1000年レベルで生きている樹木がいることは皆さんご存知だと思います。では、そんな樹木たちの“死”にふれたことはあるでしょうか。いきなり死と言われても何だか怖いですよね。でも、杉センセイによると、地球の生態系にとってもかなり重要な要素なんだとか。早速杉センセイの話を聞いてみましょう!
ぶっちゃけ、樹木の死って、
そんなに悲しいことですか?
杉センセイ、このニュース、知ってます?去年の夏のことなんですけど、青森県五所川原市の桜並木が寿命を迎えて、やむなく伐採されてしまったそうなんです。
https://newsdig.tbs.co.jp/articles/-/612536?display=1
五所川原はわしも行ったことあるで。毎年5月ごろに、桜や菜の花、林檎の花が岩木山をバックに咲き誇ってな。それはそれは見事な景色やった。そのパーツがひとつ消えてしまう、というのは少し寂しいものがあるな。
樹木だって、いつかは死んでしまう、ということですよね。でも正直、樹木の死って、動物の死と比べると悲壮感の度合いが低いですよね。わたし、長年飼っていた猫が亡くなった時は号泣したんですよ。でも、庭で育てていた樹が害虫にやられて枯れたときは、別に泣くほどではなかったんです。命の価値は平等、とはいうけれど、やっぱり動物の死と植物の死では、受け止め方が違うと思うんですよね。これって、悪いことなんですかね?
別に悪くないで。たぶんそれが普通の感覚や。水族館のイルカが寿命で亡くなったニュースを見て泣く人はいても、街路樹の伐採現場で泣いてる人なんて、まず見かけへんやろ?
樹木好きの杉センセイのことですから、馴染みの樹に何かあったら号泣どころの騒ぎではないのでは…って思ってたんですけど、案外冷静なんですね(笑)。なぜ私たちは、樹木の死を、動物の死よりも軽く受け止めてしまうんでしょう?
動物の死と樹木の死って、実は全くの別物なんや。動物と樹木では、からだの構造が全然違うからな。せやから、両者の捉え方に差が出てしまうのは当然やと言える。実際日本語では、樹木の死に対して「枯れる」という別個の表現が充てられてるやろ?わしらは動物やから、そもそも“樹木の死”という異質な現象に対して感情移入をすることができへんねん。
確かに、動物と樹木は、全く性質が違う生きものですよね。私たちの死生観は、樹木の世界では通用しないのか…。具体的に、どんな違いがあるんですか?
一言で言うと、樹木の世界では、「生と死の境目が曖昧なんや」。動物の死には、“命の終点”としての絶対的な意味合いがあるやろ。だからこそ、生きている者たちは皆、そこに対して恐怖感や悲しみを感じるし、今生きている瞬間を大事にできるんや。でも樹木の世界では、生と死が連続的に繋がってるんや。一種のグラデーションで、そこに明確な境目はない。
生と死に、明確な境目がない…?一体どういうことですか?死んだらそれでおしまい、死んでないから今生きてる、っていうのが私たちの世界での基本的なルールだと思っていました。
例えば一部の樹木には、“若返り能力”が備わってるんや。彼らは死期が近いことを悟ると、自らの意思で若返りを行い、新しい生涯をスタートさせる。中には幾度も若返りを繰り返して、1万年近く生き続けるヤツだっておる。動物の世界では、「死からは絶対に逃れられない」というのが共通認識やけど、樹木の世界ではそうでもない。最終的に死を迎えることには変わりないねんけど、彼らはそれを数百年〜数千年単位で先送りにすることができるんや。「死が回避可能になった世界」を想像してみ。生きることへの執着とか、死に対する恐怖感・悲壮感は、かなり薄まると思わへんか?生と死の境は、“死は避けられないもの”という前提があってはじめて成り立つものなんや。
若返り能力…⁉︎確かに、死が回避可能になってしまうと、生きていることの重要性とか、死の重大性は薄まってしまいますよね。樹木の世界では、“死”の意味合いが私たちの世界とは全く違うんですね。なんか私、樹木の世界の死生観に興味が出てきました。彼らだって生きものですから、いつかは死んでしまうわけですよね。彼らにとって死とはどういうものなんでしょう?
私たちは動物やから、樹木の死がどんなものなのか、想像しにくいよな。でも今日だって、森のどこかで、無数の樹木がひっそりと生涯を閉じてるんや。彼はどんな風に、あの世へ旅立つのか?樹木の死は、自然界においてどんな意味を持つのか?今回はこれに注目していくで〜。
樹木の一生は、
切ない片道切符
動物の体は、年を重ねるごとにその機能が衰えていって、やがては死を迎える。いわゆる「老い」というやつやな。樹木の世界でもこれは同じなんや。
そうなんですか?でも、近所の樹齢1000年のクスノキの巨木は、年中青々とした葉を茂らせていて、元気そうにしてますよ。彼は確かに古木ですけど、「老い」なんていうネガティブな言葉とはかけ離れた存在だと思います。
おそらくそのクスノキは、人間の手厚い“介助”を受けて元気に暮らしてるんやと思うで。樹木たちの老後の生活は、決して楽なものではない。樹齢数百年クラスの巨木たちは皆、“赤字スレスレの生活”を送ってるんや。
赤字スレスレ?一体どういうことですか?
ご存知の通り、樹木は毎年枝や幹を伸長させて、樹体を大きくしていく。これを数百年も続けていくと、当然ながら枝や幹の体積・重量は膨大なものになる。例えば、樹齢300年、樹高30mのブナの枝幹重量は約40トン、体積は360㎥(深さ120cmの水を張った25mプールの容積とほぼ同じ)に達するんや。
これだけ巨大な枝幹を生成するためには、莫大な量の「糖」が必要になる。しかも枝や幹は24時間呼吸し続けるから、そこでも大量の糖が消費される。
樹木が消費する糖の量は、樹齢を重ねるにつれてどんどん増えていくんですね。
その通り。上の図を見るとわかるように、樹木の体内で利用される糖の殆どは、光合成によって賄われるねんけど、樹木の光合成能力は加齢とともに衰えていく。樹高が高くなると、吸水効率が悪くなって、樹冠の葉が水ストレスに晒されてまうからな。糖の消費量はどんどん増えていくのに、光合成能力は一定の水準で頭打ちになるんや。すると何が起こると思う?
生命維持に必要な糖が賄えなくなっちゃいますね…。なるほど、これが“赤字”ってことか。
そう。糖の消費量が光合成能力を上回ると、樹木のからだは一気に衰えていく。樹木の幹には、「リグニン」っていう材の腐朽を防ぐための物質が含まれてんねんけど、糖が不足するとその生成が疎かになるんや。当然ながら樹木の抵抗力は落ちて、病原菌や害虫のダメージを受けやすくなる。幹や根元からキノコが出ていれば、その樹はもう長くないな。菌糸に幹の内部を蝕まれて、やがて倒れてしまうんや。
樹木たちは、生涯を通じて「幹枝を伸ばす」ことしかできませんよね。それなのに、彼らの体は大きくなればなるほど、その機能が衰えるようにできている。いわば、幹を太らせるほど、梢を高く伸ばすほど、死に近づいていく…。森の樹々は、皆そんな宿命を背負って生きているんですね。そう考えると、なんか切ないなあ…。
そうやな。すべての樹木たちは、自らの体を大きくすることに一生を捧げるんや。たとえその先に待っているのが、糖の不足に苦しむ未来やったとしてもな。人間の尺度で考えると、これは意味のないことに見える。でもよく考えてみ。樹木が大きく育つことで、地球の生態系全体に、とてつもなく大きな恩恵がもたらされるんや。
樹が大きく育つことの恩恵…?たとえばどんなのでしょう?
樹木は、その巨大さを活かして、“気候”を操ることができる。陸上で最も生物多様性が高いバイオームは森林やねんけど、これは樹木による気候操作のおかげや。森林の内部は、巨大な樹冠によって外界と隔てられているから、湿度と気温が一定に保たれた独特な気候を帯びる。陸上の生物種のうち約8割は森林に棲んでいるねんけど、彼らはこういった安定した環境に依存してるんや。樹木の巨大なからだは、無数の生命を護る「シェルター」として機能するんやな。
樹木たちが巨大化することによって、自然環境の基盤が出来上がっていくんですね。そう考えると、彼らは生涯を通して、生態系全体に無償の奉仕を行なっている、とも言えますね。
その通り。でも樹木たちの最期は、あっけないものなんやで。彼らの最期の瞬間は、たいてい天気が悪いときにおとずれる。森の中を吹き抜ける強風や、突発的な大雪が、臨終真際の樹木の“お迎え”の役割を果たすんや。風圧や雪の重みに耐えられへんくなった幹が、バキッと音をたてて地面に崩れて、そこで樹木の命は消えてしまう(若返りを行う樹種はこの限りではない)。数百年の命も、尽きる時はほんの数秒なんや。
樹木の死後に起こること
樹木の死は、森の生態系、いや地球全体の生態系にとって大きな意味を持つんや。地球規模で見ると、樹木は「太陽エネルギー変換器」の役割を果たしているといえる。彼らは地球に降り注いだ日光を炭水化物(糖)に変換して、それを数百年にわたって自らの体内に溜め込む。樹木の死は、長い年月にわたって貯蔵されてきた太陽エネルギーが、地表に放出される瞬間でもあるんや。
樹木の死を起点にして、新しい生命の営みが始まるんですね。
枯死木は、森の大事な資源や。日本の、林齢100年以上の広葉樹林では、1haあたり約70本の枯死木が存在すると言われている。これらは皆、樹木たちが生前に生産した糖の塊や。真菌と細菌、そして昆虫を主とする無脊椎動物など、「分解者」と呼ばれる生物たちの貴重な食料源となる。彼らは、樹の遺骸を分解して土壌を生成し、次世代の樹木の生長を助ける役割を担うんや。
一見すると枯死木というのは、物悲しい風貌で、生気が感じられへん物体に見える。でもその内部は、森の中で一番、生命に満ち溢れた空間なんや。イギリスで行われた研究では、1kgあたりの腐朽木に、およそ2500個体の節足動物が棲息していると試算された。分解者の多様性の高さには、現代科学でさえも追いつけてなくて、朽木の腐朽プロセスや、それを軸とした生物種間のネットワークについては、完全には解明されていない。枯死木の内部の生態系は未だに私たちにとって未知の世界なんや。樹の遺骸の内部では、今この瞬間も、無数の生命が蠢いていて、森林生態系のサイクルが密かに回されてるんや。
樹が生前に溜め込んだ太陽エネルギーが、分解者たちの仲介によって、森の生態系に補給されるんですね。分解者と樹木、どちらが欠けても崩れてしまう、繊細なシステムですね。
分解者だけでなく、森に棲むさまざまな生物が、枯死木と深く関わりながら生きている。WWF(世界自然保護基金)の調査によると、ヨーロッパの落葉広葉樹林に生息する全生物種の3分の1が、枯死木に何らかの形で依存しているらしい。1966年にオックスフォード大学が行った研究では、もし地球上の森から全ての枯死木、枯れ枝が消え去ったら、全動物種の5分の1が絶滅すると試算されてる。樹の遺骸は、生態系の豊かさを維持する上で必要不可欠な、超重要パーツなんや。
森を歩いているときはあまり意識しないけれど、枯れ木って大事な存在なんですね。具体的に、どんな生きものが、どんな風に枯死木を利用するんですか?
挙げはじめるとキリがないな。キツツキやフクロウなどの、「樹洞営巣性鳥類」は、古木や枯死木の幹に形成されたほら(樹洞)に営巣する。長野県のブナ林では、森に生息する鳥類の全個体のうち、約5割が樹洞を利用していたという報告もある。あと、日本では17種類の森林性コウモリが、樹洞をねぐらとして利用する。モモンガやムササビ、ヒメネズミも、同じく樹洞をねぐら、子育て・出産の場として利用する。
枯死木が川に倒れたら、水中の生態系にも変化が現れる。倒木が沢の流れをブロックすると、そこで土砂が堰き止められて、浅瀬や中洲が形成される。すると水流が緩やかになって、止水環境を好む魚(ハゼ類、トゲウオ類)や、泳ぎが未熟な稚魚の棲家が出来上がるんや。倒木が河川を跨っている場合、その下は日陰になって、魚たちの隠れ家として機能する。
倒木が水の流路を変化させることで、水中の生態系も活性化するんや。
虫も、きのこも、鳥も、哺乳類も、魚も、森の中のありとあらゆる生きものが、枯死木のお世話になっているんですね…‼︎樹木のからだは、太陽エネルギーを元手に、数百年かけて築き上げられた“遺産”と言えますよね。それを、森に棲む全ての生物が、各々にとって最善の方法で相続する。素敵な営みですね。
遺産の相続人は、森の住人だけではないで。森からは遠く離れた深海にも、枯死木の恩恵を受ける生物がおる。
深海⁉︎樹とは無縁の場所ですよね…。そんなところにも、樹の遺産の受け取り人がいるんですか?
ご存知の通り、深海は光の無い世界や。水深200mよりも深いところには、太陽光が殆ど届かへんから、光合成が行われなくなる。つまり、有機物の生産がほぼゼロになるんや。そういう場所では、外部から供給される有機物をもとに、生態系が駆動していく。
洪水や豪雨で、森から川に、そして川から海に流された朽死木は、長い時間をかけて沖合まで運ばれる。水をたっぷり含んで重くなると、枯死木はゆっくりと海中に沈み始め、やがて海面下数千メートルの深海まで到達する。不毛な深海に鎮座した枯死木は、おそらく周囲数百km圏内の海域で、最も巨大な有機物の塊や。これらは、フナクイムシやニオガイなどの深海棲の二枚貝や、貝虫(かいむし、深海棲の節足動物)の貴重な食糧となる。こういった、枯死木を中心とした深海生物のコミュニティを「沈木(ちんぼく)生物群集」というんや。
深海って、地球上で一番太陽光が届きにくい場所ですよね。枯死木が、生前に貯めた太陽エネルギーを、長い長い旅路を経てそこまで運搬する。そして、暗闇に閉ざされた生態系が、間接的に太陽エネルギーを受け取れるようになる…。なんというか、スケールの大きな話ですね。
樹木の世界では、
生と死が緩やかに分離していく
今まで、森の中で枯死木を見かけても、なんとも思わなかったし、どちらかというと地味な存在だと捉えていました。でも実際には、枯死木からいくつもの壮大なストーリーが紡がれるんですね…。森の樹木と深海生物が密接に繋がっているだなんて、思いもしませんでした。
冒頭でも触れたように、動物界では、生者の世界と死者の世界が厳格に切り分けられてる
私たちと故人は、形のない精神的な繋がりで結ばれてる。墓参りをしたり、お盆・お彼岸に偲んだり…。でもこれらは、生者の側から死者の側に向けて、一方的に形づくられるものや。当たり前やけど、死者の側から、生者の側に向けて何かしらのアクションを起こすことはできへん。人間の世界では、一度死んでしまった者は、この世との繋がりを保つ手段を完全に失ってしまうんや。
確かに、死者と生者の関係性を維持できるのは、生者の側だけですよね。死者が生者に対して、何かしらの働きかけをしたりをすることは一切不可能。死者とこの世の繋がりは、生者の側が心の中に持っている“記憶”によって辛うじて保たれている。もちろん、死者と生者が物理的に接触するのも不可能だし……そう考えると、私たちと、故人のあいだの関係性って、脆くて、曖昧なものなんですね。
そうやな。だからこそ、人間は死を“永遠の別れ”と捉えて恐れ、時には忌避するんや。でも森の世界では事情が違う。樹木は、死後も長い期間にわたって生者との関わりを保ち続けるんや。今回見てきたように、森の鳥類から深海生物まで、さまざまな生きものが樹木の“死”と密接に関わり合いながら、生態系のサイクルを回してる。
樹木の遺体の分解には、途方もない時間がかかる。巨木の場合、完全に土に還るまでに100年近くかかることだってある。本体があの世に旅立ったあとも、その樹が生きていた証は、長い年月にわたって物理的に保存されるんや。この“タイムラグ”によって、死んだ樹木と森の生命が繋ぎ止められるんやな。樹の遺体が完全に消えるまでの時間的余裕のおかげで、亡き樹木と生者たちとの間の、強固な関係性が維持されるんや。人間の世界では、“死”というのは後戻りの効かない一瞬の出来事やけど、樹木の世界ではそうではない。亡き樹木たちは、死後もなお生態系のサイクルの一員で、森での生命の営みに巻き込まれながら、何年もかけてゆっくりこの世から離れていく。森では、生と死が緩やかに分離していくんや。
確かに、「死」を“この世との繋がりが絶たれること”と定義すると、樹木の死は一瞬の現象ではなく、何年もかけて進行する連続的なプロセスとして捉えられますね。樹木の世界では、生と死がグラデーション、という言葉の意味がわかりました。
そうやろ。森の生態系は、生者の世界と死者の世界の混じり合いでできている。森に棲むさまざまな生きものが、亡き樹木からのギフトに頼って生きてるんやからな。長い目でみると、森での生と死は、連鎖的に繋がっていて、両者の間には密接な交流がある。樹木の死は、未来の生の灯りをともす着火剤なんや。そう考えると、死というのはそれほど悲しいことではないのかもしらんな。知らんけど。
《杉センセイまとめ》
・動物の死と、樹木の死は、性質がまったく違う。一部の樹木には若返り能力があり、死を数百年単位で先延ばしにすることができる。何をもって“樹木の死”とするかの定義づけは難しい
・幹と枝が年を経るごとに大きくなり、糖の消費量が光合成能力を上回ると、その樹は“赤字”の状態に陥り、徐々に体の機能が衰えていく。これが樹木が寿命を迎えるメカニズム
・樹木の遺骸は、さまざまな森の野鳥や昆虫、哺乳類から、深海生物まで、さまざまな生きものに利用される。枯死木なしでは、地球の生態系は機能しない
●参考文献
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