森と共に暮らす人々の日常を伝える「Forest Shutter」の第3回は、フォトグラファーの栗田萌瑛さん。長野県大町に自宅兼アトリエを持ち、東京には小さな事務所をもつ2拠点生活者。そんな彼女に里山での暮らしについて綴ってもらいました。
やっぱり山なくしては暮らせない
6歳になるとき、東京から長野県の白馬村へ引っ越してきた。両親ともに山が好きで「山がきれいに見える」という理由で選んだ中古の家。家の裏には栗の木が一本、あとはずーっと広く田んぼが広がっていた。
朝起きた時すぐに山が見えるように、私の部屋の窓にはカーテンがかかっていなかった。私はその家で18歳まで育った。晴れれば山に連れて行かれ、冬はどんな天気であれスキー。父が趣味で始めた猟について里山を歩いたり、いまや、山が近くに見えないところでは落ち着いて暮らせないようになった。つまり、おかげさまで、まんまと山好きに育ったのだ。
高校を卒業して美大に通った4年間と、写真を志し師匠のところにアシスタントとしてもがいた2年間を東京で過ごし、写真家として独立した3年前に、私はまた長野に帰ってきた。さあどう暮らす?! となった時、とりあえず山の近くに拠点を持たなくてはと思い立った。そして、長野県大町市旧美麻村に一軒家を借り、そこに暗室もつくり、アトリエと呼ぶことにした。玄関からは里山と、鹿島槍ヶ岳のてっぺんが見える小さな家だ。
山の神様たちのこと
この山のアトリエには、自己流の神棚を作っている。山の神様として、イノシシの頭骨を祀っているのだ。このイノシシは父が仕留めて、私がさばいて、家族のみんなの体の一部になった。毎朝、この山の神様に手を合わせて、周辺の山々と私自身の身体に「今日もよろしく、頑張ろう」と話しかけるように祈っている。
我が家には、さらにもうひと方の山の神様がいるので紹介したい。青鬼神社の御神木だ。杉林の中に一本生える、大きな大きな欅の木で、その木の根の下から水が湧いている。いつも節目には挨拶をし、そっと触らせてもらう。
人の生活と共にある山のことを里山、というそうだ。人の手が入ることによりよい循環が生まれている自然。ほどよく木が伐採されることで地面に陽が当たり山菜が生えたり、増えすぎた猪や鹿を狩ることで小さな動物たちを含めた生態系が守られたり。その循環の一部になりたくて里山へ出かける。
今日食べる分の山菜をいただいて、帰る。雨で山へ出かけられない日や、都会にいるときも、神様たちをそっと思い出して季節や時間を思い出す。
東京の暮らしがあったから今がある
日常と真逆にある、山の暮らしの非日常な側面が、バックカントリースキーだと思う。歩いて、登って、滑るシンプルな遊び。夏の登山道や深い藪、それらすべてを白く雪が覆い隠してくれる冬の山は、スキーを履いてさえいれば、どこへでもいけてしまう。滑りたいところを想像しながら、雪崩の危険を考えつつ、自分で道を決め、歩いて登る。頂上を目指しているわけではない。行きたいところまで行って、滑って帰る。自分の歩いた跡、滑った跡がしっかり見えるのもひとつの楽しみ。
そして、雪山は最高の白ホリスタジオなのだと常々思う!
同級生たちは、都会へ出て行き、あまり長野へ帰ってこない。それと比べて、私がこんなに山の近くの暮らしが好きなのは、6歳まで東京で過ごしたことが大きく影響しているように思う。
都会での暮らしは、窮屈だった記憶がある。幼稚園へ行く満員のバスも、マンションの窓から見える狭い空も、コンクリートで囲われた土に生える木を見るのも。今も撮影のお仕事をもらうと東京へ行く。どこへでも、撮りにいく。大都会の中でもおおらかな写真を撮るのが、私の仕事だから。
おおらかな写真を撮ろうと思う時、山の暮らし、神様たちを思い出す。ここが雪山のスタジオだったなら、どんな光になるだろうか。そうやっていつも想像している。