないんですか』みたいな話も結構あります」

実は根尾開発には、先ほど登場した分収造林の契約地以外にも、会社で所有している山林が約3,000haあります。岐阜県内でもトップレベルの大山主です。そのうち、広葉樹林が約2,000haを占めています。これだけ資源があってもその使い道の多くが紙の原料。木材用途の中でもほぼ最下層の値が付けられてしまいます。むしろ、育てやすいスギやヒノキの方が建築材などとして高く売れるのです。

広葉樹はスギ・ヒノキと比べて育てるのが難しいと言われています。人工の広葉樹林がほとんどないのもそのためです。育林(造林)と同様に、広葉樹の伐採もスギ・ヒノキよりも技術・コストが必要になります。根尾開発では「択伐」(たくばつ)と呼ばれる、必要な木だけを選んで伐採する手法を採用しています。かなり手間のかかる方法です。

「択伐は会社が所有してる山でしかできないですね。コストがかかるし、選んだその木だけ伐ってくるって結構大変なんですよ。今の採算でトントンになればいいかなって感じですね。次、また別の仕事でプラスになれば。それと、全部を伐らずにある程度木を残して、周辺へ移動しながら伐っていくので、山の中がすごいきれいになっていくんです。だから、別の機会にあの木がほしいって言われたらパッと出せるようになります。山が倉庫みたいな感じですね」

自ら所有する山だからこそなのか、広葉樹の幅広い活用を諦めず、その可能性にかけ続けてきたことが今、少しずつ形になってきているように感じられます。

人に期待しても進まない
自分でやるしかない

「根尾開発として最初に植えたのが50年前です。その木は僕の代で伐れるかはわからない。林業はそれぐらい続けていかないといけないものです。だから、次の世代、後継者が一番重要かなって思います。経営者もそうですけど、作業班も育てていかないといけない。
みんなが順番に若返りを続けていくことが大切だと思ってます」

企業として収益を得るために仕事をするのは当然ですが、同社では枝打ちや林業架線などの技術継承を意識して仕事をつくるようにしていると言います。加えて、働き続けられる環境をつくることも欠かせません。

同社では自由度のある働き方ができるようにと、現場作業班の給与形態は出来高制になっています。効率的にテキパキ仕事をする班は年収1000万円近くになることもあるそうです。どんなふうに仕事を進めていくか自分たちで考えて決め、工夫するほどに収入も上がれば働き甲斐があるでしょう。勤務時間も自分たちが働きやすいように、例えば夏は虫が少なくて涼しい早朝5時頃から仕事をはじめて、昼過ぎに帰る班もいるのだとか。

外から人を招いたときに建司さんがよく案内するという心地良い広葉樹林。根尾の中心地から車で1時間ほど登ったところにある。

こうした内部環境だけでなく、外部の人と積極的に交流する気軽さも兼ね備えているのが根尾開発です。「何に興味を持とうが、どこで何を学ぼうが、人生ずっと勉強なんで」と話す建司さん。自分にはない視点を取り込もうとする意識を持っているのが大きいのかもしれません。

前出写真の道の先にある絶景ポイント。この周辺に見晴らし台を設えて、コーヒーを飲んだりくつろいだりできる場所をつくりたいという。

先ほどのオークヴィレッジしかり、コーヒー機器メーカー・カリタとコラボして根尾産材を使ったコーヒーミルを開発したり、岐阜県と連携してドイツの獣害防止用資材を試験的に使用したり、学生のインターンシップも柔軟に受け入れています。

「(岐阜県立森林文化)アカデミーから何人かインターンシップに来たいって子がいますよ。去年も来てくれた女の子がいて、『学校で林業を教える先生になりたい』って言ってました。また今年も来てくれるみたいです。インターンの内容は、その子が何に興味があるかによって変わってきます。特殊伐採の現場行ったり、造林班を見てもらったり。ただ、うちの会社に興味を持ってくれた人で、すごい遠くから来て『町おこししたい』って言われても、地域に馴染めるかどうかはわからない。仕事どうこうより、そっからなので」

交流や人の出入りが増えても、そこに定着するかどうかはまた別問題です。その地域への思い入れや熱量みたいなものがどうしたって欠かせないこともあります。

「さっき事務所にいた人はみんな根尾に住んでます。赤い服を着てた宮川くんも地元の子で、3年前くらいに市役所を辞めてうちに来たいって言われて。今は木材生産やったり土木やったりいろんなことやってくれてますよ。『根尾のために』って気持ちが強くてうちに来たんですけど、『基本的には林業しかできんから、まずはそこを学ぶか』って感じで。

実は今、Neoパークに加えていろんなことをしようかなって話も彼としてます。僕はNeoパークとかで人を集めて、宮川くんは飲食で何かできたらいいねって。彼の義理のお兄ちゃんが飲食店をやっているのと、今は使っていない喫茶店があるので、そこを利用しながらイベント的に牡蠣小屋をやったり焼肉屋をやったり。毎日は無理なんでたまにやってもいいかなって考えてます」

根尾に来てもらうきっかけをつくりたいと話す建司さん。そこにすべての原動力があるように感じます。実際、根尾の住民は70代80代が多く、2022年春からは小中学校が統合されることになっています。現役世代がどんどんいなくなることは、根尾で暮らす人にとって身に迫った問題です。

「人に期待しても進まないんで、自分でやるしかないです」

やらずにはいられない。なんとしてでもやらねばならない。そうした思いの先に動き出す物事があると思います。それは根尾開発を立ち上げた建司さんの父・建男さんもそうだったのかもしれません。Neoパークも根尾に来てもらうきっかけづくりとして、建司さんが思いついたものでした。

本業の枠に縛られないそのフリースタイルさは、見ているこちらの思考の檻をぶち壊してくれるような気持ち良さがあります。そのエキサイティングなジャンプに惹かれてか、根尾に新しい人の流れが生まれはじめています。

●Information
有限会社根尾開発
岐阜県本巣市根尾樽見27番地の7
TEL 0581-38-2353
https://m-job.net/company/20190209

田中 菜月 (たなか・なつき)
1990年生まれ岐阜市出身。アイドルオタク時代に推しメンが出ていたテレビ番組を視聴中に林業と出会う。仕事を辞めて岐阜県立森林文化アカデミーへ入学し、卒業後は飛騨五木株式会社に入社。現在は主に響hibi-ki編集部として活動中。仕事以外ではあまり山へ行かない。