Forest Shutter 森の暮らし
# 10
思考の単位を変えた山暮らし
岡部文彦の場合
2021.11.19

森と共に暮らす人々の日常をフィルムカメラで切り取る「Forest Shutter」。連載第10回目では、ファッション・スタイリストとして知られる岡部文彦さんの林業修行の様子をお届けする。東京から単身で岩手県岩泉町に移住。念願の山暮らしを通して今、何を思うのか。

写真・文:岡部 文彦/編集:村松 亮

僕が山に入った理由

僕は今、岩手県岩泉町で林業を学んでいる。毎朝自分で弁当を作って、現場に向かう。1年以上が経って、ようやく伐採をさせてもらえるようになった。どうやったらうまく安全に倒せるか?1本1本考える。切り倒した木は2m20㎝の長さに揃えて切り、出荷用のトラックに積み込むまでが、僕らの仕事だ。

東京でファッションスタイリストをしていたときから、いつか山暮らしをすることは決めていた。『GOOUT』という雑誌で“SOTOKEN(外遊び研究所)”という連載を10年間続けた結果、究極の外遊びは“山暮らし”なんじゃないか、という考えになっていた。消費社会にどっぷりと浸かった生き方にどこか行き詰まりを感じていたし、そんな中で僕は作業着ブランドを立ち上げていて、まずは自分自身が現場を知りたいという思いがあった。作っている本人が、園芸も農業も働く現場を知らないなんて、まるで説得力のない作業服しか作れないな、と思っていたから。

岐阜県飛騨市と岩泉町が一緒に都内で林業に関するイベントをやっていたので行ってみた。全国的にも珍しい広葉樹林業が盛んな場所であることを知った。林業を現場にすれば、納得のいく作業着も作れるだろうし、自分のやりたい山暮らしができるんじゃないか?そう直感して即動いた。そして愛車のハイエースに積める分だけの荷物を積み込み、わずか人口9000人のこの町に引っ越してきた。家族は東京生活そのまま、僕の出稼ぎ的単身山暮らしが始まった。

岩泉町は、広葉樹の山々に囲まれた自然豊かな谷の町。広葉樹は有用性が高くて、針葉樹のヒノキやスギよりずっと可能性がある。だけど、ここで伐採される木の多くはパルプになっている。本当は、択伐して、選りすぐりの樹木だけを売ることが環境保全のためにも理想だとは思うけれど、例えば1万円で売れる木を切っても、それだけを運ぶのに1万円かかってしまう。僻地ならではの難しさがあることはわかったけれど、必要な分だけを伐って、地域資源である広葉樹をもっと有効活用できるようなやり方ではできないのか?という疑問が今の僕の課題になっている。

30年単位で考える

もともとは現場をただ知りたいという気持ちだけでここに越してきたのだけど、実際に住んでみて、この過疎地の林業の可能性を少しでも良くしたいなって考えられるようにもなれた。世間でも第一次産業が重要だっていうことがようやく認知されてきて、農業をやろうとしている人たちは多いけれど、林業だってめちゃくちゃ大事なんだよ!っていうことを僕は今身を持って感じているし、もっとその現状が知られていくといいなとも思っている。肉も植物もきのこも、山にはたくさんの栄養の糧があるし、おいしい海産物が採れるのも雨が降って山から海へ栄養分が流れ込んでいるからだし……。だからやっぱり山は大切にしなければいけない。

木は、チェンソーがあれば簡単に伐れちゃうけれど、もとに戻すには30年以上もかかってしまうわけで。最近、自分が死んだ後、この山はどうなっているだろう?なんて考えられるようになった。山の1年後っていうのは数㎝単位の成長の話でしかないから、自分が死んだ後、何十年先の事を考えて、山を管理していく、ってことがとても大事なんじゃないのかなって学んだ。我々のひいじいちゃんの時代はそれがあたり前だったんじゃないか?と。孫の代のことを当たり前に考えて、木を植えて山を管理してくれていたんじゃないだろうか?と。林業に関わったことで、思考の単位が「30年」に変わった。

息子たちの時代には間に合わないかもしれないけれど、自分の孫ぐらいの代から「うちのじいちゃんがこの山を守ったんだって」なんて言われたら本望ですよね。なんて。

村松 亮 (むらまつ・りょう)
株式会社シカク/プランナー、プロデューサー、編集者。中央アルプスと南アルプスに挟まれた広大な谷である伊那谷に家族と暮らす自宅をもち、オフィスは東京と2拠点生活を行っている。2020年春、noruプロジェクトをローンチ。移動を題材にしたwebメディア『noru journal』と、ガレージスタジオ「noru studio」(2020年6月OPEN)を運用している。