ここ最近、響hibi-kiのTwitterでは森林や樹木にまつわる投稿が増えたことにお気づきでしょうか?実は編集部とは別の人物が投稿してくれています。神戸出身の20歳で、現在はニュージーランドの大学で環境学を学んでいる三浦夕昇くんです。物心ついたときからとにかく木が好きだったという三浦くんの樹木愛はTwitterをのぞいてもらえれば一目瞭然です。「杉センセイの生物図鑑、知らんけど」でも執筆を担当してくれています。そんな三浦くんは、なぜゆえ樹木オタクになったのか。樹木の何が彼を惹きつけて放さないのでしょうか。留学へ旅立つ前に本人に直撃してみました。

写真:三浦 夕昇/文:田中 菜月

トイザらスより
植木屋が好きでした

編集部:三浦くんは小さいころから樹木が好きだったんですか?

三浦くん:はっきりとした記憶があるわけじゃないですけど、とにかく木が好きでした。昔から公園とか山とか、木がいっぱいある空間が大好きだったんです。4歳ごろの写真を見ると、手に葉っぱを持ってるくらいなので(笑)。小さい男の子って乗りものとかが好きな子が多いと思うんですけど、自分の場合はそれが木だったんです。

5歳のときの三浦くん。手に持っている枝はアオダモ、横に生えている若木はイヌツゲ?
同じく5歳のときの三浦くん。リュックに入っているのはアラカシ。

編集部:それだけ木が好きだと、ご両親も何か木に関わることをされてたんですかね?

三浦くん:まったく。父親はサラリーマンですし、母親はイラストレーターで、アウトドア好きな家族でもなく、キャンプとかに行くこともなかったです。

編集部:なるほど。誕生日プレゼントに植物図鑑とか苗木を買ってもらったという話を前に聞きましたけど、なかなか特殊ですよね(笑)

三浦くん:ディズニーランドとかトイザらスに連れて行っても喜ばなくて、植木屋とか植物園とか山に連れていった方が喜ぶ子どもだったみたいです。当時は木を育てることが好きだったので苗木を買ってもらってました。

編集部:え、その苗木って庭とかに植えたってことですか?

三浦くん:そうです。今はそれがすごく大きくなっていて。ドングリの木とか育てていたので、庭が樹海のようになってます。神戸なので周りの家はコンクリとか砂利の庭ばっかりなんですけど、うちだけジュラシックワールドみたいな感じになってます(笑)。隣の家の人に伸びた枝を切ってって言われるので、自分で枝の剪定をしてます。育て始めて14年くらい経っているので、庭の中に入ると上に枝がはっていて森みたいな感じになってます。神戸ではめずらしくアマガエルや他にもいろんな生きものが来るから好きな空間ですね。木があるといろいろ生きるんだなって気づかされます。

三浦家の2階から撮影した庭。右上の敷地は隣家。2022年夏に撮影。

木の人生をまるごと
一緒に過ごしたい

三浦くん:小学生は苗木から育てていたのですけど、中学生になるとそれだけじゃ足らんってなって、タネの状態から木を育て始めました。だって、タネから育てれば木の人生をまるごと一緒に過ごせるわけじゃないですか。六甲山とかでドングリを拾ってきてベランダで育ててました。冬になるとそれが全部落葉して洗濯ものにばーっとついちゃうんですよ。親には小言を言われてました(笑)

編集部:タネから育てるってすごい経験ですよね。

三浦くん:木の人生の始まり方は樹種ごとにまったくちがうんだなって実感できました。ドングリみたいにでっかい実をつけるやつは発芽のときも力強くて、最初から太くて背の高い芽がばって出てきて、そのまま成長していく。たくましい芽を出してくれるし、生存率も高い。逆にシラカバとかヒノキとか、爪の何分の一みたいなちっちゃいタネは、とにかく発芽率・生存率が低い。乾燥に弱いからタネ自体が死んじゃうこともあるし、発芽しても半分くらいは水をかけたときにちょっと土がかかったくらいで死んじゃう。ヒノキとか特に繊細です。ヒノキは樹高50mくらいまで育つし、ドングリの木より大きく育つのに、その人生の始まりはじょうろのシャワーで芽がちょっと動いただけで死んじゃうような繊細なものなのかと思うとギャップがすごいなって思います。

中学1年生のときの写真。レインボーユーカリという樹の植え替え中。
中学3年生のときの写真。ベランダの苗木はすべてどんぐりから発芽させたもの。樹種はクヌギ、コナラ、ナラガシワ、ミズナラ。

編集部:へえーそうなんだ!タネから育てるとそんなことまでわかるのか~

三浦くん:木の生存戦略とか生き方に注目し始めたきっかけは木をタネから育てたことですね。木ってじつはすごい考えて生きているんだなあとか、森や木って精巧につくられた空間なんだなあって知ることができました。樹木は幼少期と大きくなったときのキャラがまったくちがいます。タネの大きさによって苗木の成長の仕方が全然違うし、木の生き様は樹種によってまったく異なるけれど、全部一緒に森で共同生活してて、いろんな木の生き方が組み合わさって森ができているんだなあって思います。ベランダで自分で育ててみることでなんとなく実感できました。本物の森を見るときもそういう視点で見るようになりましたね。

文化祭の準備か
ドングリ拾いか

編集部:中高生時代はどんなふうに過ごしてました?

三浦くん:自然が好きだと「ずっと山にこもってたんですか」ってよく聞かれるけど、別にそうでもなくて。友達とカラオケでオールしたり、ゲーセン行ったり、神戸の繫華街で遊んでました。一般的な中高生の遊びは好きでしたね。そうした遊びや趣味の一部に木があった感じです。

編集部:そうだったんですね。なんだか安心しました(笑)。部活は何かやってましたか?

三浦くん:中学時代は演劇部に所属してました。それで少し困ったことがあって。中学の文化祭が10月の最終土曜日だったんです。演劇部はそこに向けて公演の準備をするんですけど、10月の中旬ってドングリが一番落ちてくる時期で。僕はレアなドングリが好きで、コナラとミズナラの雑種の「ナラガシワ」っていう木があって、それが兵庫県の一部地域にあるんですね。そいつが落ちてくるのが10月の中旬だけなんです。個体数が少ないのですぐにドングリはなくなっちゃうし、動物にも取られちゃうし、公演の練習でめっちゃ部活来いって言われるし…。そのせいでナラガシワのドングリを拾い損ねることが何回かあって。中2のときは1回練習をサボりました(笑)。友だちに「ドングリ拾いに行ってくるのでサボります」って言って。

編集部:木に振り回されてますね(笑)

三浦くん:時期によって木に翻弄されてます。でも、木に振り回される経験も大事だなと思います。ある年は実をすごい落とすけど、ある年はまったく落とさないといったことを経験して、木の戦略とか生き方に親近感を感じました。

編集部:それだけ木が好きだと、学生時代は周りとのギャップがあったんじゃないですか?

三浦くん:マニアックな趣味を持っている人に共通することかもしれないですけど、志を同じにする仲間が身近にいない寂しさはありました。高校に上がると中学時代の友だちはバンドを組んでライブをやってプロを目指すんだ、みたいなことをやり始めるんですよ。高校だと軽音部とかがあるし、志を同じにした仲間に出会いやすいじゃないですか。でも、自分はとてつもなくマニアックな趣味なので、高校になってもそんな仲間は現れないんですね。自分は滋賀の山奥でブナをぼーっと一人で見ているだけ、みたいな(笑)

編集部:そうか、マニアックな趣味の人には普遍的なことかもね。中高生だと尚更、木を語り合う同世代を見つけるのは難しそう。

三浦くん:誰か競う相手がいるとか、誰かとチームを組むとか、あいつに負けて悔しいみたいな青春チックなキラキラした葛藤はまったくなかったです(笑)。遊ぶ友だちはいたけど、友だちと仲間って関係性の深さがちがう感じがするじゃないですか。当時は人と比べたくなる年ごろだったのもあると思いますし、今は行動範囲が広がって日本各地に木が好きな知り合いも増えたのでモヤモヤすることはないですね。

行けなかった
オーストラリア

編集部:高校後の進路については何を考えてましたか?

三浦くん:中学までは木の研究者になりたいと思ってたんですけど、高校になると人間社会と自然環境の軋轢を解決していける人になりたいと思うようになりました。

編集部:その変化は何かきっかけが?

三浦くん:小中学生までは木を見て、育てて、身体を使って木と関わることが好きでした。高校生になると本や博物館を通じて木に秘められたストーリーに興味が移ったんです。木が人間の暮らしの中でどういうふうに利用されているのか、例えばこの木の樹皮は薬に使われているみたいな木に関する文化を知ることが面白くて。小中学校のときに自分が木を育てたり森を歩いたりして実際に見てきた木の生き様と、本で読んだ木の文化とかの知見がリンクする瞬間に面白さを感じてました。その一方で、環境問題のことなども本を読んで知るようになります。木にはそれぞれに敬意を払うべき生き様があって、それが人間社会にも恩恵をもたらしているんだけど、人間社会と木の生態の食い違いによって軋轢が起こっていることも知るわけです。森の生態を全部学ぶっていうよりは、森や木が人間社会や他の自然環境とどうつながっているのか。そういうことを学びたいと思うようになりました。

編集部:なるほど。そういうことが学べる学校は日本にあるんですか?

三浦くん:いや、人間社会と自然環境のつながりを学べる学部は日本にはないんですよ。でも、海外には「環境学」っていう学問があって。そこでは生態系も学ぶし、それを取り巻く人間社会との関係も学びます。深く狭く掘っていくより、そこそこ深いけどそこそこ広く掘っていく。僕が好きなのはこっちかもしれないなと思って留学することにしました。

編集部:環境学の先進地ってあるんですか?

三浦くん:環境学はニュージーランドやオーストラリアが進んでいます。歴史が関係していると思います。イギリスの植民地時代に森を伐りまくって今があるみたいな国なので。そういうところはエコツーリズムとかが発展しやすいんです。過去の歴史の反省というか。それで僕もオーストラリアの大学に行くことが決まっていたのですが、ちょうどコロナの影響で留学が延期になってしまいました。しばらくしても留学先の学科がいつ再開するか目途がたちませんという状況で。それでニュージーランドの大学に変えました。

青森で過ごした
濃密な1年間

編集部:留学が延期になった期間は青森で自然ガイドの仕事をしていたんですよね?青森に行ってみて、実際に働いてみてどうでした?

三浦くん:青森には2022年5月まで1年くらいいました。今までの樹木との長い付き合いを前半と後半に分けてくださいって言われたら、青森の森林を見る前と後ですっていうくらい自分にとって大きな転換点になりました。

編集部:どんな森だったんですか?

三浦くん:奥入瀬渓流の森に行っていました。関西ではほとんど見られない原生的な森です。人の伐採が入っていない、大木が林立した厳かな森林景観ができています。そういう森を見ると感動するんですよね。原生的な森って何がちがうかっていうと、現地のガイドさんが言っていたのですが、「奥入瀬の森はあるべきところにあるべきものがある」と。どういうことかっていうと、植物とか生きものって自分の好きな生育地があって、水辺が好きな樹木がいたり、フクロウなら大木のうろに棲んだり。奥入瀬の森は個々の生きものが好きなテリトリーが全部そろってるんです。それぞれの環境にいるべき生き物が全部集まってきている。神戸にある六甲山だと砂防ダムがいっぱいあって川が寸断されているので、川沿いにあるべきはずの森ができあがらないことがよくあります。日本の森は伐採がいっぱい入っていて、そもそも大木が少ないから大木に棲むような生きものも少ない。

あるべきところにあるべきものがある森ってこんなに貴重だったのかと実感しました。奥入瀬の森を見てから日本の森を見渡してみると、そのほとんどは人間の攪乱で伐採されていることがわかります。いわゆる里地里山の二次林化で、「あるべきところにあるべきものがない」状態につくり変えられちゃっている森があるんだなあと気づきました。森を改変する人間の力の強さと森の脆さを知るんですね。ただ、完全に壊れるわけではなくて、里地里山には新しく生態系ができあがっているところもいっぱいあるんですけどね。日本は森が豊かな国だってなんとなく思っていたのですが、奥入瀬にいくとそれがばらっと崩れて。関西の森もシカの食害の影響であるべきはずのものがないみたいなことがあるんですよ。原生的な森がいかに日本で貴重か、日本の森がいかに人から強い干渉を受けてきたのかっていうことがわかりました。

奥入瀬渓流の森。

編集部:たしかに日本は森が豊かな印象があります。でも、身近に見えている森は人がつくり変えた姿でしかないってことですね。奥入瀬の森に行ってみたくなりました!

三浦くん:ぜひ!屋久島とか知床みたいな秘境だと原生的な森が残るんですけど、奥入瀬って幹線道路の脇にあるんですよ。それがすごいなあって思います。アカショウビンっていう野鳥の巣を観察していたらトラックに轢かれそうになりました(笑)。道路が近くて人の手が入りやすいはずなのに、原生的な森が残っていて、不思議な場所です。

編集部:ほんと青森に行って良かったですね。

奥入瀬渓流の森でガイドをしていたときの三浦くん。

三浦くん:そうですね。奥入瀬の森に出会ってなかったら見えてこなかったものがいっぱいあると思っています。アマゾンの熱帯雨林が破壊されて畑に変えられているニュースが時折流れてきますけど、高校生のころまでは「ひどいことする人たちがいるな」って批判的に見ていました。日本はこれだけ森が残っているから日本人は無制限に破壊するなんてことはあんまりしてこなかったんじゃないかっていう考えがあったんですね。でも、奥入瀬の原生的な森を見ると、昔はこれが日本中に広がっていたのかと思い知らされます。原生的な森の多くがつくり変えられて今の二次林になってしまったのかと思うと、結局日本人も原生的な森を破壊して別の環境に変えているっていう意味では、アマゾンの熱帯雨林をむやみやたらに責められないんだと気づいたんです。高校のときの自分のまま突き進んでたら、危ない環境活動家とかにハマってたかもしれない(笑)。環境問題はいろいろな角度から見る必要があることを奥入瀬の森を通じて知りました。奥入瀬で過ごした1年は必要な時間だったなって思います。

樹木オタクは
どこへゆく?

編集部:青森から神戸に戻ってきてからは何をして過ごしてました?

三浦くん:去年の7月くらいにニュージーランドの学校に入学予定でした。だけど、学校を変えたからもう一回英語の試験を受けてくださいって言われて…。「まじかよー」ってなりつつも、もう一回受けて無事合格できました。そしたら次の入学は2月ですって言われて、「またかー」みたいな感じになってました(笑)

編集部:待たされ続けてますね。

三浦くん:留学に行くまでは月の半分は神戸でバイトしてお金を貯めて、残りの半分は日本のどっかにいるみたいな生活を送ってました。奥入瀬で森の理想の形というか、生態系的に価値が高い森を見たので、その上で日本の他の森を見るとどうなんだろうかと思って各地を見て回りました。

編集部:いい時間の使い方ですね!ニュージーランドに行ってからは勉強以外で何が楽しみですか?

三浦くん:やっぱり、ニュージーランドの森を見るのが楽しみです。ニュージーランドには「カウリ」っていう有用な材がとれる針葉樹があって、その木の原生的な森が残っている場所があります。その国の人たちが森とどう付き合ってきたかって、その国で一番いい材がとれる木の今の状態に出ると思っているんですね。ニュージーランドのカウリもどういう状態で生きているか気になります。それでニュージーランドの人たちの自然との付き合い方や歴史が見えてくるので。

日本の場合はスギやヒノキみたいな有用材を産出する森は幕府や藩が厳格に保護するケースが多くあったんですね。そういった森の一部が現在まで残っていて、「美林」と呼ばれる、独特な森林景観ができあがっているケースがあります。木曽ヒノキとか。こういうヒノキの天然林の多くは伐採されてしまっているので、美林は貴重な文化遺産ですよね。日本人って木をちゃんと持続的に使うのが上手かったのか、それとも産業として頼れるものが木しかなかったのか、そういったことが見えてきます。

編集部:なるほど、その視点は面白いですね。参考になります!卒業後のことはまだこれからって感じですよね?

三浦くん:ニュージーランドの大学は3年間通う予定で、その先は環境保全の仕事に就きたいと思っています。自分は「人生で木しかない」みたいなタイプではないので、木っていう媒体を使って環境と人間社会に恩恵を生み出せるような仕事がしたいです。ニュージーランドのエコツーリズムがその典型ですよね。森の観光の価値を高めつつ、地域の経済を潤して、環境も守るみたいな。そういう選択肢はニュージーランドにいっぱいあるので、もしかしたらニュージーランドに居着いてしまう可能性はありますね。

留学先の授業の様子。写真はニュージーランドのブナ林の植生と生態系についての講義。

三浦くんはニュージーランドでの経験を経て、どう変化していくのでしょうか。響hibi-kiでは今後も三浦くんの活動を追っていきます!

●三浦くんのnote(樹木図鑑)
https://note.com/harunire0321/

●三浦くんが日本花卉文化株式会社と連携している樹木図鑑
https://note.com/jbcde_2019/m/m27af51dfa6f3

田中 菜月 (たなか・なつき)
1990年生まれ岐阜市出身。アイドルオタク時代に推しメンが出ていたテレビ番組を視聴中に林業と出会う。仕事を辞めて岐阜県立森林文化アカデミーへ入学し、卒業後は飛騨五木株式会社に入社。現在は主に響hibi-ki編集部として活動中。仕事以外ではあまり山へ行かない。