森で働く
# 15
国際貢献を見据えた
アロマオイルづくり
2021.8.27

“森で働く”には、森林の整備や管理など直接的に関わるだけでなく、その活用法を探るという道もあります。アロマオイルをつくるというのもその一つでしょう。雑貨店などで手に取ったり、実際に使っていたり、身近に感じる人もいるはずです。木や葉っぱの精油成分でできていることは知られていると思いますが、具体的にどのような原料を用いて、どんなふうに精油が抽出されているのでしょうか。

今回は群馬県利根郡みなかみ町で地域の木材や枝葉を材料にアロマオイルを製造する〈Licca〉の長壁(おさかべ)夫妻のもとを尋ね、その製造現場や生産の経緯について伺ってきました。

写真:西山 勲、取材先/文:田中 菜月

アロマオイルって
どうやってつくってるの?

《アロマオイル生産者》
Licca
長壁 早也花さん
長壁 総一郎さん

長壁夫妻の自宅兼工房があるのは、住宅と畑がぽつぽつと点在する、牧歌的な雰囲気の集落です。庭先に湯気が立ちのぼる大きな機械が4台ずらっと並んでいるので、「ここだ!」とすぐにわかります。

取材に訪れたこの日、蒸留器で抽出されていたのは、ヒノキの木部とサンショウの枝葉の2種類でした。早速、蒸留器の中を覗かせてもらいます。

ヒノキの幹の部分。
サンショウの枝葉。普段は捨ててしまうという枝葉部分を近所の人から譲り受けた。
蒸留した際に出てくる煮汁は染物などに使えるという。無駄がない。

これら機械の仕組みはとてもシンプルです。かまどで火を起こしタンク内の水を沸騰させることで蒸気が発生し、その蒸気が中に入っている木や葉に含まれる精油成分の蒸発を促します。その精油を含んだ蒸気が冷却管を通って冷やされると、蒸気に含まれていた精油が液体となって出てくる(これがアロマオイル!)というもの。まるで理科の実験です。

タンクは2層にわかれていて、下層には水が、上層には細かく砕かれた木片や枝葉がぎっしり入っています。
茶色い筒は冷却管。タンクで発生した蒸気が管を通って冷却管で冷やされる。

早「今使っている蒸留器はアロマの研修をしたところと同じものを買いました。冷却管とフラスコが一体になっているのでどこに設置するか考えながらかまどをつくりました。最初はロケットストーブ型だったんですけど、それだと一つひとつのかまどの温度調整が難しかったので、一度壊して今のものにつくり変えたんです」

Liccaではタンクいっぱいに材料を入れて、ヒノキの場合で30mlのオイルが抽出できるそうです。約大さじ2杯分。長壁家の裏山で採れる「アブラチャン」という名前の木だと、ヒノキのさらに1/10くらいの抽出量になってしまうと言います。よく売られているアロマオイルが少量である理由がなんとなくわかってきました。

Liccaで販売しているアロマオイル。左からゲッケイジュ・スギ・アブラチャン・ヒノキ・ウラジロモミ。この他、マツやクロモジなど、そのときどきで手に入る原料が異なるため、香りの種類は豊富。

総「ニオイコブシっていう木だともっと採れない。基本的に広葉樹は油分が少ないです。それだから植物によってアロマオイルの値段が違うんですね。ヒノキ・マツ・モミが一番精油を抽出できます。そのあとはスギが20mlくらいです」

早「種類もそうだけど、原材料の状態も仕上がりに影響するよね。スギも伐ってすぐのとげとげした葉の頃は香りもツンツンして刺激っぽい感じなんです。でも葉がやわらかいときに抽出すると、精油の量も多くなったり、香りも甘くなったり。だから、同じつくり方でも、どういう香りをつくりたいかによってできあがる香りは違ってくると思いますね。

同じスギでも、私たちが研修に行った京都では針葉樹特有の香り『αピネン』という芳香成分が多いんですけど、みなかみ町のスギは柑橘っぽさが強いような香りで。水や土壌の状態が関係しているのかなと思います。スギ一つとっても、香りには地域差があるんです」

家の向かいの空地には蒸留に使う枝葉や薪になる木材がいっぱい。

原材料に使用しているのはほぼ町内産の素材です。その多くが、総一郎さんが所属している林業チーム〈木木木林〉での活動を通じて仕入れていると言います。スギ、ヒノキ、マツの枝葉や木部が中心です。

●木木木林の活動についてはこちら

「皆さんやさしい人ばっかりなので、多分チームに所属しなくても素材はもらえたと思うんですけど、森の恵みをいただくような活動を仕事にしているので、少なくとも森と関わって森を知ることも必要だなと感じて林業にも携わっています」

リードアロマディフューザー。左はヒノキの精油を使ったもの、右はスギやフランキンセンスをブレンドしたもの。

Liccaの商品はオンラインショップや、町内のお店などで販売中です。商品の製造販売以外にもワークショップを実施するなど、アロマオイルの多様な活用方法を伝える活動にも余念がありません。

早「植物の蒸留は古代エジプトでもすでに行われていたみたいですし、日本では江戸時代以前からつくられていたみたいです。中世のヨーロッパでは火傷した十字軍の軍人にラベンダーの精油を使って手当した記録も残っていて、今でも火傷したときにラベンダーのクリームを塗るといいと言われるのはフランス的な考えなんです。ただ、日本におけるアロマの捉え方はイギリス寄りなので、アロマの香りで呼吸が深くなってリラックスできたり、深い睡眠を得られたりという使い方が多いですね。フランス人の方は薬を飲むのではなく、植物の香りを丸めた粒を処方してもらうこともあるみたいです。日本でもしょうぶ湯やゆず湯に入るというのは、ある種植物の効能をいただいて健康に活かすという点では似ていますよね」

フランスでは身体の不調を整える“メディカルアロマ”が医療として認められていると言います。一方、イギリスはリラクゼーションを目的とした利用が多いようです。日本アロマ環境協会が認定するアロマテラピーインストラクターでもある早也花さんは、ワークショップでこうしたアロマオイルのさまざまな側面を伝えるとともに、地元産と海外産の香りを使ってオリジナルブレンドの香りをつくる体験など、少しずつ活動の幅を広げています。

自然豊かなラオスの
特産物にしたい

以前、ともに青年海外協力隊だった長壁夫妻。協力隊として赴任する前の語学訓練で2人は出会います。2015年から約3年間、早也花さんはラオス、総一郎さんは東ティモールでそれぞれ活動していました。アロマに目覚めたのは、早也花さんのラオス時代のある経験からでした。

青年海外協力隊として活動していたときの早也花さん。

早「ラオスは全然娯楽がなくて、日本人は私しかいないし、出掛けたら絶対ラオス語しかない。仕事以外はコーヒーを飲むか家で寝るかみたいな生活でしたね。たぶんそういったストレスが積み重なって、眠れなくなったことがありました。そんなときに、洗濯物を干していて洗剤がふわっと香って。いい匂いだなあって癒されて、自分は香りが好きってことに初めて気付きました。そこから生活の中でアロマを使ったり、勉強したりするようになりましたね。

製造に関しては勉強すればするほど自分でつくりたいと思いました。あとは、ラオスが自然しかなかったので、植物が原料になるアロマオイルならラオスの経済発展に貢献できるかもしれないし、シンプルな製造方法なので経済的に厳しい人でもできるかもという考えもありました。ラオスの植物を活用することで、アロマオイルがラオスの特産物になったらいいなと思って、最初から自分でつくることを考えていましたね。それと、子どもたちにも何か自然の面白さや大切さを教えたいなという思いもありました」

早也花さんは帰国後、アロマテラピーインストラクターの資格を取得し、自然派化粧品ブランドに就職して知識や技術の習得に励みます。そうした早也花さんの思いや目標を共有していたのが総一郎さんでした。

早「駅に隣接する商業施設で働いていたんですけど、職場の休み時間に合わせて彼が来てくれて、お昼を一緒に食べることがありました。そのときに、アロマの商品をつくっている会社に就職することで、商品がお客様の手に届くまでを知りたいし勉強したいということ、いずれは商品開発や製造もやりたいと思ってるという話をして。パスタを急いで食べながらね。エビのパスタやったから食べるのに時間がかかって」

総「よく覚えてるね(笑)」

一方で、当時はタイの大学院に進学予定だった総一郎さん。タイに出発する前日、空港に向かう深夜バスの待ち時間に告白して、交際するようになりました。

総「とりあえず言っておこうみたいな感じでしたね」

早「とりあえず言った感マックスやったよね(笑)」

そこからしばらくはタイと日本で離れたままの生活が続きますが、早也花さんと総一郎さんの考えは次第に重なっていきます。

青年海外協力隊として活動していたときの総一郎さん。

総「当時は、自分が今まで活動した保健医療分野に関する大学院の修士課程をとって、ゆくゆくは国際協力の開発コンサルタントになろうと思っていました。協力隊で活動した東ティモールでも、日本にいたときも医療分野で働いていたので、人の生死と身近に接していたんですけど、衣食住と医療がそろっている日本と、そろっていない東ティモールで、亡くなる確率は東ティモールの方が圧倒的に高いんですね。だけど、人が幸せそうに生きているかどうかっていうのは必ずしも東ティモールが劣っているようには見えなくて。『人の幸せにどうやって貢献しようか』って考えたときに、“衣食住と医療以外が絶対に必要”なのは間違いないと感じました。豊かさを感じる尺度は、“衣食住と医療以外の人生の余白をどう埋めるか”ということが大事だと思うんです。

僕は医療系の開発コンサルタントになっても良かったんですけど、たぶんそれほど面白そうじゃないなと。ビジネスを通じた国際協力の方が面白いんじゃないかとちょうど考えていたときに、妻から香りやアロマオイルの話を聞いて面白そうだなと思いました。それって、僕が考えていた衣食住・医療以外の部分を満たしてくれるようなものなんじゃないかなって。

妻が『ラオスの子どもたちに向けてアロマの資格を活かした活動をしたい』って言っていたので、それだったら『いつかじゃなくて今やっちゃおう』ということで起業の方にシフトしていった感じです。だから最初はラオスで起業しようとしていたんですけど、現地に行ってみるとなかなか厳しいとわかって。やりたいことはラオスじゃなくてもできるんじゃないっていう話になりました」

そこから、日本に目が向くようになっていきます。森林資源が豊富な日本においても、アロマオイルは地域貢献の一つのツールになっていくだろうという考えのもと、製造拠点となる場所探しがはじまりました。京都や静岡などいくつかの候補地をまわる中、みなかみ町は2人とも「ここだ!」と直感的に惹かれるものがあったと言います。ユネスコエコパークの登録に代表されるように、自然と人が共生する町の姿に共感できた点も大きかったようです。

香りに良し悪しはないし
何を感じてどう表現するかは自由

キンモクセイの香りを嗅ぐと懐かしく感じるように、香りは人の記憶と密接に結びついていることが科学的に証明されています。長壁夫妻はそうした香りの特性を活かした体験を提供していきたいと話してくれてました。

総「みなかみ町での楽しい旅の思い出を、町で採れた香りと一緒に記憶してもらう。お土産としてアロマオイルを買って帰ってもらうのもいいし、別の場所でスギやヒノキの香りを嗅いだときにみなかみ町のことを思い出してもらって、誰かに話したくなったり、またみなかみ町に行きたくなったりするような循環を生み出したいなと思っています。

町内の人も自分がここで育った思い出と香りがセットになって記憶されれば、ちょっとした森の香りがトリガーとなって故郷を思い出して、帰りたいと思ってくれるかもしれない。町から離れても地元を思い出す仕掛けがつくれるんじゃないかな。だから、外から来る人も中に住んでいる人も、森の香りを生活の身近に置いてもらうことで、いつか町から離れたとしてもつながっているように感じられると思うんです。香りを通じて町と人をつなげるということは意識してやりたいなと考えています」

そうした取り組みの一つが、町内の小学生向けに行っているというアロマの出前授業です。工房の近くにある新治小学校の6年生を対象に、アロマを使ったプログラムを実施しました。

長壁さん写真提供

早「新治小学校の6年生が卒業制作をつくるときに、6年間の思い出をグループごとに絵を描いて、最後に私たちの精油も使いながら思い出の絵を香りで表現するということをやりました。ある香りを嗅ぐとA班は楽しい思い出を表現して、逆にB班はつらかった思い出を表してました。同じように過ごした子でも個人差があって、感じ方は違うし面白いなと思いますよね」

総「その香りを嗅いで何を思い出してもいいし、どう表現してもいい。だから何を感じても正解でも間違いでもないし、何を言ってもいいんです。卒業制作のときも、普段はクラスに馴染めなくて発言するのが苦手な子が、率先して自分の班の取りまとめをしてくれていたという話をあとから先生に聞きました。香りは何を表現しても間違いじゃないし、自分の意見を言ってもいいんだというメッセージを感じ取ってくれたから、普段とは違う部分を出してくれたのかなと思います」

長壁さん写真提供

香りに対する子どもたちの姿勢は、目を見張るものがあると言います。

早「アブラチャンはいい香りだと感じる大人は多いんですけど、子どもからすると嗅いだことのない香りだからか、『なんだこの香り…!』という感じで。『これに合う香りってどれだ?』って探していく過程が見ていて面白いです。あまり好きじゃない香りでも積極的に取り入れるのはすごいなと思いましたし、地元の小学生たちの未来が楽しみだなって思いますね」

自らがアロマに救われた経験と、それを国際協力に取り入れたいという志し。そして、アロマづくりやワークショップを進める中で見えてきた、人それぞれの感性を引き出す可能性。まさに、衣食住医以外の人生の余白を満たし、人の幸せに貢献できる形が少しだけ見えてきているように感じます。

森林資源はお金以上の価値が生み出せるのだと、2人の存在が森林業界全体を鼓舞しているように私の目には映ったのでした。

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●Information
Licca
〒379-1404 群馬県利根郡みなかみ町相俣
MAIL licca.f.m@gmail.com
https://www.licca-from-minakami.com/
https://www.instagram.com/licca_from_minakami/
田中 菜月 (たなか・なつき)
1990年生まれ岐阜市出身。アイドルオタク時代に推しメンが出ていたテレビ番組を視聴中に林業と出会う。仕事を辞めて岐阜県立森林文化アカデミーへ入学し、卒業後は飛騨五木株式会社に入社。現在は主に響hibi-ki編集部として活動中。仕事以外ではあまり山へ行かない。