Forest Shutter 森の暮らし
# 7
共生と循環の毎日から教わったこと
小森夏花の場合
2020.12.18

森と共に暮らす人々の日常をフィルムカメラで切り取る「Forest Shutter」。連載第7回は、家族で「七草農場」を営む小森夏花さん。中央アルプスを望む長野県の伊那市に暮らし、3人の子どもたちを育てながら有機野菜や加工食品を生産する彼女が、“自然の中で生かされている毎日”を、改めて振り返る。

写真・文:小森 夏花/編集:村松 亮

2005年2月、それまで京都で造園の仕事をしていたが、結婚を機に長野県伊那市に移住した。その年は地元の人でも「今年は寒い」という程の年で、築100年近い貸家の中は外気温と同じマイナス10~マイナス15℃。お風呂のお湯は翌朝には薄氷が張り、ペットボトルに汲んだ湧き水はコップに入れると同時にシャーベット状に。家には大家さんが残していったこたつと古い石油ストーブがひとつだけ。正直、とんでもないところに来てしまった、というのが実感だった。そんな日々からあっという間に15年が経った。

私たちの暮らしが
この土地の風景を支えている

移住後、夫とふたりで始めた「七草農場」。最初は3反で始まった農場も、今では1町歩ほどの畑と2反強の田んぼを耕している。ここに15年暮らして日々感じることは、私たちの暮らしがこの土地の風景を支えている、ということ。私たちがいることで支えられている生きものや植物の暮らしがあって、私たちもまた、それに支えられている。そしてその私たちを取り巻く友人やお客さんもまた、大きな家族のようにつながり合っている。

家のすぐ裏に山がある。昔はこの手前も畑だったんだ、と大家さんが話してくれた場所は、今ではうっそうとしたスギヒノキの森。ところどころにそれでもトチノキやコナラなどの落葉樹が混ざる。その森を拠点にさまざまな動物が森と、私たちの暮らしの圏内とを行き来している。

道を挟んで家の奥にある貯水池。誰かが放したのが繁殖したのか、今では子どもたちのフナ釣り場になっている池は、近所の方が「子どもの頃そこの凍った池でスケートをしたんだ、小さい池だからカーブを回るのが得意になってなあ」と笑いながら話をしてくれた。その池があることで、たくさんの動物がその周囲を取り巻くように暮らしている。昔知人が貸してくれたナイトカメラを家の近くに設置したら、鹿の群れやハクビシンやキツネやタヌキなど、たくさんの動物が写っていた。家から50mも離れていないこんな近くに彼らの暮らしがあることに驚いてワクワクした。

夜になるとフクロウの声が響く。キジがしょっちゅうバサバサと低空飛行をしている。りすが家の屋根を走っている。山ではさまざまな鳥の声が響く。朝の鳥たちのメロディはそれはそれは豊かで、楽園だ。畑を少し降りて行った所に猪の糞があった、という話を近所の人に話したら「あそこは昔から主がいて、あそこの猪は獲っちゃだめだって言われてる」と言う。そんなおっことぬしみたいな話が本当にあるのだ。

三男坊が小学校の校庭でミサゴ、というタカ科の鳥の羽を拾ってきた。主に魚類を食べるので、大きな川やダムがある場所の近くで岩棚や大木に営巣する、というミサゴ。そんな鳥の存在に、この近辺の自然がまだその鳥たちにも耐えうるのか、と少し安心する。

でもこの土地にも近い将来巨大な道路の建設が予定されている。工事の説明を聞いていると、人間の暮らしとはまた別に鳥も虫も動物も、微生物も、たくさんの生きものの暮らしがあって、それが壊れてしまうということを気にもとめていないことに胸が痛くなって泣けてきてしまう。そんな時、我が家においで!と思う。この家の周りが少しでもそんな生きものたちが暮らしていきやすい場所でありますように、と願っている。

目に映らないものを
信じられるように

家の裏山の手前にあるのが日枝社、と呼ばれる神社。私たちの家の敷地はその神社のすぐ横にあるのだけれど、家の敷地と神社とでは、明らかに空気が違う。何か冷やっとする空気が流れる道が私の知る限りでも2ヵ所、確かにあって、きっと異次元への入り口だ、と結構私は本気で思っている。家の玄関から神社への数10mの道は「いわゆる参道なのだから、もっと大事にしなくちゃだめなんだ」と隣のおじさんが話してくれた。

街灯が切れた時に犬の散歩でたまたまその道を夜に歩いたら、本当に何も見えない漆黒の闇で、夜目の効く犬が引っ張ってくれなければ歩けないほどの道。今のこどもたちは、そんな闇を体験しているだろうか。

コロナで大騒ぎだったこの1年、思ってもみないことの連続だったけれど、我が子たちはその中で生き生きと過ごしていた。庭で火を焚いてごはんを飯盒で炊くことはこの春にできるようになったことのひとつ。しょっちゅう外でごはんを食べた。ゲームもない、Wi-Fiくらい飛ばそうぜ、スマホ買ってくれetc.……という中2の男子を筆頭に小4、小1の息子たち。一人で暮らすようになったらいくらでもTV見て、いくらでもゲームすればいいじゃん、でも今はそういうことじゃない面白いことしようよ、という私。

食べものを買う時は裏の表示を見なさい、自分の体は自分で守りなさい、と言い続ける母に「また始まった」とうんざり顔の息子たち。たぶん周りのほとんどの同級生の子たちとの暮らしとは違い過ぎるくらいいろいろが違う暮らし。毎日がキャンプのような我が家である。でも、漆黒の闇のような世界や、そこに息づく虫や鳥や動物たちの存在があって、そういうものに支えられて支え合う世界もあるんだと、きっと大きくなって都会に飛び出て行ったとしても、体のすみっこでその気配を覚えているよね、と思う。

私も、いつまでここにいるのかはわからないけれど、そんな世界と暮らしに日々支えられている。農業はそもそも、自然のサイクルに波乗りのように、そのタイミングを逃さずに乗っていく仕事だ。暇な時間というものがほとんどないくらい、日々めまぐるしくやることに溢れている。

山は、自然はいつも優しいし厳しいし、思うようにならない。その大きな、大きなサイクルの中のひとつなんだ、と15年経って腑に落ちた、ここでの暮らしである。

村松 亮 (むらまつ・りょう)
株式会社シカク/プランナー、プロデューサー、編集者。中央アルプスと南アルプスに挟まれた広大な谷である伊那谷に家族と暮らす自宅をもち、オフィスは東京と2拠点生活を行っている。2020年春、noruプロジェクトをローンチ。移動を題材にしたwebメディア『noru journal』と、ガレージスタジオ「noru studio」(2020年6月OPEN)を運用している。