杉センセイの生物図鑑、 知らんけど
# 20
森は、怪異の世界の入り口
2023.12.13
photo by Isao Nishiyama

森は爽やかで癒されるといったイメージがある一方で、ジメジメと薄暗く怖いイメージを抱くこともあります。そうした側面があるからか、オカルト的な森の文化も昔から伝えられてきました。今回はそんな闇(?)の世界へと足を踏み入れてみましょう。

写真・文:三浦 夕昇

ナイトハイクへ行く前に

杉センセイ、今度友達とナイトハイクに行くんですよ。夜の森を楽しむための、面白い話を聞かせてくれませんか?

お安い御用やで。そうやなあ、森にまつわるオカルト的な話でもしよか。

ええ⁉︎ 私、ホラー映画とかそういうのマジで苦手なんですよね…ちょっと別の話にしてもらえますか…。

それでは、怪異の世界へようこそ。森は、いわば人間の世界の外側。人智を超えた現象が起こる場所として、古くから畏れられてきたんや。今回は、そういった森の“オカルト的な側面”に注目していくで〜。

ひえええ…。それ、絶対ナイトハイクに行く前に聞く話じゃないですよ〜‼︎

森で人間が消える

森に関する怪談の代表例と言えるのが、”神隠し”にまつわるものや。

人が行方不明になって、そのまま見つからない…みたいなやつですよね。

丹波国に伝わる妖怪・つるべ落とし。林冠にひそみ、旅行者を殺害する妖怪として恐れられた。森にまつわる怪奇現象の最たる例。出典:File:Genrin_Tsurube-oroshi.jpg

そう。近代日本を代表する民俗学者の柳田國男は、日本各地の山村で不可解な事件・伝承を収集し、自身の著書にまとめとったんや。『遠野物語』なんかが有名やな。柳田氏が収集した説話の中には、神隠しに関するものも多数含まれてるんや。今日はそのうちの一つを紹介していくで。

神隠しって、オカルト系のYouTuberが脚色と誇張をふんだんに織り交ぜて語るようなモノだと思ってました…。民俗学的な観点から考察が行われたこともあったんですね…。

神隠しの原因は天狗による連れ去りである、とする伝承はさまざまな地域・時代で見られる。天狗が人間を連れ去る現象は「天狗攫い」と呼ばれた。天狗による神隠しを描いた物語としては、江戸時代に刊行された『抄訳仙境異聞』が有名。こちらはAmazonで購入可能なのでご興味ある方はぜひ。出典:File:Saikyo_Tengu-sarai.jpg

たとえば、1907年9月30日、愛知県設楽(したら)の山村で起こったとされる神隠しの事例。この日の夕暮れ時、10歳の男の子が“家の中で”忽然と姿を消したんや。幸いにも、その男の子は数時間後に無事発見された。ただ、家族が「今までどこに行っていたのか」と訊ねると、彼は不可解なコトを語り始めたんや。

うわあ、ホラー映画とかでよくある展開…。どんな内容だったんですか?

「土間に座っていると、急に意識が朦朧として、気づいた時には村の神社の大杉の下にいた。ボーっと樹の下で突っ立っていたら、見知らぬ男がやってきて、大杉の梢まで連れて行かれた。その後、“男”と一緒に森の樹々の梢を渡り歩きながら、村中の餅を食べて回った。最後に、“男”に狭苦しい部屋に投げ込まれて、そこが家の屋根裏部屋だった」というものや。実際、彼の口元は餅の粉だらけやったらしい。

“餅を食いまくってました”っていうオチが意外と平和ですね(笑)。でも、彼を連れ出した“男”って一体何者なんでしょう?子ども一人を数十メートル上空の梢まで連れ出して、林冠を渡り歩くなんて、普通の人間にできるわけないですよね?

それは永遠の謎やな。この事件は神送りの日(地方の神様が神無月に出雲に出向くこと)に起こってる。ほんで、神様は天界と地上を往来する際、スギの大木の幹を通過すると昔から信じられてきたんや。こう考えると、“男”の正体は山の神ちゃうか、と思うけど、本当のことは誰にも分からへん。

高知県魚梁瀬の、スギの巨木林。スギの巨木の林冠部分は、天界に繋がっていると昔から信じられてきた。

確かに、100年以上前の事件ですし、真相は闇の中ですよね…。

これと似たような不気味な伝承が、遠く離れたヨーロッパにも伝わっとる。“取り替え子”という言葉を聞いたことあるか?

いや、聞いたことないですね…。でも、「子どもを取り替える」という字面からして、何か凄く嫌な感じがします。

古来よりヨーロッパでは、“妖精”の存在が信じられていて、それに関する伝承が沢山伝わってるんや。妖精と聞くと翼がついた善良な小人を想像すると思うねんけど、あれは比較的最近になってつくられたイメージ。古い伝承では、妖精の醜悪な一面が描かれてるんや。「取り替え子」は、そういった“妖精の邪悪な部分”を象徴する伝承と言えるな。

ええ…。妖精って、ピーターパンのティンカーベルみたいな、かわいらしい存在だと思ってました…。具体的に、どんな伝承が伝わってるんですか?

妖精というのは、森とか地底の洞窟みたいな、原生的な自然が残る場所に棲んでいると考えられとったんや。伝承によると、彼らはそこで独自の社会を形づくってた。ただ一部の妖精は、「人間の子どもを育てたい」「人間の子どもを召使いにしたい」等という身勝手な欲望を持ってたんや。

そういった邪悪な妖精は、ときどき人里に忍び込み、人間の子どもを妖精の世界に連れ去っていたんや。奴らは狡猾で、人間の子どもを誘拐する際、その子そっくりに変身させた妖精の子どもをその場に置き去りにした。影武者みたいなもんやな。ここで置き去りにされた偽物の子どもが、「取り替え子(changeling)」と呼ばれとったんや。

取り替え子を描いた絵画。出典:https://www.historicmysteries.com/changeling/

背筋が凍る話ですね…。毎日接している自分の子どもが、知らない間に魔物とすり替わるなんて…。

我が子の様子が何となくおかしいと思っていたら、案の定その子は妖精とすり替わっていた…。じゃあ本物の我が子がどこへ行ったのか…?みたいな言い伝えは、ヨーロッパ各地に伝わっとる。当時の人々は、取り替え子を本気で恐れていたんや。

愛知での神隠しも、ヨーロッパの取り替え子も、人間が森の中に棲む“何か”に連れ去られる、というストーリが共通していますね。

北欧の妖精・トロールによって森に置き去りにされた子ども。ヨーロッパの童話・伝承では、“森”は怪異的な出来事が起こる場所として描かれていることが多い。実際、この絵の背景も深い森。出典:https://www.historicmysteries.com/changeling/

そう。これが興味深いポイントやな。日本、ヨーロッパに限らず、東南アジアや中南米の少数民族、北海道のアイヌ、ニュージーランドのマオリ等々、森林地帯に居住する民族の間では、必ずといっていいほど、“森で人間が消える”という内容の怪談が伝わってるんや。これらの怪談・伝承が、本当の話なのかはわからへんし、それを確かめるのは不可能に近い。ただ、人類は古来より、森という場所に対して漠然とした恐怖を抱いていたんや。これは、紛れもない事実と言える。神隠しの伝承は、その“恐怖”を具現化したものと言えるな。

森は、異界との繋ぎ目

文化圏が違っていても、森に対する恐怖心を反映した伝承が語り継がれるのは世界共通、という点が興味深いですね。

実際、森を一人で歩くのってちょっと怖いもんな。交通手段が発達していなかった時代は、夜中に真っ暗闇の森の中を一人で往来する…なんてのも日常茶飯事やったはずや。その時に人々が感じていた恐怖心が、森にまつわる怪談を生み出したんやと思う。

夜のブナ林。昼間には美しいはずのブナの幹が、夜になるとめっちゃ不気味になる。

夜の森に一人で出かけるのは結構ハードル高いですよね。実際かなり危険でしょうし。

古来より人間は、「他界観」という独特な観念を持っていた。これは、簡単に言うと“別世界”がどこかに存在する、という思考・信仰のことや。アニメ映画の「コララインとボタンの魔女」を観たことがあるか?家のベッドルームに、異世界に通じる穴が現れて、そこに迷い込んだ女の子が恐ろしい体験をする…というのが大まかなストーリーや。

古代日本の神話に着目すると、『古事記』には、イザナギ(国産み神話に登場する男神)が、亡くなった妻イザナミを追いかけて黄泉の国に出向き、そこである失敗を犯して恐ろしい出来事に遭遇する物語が載っている。どちらも、他界観をベースにした物語や。この他界観も、人類が長年抱いてきた森に対する恐怖心の根源と言える。

私、そういう話大好きです‼︎ 別世界に迷い込む系の物語って、ワクワク感と同時に、ちょっとした恐ろしさも感じさせてくれるんですよね。そういった信仰が人と森の関係性に影響を与えていた、というのは興味深いですね…。

北海道のアイヌ民族のあいだでは、森に入った青年がケソラプという妖鳥に呪いをかけられ、そのまま失踪する、という内容の伝承が伝わっている。北海道の森に生育するエゾマツは、人間をケソラプの呪いから護る女神の化身と考えられてきた。

日本神話には、よく「常世(とこのよ)」と呼ばれる異界が登場する。常世は、字でわかるように“永遠に変わらない聖域”。ここには死者や神、魔物など、人智を超えた存在が息づいてると信じられていたんや。さっき出てきた「黄泉の国」も、常世の一部やとされている。ほんで、古来日本では、森は“常世と人間の住む世界との結界”とされてきたんや。

神社で見かける鎮守の森が、その一例ですよね。

東京都日野市の百草八幡宮の鎮守の森。周囲は全て住宅地だが、ここだけスダジイの巨木に囲まれ、異質な雰囲気。まさに“異界との境界”なのである。

その通り。神様の世界と人間の世界の境界線を、社の背後に設けることによって、“神社”という土地の宗教的な権威を高めていたんやな。

森の中に入ると、植物の枝葉で視界が遮られて、周囲の状況を掴むのが格段に難しくなりますよね…。こういう特殊な景観が、人間の恐怖心や空想を掻き立てたんですかね。

原生的な森の緑の密度は凄まじい。本当に視界が効かない。人々の恐怖心や、空想を刺激するのに十分すぎるほど、異質な雰囲気を湛えている。奈良の春日山原始林。

おそらくそうやろうな。ただ、森に関する他界観の根本的な源は、人類の歴史そのものやとわしは思うんや。

どういうことですか?

有史以来の人類の歴史は、まさに“森の景色の改変”の積み重ねや。天然生の草木が鬱蒼と生い茂って、全く視界が効かない…。そんな場所は、人間が生活圏を拡大していく上では不都合でしかないやろ。
そんで、われわれは原生林に斧を入れ、木立を一掃して、農地や居住地、交通網を整備し、得た木材を使って建築技術を高めたんや。文明の発展と森の改変は、必ず同時進行で起こるものなんやな。

森林破壊は、しばしば「世界最古の環境問題」と言われる。紀元前2400年ごろ、灌漑による農地開発によって現在のアメリカやカナダに匹敵するほどの穀物生産量を叩き出していたシュメール帝国は、紀元前2000年頃に滅亡した。この理由は、過度な森林伐採によってチグリス川上流域の土砂が流出し、灌漑水路に堆積物が溜まって使用不能になったためといわれている。出典:File:Enthroned_King_of_Ur.jpg

森を伐り、土地を好きなように改変する。森から木材を収奪して人工都市を築く…。こんな営みが数千年以上続くと、人の生活圏と森が完全に分離してしまうんや。樹が殆ど生えていなくて、代わりに樹の遺骸でできた人工構造物が密集した空間が“人間の世界”。まだ人間の手垢がついていなくて、生きた樹が鬱蒼と生い茂った空間が”森の世界”みたいな感じやな。

“人間の世界”に住む人は、灌漑水路で水を、農地で食糧を得られる。だから、日常生活で森の景色を見る機会は限りなく少なくなるんや。そんな人が、いきなり深々しい森の中に迷い込んだら、きっと恐怖を感じるやろ。「この森の奥が、異界と繋がっている…」みたいな空想が生まれるのも自然な流れと言える。

なるほど、都市や文明が発展した反動で、その真逆の存在である森林空間が「人間の力が及ばない場所」の象徴となり、畏怖の念が生まれた、というわけですね。

樹木の魔力

ここまでは、伝承や文化に焦点を当てて話を進めてきたけど、最後に樹木に関するオカルトスポットを紹介するで〜。

え、なんか急に現実感が出てきて怖くなってきた…。

京都市街の西側に、「西大路通」っていう大通りがあんねんけど、この道、基本直線なんや。京都の道路は平安京の時代から碁盤の目やからな。でも一箇所だけ、この道がカーブしている箇所がある。八条通との交差点近くやな。

西大路通が微妙に屈曲している箇所。
ゆるーくカーブを描く西大路通。

ほんとだ。ここ、何があるんですか?

カーブの内側には、クスノキの大木があるんや。樹齢800年で、平清盛が植栽したと伝えられている、由緒正しき巨木や。ただこの樹には、物騒な噂が付き纏ってるんや。

マジなやつじゃないですか…どんな噂なんですか?

これが件のクスノキ。若一神社(にゃくいちじんじゃ)のご神木にもなっている。

1934年、西大路通で市電の工事が行われた際、近くに生えていたクスノキを伐採する計画が持ち上がった。でも、工事関係者が枝を払おうとすると、きまってその人が怪我したり、その人の身内に不幸が起こったりした。結局、クスノキの伐採は断念することになり、西大路通は迂回して敷設されることになった、というものや。

近隣の住民が、クスノキの枝が邪魔だからと言って樹に登って枝を払おうとした際、落下してそのまま亡くなったという噂もある。

いわゆる「祟り」というやつですよね…。現実の話とはちょっと思えないです…。実際西大路通は不自然に迂回して建設されてるわけですし、その事実が不気味さを掻き立てますね…。

同じような例は、意外と多いんや。大阪市北区の市道のど真ん中にあるイチョウの大木、大阪市中央区安堂寺にあるエンジュの古木にも、祟りや樹の霊力にまつわる不思議な伝承が伝わっている。

大阪市北区、4車線道路の中央分離帯を占領するように生えるイチョウの大木。白蛇の神様が棲みついている、という伝承が残っており、根元に「龍王大神(りゅうおうおおかみ)」という祠がある。大阪大空襲のときには、この樹の手前でぴたりと炎が止まった、とのこと。※イチョウは根や葉に大量の水分を溜めているため、そもそも燃えにくい樹ではあります。
大阪市中央区、安堂寺のエンジュ。樹齢650年。伐採の際に祟りが起こった、空襲の際に炎が止まった、という伝承が伝わっている。

道路の真ん中とか、明らかに不自然な場所に生える巨木の背景には、複雑な歴史が宿っていることが多い、ということですね。

巨木は、依り代(よりしろ、神様が憑依するモノ)として、昔から神聖視されてきたんや。樹木は、最も長生きする高等生物や。現代の私たちにとっての遠い過去や、遠い未来を、生きた状態のまま経験することができる。人間の時間軸では、到底追いつけへん存在なんや。そんな彼らと対峙した時、人智を超えた魔力を感じてしまうのも、当然といえるな。

神社のご神木のしめ縄は、そういった樹木信仰の顕れですよね。

そうやな。森に関する不思議な話って、いまの時代「迷信や」と馬鹿にされがちや。もちろん、今回紹介した話が全部本当かどうかは誰にもわからへん。わしは、本当であるかどうかを厳格に確かめる必要はないと思ってる。

森っていう場所は、良くも悪くも人間の歴史に対して正直なんや。人間が傍若無人な振る舞いをすれば、どこかで森からのしっぺ返しを食らってまう。その“しっぺ返し”は、人間が築き上げた文明をいとも簡単に破壊してしまうほど、強力なものなんや。周囲の山地の森を伐りすぎて、氾濫が頻発し、疫病が流行って衰退した平城京なんかが最たる例やな。

しかも、実際に森は危険がいっぱいなところや。熊や蛇、道迷い、滑落、有毒植物…と、森でのリスクを挙げたらキリがあらへん。人の命を静かに奪うことだってできる場所。それが森なんや。森は、人間がずかずか入り込んで、好き放題していいような場所ではない。人々が、こういった認識を頭の片隅に置いておくことは、とても重要なことや。森にまつわる不思議な伝承は、この認識を忘れまいとした先人たちのメッセージなんや。

そうですよね。いくら文明が発展しても、人間が自然の力に及ぶことはないですもんね。森に関する伝承が、間接的に森と人間社会との共生に役立っていた、ということですね。でも私、やっぱりナイトハイクに行くのが怖くなってきました…。

そうやなあ。やっぱりこういう話を聞いた後はなあ。そや、海岸沿いの森に行ったら、魔除けの効果がある“トベラ”の木がいっぱい生えてるで。そこやったら、ちょっとは安心できるんちゃう?知らんけど。

《杉センセイまとめ》
・さまざまな文化圏で、森での神隠しにまつわる伝承が伝わっている
・文明が高度に発達し、森と人間世界との隔たりが大きくなるにつれて、その反動で森への畏怖の念が増幅した。多くの文化圏で、森は“異界との境界”とみなされている
・地上に生息する生物の中では最も長い時間、この世に留まり続けることができる樹木は、霊的な力を持っていると信じられてきた
・森に関する不吉な伝承は、人間による森への干渉のストッパーとなっていた側面もある

●参考文献
・遅沢克也(1988)”森の魔物たち” ja
・柳田国男(1926)”山の人生” 52505_50610.html
・D .L .Ashliman(1998〜2018)”German Changeling Legends” gerchange.html
・Bipin Dimri (2021)”Your Child Is Not Your Own? The Horrific Tales Of Medieval Changelings” https://www.historicmysteries.com/changeling/
・石原孝哉(n.d) “シェイクスピアと超自然 〜妖精をめぐって〜”
http://repo.komazawa-u.ac.jp/opac/repository/all/23789/KJ00005103904.pdf
・宮下創平(1995)”環境白書” https://www.env.go.jp/policy/hakusyo/h07/9589.html
・レファレンス共同データベース(2012)”レファレンス事例詳細”
 https://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=ref_view&id=1000111988

三浦 夕昇 (みうら・ゆうひ)
神戸出身の19歳。樹木オタク。幼少期から樹木の魅力に取り憑かれており、日本各地の森を巡っては樹を観察する毎日を送る。2023年冬より、ニュージーランドの学校で環境学を学ぶべく留学をする予定。