プロフィール欄に「仕事以外ではあまり山へ行かない」と書いている筆者ですが、最近また仕事以外で山へ行くようになりました。そのきっかけは“山伏修行体験”です。体験を通じて、どう心変わりしていったのか。今回の記事はその移ろいの記録です。
生きたまま死に、
生まれ変わる
今年は暑い日が長く続き、気温差も激しく、天気に振り回された1年だったように感じます。そんな気候のせいにしてしまいたいくらい、仕事もプライベートも思い悩む日々でした。もうどうしたらいいかわからないと困り果てていたとき、偶然出会ったのが“山伏修行体験”です。
山伏修行は「生きたまま死に、生まれ変わる『擬死再生』の体験」という言葉を目にして、現状から何か変わるきっかけになるかもと思い立ち、参加の申し込みをしました。今回参加した修行場は愛知県新城市にある鳳来寺山です。古くから修験道の山として親しまれてきた歴史があります。
自宅から車を走らせること約2時間半。集合場所の雲竜荘に到着しました。集まっている参加者は20人程度で、年齢層は30〜60代くらいといったところでした。山に入る前に、頭に宝冠を巻き、魔除けとなるお注連を身につけて支度します(TOP写真のような恰好)。そうこうしているうちに、修行の開始時間が近づいてきました。
修行が始まると、無言でひたすら山を歩いていきます。唯一発して良い言葉は「うけたもう」のみ。意味としては「承知しました」といったニュアンスに近いでしょうか。修行の先陣を切る「先達」(せんだつ)の指示に対して、すべて「うけたもう」なのです。ひたすら歩いて、祈りを捧げて修行に励みます。
山を登っているので身体は疲れてくるし、息も上がるけれど、「つらい」「苦しい」と感じた瞬間は一度もありません。むしろ心地よいとさえ感じていたくらいです。そうして修行に専念しているうちにあっという間に終わりを迎えました。こうして生まれ変わりを経て、産湯としての温泉に浸かり、最後に直会で参加者との交流を楽しみ、帰路に着きました。
修行の内容自体はとてもシンプルですが、修行中はたくさんの気づきがあり、自分の内側には彩り豊かで複雑なうごめきがあったように感じます。直会のときには参加者が一人ずつ自身の気付きを話す時間があったのですが、その気付きは一人ひとり異なりました。
私の場合は、修行中に「山ってやさしいんだな」と感じました。これまで、学生時代や仕事を通じて曲がりなりにも林業に関わってきた中で、山は厳しくて怖い印象が強くなっていたことに気づかされたのです。自然災害や労働災害の現実に直面するうち、ネガティブな印象が膨らんでしまったのでしょう(もちろんポジティブに捉えている側面もありますが)。だから、「仕事以外ではあまり山へ行かない」状態になっていたのかもしれません。
しかし、山伏修行で黙々と山の中を歩いているときは、山がありのままの自分を受け止めてくれているような気がして、安心感を抱いていました。山の中は居心地がいい。自分にとって山伏修行はちょうどいい山との接し方なのだと思いました。と同時に、「ひとりじゃないんだな」とも感じました。
この夏にパートナーとお別れし、結婚や子育てに追われる友人たちとは会う機会が年々減り、当時は一人で生きていくしかないんだと孤独感が募っていました。ですが、山道を練り歩いているとき、草木や虫、鳥といったあらゆる生物が生きているという自明の理を目の当たりにして、自分の孤独感が気にならなくなったのです。
山伏修行を通して野性の感覚が研ぎ澄まされることで、気づきを得やすくなる。修行の前後に先達が繰り返し話していたことです。気づきは修行のときだけ得られるものではありません。日常生活のふとしたタイミング、お風呂に入っているときや皿洗いをしているとき、ラジオ体操をしているとき、車を運転しているときなどに突然、「あれってそういうことなのかも」みたいな気付きが突然出てくることが増えた気がします。
仕事でもアイデアが出やすくなりました。以前は企画をしていても頭の中が詰まっている感覚があり、アイデアを出すのに時間がかかっていました。ですが、ここ最近は「こうしたら面白そう」「こういうやり方なら自分も楽しめそう」といった具合に、するするとアイデアが湧いてくるようになった気がして自分でも驚いています。たった1日の山伏修行体験ですし、気のせいかもしれませんが、それでも確実に感覚が変わってきている手触りがあります。
山伏との出会い
実は、先述の山伏修行体験が初めての山伏との出会いではありません。2023年5月から編集部に加わった狩野さんの地元・山形県を取材しようということで、今年8月に山形をぐるりと回った際に山伏を取材する機会がありました。
山形県の中央部に位置する出羽三山は、古くから信仰の対象として、また修行の場として多くの人が訪れる地です。そうした山々で修行者として修験道に勤しむのが山伏であり、出羽三山においても1400年以上前から山伏たちが修行をしてきた歴史があるとされています。
出羽三山の一つ・羽黒山の麓には修行者や参拝者が寝泊りする宿坊が点在しています。そこで代々宿坊「大聖坊」を営み、自身も山伏として活動し、新たな山伏を多く輩出してきた星野文紘さん、そして星野さんのもとで修行を積み山伏となった渡辺清乃さんにお話しを聞かせていただきました。
しかし、話だけ聞いたところで山伏のことは何もわからんぞ、ということで山伏修行体験に参加したのでした。なので、この記事もなるべく情報をそぎ落として書いています。これまでの響hibi-kiなら、もっとぎっしりの文字を詰め込んでいましたが。
山伏を取材してみたいとリサーチを始めたとき、女性の山伏っているんだろうかということが気になり、インスタで調べてみると、「#女山伏」とともに出てきたのが清乃さんの投稿です。清乃さんのおかげで今回の取材も実現しました。
●そのとき発見した投稿
https://www.instagram.com/p/CZQpTiRv1ya/?hl=ja
普段はキャリアコンサルタントとして会社を経営し、出羽三山神社で正式修行をした羽黒山伏、加えて真言宗の僧侶としても活動している清乃さん。今に至るまでや山伏のあれこれについては、清乃さん自身が執筆しているnoteに綴られているので詳細はそちらに譲りたいと思います。
●渡辺清乃さんのnote
https://note.com/kiyonow
清乃さんのnoteや先達との共著を読み込み、実際に話も伺って、私自身が山伏修行体験を経て、今一番深く頷けることは「『死ぬ』ことだって、キャリアのひとつだ」という考え方です。「トランジション」と呼ばれるキャリア理論では、それまでのアイデンティティを喪失し、混乱や苦悩を経て、新たなアイデンティティを獲得していくといった移行のプロセスが人の成長や発達には欠かせないと考えられているそうです。擬死再生の山伏修行もまさに同じような考え方でしょう。
そして、この響hibi-kiも一度死んで生まれ変わるタイミングなのではないかと感じました。どういうことなのでしょうか。詳しくは年明けの記事をお待ちください。
今回参加した山伏修行体験は、星野先達からの一言で清乃さんが「うけたもう」し、2022年から始まった取り組みです。清乃さんを中心に、地域の方や友人知人の協力を得て実現しました。来年も開催されるならばまた参加したいですし、いずれは大聖坊の修行も体験してみたいです。
さて、一体私はどこへいくのでしょうか。そして響hibi-kiはどうなっていくのでしょうか。流れに身を任せてみたいと思います。
●Information
大聖坊(宿坊)
〒997-0211 山形県鶴岡市羽黒町手向字手向99
https://daishobo.jp/
●渡辺清乃さんの各種SNS
https://linktr.ee/kiyonow?utm_source=linktree_profile_share<sid=fc5ad09a-a3df-4229-8f86-f7684c273a89
●星野先達と清乃さんの共著
『野性の力を取り戻せ』
著者:星野文紘・渡辺清乃
出版社:日本能率協会マネジメントセンター
定価:1,650円(税込)
https://pub.jmam.co.jp/book/b564124.html