「森と関わり働く人」のリアルな現場の声を伝える当連載。今回は、埼玉県の飯能市で林業会社の代表を務める井上淳治さんです。林業事業体を経営しながら、木工房の運営や家づくり団体の代表を務めるなど幅広く活動する井上さんの背景に迫っていきます。
300年以上続く西川林業地で
代々暮らしてきた井上家
《林家(山主)》
有限会社創林 代表
井上 淳治さん
埼玉県の南西部にある飯能市一帯は、江戸時代の元禄以前から続く林業地です。日本の中でもかなり古い林業の歴史を有しています。飯能から江戸に流れる荒川水系の高麗川(こまがわ)を使って木材を西から東へと運搬していたことから、この地域から産出される木材は“西の川から流れつく木材”=“西川材”と呼ばれていました。江戸の木場から材木商などを通じて各地に西川材が流通していたことでしょう。
でも、江戸時代に荒川から流れ着いた木材は西川材だけではありません。それにもかかわらず、なぜ西川材だけ名前が付けられたのか。それは安定した供給力があり、材質が比較的良かったために、ブランド材のように扱われていたのではないかと言われています。
そんな飯能の地で先祖代々暮らしてきた井上家。井上淳治さん(60)の代から数えても10代以上は続いているのだとか。畑作、薪炭、養蚕、林業など自然の中で行うさまざまな生産活動の複合経営を生業としてきました。現在は、自身が所有する山林での木材生産としての林業がメインとなっています。
井上さん自身が本格的に林業に携わり始めたのは約35年前の25歳頃のこと。もともと家業である林業を継ぐつもりだったため、大学卒業後に外で1年修行をして、すぐ地元に戻ってきました。地元である東吾野(ひがしあがの)地区では、他にも林業に従事する人がいましたが、一番直近の先輩が20歳年上というくらい、すでに高齢化と後継者不足が進んでいる状況でした。西川材の産地といえども、林業全体の景気が下降し始めていたのです。
そうした状況だったからこそ、当時20代の井上さんは地域の人たちにとって貴重な存在でした。
「年上の先輩たちにちやほやされてたらこんなんなっちゃって(笑)」と笑う井上さん。期待を一身に背負って、地域の森林の管理に努めてきました。現在の手広い活動の下支えには、こうした地元のベテラン勢の存在も大きかったようです。
本物の木を知ってもらうために
木の良さを丁寧に伝えていく
林業会社を運営しながら、お客さん自ら木工体験ができる木工房や木の家づくりを推進するNPO法人の代表を務めている井上さん。なぜ、こんなにも活動が多岐にわたっているのでしょうか?
「どうやって林業を、木材生産を続けていくかということを考えると、ただ木を売っていくだけでは経営は難しい。だから木のよさを伝える活動を展開してきたらこんなふうになっちゃったんです」
そうした活動の一つが「NPO法人西川・森の市場」です。飯能の木での家づくりを提案するために地元の林業会社や製材屋、工務店、設計事務所がメンバーとして組織されています。今年で設立から12年が経ちます。井上さんはリアルな現状を率直に語ってくれました。
「中小零細の工務店、個人の設計事務所が地元の木の家づくりをがんばってくれているわけじゃないですか。そんな人たちで一緒になってやろうとできた団体です。協力体制ができたのはいいのですが、みんな利害関係を持っているところが難点でもあります。木材を生産するところから、材の加工、建築まで、設計士さんは全体を見て木材の価格を考えないといけない。それぞれで生産・製造コストが掛かっているわけですから、それぞれの工程で利益が出るような価格設定にしないといけない。それでいながら山主さんにも利益が還す必要があります。今の価格だと還らないですよ。それで他の工務店とコストの差が出てきてしまう。そうした経緯もあってどうしようか、というところで止まっているのが現状なんですよね」
住宅として使われていく木々の利益が回りまわって山林所有者さんに還元されないという点などは全国共通の課題でもあり、こうした問題が累積しているために森林整備が進まない現状もあります。もっとも困難かもしれない課題から逃げることなく向き合う井上さんの姿に心打たれるものがありました。
また、森の市場では家づくりだけでなく、山林の見学ツアーや木のベンチづくりワークショップなどのイベントも開催しています。でも、ツアーをやっているから家が売れるというわけではないと井上さんは話します。
「山林見学ツアーができるということを工務店さんに知ってもらって、それを営業ツールとして使ってもらいたいですね」
さらに、森の市場には山に生えている木を誰でも1本から買える「IPPON」という仕組みがあります。
「家全体に使わなくても、特徴的な木をまずは1本だけでも使ってほしい。だから“1本から始める家づくり”を進めているんです」
例えば野菜の場合は、産直市場などで売られていれば生産地や生産者の顔がわかりますが、それと同じように、自分の家の建築材に産地と生産者がわかる木が使われるようになっていく時代が来るのかもしれません。しかし、まだまだ改良の余地があるのだそうです。
山林見学ツアーやIPPONのような一見すぐ利益にはならない取り組みをしている背景には、木のことをもっと知ってほしいという井上さんの思いがありました。
「昔の人はスギとヒノキの区別や良い木材とは何かということを理解していました。でも、今の私たちの生活からは本物の木を見かける機会が減っています。だからスギとヒノキの違いがわからないし、本物の木と木目調プリントの区別もつきません。ましてやスギ、ヒノキといえば花粉症の時期にしか聞かない単語という方もいるでしょう。だからこそ、比べられる機会をつくって、それぞれの良さをしっかり伝えることが大事です。今まではそれを業界全体で全然やってこなかったんですよ。やらなさ過ぎた。『本物の木ってこんなに良いんだぞ!』って。子どもから大人までやらなきゃいけない。それが『木育』なんじゃないかな」
山で暮らしていくための3つの収入
短期・中期・長期という時間軸
木のことを知らない人が増えた昨今。木材が売れるはずもなく、価値を感じる人も少ないでしょう。林業だけを生業として森で暮らしていくのは厳しい現実があります。そこでポイントになるのが、“短期的、中期的、長期的な収入を揃えること”だと井上さんが教えてくれました。
「3つを揃えることは難しいけれども、小規模な林業だとそれだけでやっていくのも厳しいので、林業だけでなく他の事業を考えていく必要があります。昔の人たちが畑仕事や養蚕などもやっていたことと同じですよね。うちの場合はまず、林業で木を伐採して売った分の現金収入があります。森林整備にも貢献できます。2つ目は木工の体験と木工品の製造販売による収入です。そして、最後には森林空間を活用した収入があります。森林ガイドや木育などを組み合わせて1つの収入の柱にしていきたいと思っています」
飯能では昔から田畑、養蚕、林業という複合経営の中で生活を営んできました。現代の飯能における複合経営は森林整備、木工、森林空間の活用なのかもしれません。飯能に限らず、他の地域でも森で暮らしていくための複合経営とは何か、探してみるヒントになりそうです。また、森林空間の活用となると、森林の知識だけでなく、人とのコミュニケーション能力なども必要になりそうです。
「だから息子にも、人前で面白おかしく話せるようにしないといけないぞって言っているんですけどね(笑)」。さまざまな事業展開が考えられるからこそ、農山村にはない知識やノウハウも益々求められるようになるのかもしれません。
井上さんの多角的な取り組みは地元の木を扱っているからこそできることです。外国産の木材では成し得ない西川材ならではの伝え方、活かし方があります。地域の森林資源を使って複合的に事業として展開していくことは容易ではないかもしれませんが、それこそがこの先も森で暮らしていくために必要なことだと言えそうです。なぜなら、どの地域にも豊富にある資源が森林だからです。昔から続いてきたベースは同じでも、時代に合わせて形を変えながら、いくつもの収入源を自らつくっていく。そうした生業は井上さんが挙げていたことだけでなく、他にもたくさんあるはずです。
●Information
有限会社創林/きまま工房・木楽里
埼玉県飯能市井上138
TEL 042-970-2007 FAX 042-970-2008
http://www.k-kirari.co.jp