Forest Shutter 森の暮らし
# 13
早池峰山の麓、森の中で
自分のできることを考える
山代生の場合
2023.8.25

森と共に暮らす人々の日常をフィルムカメラで切り取る「Forest Shutter」。連載第13回目は、岩手県宮古市にある山小屋「フィールドノート」で暮らす山代生さん。山小屋の仕事をしながら、コーヒーを焙煎し、間伐を行い、郷土芸能を踊る。森の中で暮らす彼が日々自然と向き合いながら、感じていることとは。

写真・文:山代 生/編集:宮本 拓海

住んでいるのは岩手県宮古市。早池峰山の麓、タイマグラにある山小屋「フィールドノート」で暮らしている。タイマグラは戦後に開拓された集落で、よく「日本で最後に電気が通った集落」として紹介されている地域だ。

フィールドノートは、大阪から移住した父親が30年以上前に始めた場所。高校3年間以外のほとんどの期間を、この場所で過ごしてきた。

山から流れてくる水を引いて、畑で作物を育てて、薪を割る。普段の生活がそのまま山小屋の仕事になる。宿泊客には、自分たちの日常に一時的に付き合ってもらうような感覚がある。

山小屋の仕事のほかにも、焙煎したコーヒー豆を販売したり、遠野で間伐の手伝いをしたりしている。近くの集落の郷土芸能団体にも参加していて、定期的に練習に通っている。

ここは、山というより森のイメージ。山と森の線引きが自分の中にあって、森は人の暮らしを含んだもの、山は人の手がほとんど入っていない自然そのものと捉えている。

よく散歩で近くの山に行くと、山に向かうときは境界を感じづらいけど、山から森に帰るときにそれまで自分がいた場所と戻る場所の違いを感じて、はっきりとした境界があるように思う。

他の人から見ると、自分たちが暮らしている場所も十分自然に近いように見えるかもしれないけど、そんなことはなくて。自分の中でもっと自然を求める気持ちが出たときは、山に入ることがある。

自然と人の暮らしの境界

最近は、家の周りの木々の手入れを自分でするようになった。森の木を間伐するときに、どこまで手を加えるか、自然と人の生活の線引きの仕方がとても難しい。

自然のあるがままのよさも尊重しながら、生活をしていくには、育てている作物のことを考えて、日当たりをよくしたい。そこで、畑に日の光が入るように木を切る。

やろうと思えば自分の思う通りに全部切ることもできるけど、こういう場所だからこそ、人間が自然に合わせないといけない部分もあると思っている。

木を切る瞬間に、自然が意思表示をしてくれることはない。だからこそ、自然を相手にしながら、自分自身を問われているような感覚もある。そうしたことを考えていると、巡りめぐって、自分も自然の中の一部なのだと納得する。

人が多く住んでいて、開発が進んでいる街のように、人と自然をはっきりとわけることができない場所。だからこそ、人間的な生活をしていくことと自然に寄り添うことのバランスが難しい。

島根の高校を卒業して、地元に帰ってきたばかりの頃は、もっとこの場所のことを知りたいと思って、畑仕事や木の伐採、鹿の狩猟、郷土芸能、興味のあること全部に手をつけて、勉強と実践を繰り返してきた。

どれも生活に必要なことで、広くいろんなことをやってみたけど、同じように続けていくのが難しくて、全部が中途半端になってしまうなと思った。もっと一つのことに集中して、深みを持たないといけないんじゃないかとか、自分のことを見つめ直して、迷いながら日常を過ごしている。

考えることをやめたくない

街の生活であればお金で解決できることを、自分でやるしかないのがここでの暮らし。宿泊客にはそれらを非日常として体験してもらっているけど、自分たちにとっては「やらないと生きていけない」ことばかり。

自分で何でもやることで得られる楽しさもあるけど、改めて自分がどんな生活をしたいのか、何を深めるべきか、考えていきたい。ふと気がつくと、決まった毎日をこなしてしまっているけど、やっぱり考えることはやめたくない。

宮本 拓海 (みやもと・たくみ)
1994年生まれ。岩手県奥州市出身。2019年4月から企画・執筆・編集を行うフリーランスとして活動。その他、Next Commons Lab遠野ディレクター、日本仕事百貨ローカルライター、インターネットメディア協会事務局などを務める。将来の夢は、奥田民生のように生きること。