ひビキのヒび
# 9
あの日の森の記憶
岩手県 遠野市
2021.1.31

響hibi-kiの制作の裏側や取材時の裏話など、編集部の日常をあれこれと綴っていく「ひビキのヒび」。今回はライターの安江が自己紹介を兼ねつつ、学生時代の研究についての思い出や、人と森の関係性について、今考えていることなどを綴ります。

写真・文:安江 悠真

『遠野物語』の
舞台になった地で

この記事を書くにあたって昔の写真を見返していたら、修士論文を書いていた頃のフォルダから、野営したときに撮った朝焼けの写真が出てきました。

写真を撮ったのは、震災が起きる前の年の岩手県。廃墟になった牧場でシカの数をカウントする調査をしていました。美しい写真ですが、誰もいない山の中で一人この朝焼けをみたときは、思わず全裸になったほどの感動でした。絶景を独り占め…。すごい贅沢をしていたことに今さら気がつきました。体力的にもしんどいしお風呂も入れない。大変だったはずなのに、なんだか楽しくてしょうがなかったことを覚えています。

学生時代に野生動物の研究をしていた私は今、岐阜県でサラリーマンをしています。多くの人が同じ道を通るようですが、自分自身が30歳を越え、この先の人生をどう生きていくのかを考え込む日々を送っています。響hibi-kiのライターとしてお声掛けいただいた際は、“厨二病”再発中の私に記事など書けるのか不安でしたが、ちょうど、興味あることについて文章を書きたいと思っていたので参加させてもらっています。

今回は、学生時代の研究から、私が“人と森の関係性”について考えるようになった経緯や、現在の自身のライフワークについてお話しします。

人に攪乱された森で
生きる野生動物

私は、岩手県の北上山地というフィールドで野生動物の研究をしていました。北上山地は、古くから人間活動により攪乱されてきた歴史を持つ森林です。拡大造林の後はスギやカラマツ等の人工林も増えましたが、かつては焼き畑農業が行われていたほか、薪炭林や放牧地・採草地として利用されてきたため、現在でも写真のように森林と草地が複雑に入り組んだ景観が多く見られます。

「人が攪乱した森林」は、山が荒れていることを意味しません。むしろ、森林や草地などの環境が複雑であるほど、多くの生き物が生息できる環境となります。例を挙げれば、ノウサギやヘビを捕食するイヌワシは草地で狩りをするため、人間が焼き畑や放牧を止めてしまうと、彼らの生息地が減少してしまいます。

私は、こうした人の攪乱を強く受けた森林に棲む生き物が、どのように生活しているか知りたくて研究をはじめました。

人のすぐそばで暮らす
ツキノワグマ

私の研究対象はツキノワグマでした。クマの話はとても面白いのですが、長くなってしまうので(別の執筆機会を期待しつつ…)今回は割愛します。研究結果を簡潔に述べると、
・夏の時期のクマは、スギ等の針葉樹の人工林にいることが多い
・夏の時期のクマは、針葉樹の人工林の中で、倒木や切り株に巣をつくるアリを食べている
・アリが巣をつくる倒木や切り株は、間伐された針葉樹の人工林に多くなる
というものです。

北上山地のクマは、人の生活圏のすぐそばで、人が攪乱して作りあげた環境に適応して生きていました。また、一般的に生き物の生息地としてあまり良くないと言われる針葉樹の人工林が、クマの食物(アリ)を提供する重要な生息地であることや、人工林を放置せず適度な間伐を行うことで、生息地としての価値を高めることができることがわかったのです。

発信機の電波を基にクマの現在位置を特定する。

クマを追って山に籠る生活は純粋に楽しかったのですが、その中で、自分なりの新しい発見ができたことが、充実感を得られた理由だと思います。

自動撮影カメラに映ったクマの親子。母親は色素欠乏(アルビノ)の個体。

人が規定する
人と森の境界線

ここからは、研究の話題を土台にしつつ、少し話題を変えます。

北上山地のような“里山”と呼ばれる場所では、人が森を使うことにより、多くの生き物の生息地が維持されることがわかっています。一方で、農林業をはじめとした人間活動が衰退すると、里山から生き物の生息地が減っていきます。これは、生物多様性や生き物の生息地保全という視点で森を見たときの問題です。

管理放棄された牧場はシカの餌場となっている。栄養価の高い牧草をたくさん食べられる環境は、シカの個体数増加に大きく貢献していると言われている。

この問題を人の営みの視点に置き換えると、現在、多くの農山村は過疎化という深刻な問題を抱えています。人の生活圏は、人が森に働きかけることで維持されます。ところが、人口減少や高齢化が進むと森への働きかけが維持できなくなり、人間活動にも悪影響が生じます。つまり、近い将来、人と自然の境界線は急激に書き換えられていくのだと思います。

クマハギ(クマによってスギ等の樹皮が剥がされる林業被害)。樹皮を剥がれた造林木はやがて枯死する。

ここからわかるのは、「人間活動により森林を適度に攪乱し続ける」ことの重要性です。

重要ですが簡単ではありません。昔より相対的な経済価値が下がってしまった森林に手を入れることは、なかなかできないのが現状です。

立場を越えた集い
「林縁会議」

「人間活動により森林を適度に攪乱し続ける」

現在あるいはこれからの世の中で、どうやったらこれが実現できるだろうか?なんてことを考えているうち、自分の興味も生き物の研究をしていた頃とは変わってきました。

他の人の考えも知りたくなったので、一昨年くらいに、現在拠点にしている岐阜県の飛騨高山で、ハンターの脇谷くん、(株)飛騨の森でクマは踊るさんと共同で「林縁会議」と題したイベントを開催しました。あまり深く考えず、森に関わるさまざまな立場の人たちとこの問いを共有したいという程度のゆるい集まりでしたが、林業・建築・木工・アロマセラピスト・猟師・環境教育など、さまざまな人たちが参加してくれました。

同じ森を見ているはずなのに、観察の視点も、森林活用のアイデアもそれぞれ異なっていて、思っていたより濃い議論ができました。

これまでの経験や自身の興味の移り変わりを踏まえて、今私は、自分自身がこれからどのように森と関わっていくかを考えています。人と森の関係性の中で語られるものであれば広く興味がありますし、研究やライティングの他にも、関わり方のバリエーションを増やしたいと思っています。

今後も、自分の興味に従ってあれこれと活動してみたいと思っています。ただ、ここまで大きなことを書いておきながら、私は「日本の林業を元気にする」みたいな大きなことを行動の動機にすることが苦手です。なので、自分にとっての具体的な興味に落とし込めるスケールの記事を書くことで、気軽に楽しんでもらえたらうれしいです。

安江 悠真 (やすえ・ゆうま)
岐阜県白川町出身。昆虫少年の延長で岩手大学の農学部に進み、林業と野生動物の関係を研究テーマとして、遠野市でクマを追う。現在は岐阜県に戻り、山の仕事をしながら実家と高山市を往復する日々を送る。