WORLD FOREST NEWS
# 5
増えるニホンジカ
悩む林業者
2021.1.6
photo by prelude2000

世界や日本の森にまつわるニュース情報から、編集部が気になることを掘り下げる、WORLD FOREST NEWS。“森林文化”について幅広く学ぶことができる全国でも稀有な教育機関「岐阜県立森林文化アカデミー」の先生を講師に迎え、わかりやすく解説してもらいます。今回は野生動物と林業を取り巻く現状について教えてもらいました。

写真・文:伊佐治 彰祥(岐阜県立森林文化アカデミー 教授)

ニュースをにぎわす
野生動物たち

この秋、日本各地でクマやイノシシが街中にまで出没し、建物への侵入や散歩中の住民が襲われたという報道が相次ぎました。いずれも野生動物が人間の生活環境に入り込んだことにより引き起こされたトラブルです。

白昼の植林地に姿を現したニホンジカ。袋状に見えるのは、シカの食害を防ぐため植栽木に施された「ツリーシェルター」

一方で、森林内の野生動物による被害についてはかなり悩ましい状況であるにもかかわらず、報道されることは少ないです。その実状は世間一般にあまり知られていないのではないでしょうか。そこで今回は、特に深刻さを増しているニホンジカ(以下「シカ」という)による被害を取り上げ、その現状を紹介していきます。

造林地(人工林)における
林業者たちの格闘

林野庁がまとめている『森林・林業白書』(令和元年度)によれば、全国の野生動物による森林被害の実に72%(面積比)がシカによるものとなっており、7割を超える状況は2012年から続いています。特に木材生産を目指す造林地では、シカによる森林被害で多くの林業者が困り果てているのが現状です。その被害は、苗木を植えるところから木の収穫まで、枝葉摂食、樹皮摂食、角研ぎなど、被害の部位や形態を変えて、同じ場所で長年にわたり続きます。

① 枝葉の被害

ニホンジカの被害を受け続ける造林地の遠景。

造林地では通常、スギやヒノキを植える場合、10m四方に30本程度(約1.8m間隔)の苗木を植えます。もし、植えられた苗木がシカの食害を受けずに育っていれば、上の写真左側のように木々が生えそろった状態になります。しかし、同じように植えられた写真右上の現場では、シカの食害によって異常な樹形となった植栽木が、まばらに残る無残な光景を目にすることになります。

シカにより枝葉を食べられてしまった植林地。

苗木を植えて間もない造林地は、シカにとって食料を豊富に確保できる好適な生活環境となります。シカはその周辺に居付いて繁殖し、生息密度の高まりとともに被害が深刻化していくのです。

繰り返し枝葉をシカに食べられ、異常な樹形となった植栽木。

② 樹皮の損傷

シカに樹皮摂食された植林木。

シカの摂食被害は、枝葉だけでなく樹皮にも及びます。樹皮を食べられてしまった個体は、木部がむき出しになり、そこから腐朽が進むため、木材としての価値は著しく低下します。

樹皮摂食を受け、枯れた植林木(茶色になっている木々)。枯木の周辺には、その10倍ほどの被害木が潜在するといわれている。ツキノワグマが生息する地域では被害が混在することもある。

広い面積に摂食の被害を受けた個体は樹勢が衰え、枯れてしまうこともあります。樹皮摂食は、幼木と成木の両方に見られ、エサの乏しい冬場だけでなく青草の豊富な時期にも行われることが知られています。 

③ 角研ぎによる樹幹の損傷

シカが角をこすりつけることでできた傷跡。

シカによる樹幹損傷は摂食だけでなく、オスジカの角研ぎによるものもあります。これにより木が枯れてしまうことはまれですが、傷口から腐朽が進み、木材の価値は下がってしまいます。収穫を控えた成木での被害が多く、しかも、元玉(根元に近い木材価値の高い部位)が傷付けられるという点で林業関係者にとっては頭の痛い被害です。

傷口から腐朽が進んだシカの古い角研ぎ痕。

天然林にも広がる
シカの影響

シカの生息密度が高まると、造林地(人工林)だけではなく、シカ本来の住処である天然林にも被害が及びます。造林地(人工林)と比較すると天然林での被害は対象エリアが広く、加害される樹種も多いため、被害に気づくことが難しいかもしれません。

シカの食害が進んだ天然林。

上の写真の林はシカの食害が相当進んだ林なのですが、一見すると林内の見通しが良く、気持ちの良い林に見えるのではないでしょうか。しかし、注意深く観察すると、林内の見通しが良いのは一定の高さ(シカの口が届く高さ)まで枝葉が無く、林床(地表近く)の植物群がほとんど消失しているためであることに気づくはずです。下の写真は、シカの食害を受けていない天然林です。2つの写真を比較するとその違いが良くわかると思います。

シカの被害を受けていない天然林。下層植生(地表面近くの植物群)が多様で豊富。林内を奥まで見通すことは難しい。

被害が軽微な段階ではさらに判別が難しくなります。そんな時はシカの嗜好性植物(シカが好んで食べる植物)あるいは不嗜好性植物(シカが好まない植物)に注目し、林内を観察してみましょう。嗜好性植物として知られているものは、アオキ、イヌツゲ、リョウブなど、非嗜好性植物として知られているものは、シキミ、アセビ、ミツマタなどがあります。

シカが好んで食べる「アオキ」
シカに好まれない「シキミ」

嗜好性植物はシカの生息密度の低い段階から摂食され、やがて衰退し、嫌いな植物は生息密度が高まっても食べ残され、時には群落を形成するため、その場所の植生の不自然さに気づくヒントになります。その他、フンや足跡などの痕跡からシカの存在を確認することができるでしょう。

シカに食べ残されたシキミの群落が形成された天然林。林床の他の植生は消失し、表土流亡も進んでいる。

森林にシカが生息することはいたって自然なことなのですが、生息密度が過度に高まることにより、下層・林床植生の偏りや消失、表土の流亡、果ては森林の衰退をも招くことになります。さらに、シカの生息密度の影響が森林生態系にまで及ぶという点を考えると、天然林の被害についても深刻に受け止める必要があると考えます。

山に入ったら
シカの痕跡を探してみる

林業関係者にとってはシカをはじめとする野生動物による森林被害を食い止めることは喫緊の課題ではありますが、一般の人からすると、少し遠い世界の話に感じられるかもしれません。ですが、皆さんが登山や森林散策、キャンプなどのアウトドア活動で山林を訪れた際、今回紹介したような視点でシカの痕跡を探してみると、それをきっかけに、これまでとはちょっと違った山や森の姿が見えてくることでしょう。

photo by Isao Nishiyama

二酸化炭素吸収源の確保、木材資源の持続的確保などSDGs達成にとっても重要な森林の機能を維持するうえで、シカによる森林被害は大きな障害となっており、森林生態系への影響も見過ごせるものではありません。

現在、森林における被害対策は、防護ネット、ツリーシェルター、忌避剤などによる防護対策が主として行われています。しかし、対象面積が広く、地形が複雑で気象条件も厳しい森林を守り切ることは容易なことではありません。

そして、被害発生場所のシカの個体数を減らすことができなければ、この問題を根本的に解決することはできません。今後の森林被害対策を進めるうえで、従来の防護対策に加え、捕獲対策の一層の強化が図られることを切に願います。

●岐阜県立森林文化アカデミー公式サイト
https://www.forest.ac.jp/

Profile
伊佐治 彰祥●岐阜県立森林文化アカデミー教授。専門は林業機械、林産、森林獣害対策。岐阜県出身。1983年日本大学農獣医学部を卒業後、岐阜県庁に入庁。林業専門技術員資格、森林総合監理士資格を取得し、林業技術普及業務を主に担当。2016年より現職。林業後継者育成、森林獣害対策技術の普及、森林獣害対策の担い手育成に取り組む。

田中 菜月 (たなか・なつき)
1990年生まれ岐阜市出身。アイドルオタク時代に推しメンが出ていたテレビ番組を視聴中に林業と出会う。仕事を辞めて岐阜県立森林文化アカデミーへ入学し、卒業後は飛騨五木株式会社に入社。現在は主に響hibi-ki編集部として活動中。仕事以外ではあまり山へ行かない。