山には、森には、おいしいものがたくさんある。山菜、きのこ、木の実、樹液、木の花の蜜、沢ワサビ。忘れかけているけれど、私たちはそれらを食べて生きのびてきました。この連載では、そんな“おいしい森”の恵みを取り上げていきます。今回は”キハダ”という木の実で健康飴をつくっている夫婦のもとを尋ねました。前編はキハダ飴誕生のきっかけや飴づくりについてです。
絶景が見える場所で暮らしたい
キハダ飴をつくるまで
まだ少し雪がちらつく春、私たちは長野県大町市に向かって車を走らせていました。
道中の前方には雪に覆われた日本アルプスの雄大な景色が広がります。一本道をひた走り目的地にたどり着くと、不思議な建物が出迎えてくれました。
フクロウのようなペイントは強烈な存在感です。通称・のっぺ山荘。この素敵な住まいで暮らしているのが古川孝雄さん・トミコさん夫妻です。「キハダ飴本舗」としてここで健康飴の製造販売も行っています。
絶景が見えるところで山暮らしをしたいと、子どもたちが就職したのを機に神奈川県藤沢市からこの地へ約25年前に移り住んできました。
トミコさん「神奈川の家も全部売り払って、子どもたちにはアパートを借りて、家財道具一式そろえてやって、『さあ行くよー!』って夫婦と猫2匹でこっちへ来たんです」
家から見える鹿島槍ヶ岳(標高2889m)が古川夫妻のお気に入り。そんなこの場所で居を構えてから始めたのは食堂でした。自分たちで収穫した山菜やキノコを使った特製丼は他にない味だと話題になり、休む暇もないくらいの人気店となります。しかし、本人たちにとっては不本意なことでした。
トミコさん「一日100人とか150人くらい来るようになってね、もうやめようって話になったの。とてもじゃないけど疲れて死ぬって。それに元来アウトド派だから、厨房にこもって皿洗いなんか誰がするかって夫婦喧嘩もして、我慢できなくてすぐに店をやめました」
しばらくは周辺の山々で登山を楽しむ日々を過ごします。そこへ舞い込んできたのが“キハダ”の話でした。
トミコさん「この辺りの皆さんは小さくむしったキハダの樹皮を登山や修学旅行に必ず持たされていたみたいでね。もしお腹が痛くなったらこれをしゃぶれと、そういう文化があった。でも、とっても苦いからお腹が痛くなってもキハダを口にせずに我慢して帰って来たんですって。それで学校の先生から『甘くておいしいものをつくってほしい』と頼まれたんです。何ヵ月か試行錯誤してね、それで完成したのがこのキハダ飴。自分たちも惚れ込んだ味になったね」
胃薬の原料となるキハダ
健康飴ファンは全国に
キハダ飴を一つ口に入れてみると、苦味・甘み・酸味が入り混じった複雑な味わいです。キハダはミカンの仲間でもあるため柑橘類っぽい風味もあります。そして舌に残るピリリとした感覚がなんとも不思議です。これはキハダに含まれる「ベルベリン」という殺菌成分が働いている証なのだとか。このおかげで、のど飴としても十分な効果が期待できます。味の好き嫌いは分かれますが、他にはないこのキハダ飴の魅力にどっぷりハマるファンが全国各地にいるそうです。
トミコさん「昔から一切宣伝をしないから口コミで知ってもらっています。出張販売もしないし、あっちこっちに卸さない。地域の一番店にだけ置く。近隣の小谷村、白馬村、大町市、松本市、池田町だけに置いています。薄利多売とは真逆だね。狭い範囲で売れば自分で納品できるし、取り替え交換もすぐに対応できるし、これくらいがちょうどいいのよ」
この日の前日には、キハダ飴を買い求めに白馬村からおばあちゃんがやって来たそうです。「便秘に効く」と言って愛用している常連さんの一人なのだとか。
キハダは漢字で“黄肌”と書きます。その名のとおり、樹皮をめくると、内側は黄色い木肌なのです。この内樹皮は昔から生薬として重用されてきました。今でも「オウバク」の名で下痢止めや胃薬など漢方薬の成分として使われています。これぞ“健康飴”たるゆえんです。
キハダの樹皮は薬事法の関係から、食品として販売することはできません。そこで古川夫妻は実を使うことにしたのですが、初めは保健所に許可できないと言われてしまいます。そこで図書館で文献を漁ったところ、木曽地域で昔キハダ餅をつくっていたという記述を見つけ、再度保健所に交渉し、キハダ飴の商品化が実現したのでした。
木の世話から飴づくりまで
すべてが手づくり
飴に使うキハダの実は、古川夫妻が育てた木から収穫しています。
孝雄さん「買ってきたキハダの種から苗木に成長させて、それを植えて育てました。自分で苗木を育てないと、そこらの植木屋にキハダは置いてないからさ。それとね、キハダには雄と雌があって、もちろん雄の木に実はならんのですよ。だから苗木のうちに雌の木を接ぎ木(雌の株や枝を切り取って、雄の木の幹などにつなぐ)しています。もちろん実をつけるために雄の木も残さないといけないけどね」
接ぎ木の技術は、娘さんの嫁ぎ先であるリンゴ農家の接ぎ木名人に教わったのだと言います。この技術のおかげで実をたくさん収穫できるようになりました。毎年11月頃、黒く熟してきた実を高枝切りバサミやハシゴを使って収穫しています。木がこれ以上大きくならないように、上の方の幹や枝は切り落として管理しているそうです。
トミコさん「1年を通して飴がつくれるように、収穫した実はすぐに新聞紙にくるんで冷凍しているの。実が乾燥しすぎると煮出すのが大変だから。キハダの実は毎年なるわけではないし、ストックは欠かせないのよ」
キハダ飴はまず、実をミキサーで潰すところから始まります。ドロドロになった実を大きな鍋で数十分煮出したら、不織布で絞って煮汁だけを取り出します。そこへ砂糖と麦芽水飴を加えて煮詰めたら、固まってきたものをハサミでチョキチョキと切って、粉砂糖の中に落としていきます。
孝雄さん「私が粉砂糖の中に飴を落として、それが冷えて固まる前に妻が手で丸めるの。そのタイミングが合わないとね、切ったやつが棘みたいになっちゃうんですよ。2人で協力しないと飴はできないんだよ。阿吽の呼吸だね。だから夫婦喧嘩すると大変なことになっちゃうの(笑)」
こうして、唯一無二のキハダ飴ができあがります。
飴以外にも生産者ならではのキハダの楽しみ方があると言います。それはキハダエキス(煮汁)です。
トミコさん「飴づくりのときに余ったエキスをペットボトルに入れて冷蔵庫で保管しているの。それを毎朝晩お湯で割ってちょっと飲む。脂っこいものを食べて胃もたれしたときに、『そうだ、キハダのエキスを飲んでみよう』と試しに飲んでみたら、もうさっぱりしてね。樹皮だけじゃなくて、実にもちゃんと効果があることを実感しました。キハダのおかげで、うちは病院代も薬代も全然かからない!サプリメントもまったく飲んでないのよ」
飴づくりは収入源であり、自らの健康を保つ生活の糧になっていました。しかし、話を聞いていくと、どうやらそれはキハダだけではないようなのです。古川夫妻の多彩な山暮らしを後編でさらに深堀りしてみます。
▶後編はこちら
●Information
キハダ飴本舗
長野県大町市平20373-2
0261-23-1310
https://kihadaamehonpo.at.webry.info/