暑い時期になり、海へ行く機会が増える方もいるでしょうか。海へ行ったときに思い出してほしいのが今回の杉センセイのお話です。樹木の種子が大航海に繰り出す冒険譚は、今この瞬間にも世界のそこかしこで続いています。
大海原に乗り出す
樹木の種
初夏に入り、ずいぶん気温が上がってきましたね。この時期になると、海を見ただけでワクワクしてくるんですよね〜。
そうやな。晴れた暑い日に砂浜でのんびりするのは気持ちいいよなあ。
そういえば、珍しいですね。いつも森にいる杉センセイが海に来るなんて。
どういう意味やねん(笑)。海岸沿いの自然を観察するのは、楽しいもんやで。ほら、砂浜の上に卓球ボールより少し小さいぐらいの球が落ちてるやろ。それ拾って持ってきてみい。
これですか…?(↓)なんかの種みたいですね。これがどうしたんですか?
これは、長い航海を終えた樹木の種子なんや。もしかするとコイツは、数1000㎞離れた場所からはるばる漂流して、この浜に辿り着いたのかもしれん。
杉センセイ、ワンピースの見過ぎじゃないですか〜?こんな小さな種が、そんなに長い距離を漂流できるわけないですよ。
いや、樹木って意外と旅慣れたやつなんや。あいつらの航海スキルを侮ったらあかんで。普段は森でじっとしている樹木も、時には大海原に乗り出して、冒険の旅を繰り広げるんや
樹木が航海〜?なんか信じられないけど、ロマンがありますね。
よし。では今日は、砂浜に漂着した種子を観察しながら、樹木たちの大冒険に思いを馳せてみるで〜。
海流は
樹木たちの高速交通手段
さっき拾った種は、テリハボク科の「テリハボク」(Calophyllum inophyllum)という樹種のものや。こいつは、熱帯〜亜熱帯にかけての海岸沿いで森をつくる樹種で、日本での分布は沖縄や小笠原諸島に限られるな。
え、コレ、沖縄にしかない樹の種子なんですか‼︎そんなモノが、本州の海岸に転がっている、ということは……。
そう、この種子は黒潮に乗って南西諸島から1000㎞以上漂流してきた、ちゅうことや。ただ、ここで驚くのはまだ早い。テリハボクの分布域は、東南アジア、インド、オーストラリア、マダガスカル、南太平洋の島嶼部にまで及ぶんや。分布域の東西幅は約15000㎞。実に地球の円周の3分の1や。これほどまでに広い分布域は、もちろん海流による種子散布の賜物や。
ええ〜‼︎ちょっとスケールが大きすぎて想像がつかないです。あんな小さな種子が、大洋をひと跨ぎするほどの長い航海をするなんて…。樹木のフットワークの軽さ、恐るべし。
そうやで。テリハボクの種子には、長い漂流に耐え抜くための特殊な設備が備え付けられているんや。まず、内果皮(種子のカバー)はとても硬くて、人の手で割るのはまず無理や。これは、種子の本体が海水に浸かって発芽能力を失うのを防ぐためやな。あと、種子自体はコルク質に包まれていて、めっちゃ軽い。言うまでもなく、これは浮力を確保するためやな。
確かにこの種子、めちゃくちゃ軽いですね…。持っている実感がわかないぐらいです。
ある研究によると、テリハボクの種子は海水に浮いた状態で、90日以上発芽能力を維持できるらしい。黒潮海流の平均的な流速は時速4㎞やから、そこに90日間浮けば8640㎞先までいける。もちろんこれは計算上の話やけど、”海流”というのは植物からしたらジェット機並みの高速移動手段なんや。陸上の植物が、動物散布や重力散布に頼って8000㎞先まで分布を広げようとしたら、数万年かかるで。ってか、ほとんどそんなの無理や。海流を使いこなすテリハボクの賢さがわかるやろ?
なるほど、そう考えると、超広大な分布域にも納得ですね。海流って、植物の時間軸で捉え直すと本当に速いんだ…。高速かつ複雑で、しかも地球規模で展開されている”交通機関”をうまく使いこなすあたり、本当に旅慣れてるなあ。Yahoo乗り換え案内を使っても東京の地下鉄で遭難する私なんて、テリハボクには遠く及ばないです。
ちなみに、海流を利用して旅をする樹種はテリハボク以外にもたくさんおる。板根で有名なサキシマスオウノキや、パイナップルみたいな実をつけるアダン、ヤシの代表・ココヤシとかがその代表やな。こういった、種子の漂流によって分布を広げる植物を「海流散布植物」と言うんや。
なるほど、海流散布を行う植物は熱帯産のものが多いんですね。でも、もし種子が熱帯じゃない場所に漂着してしまったらどうするんですか?例えば、ヤシの実が日本に流れ着いても、寒すぎて育ちませんよね……。
いわゆる”海流の乗り過ごし”やな。それに関しても、植物たちはちゃんと対策してるで‼︎……って言いたいとこやねんけど、正直これはどうにもならへん。実際、ココヤシの種子が、北海道や東北の日本海側に漂着することはよくある話なんや。明らかに「行き過ぎ」やろ?ココヤシの種子は数年以上海に浮かび続ける。そんなヤツが、かなりの高緯度まで流れる対馬海流に乗ってしまうのは結構リスキーや。うっかり海流から降りるタイミングを失うと、とんでもない寒冷地に左遷されるんやからな。海流は一定ではないから、海流散布植物にとって”乗り過ごし”は永遠の課題なんや。
東京駅で湘南新宿ラインに乗った酔っ払いが、そのまま寝過ごして静岡まで転送されちゃうのと同じ現象ですね。やっぱり植物も、そういうミスをするんだ……。でも、地球規模で”海流の乗り過ごし”をやっちゃうと、なかなか悲惨ですよね。やっと新天地に辿り着いた‼︎と思ったら、そこが真冬の北海道だった時のココヤシの苗の気持ちを考えると、涙が出てきそうです。
そうやな。人でも植物でも、長旅にトラブルはつきものなんや。
親からの餞別を
受け取る種子
上に挙げた植物とはちょっと違った方法で、旅をするヤツもおる。大海原に旅立つ前に、「親からの餞別」を受け取り、それを頼りに航海をするんや。
そんなおぼっちゃま気質の樹木がいるんですか。誰ですか、そいつ。
マングローブや。南西諸島に自生するヒルギ類(マングローブの構成樹種)は、胎生種子と呼ばれる特殊な構造の種子をつけるんや。コレの凄いところは、種子が親木の枝の上で発芽する、という点。つまり、親木の枝に「苗」が実るんや。
なるほど、だから「胎生」という名前がついているんですね。
枝の上の苗は、親木から栄養を受け取りながら、すくすくと成長していく。そして、十分な大きさに育ったら、枝から離脱する。人間の親子で言う「独り立ち」やな。このとき、苗は一本の棒のような状態や(専門用語でこれを散布体と呼ぶ)。ほんで、独り立ちした日の夜。満潮の時間になると、海水が親木の元にやってきて、地面に横たわる苗を波に乗せる。ここで親子は完全に離れ離れになる。親に最後の別れを告げた苗は、長い長い漂流の旅に出るんや。いつの日か、新天地を見つけた時、その苗は再び波に乗って浜に着地し、そこで新たな人生を歩むんや。
なるほど、苗が漂流に耐えうる大きさに育つまで、親木が与える栄養が、”長旅への餞別”というわけですね。上京する子どもを、泣きながら見送るお母さんを思い出してしまいました。
毎年3月末に、地方の新幹線駅でよく見かける光景やな。でもヒルギの苗は、とてつもなく広い大海原に旅立っていくんや。どこまで漂流するのか、見当もつかへん。そんな長旅に出るんやから、”別れ”の重みが違うで。海流散布植物は、後戻りのできないお別れを繰り返して分布を広げていくんや。
そうですね。逞しくも、どこか切ない生き方にしんみりしてしまいました。
海と共に生きる
海流散布植物のテリトリーは”海”や。せやから、彼らは海で発生する自然現象と密接に関わり合いながら生きている。例えば、台風は海流散布植物にとってなくてはならないモノなんや。
ええ?人間にとっては、厄介者でしかないですけどね……。
台風が日本に接近すると、高波が発生するやろ。あれが重要なんや。高波は、波打ち際に漂着した種子を、陸側に運ぶ役割がある。種子の立場になって考えてみ。たとえ新天地に上陸したとしても、波打ち際では根を張ることができへんやろ?高波がなかったら、種子は新生活をスタートできへんのや。
なるほど。そういえば私たちも、飛行機が旅行先に着いた後、空港から電車やバスで最終目的地に向かいますよね。種子にとっての高波は、そういう補助的な交通機関みたいなもんなんですね。
逆に、海流散布植物自体も、生態系の中で重要な役割を果たしてるんやで。
え、例えばどんな役割ですか?
海底火山が噴火して、新しい島ができたとする。そういう場所で、一番最初に森をつくるのは海流散布植物なんや。1883年にクラカタウ火山(インドネシア)が噴火して、新しい島ができた時には、その島の植生が詳しく記録された。それによると、噴火から3年後には、その島でテリハボクの群落が形成されていたらしい。
たった3年で⁉︎森の遷移って、ゆっくり進むイメージがあったけれど、そのスピード感はすごいですね。
海流散布種子は、浮力さえ確保すればいいから、種子のサイズはかなり大きくすることができる。つまり、栄養分をたくさん蓄えて新天地に上陸できるんや。このことが、不毛な新しい島での植生形成に役立ってるんやな。そもそも海洋島は、”海”っていう絶対的な障害物によって他の陸地と隔てられているから、どうしても生物多様性が低くなりがちや。そんな場所に、迅速に駆けつけて枝葉を茂らせ、生態系の基盤をつくる。海流散布植物がいかに重要か、わかるやろ?
そうですね。私たち日本人は島国に住んでいますから、なおさら海洋散布植物への思い入れが強くなりますね。
海洋散布植物の多くは、海岸沿いという、植物にとっては厳しい環境で生育するんや。そんな彼らの唯一の強みが、「海を自由自在に活用できる」というものやった。地球上のすべての海はつながってる。せやから、やろうと思えば、目の前の海岸からどこまでも航海できるんや。このことにいち早く目をつけた、彼らの勇敢さには尊敬に値するな。
いまこの瞬間も、広い広い大海原のどこかで、海流散布種子が漂流の旅を続けているんですね。いつの日か新天地に辿り着くことを夢見ながら、終わりの無い旅を続ける……。ファンタジー映画の主人公みたいな生き方に、惚れました‼︎私も、ヨットを買って航海の旅に出ようかな。
種子は自由に旅できるけど、人間がそんな航海したら、別の国の領海に入って外交問題になるんちゃう?知らんけど。
《杉センセイまとめ》
・数ヶ月で数1000㎞の距離を移動できる海流は、植物の時間軸で捉えると超高速の移動手段
・海流に種子を漂わせて分布を広げる植物のことを、「海流散布植物」という。彼らの種子はかなり軽いが、硬く頑丈なカバーで覆われている。これは、長い航海に耐えるためには必須の設備
・時には海流の乗り過ごしもやっちゃいます
・マングローブは、苗の状態で海上を漂い、新天地を目指す
・絶海の孤島の生態系の土台は、海流散布種子がつくる
●参考文献
・中西弘樹(n.d.) 「海洋散布と海洋島フロラの成立」
https://dl.ndl.go.jp/view/prepareDownload?itemId=info%3Andljp%2Fpid%2F10467871&contentNo=1
・中西弘樹(2011)「日本における熱帯起源の漂着果実と種子の希な種」
http://drift-japan.net/wp/wp-content/uploads/2013/01/JDS9_2011_1_5.pdf
・森林総合研究所(2013) 「テリハボクの遺伝変異を解明する」
https://www.ffpri.affrc.go.jp/pubs/seikasenshu/2013/documents/p54-55.pdf
・小見山章(2017)『マングローブ林 変わりゆく海辺の森の生態系』京都大学学術出版会
・林将之、大川智史(2020)『琉球の樹木』文一総合出版
・林将之、名嘉初美(2022)『沖縄の身近な植物図鑑』ボーダーインク
・マングローバル(n.d.) 『奄美&沖縄マングローブ探検』
https://www.manglobal.or.jp/