杉センセイの生物図鑑、 知らんけど
# 21
ただ、そばにいてくれるだけで
2024.2.12

日本で暮らしていれば必ず目にするであろう街路樹。なんとなく景観のために植えられているのかなと思いきや、実は何千年にもおよぶ、快適な暮らしをつくるための歴史が隠れているのでした。そんな街路樹のあれこれについて、今回も饒舌な杉センセイのトークが炸裂します。

写真・文:三浦 夕昇

街路樹や公園樹の栽培は
なぜ行われるのか?

杉先生、聞いてくださいよ。わたし、年末に関西の実家に1年ぶりに帰ったんですよ。そしたら、万博に向けての再開発で街の風景がガラッと変わってて…。

街がオシャレになったのは良かったんですけど、ちょっとショックなこともあったんです。

なんや、ショックなことって。実家も再開発でなくなっとったんか?

違いますよ(笑)

お気に入りの場所だった駅前のトウカエデ並木が全部伐採されて、歩行者天国に変わっちゃったんです…。小学生の頃から眺めてきた並木道なので、すごく寂しくて…。

京都市・下鴨神社の森の林冠。人工物に囲まれた街中に、こんな空間があるだけで落ち着く。

慣れ親しんできた街路樹が突然なくなると、辛いものがあるよな。まちなかの緑について、考えるきっかけになったんちゃう?

そうですね。街路樹や公園樹って、そこかしこに植えられてますし、普段は特段気にかけているわけでもないんですけど、いざなくなると強い喪失感に襲われるんですよね。それだけ、私たちの日常に深く溶け込んだ存在なんですね。

そうやな。公園や学校の植え込み、住宅地の庭、そして街路樹と、私たちの生活空間には無数の樹が植えられてる。都市部に住んでいる人であれば、日々の通勤・通学の間だけでも数百本・数十種類の樹を見ているはずや。日本に植えられている街路樹の本数は全部で何本やと思う?

う〜ん、全然見当がつかないです…。

2017年の時点で、670万本や。それに充てられる公金の額も莫大で、東京都では年間110億円が街路樹の維持管理に費やされてる。まちなかの緑は、正真正銘都市インフラの一部なんや。

初秋に入り、葉の緑が薄まってきたアサダの大木。青森県十和田市の緑地にて。いつも通る道に植わっている樹が、花を咲かせたり、紅葉したりするのを見ると、季節のうつろいを感じる…という人は多いのでは?

年間110億円⁉︎凄まじい金額ですね。東京都だけでその金額なんだったら、日本全国だといったい幾ら費やされてるのか、想像もつきません。

そもそも、どうして人は自分の生活空間に樹を植えたがるんやろう?人間が樹を育てるときって、大抵その樹が生み出す資源を目的にしているんや。木材を得るための植林とか、果樹の栽培とかがその好例やな。

一方で、街路樹や公園樹を丹精込めて育てても、ただ樹が大きくなっていくだけで、直接的な利益や資源は得られへん。そんなモノに毎年莫大なお金をつぎ込むのって、冷静に考えるとすごく奇妙な行動やと思わへんか?

たしかに…。“突っ立って葉を茂らせるだけのモノ”の管理費用が年間110億円って考えると、ちょっと割に合わないんじゃない?と感じます。

新宿御苑のスズカケノキ。日本最古の都市公園のひとつである新宿御苑のルーツは、明治初期にこの地に設置されていた農業試験場。スズカケノキ以外にも、ヒマラヤシーダー、ユリノキなど、現在街路樹・公園樹として普及している外国産樹種の多くは、新宿の農業試験場で試験的に栽培されたのち、全国に広がっていった。新宿御苑の敷地内には、そういった外国産樹種の親木が現存しており、日本の都市緑化の歴史を物語る文化遺産となっている。

じつは街路樹・公園樹の植栽は、紀元前から行われてるんや。「樹を育てるために樹を植える」という、いわば“樹木への無償奉仕”が、2000年以上続いていることになる。ますます奇妙やろ?

そんなに昔から…。私たちの身の回りに植栽されている樹木には、実はさまざまな効用がある、ということなんですかね?

その通り。私たちは、身の周りの緑からの目に見えないギフトを、毎日知らず知らずのうちに受け取っている。太古の昔から、人類はこのことに気づいていて、生きて立っている樹木そのものに大きな価値を見出していたんや。

その“ギフト”って、具体的にどんなものなのか?人類はなぜ、2000年以上も樹木に対して“無償奉仕”をしてきたのか?今回は、街路樹・公園樹の歴史を辿りながら、この2つの疑問を解き明かしていくで〜。

樹木の鑑賞は、
古代から行われてきた

世界初の都市緑化は、紀元前8世紀〜前6世紀にかけて、アッシリア帝国(紀元前3000年紀〜紀元前612年まで、メソポタミアに存在した王朝)の都ニネヴェで行われたといわれている。

当時アッシリアでは、王宮に庭園を建設することが慣例となっていて、歴代の王は皆躍起になって珍しい樹木を取り寄せとったらしい。豪華な庭園を造ることで、王自身と国家を権威づけていたんやな。

なるほど、つまり王たちは、“宮殿の美観づくり”を目的に樹木を育てていたんですね。

そうやな。樹木を用いて美しい庭園景観を創り出すことが、歴代の王のステータスになっとったんや。

中でも特に豪華な庭園を造ったと言われるセンナケリブ王(前6世紀初頭に帝国を統治)は、50㎞に及ぶ灌漑水路を整備して庭園を造り、そこに国じゅうから取り寄せた数百種の樹木を植栽したと記録されている。実際、ニネヴェの遺跡で発見された石碑には、センナケリブ本人がこのことを自慢した言葉が刻まれてるんや。樹が都市景観の良いアクセントになることは、当時から認識されとったんやな。

19世紀、イギリス人考古学者オースティン・ヘンリー・レヤードが描いたニネヴェの想像画。人類史上初の世界帝国であるアッシリアの支配領域はたいへん広かったため、そのぶん庭園に植栽される樹種も多種多様だった。センナケリブ王は、「かぐわしい植物をふんだんに植栽し、すべての人が驚嘆するであろう景色を創った」という自画自賛の言葉を石碑に刻んでいる。(引用元https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Archaeologist_Henry_Layard%27s_image_of_Nineveh.jpg
現在も世界各地で公園樹として用いられているヒマラヤスギ。新宿御苑にて。原産地はパキスタン北部だが、センナケリブ王の時代、そこから3000㎞以上離れたニネヴェの庭園に植栽されていたと記録されている。

庭園のために東京〜厚木間に匹敵する灌漑水路を造るなんて…。NHK「趣味の園芸」に出演したらバズりそうですね。センナケリブ王のエピソードは、2800年前から「樹木を鑑賞する」習慣があったことの証明ですよね。

樹木が美観保持に欠かせない存在であることは、現在でも変わってないで。試しに下の写真2枚を見て、それぞれ日本のどこで撮られたか当ててみ。

上の針葉樹はクリスマスツリーみたいだから、なんか寒そう…北海道ですか?逆に下はヤシだから暖かそう…沖縄ですか?

正解。上の写真は小樽市のレンガ倉庫街で、植栽されているのは北海道ではメジャーな街路樹・プンゲンストウヒ。下は那覇市の国際通りで、植栽されているのは八重山諸島固有種のヤエヤマヤシや。

まちなかの緑って、その街の風景の基盤なんや。沖縄に行ってヤシの街路樹を見たら、樹木に関する知識がなくとも「ああ、南国に来たなあ」と思うし、北海道でトウヒやシラカバの街路樹を見たら「北国に来たなあ」と思うやろ。街の風格や個性は、そこに植えられた樹々によって作り出されるんや。

サッカーのメッカで、ブラジルとの文化交流が盛んな静岡県清水の駅前には、中南米を原産とするジャカランダがふんだんに植栽されている。まちなかの樹木が、地域の魅力のPRに役立っている好例。

確かに、樹がまったくない風景って、味気ないですよね。樹が植えられることで、街の風景が肉付けされて、初めてその土地のアイデンティティが確立されるんですね。

まちなかの緑は“その土地の風土や魅力を写す鏡”やといえる。今度旅行に行ったときは注目してみてな〜。

北海道札幌市・アカガシワの街路樹。アカガシワはアメリカ東海岸原産のブナ科の落葉樹。本種はナラ枯れに弱く、本州の暖地に植栽されたものは軒並み枯死している。この光景は、冷涼な北海道ならではのものなのである。

最も設置が簡単なシェルター

樹木が持つ効用は、都市の景観保持だけやない。時代が進んで、人間の社会が複雑化してくると、それに伴って樹木が人の生活空間の中で担う役割も多様化していったんや。

逆に言うと、文明・文化の発達に伴って、人間が樹木に対してより多面的な価値を見出すようになっていった、ということですよね。

そうやな。例えば文明が発達すると、他の文化圏と交易がはじまって、人間が長距離を移動するようになる。ほんで、必然的に交通路が発達することになるねんけど、古代の長距離移動は今とは比べ物にならないほど過酷や。吹きっさらしの中数百㎞を移動せなあかんねんから、天候が悪ければそれは死に直結する。道そのものが繋がっていたとしても、そこを無事に踏破できるかどうかはまた別の話やったんや。

古代エジプトのヒエログリフ。上記の文字は、「道」を意味していた。横線が道、三角形は道路脇に植えられた樹木を表している、とされている。古代エジプトにおいて、道は“樹木に囲まれたもの”として捉えられており、それが象形文字として残っているのである。街路樹の起源はコレにあるかも?

交通路の安全性・快適性を少しでも高めたい、と思うのは当然のことや。そこで人々は、道の両脇に樹木を植栽して、夏場の日差しや突発的な暴風雪から旅人を保護することを思いついた。ここで出来上がった並木道が、「街路樹」の起源なんや。古代ローマのアッピア街道、インドのグランドトランクロード、中国のシルクロードなど、文明の黎明期に発達した世界各地の交通路では、長い並木道が造られていった。時の為政者が、並木道の造成を国策として行う例も多々あったらしい。

ローマ、インド、中国って、お互い遠く離れていて、文化圏もまったく違う地域なのに、「並木道をつくって交通路の安全性を確保する」という共通の発想をもっていたんですね。

樹齢300年近い杉の巨木の並木道が続く、栃木県の日光杉並木街道。江戸時代初期、徳川家康の家臣であった松平正綱とその息子正信により、1625年に植栽が開始された。徳川家康公を祀る日光東照宮と江戸を結ぶ日光街道に、神聖な樹木であるスギの並木道を造ったのは、松平正綱が家康公に抱いていた忠誠心の表れだといわれている。現在杉並木街道に植わっている杉の本数は約1万2000本、杉並木の総距離は37㎞であり、同地は「世界一長い並木道」としてギネス世界記録に登録されている。

これが興味深いポイントやな。生きた樹木は“最も設置が簡単なシェルター”やといえる。樹木は、枝葉と幹で一定の区画を覆うことで、その内部に「微気候」と呼ばれる独特な大気条件をつくり出すんや。あいつらはちょっとやそっとの風雨ではびくともしない強靭な肉体を持ってるし、枝葉を広げて木陰をつくってくれるから、樹木に囲まれた地表では気温・湿度・風速の変動が小さくなるんや。

樹木と同じような機能を果たす人工構造物を、長大な街道に沿って建設しようと思ったら、莫大なコストと手間がかかるで。建築技術が発達していなかった古代、「苗を植えれば勝手に育って、堅牢なシェルターをつくってくれる」という樹木の特性は道路敷設の際大いに重宝されたんや。世界中で並木道がつくられていったのは、これが理由やと思う。

なるほど、樹木の植栽は、めちゃくちゃコスパの良い“交通路への投資”だったんですね。

滋賀県彦根市、芹川の並木道。道路脇に植栽されたエノキの大木が木陰をつくり、往来する人々を夏の日差しから守る。人類が並木道をつくりはじめてから2500年近く経過しているが、その役割はずっと変わらない。

実は江戸時代の日本は、世界有数の“並木道の国”やったんやで。第二代江戸幕府将軍の徳川秀忠は、1604年に主要な街道に沿って樹を植える御触書を出し、それをきっかけにして全国で並木道が造成された。当時は、人の往来が激しい五街道が国土を縦貫しとったから、並木道の必要性が非常に高かったんや。

一度は見たことがあるはず、歌川広重の東海道五拾三次。飛脚が東海道の平塚(現在の神奈川県平塚市)あたりを通過している姿を描いたものだが、街道脇には松並木がある。江戸時代の日本を旅したドイツ人博物学者・エンゲルベルト=ケンペルは、自身の著書で日本の街道脇の見事な街路樹、そして街道の通行量の多さに驚いたことを記しており、幕府による道路網と並木の管理が世界的にも高いレベルだったことがうかがえる。(歌川広重「東海道五拾三次 平塚 縄手道」より)

幕府による並木の整備は非常に厳格で、1607年に定められた“道路制法”では、街道脇の苗木に触れることすらも禁じられとった。並木に植栽されたのは、多くの場合常緑の松(暖地ではクロマツ、寒地ではアカマツ)か杉で、落葉樹は敬遠されたらしいねんけど、これは冬場の暴風雪軽減効果を狙ってのことやと言われてる。手厚い保護のもとすくすく育った樹々は、街道の通行人を夏の日差しや冬の暴風雪から護ったほか、街道脇の農民が勝手に農地を拡張して、道路敷が削られることを防いだ。江戸時代の道路交通は、まさしく樹木によって支えられとったんや。

樹木が中心となって、交通システムの快適性が増す、というのがなんかエモいですね。現代風に言うなら、NEXCO並木道?

信濃経由で江戸と京を結ぶ中山道は、寒冷な内陸部を通過するため、並木にはアカマツが植栽された。こちらの絵図は中山道随一の難所・笠取峠(現在の長野県長和町)の松並木を描いたもの。(歌川広重・渓斎 英泉「木曽街道六十九次 望月」より)

いい表現やな(笑)。NEXCOで思い出したけど、“江戸時代のサービスエリア”は、樹木が運営しとったんやで。通行量が多い街道には、一定間隔で「一里塚」と呼ばれる休憩所が設けられとってんけど、そこには多くの場合エノキというアサ科の落葉広葉樹が植栽された。エノキは成長が早いうえ、枝を大きく横に広げる性質があるから、木陰作りに最適やったんやな。エノキは漢字で「榎」と書くねんけど、これは本種が夏場に休憩所として用いられた歴史を反映してるんや。

迅速に枝を広げて木陰を作り、旅人に涼を提供するサービス精神…。まさに“街道のコンシェルジュ”ですね。

もこもことした樹冠をつくるエノキの大木。滋賀県彦根市にて。往時の一里塚が現存している場所に、樹齢数百年に達したエノキの巨木が育っているケースも多々ある。

並木道は、“道”っていう交通インフラありきの植栽や。安全な交通路が確保された国、つまり社会基盤がしっかりと整った国でなければ、並木道の発達は有り得へん。そう考えると、高度に維持管理された並木道は「社会発展の象徴」と捉えることができる。

江戸時代の日本の並木道は、250年以上にわたって維持された平和と、人々が頻繁に長距離移動をするほどに活発やった経済状況の賜物なんや。

青森県七戸町・陸羽街道の松並木江戸時代の並木道の風景が、現在も残っている数少ない場所のひとつ。江戸時代の終焉から150年以上経ち、陸羽街道は国道4号へと名を変え、道路の通行対象も人や馬車から自動車に変わった。それでも国道脇の赤松並木だけ、「陸羽街道」時代のまま取り残されてる…このアンバランスさが好き(おそらくアカマツは古くとも昭和初期ごろに植樹されたものと思われる)

可視化された
都市の緑の恩恵

産業革命以降、自動車交通が発達すると、生身の人間が長距離を移動する機会がなくなったから、都市間の道路に沿った並木道は無用の長物になった。日本の街道の並木道は、第二次世界大戦中の木材供出や、高度経済成長期の国道拡張、大気汚染の煽りを受けて急速に姿を消していったんや。程度の差こそあれ、同様のことは世界中で起こった。

そのかわりに、世界各地で近代的な都市が発達すると、人間は樹木に新たな任務を託すようになる。

1931年に撮影された、兵庫県南あわじ市の「淡路国道松並木」。19世紀はじめに植栽されたといわれる由緒ある並木は、高度経済成長期以降の国道拡幅、排ガスの増加、そしてマツ枯れによって急速に衰退し、1980年に最後の1本が枯死。江戸時代、国土の骨格を形成したNEXCO並木道は、明治以降の劇的な社会の変化に呑まれ、ひっそりと姿を消していったのである。(引用元:https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Pine_Avenue_in_the_National_Highway_at_Awaji.png

ほう。何ですか、新たな任務って。

「汚染された都市の浄化」や。20世紀初頭〜中盤にかけて、先進国の大都市では公害が深刻化した。排ガスやスモッグによる大気汚染、ヒートアイランド現象、自動車騒音等々、科学技術の副作用が浮き彫りになってくるにつれて、都市に樹木を植栽することの有効性が再認識されてきたんや。ほんで1960年代ごろから、樹木の存在が都市環境に与える影響を科学的に検証しようとする動きが盛んになった。現在私たちの身の回りに植栽されている街路樹・公園樹は、この時代の研究をもとに管理されてるんや。

“都市の樹木の恩恵”が、研究によって可視化されていったんですね。具体的に、どんな恩恵が浮かび上がってきたんでしょう?街路樹や公園樹って、当たり前の存在すぎて、彼らがわたしたちの生活にどんな影響を及ぼしてるのか、逆に想像がつかないんですよね。

滋賀県彦根市、芹川のケヤキ並木。1603年に行われた芹川の流路付け替えの際、堤防に若木が列植されたのが起源。樹齢400年近いケヤキの大木が、ここまで密集して生育している場所は珍しい。こんなに見事な木陰が、街のあちこちにあれば、さぞ気持ちいいだろうなあ…。

まず挙げられるのは、“都市過熱”の防止やな。通常、地面(土に覆われた地表)に当たった日射エネルギーの80%は、地表から水が蒸発する際に消費されて消えてまうねんけど(気化熱)、水をほとんど含まないコンクリートやアスファルト上では蒸発が起こらず、日射エネルギーの60%近くが地面に溜め込まれる。夏場に都心部が極端に暑くなるのはこれが理由やねんけど、そこに樹木を植栽すると気温上昇はぐっと軽減されるんや。

真夏の日中、樹木は蒸散を行なって1日あたり400リットルの水分を大気中に放出するうえ、枝葉で木陰をつくってくれるからな。実際、1960年にフランクフルトの公園で行われた調査では、樹に囲まれた都市表面の気温はそうでない場所に比べて3〜5度低いことが実証されてる。

樹木が植栽された場所で、気温が低下するメカニズム。
夏の樹木の枝葉。滋賀県彦根市芹川にて。1970年代にドイツのウィスバーデンで公園局長を務めていたシュヴァルリー氏は、「樹木の植栽は、標高700mの山を出現させるのと同じことだ」と著書に記している。樹木が持つ冷却効果を考えると、この言葉の意味がわかるはず。

都市表面に過度に溜め込まれた熱が、樹木によって大気中へと逃がされるんですね〜。

大気汚染を軽減する役割もある。風通しが良い場所では、細かいチリや埃を含む空気は樹木の枝の周囲に滞留したのち、雨と共に洗い流される。つまり樹木の枝葉が汚れた空気を濾過してくれるんやな。1947年にドイツで行われた研究では、樹木を植栽することで空気1㎥あたりの塵埃量を3分の1に減らすことができる、という結果が出ているんや。

工場地帯や高速道路脇に植樹帯が設けられているのは、樹木の濾過機能を見越してのことなんですね。

スズカケノキは、大気汚染が深刻な地域でもよく育つ樹として知られる。葉が分厚く、頻繁に樹皮が剥がれるため、樹体に塵や埃が蓄積することがないのである。1950年代にスモッグに悩まされていたロンドンでは、本種が大量に植栽され、都市環境の改善が図られた。日本では、園芸品種であるモミジバスズカケノキがよく植栽されるが、かなりデカイ落葉を発生させることから近年は敬遠され、植栽本数は減少傾向。

自然災害が多い日本に住む身としては、樹木の防火効果も見逃せへんな。樹木のからだの総重量のうち50%〜60%は水分(含水率は樹種によって変動する)やから、いざというとき彼らは水の壁として街を守ってくれるんや。1923年の関東大震災では、常緑広葉樹が密植された清澄庭園に避難した2万人が、火災から免れて助かった事例がある。

阪神淡路大震災の際、火災で甚大な被害を受けた神戸市長田区では、公園に植栽されたクスノキが火の手を受け止めた。その樹は現存しており、幹には焼け焦げたあとが残る。

日本には昔から、大きい邸宅の周りに含水率の高い常緑広葉樹(サンゴジュ、タブノキなど)を植えて「屋敷林」をつくる文化があるねんけど、これの目的も火事の延焼防止やった。樹木の存在が火災発生時の生死を分けることは、昔から認識されとったんやな。

確かに、樹木って「水の塊」ですもんね…。

兵庫県神戸市住吉山手。明治時代から、財界や政界の著名人が邸宅を建てる高級住宅地として知られており、今では珍しくなった屋敷林が至る所に残っている。屋敷林に使われるのは殆どの場合耐火性の高い常緑広葉樹だが、ここもその例にもれずで、アラカシやサンゴジュが植栽されている。

恩恵は、受けるものではなく
気づくもの

都市の中の樹木は、本当にあの手この手で私たちに恩恵を与えてくれているんですね。今まで意識したことがなかったから、びっくりしました。

そうやろ。公園樹や街路樹は、目に見えない形で私たちの都市生活を支えてくれているんや。

ただ注意せなあかんのは、「上に挙げたような恩恵を生み出してくれるのは、健康な樹木だけ」という点や。悲しいことに、近年樹木の健康を全く考慮していない街路樹・公園樹管理が、日本各地で散見される。下の写真は、とある街の公園に植栽されていたミズキの大木やねんけど、綺麗さっぱり枝葉が取り除かれとるやろ。当然ながら、こんな樹から受け取れるような恩恵は何もない。

コレ、風景としても寂しいし、木陰もゼロですよね。樹が生えている意味がなくなっちゃってる気がします。

件のミズキの大木。たった1件の落ち葉に関するクレームで、樹齢数百年の大木が伐採される、というケースもしばしば。樹木を伐るのはかわいそう、という考え方はあまり好きではないが、強い声に押されて簡単に大木を伐採してしまうのはさすがにどうかと思う。

異なる生物種どうしの関係性は、常に等価交換で成り立つんや。樹木からの恩恵を受け取るには、まず私たちが樹木の健康を守らなあかん。都市の樹木の価値に目を向けようともせずに、ただ恩恵だけを貰い続ける、みたいな粗相を続けとったら、知らない間に私たちの住環境は悪くなっていくで。これってすごく恐ろしいことやろ?

都市の緑の質を保ち続けることは、都市に住むわたしたち全員の責務ですよね。

「恩恵」っていうのは、それを受け取る側に気付かれてはじめて、価値を発揮するものなんや。人類が2800年以上にわたって、樹木からの恩恵を受け続けてこれた理由は、先人たちがその恩恵の価値をしっかりと認識してきたからに他ならない。樹木はただ立って、生物として光合成をしてるだけやねんから、大事なのは人間側がそれに対してどんな価値を見出すか、やろ?

恩恵は、受けるものではなく気づくもの。これは樹木に限らず、何にでも言えることやな。

下鴨神社の森。京都市にて。

樹木たちって、いつもそばにいてくれて、何もいわずに私たちの生活を支えてくれてるんですよね。よくよく考えてみると、これって絶対に当たり前のことじゃないよなあ。わたし、家の近くの街路樹にお礼をしたいんですけど、何をしたらいいですかね?

することなんてなんもない。「都市の樹木の価値に気付く」というのが、一番のお礼やで。お互い健康である限り、そばにいるだけでいいし、そばにいてくれるだけでいい。こんな緩〜い関係を、2800年間も続けてくれるぐらい、樹木というのは懐が深いヤツなんや。

まあ、樹木たちが人間に対して何を思っているのかは、知らんけど。

《杉センセイまとめ》
・わたしたち人間が樹木を育てる理由は、資源(木材、果実etc…)の入手だけではない。生きた状態で立っている樹木も、私たちの生活にさまざまな恩恵を授けてくれる
・世界初の都市緑化は、美観保持を目的としていて、古代メソポタミアで行われた
・交通路の発達が、並木道を生んだ。日本でも江戸時代、高度に管理された並木道が国全体の交通基盤となっていたが、明治以降の自動車交通の拡大をうけ、その多くは姿を消した
・街路樹や公園樹に、私たちの住環境を快適にする作用があることは、科学的に実証されている。また、樹木はいざというとき、わたしたちの命を救ってくれる

●参考文献
・飯塚康雄、舟久保敏(2019)”全国の街路樹における種類と本数の現況と推移”ja
・一般社団法人東京都造園緑化業協会(2018)”東京都緑化白書” http://www.tmla.or.jp/hakusyo30hp.pdf
・ナショナルジオグラフィック日本版(2020)”実在したのか? 幻のバビロンの空中庭園の謎を追う”
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO63235010R30C20A8000000/
・クリス=クレネット、フィオナ=スタッフォード著、清水晶子訳(2023)”樹木の世界大図鑑”
・秋元悦子(2002)”近世の松並木と御林の関係” http://hist-geo.jp/img/archive/210_2.pdf
・国土交通省(n.d.)”交通変遷と街道の整備実態、機能、役割” https://www.mlit.go.jp/common/000055312.pdf
・藤村万里子、昌子住江、荒井秀規、伊東孝祐(2004)”近世東海道の松並木について” http://library.jsce.or.jp/jsce/open/00902/2004/24-0341.pdf
・田中淳夫(2014)”里山と日本人の1500年”
・南あわじ市(2010)”淡路国道マツ並木” https://www.city.minamiawaji.hyogo.jp/uploaded/attachment/3980.pdf
・国土交通省(n.d.)”公園緑地と水循環” https://www.mlit.go.jp/common/001341500.pdf
・ヒルデベルド・ド・ラ・シュヴァルリー著、佐藤昌訳(1968)”都市に多くの緑を”
・2013年9月1日東京新聞
・斉藤庸平(1996)”樹林、樹木と防火機能” https://www.jstage.jst.go.jp/article/jila1994/60/2/60_2_124/_pdf/-char/ja

三浦 夕昇 (みうら・ゆうひ)
神戸出身の19歳。樹木オタク。幼少期から樹木の魅力に取り憑かれており、日本各地の森を巡っては樹を観察する毎日を送る。2023年冬より、ニュージーランドの学校で環境学を学ぶべく留学をする予定。