杉センセイの生物図鑑、 知らんけど
# 25
どうして私たちは、
自然を知らないといけないのか?
2025.6.27
編集部撮影

大阪・関西万博に行ったよ!という方に質問です。会場内に植えられている木はどんな木だったか覚えていますか?その木がどこからやってきたかご存じでしょうか?

その答えは杉センセイに聞いてみましょう。話を聞くと、もう一度万博に行きたくなってくるはずです。行く前に読むのもおすすめですよ!

写真・文:三浦 夕昇

大阪・関西万博の植栽木から考える
樹木とのお付き合いの難しさ

いつも関西弁でお話しされる杉センセイ!今年の大阪は万博で大盛り上がりですね!EXPO2025にはもう行かれましたか!?

もちろんや!関西でああいうビックイベントが開かれるのはやっぱり嬉しいな。

さすが杉センセイ、地元愛が強いですね。どこのパビリオンが一番面白かったですか?

難しい質問やなあ、どのパビリオンもめっちゃ面白かったからなあ。強いて言うなら、会場内の植栽が印象に残ってるかな。NTTパビリオンの近くには関西ではほとんど見かけない「イヌエンジュ」が植えられててな、ちょっとびっくりしたわ。人気のパビリオンは待ち時間が長いからな、そういうときに周りの樹を見てるとええ時間潰しになるで。

大阪・関西万博会場内にある植栽帯
万博会場内には、いたるところに植栽帯が設けられている。

しょ、植栽!?あそこで樹を見てたんですか!?さすが先生、万博の会場に行っても、森への愛が抑えきれなかったんですね(笑)。

今回の万博の植栽には、ちょっと面白いストーリーがあってな、あの会場内に植えられた樹、どこから持ってこられたと思う?

どこって…、植木業者から買ったんじゃないんですか?

大阪万博にある大屋根リングのどの地点から会場内を見下ろしても、必ずまとまった量の緑が見えるように植栽帯が配置されている。
大屋根リングのどの地点から会場内を見下ろしても、必ずまとまった量の緑が見えるように植栽帯が配置されている。

もちろんそれもあるけど、会場内に植えられた樹のうちおよそ700本は、1970年の大阪万博会場である万博記念公園(大阪府吹田市)から移植されたんや。

“いのち輝く未来のデザイン”というキャッチフレーズの通り、55年前の万博から今回の万博に、かなりの本数の樹木が受け継がれたんやな。

へえ〜、知らなかった。でもなんでそんなことしたんでしょう?55年前の万博会場に植えられた樹って、もう結構な大木に育っているはずですよね。それを吹田から40km以上離れた今回の万博会場まで運ぶなんて、かなりの労力と技術が必要になるんじゃないですか?

本州中部以北の冷温帯地域に分布する「イヌエンジュ」。関西ではほとんど見かけない樹だが、東口ゲートの近くの植栽帯に生えていた。万博会場は意外と植物園としても楽しめるかも!?
本州中部以北の冷温帯地域に分布する「イヌエンジュ」。関西ではほとんど見かけない樹だが、東口ゲートの近くの植栽帯に生えていた。万博会場は意外と植物園としても楽しめるかも!?

その理由には、約50年前、吹田市の万博会場跡地で森づくりが行われた際、ある“問題”が生じたことが関係してる。

ほう、前回の大阪万博の会場跡地で森づくりが行われていたとは、初耳です。

“問題”が起こった、というのは一体どういう意味ですか?森づくりって、基本的には良いコトっていうイメージが強いから、なかなか想像できないです。

オリンピックとか万博とか、大規模な国際イベントが開催された都市では、当然ながら会期終了後の会場跡地をどう取り扱うかの議論が必要になる。1970年の大阪万博が終わったときも、260ヘクタールに及ぶ会場跡地の活用方法を検討すべく、当時の大蔵大臣が諮問機関を設立したんや。

研究施設を建てて巨大学園都市を造成するとか、行政機関を集めて第二の首都を創るとか、いろんな案が出されてんけど、最終的には跡地に森をつくって、土地本来の生態系を復活させよう、という案が採用された。

万博会場“静けさの森”ゾーンに生えていた「オカトラノオ」。今回の万博の植栽は、在来の植物が重視されている。
万博会場“静けさの森”ゾーンに生えていた「オカトラノオ」。今回の万博の植栽は、在来の植物が重視されている。

ほんで万博が終わって2年が過ぎた1972年、会場跡地(万博記念公園)に約300種60万本の樹が植栽された。このとき“21世紀までに森を完成させよう”という目標が掲げられたから、樹木たちの競争本能を刺激して通常よりも早い成長を促すために、かなりの高密度で苗木を植栽する手法が用いられたんや。

20世紀が終わるまでに森を完成させる!なんて、万博の壮大な世界観をうまく体現した、素敵なビジョンですね。一見すると完璧な森作り計画に思えますけど、一体どんな問題が起こってしまったんでしょうか?

写真は、千里丘陵と気候条件が似た春日山原始林の照葉樹林。大木と若木・幼木、極相種と先駆種がモザイク状にランダムに入り乱れた構造の森で、高い多様性が保たれている。
万博記念公園の森づくりのゴールは本来、大阪の千里丘陵に成立する潜在自然植生である照葉樹林を、人の手で再現することだった。写真は、千里丘陵と気候条件が似た春日山原始林の照葉樹林。大木と若木・幼木、極相種と先駆種がモザイク状にランダムに入り乱れた構造の森で、高い多様性が保たれている。
万博記念公園の森づくりのゴールは本来、大阪の千里丘陵に成立する潜在自然植生である照葉樹林を、人の手で再現することだった。写真は、千里丘陵と気候条件が似た春日山原始林の照葉樹林。大木と若木・幼木、極相種と先駆種がモザイク状にランダムに入り乱れた構造の森で、高い多様性が保たれている。

虚しいことに、苗木の密植作戦は完全に裏目に出て、植えられた樹のほとんどは結局うまく育たんかったんや。植栽から23年が経った1995年に、樹木の生育状況が調査された際には、もやしみたいにヒョロヒョロの、頼りない樹ばかりが生えた森が完成しとったらしい。あまりにも高密度で苗木が植栽されたせいで、樹1本あたりが利用できるスペース・養分がごく少なくなって、全員が栄養失調に陥ったんやな。

さらには、激しい競争のせいで一部の樹(アラカシ、クスノキ、スダジイ)だけが勢力を強めてしまって、樹種の多様性が非常に低くなってた。

あらら…あまりにも激しい競争が起こると、さすがの樹木たちも参っちゃって、森全体の機能が大きく低下するんですね…。

高知県四万十川に成立していた照葉樹の二次林。
高知県四万十川に成立していた照葉樹の二次林。一見原生的な森に見えるが、森の内部に入ってみるとヒョロヒョロとした細い樹が密集した、貧弱な森林景観が広がる。これでは、森の防災機能や生態的な機能は非常に低い。
高知県四万十川に成立していた照葉樹の二次林。一見原生的な森に見えるが、森の内部に入ってみるとヒョロヒョロとした細い樹が密集した、貧弱な森林景観が広がる。これでは、森の防災機能や生態的な機能は非常に低い。

照葉樹が異常に密生した空間では、個々の樹木の生育が悪くなって、貧弱な森が出来上がってしまう、というのは割とよくある話なんや。例えば南九州や四国南部、紀伊半島の山村に行くと、放置されたシイの薪炭林をよく見かけるねんけど、その多くはもやし状の貧相な森に成り下がってる。

このタイプの森を修復しようと思ったら、密生した樹を間引くしかない。ほんで、万博記念公園で間引かれた樹が、2025年の万博会場の夢洲に移植されたんやな。

本来の極相林では、寿命を迎えた先駆種と現役の極相種が混交しており、先駆種が枯れたあとにギャップ(林冠に空いた穴)が頻繁に発生することで、林内に一定の日照が供給されて下層植生の多様性が増す。また、ギャップによってスペースがあくので、樹木が過度に密生することもない
本来の極相林では、寿命を迎えた先駆種と現役の極相種が混交しており、先駆種が枯れたあとにギャップ(林冠に空いた穴)が頻繁に発生することで、林内に一定の日照が供給されて下層植生の多様性が増す。また、ギャップによってスペースがあくので、樹木が過度に密生することもない。
万博記念公園の森で、もやし状の貧弱な森が出来上がってしまったメカニズム。当初は、ある程度の自然淘汰が起こることを想定して苗木の密植が行われたのだが、実際には淘汰がほとんど起こらず、ほぼ全ての樹が育ってしまった。これがもやし状の森が出来上がってしまった原因である。

この話を聞くと、森づくりってすごく難しい事業なんだと気付かされますね。“本来の生態系を復活させよう!”という、崇高な理念のもと進められた万博記念公園での森づくりも、苗木の密植が原因で行き詰まったわけですし…。

自分が植えた樹が、自分の思い通りに育ってくれる、なんていうのは、人間側の勝手な思い込みなんですね。

海岸沿いにマツの防風林を造成した土地に、雨水が溜まって樹木の成長が止まってしまった例。

樹木とのお付き合いって、なんか上手くいかへんことが多いんよな。そういうときって、大抵人間の側が樹木や森林の動態を読み違えているんや。

樹木たちは、途方もなく長大な時間軸の中で生きてるからな、一度彼らとの関係性がこじれると、長い年月にわたってその問題が尾を引くことになる。十分な知見を持たずに樹木と接すると、人間の側が後々手痛いしっぺ返しを食らうこともあるんや。

樹木って、ある意味すごく気難しくて、扱いづらい生物なんですね…。実際にそういう事例があるんですか?

いっぱいあるで。万博記念公園の事例は、一時的に樹木の生育が止まってしまっただけで、大きな損害も出ておらず、森づくりに関するトラブルとしては割と軽い方や。

でも歴史を見渡してみると、人間が樹木との付き合い方をミスって、深刻な事態に発展した例もある。

全然仕事をしてくれなかった防風林

日本の南洋諸島(南西諸島、小笠原諸島)の海岸沿いに行くと、針葉樹のような風貌の高木をよく見かける。

この樹、よくマツと間違えられるねんけど、マツの仲間ではなく、さらには針葉樹でもない。熱帯アジア〜オーストラリア原産の「モクマオウ」(Casuarina sp)という広葉樹や。もっとも、葉は極端に退化していて、針葉に見えるモノは“葉状枝”(ようじょうし)と呼ばれる枝やねんけどな。

この樹は約100年前、防風林を造成するために沖縄・小笠原に導入されたんやけどな、いざ植えてみると全然仕事ができへんヤツやったんや….。ほんで今日、この樹がらみの厄介な問題が続々と噴出して、現地の生態系に重大な影響を及ぼしてる。

海岸沿いに生えるモクマオウ。石垣島にて。
海岸沿いに生えるモクマオウ。石垣島にて。
モクマオウの葉状枝の拡大写真。枝の途中に等間隔に設けられた節が退化した葉。現在日本には、主に2種類のモクマオウが生育しているが、ぱっと見での識別は困難。
モクマオウの葉状枝の拡大写真。枝の途中に等間隔に設けられた節が退化した葉。現在日本には、主に2種類のモクマオウが生育しているが、ぱっと見での識別は困難。

葉が退化した広葉樹って、珍しいキャラですね。“仕事ができへんヤツ”とは、また散々な評価…いったいどういった経緯で、そんな樹が導入されちゃったんですか?

道路脇の僅かなスペースで大木に育ったモクマオウ。モクマオウの大量植樹が行われたのは、砂地などの貧栄養地でも大きく育つ丈夫さが買われてのこと。
道路脇の僅かなスペースで大木に育ったモクマオウ。モクマオウの大量植樹が行われたのは、砂地などの貧栄養地でも大きく育つ丈夫さが買われてのこと。

沖縄って、サトウキビの栽培が盛んやろ。実は甘い砂糖を作るためには、防風林の存在が必要不可欠なんや。

サトウキビの糖度は、株の光合成能力で決まる。強い海風が吹き付ける畑は、土壌が乾燥するし、潮の影響も受けるから、そういう立地で育てられたサトウキビはどうしても成長が悪くて、茎の糖度も低いんや。しかも台風が直撃したら、いっぺんに作物がなぎ倒されてまうしな、吹きさらしの土地は畑として使えへんのや。

防風林の樹高とサトウキビの収穫量・糖度の関係を示したグラフ。防風林によって保護されている畑のほうが、生成される葉の枚数が多いため、収量と糖度が上昇する。
(https://www.alic.go.jp,独立行政法人農畜産業振興機構のホームページより引用)
防風林の樹高とサトウキビの収穫量・糖度の関係を示したグラフ。防風林によって保護されている畑のほうが、生成される葉の枚数が多いため、収量と糖度が上昇する。
(https://www.alic.go.jp,独立行政法人農畜産業振興機構のホームページより引用)

そういう事情があって、沖縄では古くから、海風から畑を守ってくれる樹木が大切にされてきたんや。いまでも海沿いの村落に行くと、在来種の「テリハボク」や「ハスノハギリ」の防風林をよく見かけるな。

でも在来の樹木たちはいかんせん成長が遅い。一人前の大木に育って、きちんと畑を守れるようになるまで、50年近くかかるんや。

明治時代になってサトウキビの作付面積が増えると、もっと素早く防風林を作ってくれる樹のスカウトが始まった。ほんで、当時世界中の熱帯地域で緑化樹として用いられていたモクマオウにも白羽の矢が立って、1908年に台湾から種子が持ち込まれたんや。

手っ取り早く森を作ってくれる樹は、何かと頼りになりますもんね。当時の人々がモクマオウを重宝していた理由は、すごく納得できます。

石垣島の海岸沿いに造成されていた、テリハボクの防風林。これほどの防風林が完成するまで、100年近くかかる。
石垣島の海岸沿いに造成されていた、テリハボクの防風林。これほどの防風林が完成するまで、100年近くかかる。

やせ地でも育つタフさと成長の早さが重宝されて、その後モクマオウの植栽はあっという間に南西諸島のほぼ全ての島に広がり、海岸部の景観に溶け込んでいった。1945年の沖縄戦で島全体が焦土となった沖縄本島では、短期間で防風林を復旧してくれるモクマオウが、戦後復興の際大いに重宝されたらしい。

マングローブ林の背後に防風林として植栽されたモクマオウ。石垣島にて。
マングローブ林の背後に防風林として植栽されたモクマオウ。石垣島にて。

ところが後になって、モクマオウには防風林としての役割を果たす能力がなかったことが発覚したんや。

モクマオウは根が浅いから、植栽後20年〜30年経って一定の樹高に達すると、根系と樹体の重量バランスが崩れて倒れやすくなる。台風に直撃されると、根っこごと横倒しになってまうんや…。畑のガードマンとしてスカウトされたのに、強風に対する戦闘力が全然なかったんやな。

それどころか、枝がぽきぽき折れやすいゆえか、強風が吹いた際に大枝を落として、付近のサトウキビ畑を破壊する不祥事を起こす始末。何してくれとんねん、ってことで、最近になって防風林のモクマオウの大量リストラが始まったんや。

ええ…!雇ったガードマンが全然頼りにならなかった上に、時々勢い余って自分をぶん殴ってくる、みたいな話ですよね…。なんでそんなヤツ採用したんだ、ってなっちゃいますよね。

砂浜に侵入したモクマオウ。石垣島にて。
砂浜に侵入したモクマオウ。石垣島にて。

でも時すでに遅しやった。実はモクマオウ、凶暴な性格の持ち主でな、持ち前の生命力を爆発させて防風林から逃げ出してしまったんや。

とにかく成長が早い樹やから、モクマオウが侵入した土地ではあっという間に在来の植生が駆逐されてしまう。今日、沖縄・小笠原のみならず、世界中の熱帯地域の約60カ国でモクマオウが野生化しとって、その勢力はもはや人間の制御が効かないレベルまで拡大してるんや。

小笠原諸島の森には、441種の在来植物種が生育しており、そのうち161種(約36%)は地球上でここでしか見られない。木本植物に限定すると、実に68%が固有種。世界でも類を見ない希少な植生なのである。
モクマオウが繁茂する、小笠原諸島・父島のコペペ海岸。本来、固有種の海岸性植物が独自の植生を創り上げている土地なのだが、モクマオウの侵入を受けて土着の植生は消え去っている。
モクマオウが繁茂する、小笠原諸島・父島のコペペ海岸。本来、固有種の海岸性植物が独自の植生を創り上げている土地なのだが、モクマオウの侵入を受けて土着の植生は消え去っている。

世界自然遺産に登録されている小笠原諸島は、おそらく地球上で最もモクマオウの蔓延が深刻な土地のひとつや。

小笠原諸島には1879年、薪や用材を採るためにインドからモクマオウが導入されたんやけど、現在では海岸部のほとんどがモクマオウの森に覆われていて、「シマイスノキ」、「コヘラナレン」、「ツルワダン」、「タコノキ」など、希少な固有植物の棲家が奪われている。

葉状枝は分解されにくいから、モクマオウが優占する森の林床では土壌がほとんど形成されず、枝葉がどんどん降り積もっていくんや。せやから、一度モクマオウの森が出来上がってしまうと、その土地で他の植物種が生存するのは殆ど不可能になる。

「オガサワラハンミョウ」という固有の甲虫は、イネ科の草本がまばらに生えた裸地を棲家としていたんやけど、モクマオウが繁茂してそういう環境が消えてしまったせいで急速に数を減らして、父島では1931年を最後に生息が確認されてない。素行の悪い外来樹種を招き入れたがために、小笠原の生態系は甚大なダメージを負ってしまったんや。

たった1種の樹木が、生態系全体を改変して、固有種を絶滅させてしまったんですね…。“樹木”という遠い未来まで生きる生物を、安易な考えで取り扱うと、後世に取り返しのつかない結果をもたらしてしまうんですね…。

膨大な量の落枝が降り積もった、モクマオウ林の林床。分厚い落枝が完全に土壌を密閉してしまい、他の植物種は生育することができない。
膨大な量の落枝が降り積もった、モクマオウ林の林床。分厚い落枝が完全に土壌を密閉してしまい、他の植物種は生育することができない。

沖縄でも、海岸部に繁茂するモクマオウが、在来の樹木の生育を妨げていると指摘されてる。林床に大量の落枝を溜め込む悪い癖は、どこに行こうと抑えられるものではないんやな。

さらに厄介なことに、杉・檜が生えていない沖縄では、モクマオウが花粉症の原因になる。沖縄県内で鼻アレルギーを発症した患者に対して、琉球大学の研究チームがその原因物質を特定するテストを行ったところ、被験者のうち9%はモクマオウ花粉に対してアレルギー反応を示していたらしい。モクマオウの花粉症、結構辛いらしくてな、鼻詰まりや結膜炎のような、典型的な花粉症の症状のほかに、湿疹や気管支喘息が引き起こされることもある。在来の動植物のみならず、日本全国に約3000万人存在するといわれる花粉症患者の居場所も、モクマオウによって奪われているんや。

杉檜がない沖縄は、花粉症に悩む人々にとって最後のユートピアだったのに、モクマオウがそれをぶっ潰してしまったんですね…。ショックすぎます。

海岸部を覆い尽くすモクマオウの森。父島西海岸にて。

ありのままの自然の価値を
見失わないために

現在、沖縄や小笠原では、郷土に根ざした在来樹種の価値が見直されてるんや。例えば2018年には、トヨタ財団が宮古列島の池間島でテリハボクの防風林を造成する事業に助成を行ってる。

テリハボクやハスノハギリのような在来の樹は、ゆっくり成長するぶん、ちょっとやそっとの台風ではびくともせえへん強靭な肉体を構築する。そんな精鋭たちが、大勢でスクラムを組んで海風に立ち向かってくれるんや。植栽してしばらく経つと防風林の職務をバックれてしまうモクマオウより、はるかに頼りになるやろ。

小笠原諸島の海岸線には、本来ハスノハギリやタコノキが生い茂る森が成立する。写真はハスノハギリの大木。結局こういう森が一番頼りになる。
小笠原諸島の海岸線には、本来ハスノハギリやタコノキが生い茂る森が成立する。写真はハスノハギリの大木。結局こういう森が一番頼りになる。

長い年月をかけて幹枝を鍛え上げる郷土の樹のほうが、やっぱり信頼できますよね。
在来の樹木たちの時間軸を無視して、人間の都合で余所者の樹を持ち込んでも、きちんと機能する防風林は出来上がらないんですね。

モクマオウが導入された頃は、そもそも外来種という概念が無かったし、生態学自体が十分に発達していなかったからな、樹木と良好な関係を構築するための知見が足りていなかったんやと思う。それゆえに、本来信頼すべき在来樹種の価値を見失って、縁もゆかりもないモクマオウに100年以上にわたって振り回される結果に繋がったんや。

万博記念公園での森づくりの停滞も、森という構造の複雑さを人間の側が見誤っていたのが根本的な原因や。樹が大きくなるだけでは森は完成せえへん。樹木の生死のサイクルが歯車のように噛み合って、長い年月にわたって回転し続けることで初めて、森の生態系が創り上げられるんや。

この2つのエピソードを聞くと、きちんとした知見をもって樹木に接することの大切さを実感しますね。

ビル街の真ん中に、巨額の費用をかけて再現された自然の森・大手町の森。自然の持つ価値は、どれだけ社会が発展しても変わらない。
ビル街の真ん中に、巨額の費用をかけて再現された自然の森・大手町の森。自然の持つ価値は、どれだけ社会が発展しても変わらない。

先人たちが積み上げてきた、膨大な自然科学の知見は、過度な生態系の改変や、誤った手法での動植物の取り扱いを防ぐストッパーとして機能して、人間が道を踏み外すリスクを大幅に下げてくれる。

逆に正しい知見を持たずに(もしくは目を背けて)、経済的な合理性だけを追求していると、目の前に広がるありのままの自然の価値を見失ってしまうんや。
受け取るべき価値を、きちんと受け取る。これが、生態系の一員としての義務であり、私たちが自然を知らなくてはいけない一番の理由も、そこにあるんやと思う。

恩恵を貰いっぱなしにせず、自然に対して謙虚な姿勢でいるためにも、これからの私達にとって自然科学の知見はますます重要なものになっていきそうですね。

最後に大事なこと。
樹木との関係性がこじれたとしても、折り合いをつけることは十分可能なんや。

万博記念公園で森づくりが行き詰まった事例でも、結局は間引いた樹を今回の万博会場に移植できて結果オーライやったし、沖縄でもモクマオウがバーベキュー用の薪の材料として重宝されていると聞く。モクマオウの炭や薪を売り出してお金に変えるシステムが出来上がれば、駆除が進んで在来の植生の保全にも繋がるはずや。

たとえ樹木とのお付き合いが上手くいかなくても、何とかそこに価値を見出して、生態系に生じた歪みを補正していくのが大事なんですね。

樹木たちは、途方も無いほどの長い時間軸で生きているからな、人間がやらかしたとしても、その失敗の折り合いをつける時間的な猶予は与えてくれる。

そう考えると、樹木というのは意外と大らかな奴らなのかもな。知らんけど。

《杉センセイまとめ》

前回の万博終了後、生態系を復活させることを目標に会場跡地で森が造成されたが、苗木の密植が原因で森づくりが行き詰まってしまった。そこで間引かれた樹が、2025年の関西万博会場内の植栽に転用された。


南西諸島では防風林を造成するために外来のモクマオウが導入されたが、結局防風樹種としては殆ど役に立たなかったうえ、逸出して現地の生態系に重大な影響を及ぼしてしまった。ゆっくりと育ち、強靭な海岸林をつくる在来の樹種の方の価値が近年見直されている。


正しい知見を持たずに自然と接すると、間違った手法で動植物を取り扱ってしまったり、目の前の自然が持つ価値を見失ったりして、のちに手痛いしっぺ返しを食らうことになる。
●参考文献
・千原裕(2016)”日本万国博覧会記念公園の40年間にわたる自然再生の取り組み”,建設機械施工 Vol.68 No.2 February 2016060.pdf
・大阪府(n.d.)“万博記念公園における今後の緑の方向性”3midorisiryo.pdf
・日経クロステック(2024)”万博会場中央に「静けさの森」、1500本の樹木を個体管理してランドスケープ設計” 112100078
・根間恵勇(2007)“沖縄県におけるさとうきび増産に係る農地防風林のあり方について”独立行政法人農畜産業振興機構fs_0707a.htm
・沖縄県(2024)“生物多様性おきなわ戦略” 3_dai2syou.pdf
・知念良之,西野吉,芝正己(2017)”沖縄県多良間島における産業用および家庭用燃料資材調達の歴史的変遷”日林誌(2017)99: 129―135ja
・日本森林技術協会(2022)“小笠原諸島における人為的な生物導入・調査研究事業等の歴史” R4_oga_history.pdf
・関東森林管理局(2008)“小笠原諸島森林生態系保護区域保全管理計画” 080402-2.pdf
・環境省(2014)“世界自然遺産小笠原諸島” ogasawara_torikumukoto.pdf
・川上和人(2019)“小笠原諸島における撹乱の歴史と外来生物が鳥類に与える影響”日本鳥学会誌68(2): 237–262 (2019)_pdf _pdf
・生沢均,平田功(1998)”モクマオウ林の林分構造と更新種の出現特性について” no51_103-104.pdf
・トヨタ財団(n.d.)“Soft is beautiful” joint00_contribution01.html
三浦 夕昇 (みうら・ゆうひ)
神戸出身の19歳。樹木オタク。幼少期から樹木の魅力に取り憑かれており、日本各地の森を巡っては樹を観察する毎日を送る。2023年冬より、ニュージーランドの学校で環境学を学ぶべく留学をする予定。