静かなる革命
# 20
吉野材を全国へ
流通を担う吉野の翼
2023.9.27

吉野地域の林業・木材産業を川上から川下まで探るべく取材を行う響hibi-ki編集部。今回は吉野材流通量の約3分の1を担う〈吉野製材工業協同組合〉で、新規事業を担当する樫本昌幸さんに話を伺いました。木材市場を中心とした従来の流通に加え、吉野材のオンライン直販を可能とした木材流通拠点〈吉野ウィング〉開設の背景に迫ります。

写真:西山 勲/文:狩野 和也

町が丸ごと製材工場?

皆さんの出身地で有名な産業はなんでしょうか?

農業・漁業・工業など、日本各地には地理的条件や文化に根ざし、さまざまな産業で栄えた地域が存在しています。その中でも、今回編集部が訪れたのは製材業で栄えた町、奈良県吉野郡吉野町です。吉野林業の中心地である川上村に端を発する吉野川、その中流に位置する吉野町は、地理的条件から吉野材が集まる場所として発達しました。林業・木材産業の業界では木材流通の過程を「川上(木材生産)」「川中(流通・加工)」「川下(消費者)」と表現しますが、吉野町はまさに「川中」にあたる製材の町といえます。

取材地へ近づくにつれて、あちらこちらに見える製材工場と山積みの木材。なによりも、車を降りた時に町中に漂う木の香りが、この場所が製材の町であることを実感させてくれます。

吉野大橋から吉野川上流を眺める。右手に製材工場群が見える。

吉野地域の木材流通を知るべく、取材に伺った〈吉野製材工業協同組合〉は、1949年に吉野材に関わる事業所が集まって設立されました。1973年には木材市場の機能を有する〈吉野材センター〉が立ち上がり、木材の流通拠点として活気をみせます。高い強度と美しい色艶を持つ、優れた木材として全国的に知られる吉野材が、この場所から日本各地に旅立っていきました。

吉野材を含む木材の需要は、1973年にピークを迎えた後、次第に低迷していきました。主な理由は木造住宅の需要の減少や低価格な木材の普及です。この時期から、全国の製材所が相次いで廃業せざるを得なくなります。吉野町でも最盛期には100近くの事業所が組合に所属していましたが、現在では33社ほどになってしまいました。この背景には、木材産業独特の需要減に対応しにくい閉鎖的な流通構造がありました。特に課題となったのは「吉野材がどこで購入できるのかよくわからない」という点でした。

吉野材センターでは月に1度の製品市と単板市を開催し、「セリ売り」という形式で木材、木製品の販売を行っています。セリ売りとは、商品に対して競うように値段をつけていき、最も高値をつけた買い手が購入できるという仕組みのことです。毎年年始にニュースで流れる「マグロの初競り」をイメージしてもらえると分かりやすいかもしれません。この昔ながらの売買方法は基本的に一般向けではなく、木材問屋(卸売業者)や材木店(小売業者)などの専門業者が購入することを前提としています。木材需要全体が減少する中で、業者のみを対象とした販路に依存していては収入が減少する一方です。結果的に、立ち行かなくなった製材所が増加していきました。

その一方で「吉野材が良質な木材である」という評価には変わりがありませんでした。言わずとも名が知れたブランド材であり、全国的に見ても一定の需要がありました。しかし、吉野地域から遠く離れた消費者にとっては、欲しいと思っても買いに行けない、購入できる場所が分からないといった流通上の障壁が存在していました。この需給のミスマッチに対応すべく開設されたのが〈吉野ウィング〉、吉野材の販路拡大の第一歩となるマーケティング拠点です。

所狭しと木材が並ぶ吉野材センター

アパレルから製材業界への転身が
吉野にもたらしたもの

製材業界の苦境をきっかけに開設された吉野ウィングですが、自然発生的に生まれたものではありません。開設の鍵となった人物は吉野ウィング事業部の樫本さんです。大阪からのUターンで吉野町に戻ってきた樫本さんに、ご自身の来歴と吉野ウィング開設の詳しい経緯を聞いてみました。

吉野製材工業協同組合 吉野ウィング事業部 室長
樫本昌幸さん

「もともとは大阪で婦人衣類の販売をしていました。地元の吉野で観光に関する商売ができないかをずっと考えていて、4年前に大阪での商売をたたんで地元に帰ってきました」

製材業や林業について聞くつもりで身構えていた編集部の耳に飛び込んできたのは「ふじんいるい」という聞きなじみの無い言葉。アパレル業だと理解できるまでに少し時間を要しました。続けて話を聞くと、実家も山に関連する仕事ではないと語る樫本さん。吉野地域という歴史深い林業地の製材組合で働く人と聞き、業界関係者だろう、と勝手に想像していた編集部一同、驚きを隠せませんでした。

そんな樫本さんが、製材の世界に足を踏み入れたのは地元に帰ってきてから。知り合いだった組合の理事から「新しく吉野材の流通拠点を作りたいから組合に入ってくれないか」と誘われたことがきっかけでした。

「最初は業界の専門用語だとか、どんな機械がどの事業所にあるのかもわからなかったので、一軒ずつ事業所を回って少しずつ学んでいきました。最初はもう大変でしたよ」

木材、製材のことはゼロから学ぶ必要があった樫本さん。当時を振り返ると苦労が絶えなかったとのことですが、「流通拠点づくり」という点では前職の経験が大いに活きました。

「衣類販売をしていた時にはSPA(※1)やOEM(※2)という商売の形が当たり前でした。そこで、吉野の木材流通を考えた時にもSPAの形で流通ができないかということを思いつきました。BtoCの販路を新たに作るということです」

※1.SPA(製造小売業)……商品の企画から生産、販売まで自社で一貫して行うビジネスモデル
※2.OEM(相手先ブランド製造)……ブランド側が製品の企画をし、相手先企業に発注し製造を行ってもらう流通構造のこと

どういうことでしょうか。以下の図をご覧ください。

この他にも多数の流通経路があるが代表的な例を記載。

従来の木材流通は上図(従来の流通構造)のチャートのとおりです。吉野材センターは製材所と材木屋を繋ぐポジションにあり、やり取りをする相手が限定的でした。また、消費者の需要は一切見えない立ち位置にいました。それに対して上図(吉野ウィング設立後)のチャートをご覧いただくと、吉野ウィングが一般向けの売買のコーディネーターの役割を果たしていることが分かります。吉野ウィングは窓口として機能し、消費者のニーズを把握した上で製材業者と連携することで、ワンストップの流通体制を確立しました。これにより、幅広い規格の製品を短いリードタイムでエンドユーザーに提供できるようになりました。吉野ウィングのモットーである“必要な時に、必要な所へ、必要な分だけ木材をお届けする”が具現化された仕組みと言えます。

このような木材流通のSPA化の利点を最大限に引き出すためには、いつでも問い合わせを受けられる体制が不可欠でした。そのため、吉野ウィングでは従来のセリ売りの流通を重視しつつも、オンラインでの受注を可能にする仕組みを整備してきました。

2019年9月の設立から約4年が経った吉野ウィングですが、設立後の変化はどのようなものか教えてもらいました。

「売上の主体はセリですし、オンラインだけで取扱量が大幅に増えたというわけではありませんが、販路は間違いなく広がりました。今まではなかった個人のDIY用の木材の問い合わせなんかもありましたね。吉野ウィングができる前は、商品に関する問い合わせは全て発注者と事業所との直接のやり取りになっていました。たとえば見積り一つとっても、事業所は毎日の仕事を抱えているので、返答まで2、3日かかるなんてこともあるわけです。ただ、うちを仲介するようになってからは、事業所に聞くとすぐ答えてもらえるようになりましたし、発注者に即日の返答ができるようになったのは大きな変化ですかね」

また、吉野ウィングでの取り扱いが増え、需要が形となって現れてくると、当初は懐疑的だった組合員からの反応もポジティブなものが増えていったと教えてくれました。

「吉野材という良質な木材が集まり、それぞれの事業所が得意な製材・加工技術を持っています。こうしてできる製品の質、バリエーションというのはどの地域でもできるようなものではないと思います」

力強く語ってくれた樫本さんからは、吉野材と吉野町の製材業者に対する確かな自信と信頼が感じられました。この強みを最大限に活かし、現代のニーズに合わせた形で吉野材を全国各地に広げるための拠点が吉野ウィングなのです。

地域連携が生んだブランド木材

「実は新しく販売を開始した木材があるんです」と、事務所の奥からチラシを取り出した樫本さん。そこには大きく「吉野百年黒杉」と書かれていました。杉材の中でも特に「黒み」をセールスポイントにした新たなブランド木材のようです。どんな商品なのでしょうか。

これまで、吉野産のスギは、丸太の中心部分である心材が美しいピンク色や鮮やかな紅色であることが好まれてきました。ただ、現実には美しいピンク色の心材が現れるスギは全体の3分の1程度。黒みが深く出た材については価値が下がる傾向にありました。特に心材が黒色になってしまう「黒心材」は美しくないとされ、水分を多く含むという性質からも低価格で取引されてきました。

写真左が、心材が赤みを帯びた丸太、写真右が黒心材。写真提供:吉野製材工業協同組合

同じように長い年月をかけて育ててきた杉なのに、最後の最後に価値が下がってしまう。このような杉の市場価値をなんとか上げられないかと考えた結果、原木市場を持つ川上側の上吉野木材協同組合と川中の吉野製材工業協同組合がタッグを組んで売り出すことになった杉材が吉野百年黒杉です。

外装、内装全て吉野百年黒杉で建設された上吉野木材協同組合の休憩棟(2022年10月上棟)

「吉野百年黒杉を売り出すための特徴のエビデンスは奈良県森林技術センターに研究してもらいました。今年(2023年)の1月には東京ビッグサイトで材木の商談会がありましたが、都市部の方の反応は思った以上に良いものでした。1日目は正直に、今まで価値を落としていた木材という説明をしていましたが、これはいけると思って2日目からは『ここでしか買えない吉野の黒杉』として、その良さを前面に出して売り出しました。昔は黒心材といえば嫌われる傾向にありましたが、今どきの若者には良い意味でそういう常識がない。もっと広がっていく可能性も感じています」

休憩棟の内部

休憩棟の内部も見せてもらいましたが、黒色の濃淡によりつくられるマーブル模様が印象的でした。木の空間といえば暖かく柔らかな印象がありますが、吉野百年黒杉の場合は温かみを残しつつ、シックな風合いも感じられました。もちろん、スギの心地よい香りも残っており、説明がなければ今まで価値を落とされていた木材だとは思えない仕上がりです。

黒心材にはデメリットとして、内部に多くの水分を含んでいるため乾燥に手間がかかるという特徴もあります。これまでは製材業界からも好まれてはいませんでしたが、「今後、需要が伸びていけば事業所にも理解してもらえるはず」と樫本さんが語ってくれました。吉野百年黒杉が当たり前のように全国に流通する日も近いかもしれません。

吉野材の家をワンストップで

吉野ウィングの仕事はオンラインの受注対応だけではありません。伐採見学ツアーなど吉野材の良さを間近で体験できるイベントの主催や、都市部での展示販売会などにも精力的に参加しています。地域内外への吉野材の露出を増やすことで、吉野材と全国の消費者との接点づくりを行っているのです。「吉野で働くつもりで帰ってきたのに気づいたら出張ばかりしている」と樫本さんが笑って話してくれました。

最後に、今後の目標について樫本さんに尋ねてみました。

「最終的な目標は『吉野材で家を建てたい』というニーズに対して、吉野ウィングに連絡すればワンストップで家を建てられるようにすることです。そのためには、これまで以上に縦と横の連携が大事になります。事業所との横のつながりを大切にしつつ、川上・川下との縦のつながりも強化していきたいと思います」

取材中、淡々と迷いなく話す樫本さんからは強い意志を感じました。吉野材を全国に届ける仕組みを一つひとつ着実に築いていく様子から、その推進力が伝わってきます。地域内外を巻きこみ、広がっていく「吉野材ムーブメント」に、皆さんも吉野材の購入を通じて参加してみてはいかがでしょうか。

●information
吉野製材工業協同組合
〒639-3114 吉野郡吉野町丹治11番地
TEL 0746-32-5773
WEB http://yoshinozai.com/

吉野ウィング事業部
TEL 0746-32-2119
WEB https://yoshinowing.com/

狩野 和也 (かの・かずや)
将棋の町、山形県天童市出身。前職は林業系の地方公務員。情報収集のために響hibi-kiを見ていた一人の読者に過ぎなかったが、気づいたら編集部に仲間入りを果たす。他人の思想とそこに至るまでの過程を覗くのが好きな思想マニア。