Forest Shutter 森の暮らし
# 12
山の素材を編む
民具が伝える生きる知恵
佐藤暁子の場合
2023.7.28

森と共に暮らす人々の日常をフィルムカメラで切り取る「Forest Shutter」。連載第12回目は、岩泉で「稲作以前」をキーワードに竹細工などの編組品をつくり、畑で雑穀を育てながら暮らす編集者・佐藤暁子さんのLife。山の暮らしと日常を彼女の言葉と写真で紡ぎながらレポートする。

写真・文:佐藤 暁子/編集:宮本 拓海

岩手県岩泉町に住み始めたのは民具がきっかけだった。編集の仕事をしながら東京に住んでいたころから、出張しては各地の民具を集めていた。

視察で岩泉の民俗資料館を訪れたときに、私が部屋に飾っていたのと全く同じ「箕(み)」が展示されていたことにも驚いたが、特に心動かされたのは「まどり」と呼ばれる道具。木の枝が三つ又になっているところを利用した、布団叩きのようなとてもシンプルなものだ。穀物や豆などの脱穀時、これで穂や茎を叩いて実を落とす。昔の人は山にある木を道具に見立てていたのかと、人の生きるための力を見たような気がした。そして、このような民具からこの地の食文化を知ることになる。

大きなちりとりのような形をしている「箕」は脱穀した穀物を入れて振るいながらゴミを飛ばすためのもの。ここに暮らし始めた最初の秋、自分の箕を実用で使ってみたいと地元の人に相談したことから、近々空く畑があるから雑穀を育てないかと誘われ、ものは試しと教えてもらいながら畑を始めた。

もちろん初めての畑。右往左往しながらも、作業する地元の人の道具を見ると、民俗資料館に展示されているものばかり。「やっぱりこれがないとね」という生きた道具として使われているのだ。そして、東京では壁に飾っていた箕を実用で使わなければならなくなったことがかっこよく思え、とても満たされた。

なぜ雑穀なのかといえば、北上山地にある岩泉は傾斜ばかりの地形と厳しい気候などから米が育ちにくいため、昭和40年代前半あたりというつい最近までひえやあわ、麦などを主食とする生活が続いていた。そして山にあるものでなんとか食を補うため、木の実やきのこ、山菜などの採集と保存方法など、飢饉にも備えたさまざまな知恵を蓄積しながら過酷な時代を生き抜いてきたのだ。

興味を持った民具や知恵はたいていその「稲作以前」の食のためのものだった。「稲作以前」が私のここでの暮らしのキーワードになり、雑穀もこの名前で販売することにした。ロゴはこの地の食文化の象徴でもありいちばん好きな三つ又の「まどり」をモチーフに。

山に用をつくる

米がないということは稲藁がないということ。でも、ここには豊富な種類の樹木や蔓、竹がある。その昔、荷紐や雨具の蓑などはシナノキの樹皮を割いたものでつくられていたようだ。箕はサルナシの蔓や桜の樹皮、ヤナギなどが編み込まれているし、笊もサルナシや竹で編まれている。

町内で編組品をつくれる人を探し回り、やっとひとりだけ竹細工ができる人を見つけて教えてもらう会を催した。竹の見分け方から割り方、肉剥ぎの仕方などの基本的な材料づくりや笊の編み方を教えてもらったのが始まりで、さまざまな縁が繋がり岩手に伝わる竹細工のつくり手の方に習えることになり、今も続けている。東京に居たときは岩手から取り寄せて使っていたものを自分でつくることになるとは。

シナノキの樹皮も採集して縄ないしたり、そのほかの樹皮や繊維になりそうな草も採取時期に集めている。それができるのは、やはり身近に山があり素材があるからだ。竹や樹皮の採集はもちろん、山菜やクルミや栗などの食べものの採集もそうだが「山に用がある」ということが嬉しい。用があるたびに行っていると、山の季節のリズムや植生の雰囲気がだんだん掴めてきて、山に近づけたような気になる。

岩泉には、自然を活かして暮らしてきた痕跡が残っている。温故知新。新しいことをするためには根源を知る。昔の人が蓄積してきた知恵はこれから生きる上で重要な情報だと思う。その知恵や技術を、雑穀畑や素材採取、編組品づくりを通して肌で感じながらトレースできるのはすごく貴重な経験だし、謎が解けていくようで気持ちがいい。でも季節仕事は予定通りいかないことのほうが多く、心身ともに疲弊するが自然は容赦してくれないし、気分を晴らす居酒屋は遠い。そんな厳しさや哀しみもある。

何はともあれ、編集の仕事もしながら雑穀畑も編み細工も流れにのってやることになったけれど、山に近づいたことで自分自身を編む材料が増えたような、そんな心持ちで暮らしている。

宮本 拓海 (みやもと・たくみ)
1994年生まれ。岩手県奥州市出身。2019年4月から企画・執筆・編集を行うフリーランスとして活動。その他、Next Commons Lab遠野ディレクター、日本仕事百貨ローカルライター、インターネットメディア協会事務局などを務める。将来の夢は、奥田民生のように生きること。