林業ってどんな仕事なんだろうと気になったら、SNSやYouTubeで検索すればいくらでも情報が見つけられる時代になりました。しかし、10年ほど前はネットで情報を見つけることすらやっとだった記憶があります。その当時、私が森林文化アカデミーの学生だった頃に出会ったのが林業ブログ〈出来杉計画〉でした。現場の人はこんな作業をしているんだ、こんなことを考えながら働いているんだと、まさに喉から手が出るほど知りたかった情報がつまったブログでした。そしてそのブログは今でも続いています。どんな思いで活動を継続してきたのか、出来杉計画を運営する梶谷哲也さんに話を聞きました。
都会と山村の間に立つ
黒滝村森林組合 作業員
奈良県フォレスターアカデミー講師
梶谷哲也さん
出来杉計画の初期のブログをさかのぼると、2005年3月からはじまっていることがわかります。6mのはしごを使って枝打ちしている作業の様子や、実際に使っている林業道具・チェーンソーアート作品の紹介、年月が経ってくると林業の技術的な内容も増えていきます。ヘルメットの汗の匂いを解消するためのおすすめアイテムを取り上げていたり、林業の作業に関するテキストや研修をお知らせしたり、地味だけれど意外とネットにも少ない情報を届けることも欠かしません。Twitter(現X)のアカウントを開設してからはブログの更新が少なくなってはいるものの、月1くらいで投稿は続いています。
●出来杉計画
http://www.deki-sugi.com/
東京都出身で1974年生まれの梶谷さんは大学を卒業後、黒滝村森林組合に就職しました。自然の中で働くことや田舎暮らしに惹かれて就職先を調べる中、たまたま見つけたのが同組合だったと言います。民家のそばにある支障木を伐採するなどの特殊伐採の仕事を中心に林業現場で経験を積んできました。こうした仕事の傍ら、ブログを20年近く続けてきたのでした。
「山奥で誰にも知られずにひっそりと人生を終えるつもりはなかったですね。きちんと外に向けて情報発信していこうってことは意識していましたし、今でもそう思っています。ブログをやってみると影響がとてもとても大きかったです。林業関連の言葉をネットで検索したら必ず僕のブログが出てくるようになりました。記事が溜まった今は検索でブログにきてもらえるから、更新しなくてもアクセス数はそんなに変わらない。だから月1くらいの更新になっちゃっているんですけど」
当初から検索で引っかかりやすいようにSEO対策を意識していたと言います。YouTubeも2009年からはじめて、デジカメで撮影した動画をあげていた時期もありました。
「当時はYouTuberなんていなかったし、今みたいになるとは思ってなかったですよね。『広告つけますか』って話も来たけど、俺は林業1本でやるんだ、広告屋じゃないと思って案件とか全部断ったんですよ(笑)。それが今はもうYouTubeの時代になって、そこの波には乗れなかったですね」
とはいえ、ブログをきっかけにメディアからの取材依頼やテレビ番組に出演する機会が少しずつ増えていきました。テレビチャンピオンやNHKのピタゴラスイッチで木登りを披露したり、移住系の雑誌のインタビューを受けたり、媒体のジャンルはさまざまです。現在はTwitterを主軸に情報発信を続ける梶谷さん。今でも独自に活動を継続している理由はなんなのでしょうか。
「もともと田舎の人間でもないし、林業生粋ってわけでもないので、都会と山村の間に立つことが自分の役割だと意識してます。だからこそ情報発信をしてきました。林業をしている人向けに多少情報発信もするけれども、なるべく一般の方を意識してます。僕がチェーンソーアートをやってきたのも、なるべく一般の人に興味を持ってもらいたいから。一般の人にわかりやすく、伝わりやすくっていうのをめちゃめちゃ意識しています」
失われた30年とされる平成の時代、時を同じくして林業も斜陽産業と言われる存在でした。そこにわざわざ目を向ける人は好事家くらいでしょう。世間が目を向けないからといって産業がなくなったわけではなく、確かに林業を生業とする人はいました。梶谷さんもその一人です。山で暮らし、山で仕事をする人が生きていることを世に投げかけてきたのも梶谷さんでした。その投げかけた石は私にも届き、林業の世界へとハマっていくきっかけになりました。
組合の仕事を辞めない理由
ブログの影響で仕事の幅が広がっていった梶谷さん。林業の達人のインタビュー本を執筆したり、林業系のメディアでおすすめアイテムの記事を書いたり、現場以外のフィールドで活動することも多くなっています。ブログを通じて得た“人に伝える力”と、現場で磨いてきた林業技術を兼ね備えた梶谷さんのような人材は貴重です。そうした経験からか、現在は「奈良県フォレスターアカデミー」や「みえ森林・林業アカデミー」、その他林業関連の講習会などで講師も勤めるようになりました。ブログ活動を起点に出会った人から教わったことや、自ら情報を整理して綴ってきたことが講師の立場になって活きていると言います。
「受講生の方たちは教科書を読むより現場の声に興味を持ってくれます。いろんな林業現場のおっちゃんの話とか。だからブログをきっかけにいろんなところに行くことができて、いろんな人の話が聞けたことは本当に自分の財産になっています」
こうした講師の仕事は森林組合の仕事として引き受けているそうです。話を聞いていると独立できそうな気もしますが、なぜ組合に所属したままなのでしょうか。
「自分でも独立はできると思います。収入も今より増えるんでしょうけど、でも、向いてないっていうか、独立したら頑張りすぎちゃう気がして。収入はそんなに多くはないけど、それ以外の面では気楽にやらせてもらえているのがいいですね。森林組合だったら大きな機械に乗って仕事できるし、それって個人だと体験できないですから。組合にいたら予想しないような仕事が舞い込んでくることもありますし、わりと自由にやらせてもらえています。会社にいるメリットは十分感じています」
世界自然遺産に登録されている小笠原諸島で外来種を伐採する仕事の依頼がきたこともありました。
「東南アジアとかから入ってきた外来種の木がすごい繁殖してしまっているということで、その外来種を伐採しに行くために組合の仕事を1ヶ月休ませてもらいました。小笠原諸島には固有の植物や生き物がたくさんいるので、なるべく影響を与えないようにゆっくり時間をかけて木を倒して、慎重に作業をする必要があるんです。日本にいながら熱帯雨林で伐採の仕事ができるなんてなかなかないですよね(笑)」
そんな黒滝村森林組合には現場で働く作業員が15名います。この日、梶谷さんと同じ現場で作業をしていた野口浩司さんも神奈川県から黒滝村へ移住し、地域おこし協力隊として組合の仕事をしています。
「吉野在住の知り合いがいて、協力隊の制度を紹介してもらったのがきっかけで来ました。前は造園屋で働いていたんですけど、コロナが流行り始めた頃に都会が窮屈だなって思って移住を決めました。子どもにも自由に過ごさせてあげたかったですし。うちの森林組合は同い年ぐらいの人ばっかりなんで話しやすくて、仕事もやりやすいですね」
実は黒滝村森林組合の現場作業員は全員が移住者です。その理由を梶谷さんが教えてくれました。
「地元で林業をやろうっていう人はいないんですよ。お父さんがやってるから継ぐって人以外はいない。給料安いし、危険だし、汚れるし、そんな仕事をやりたい人はなかなかいない。それでも移住してきて林業やるなんて、よっぽど志がある人か変わり者ですね(笑)」
自然と集まった移住者たちで構成されている森林組合だからこそ、自由でなじみやすい環境ができているのでしょう。結果的に他の組合にはない気風が生まれているのでした。
共振するもの
地元の学校に出向いてチェーンソーアートの授業もしているという梶谷さん。林業ボードゲーム教材をつくり、岐阜県内の農林高校などで出前授業を行っている私たち響hibi-ki編集部はシンパシーを感じずにはいられません。
「もう15年になるかな。今も続いてますよ。当時、吉野高校の森林科学科の先生が僕のことを呼んでくれて、それからチェーンソーを使った吉野杉のイスづくりを毎年やっています。高校生にとってはチェーンソーを使うのは最初で最後かもしれないし、高校のいい思い出になればと思ってなるべく楽しくやって、失敗したらみんなで笑って終えるみたいな感じの雰囲気でやってます」
「なるべく楽しくっていうのは、林業の仕事でも大切だと思います。せっかく志を持って仕事するんだったら怪我せず日々楽しく過ごせる方がいいし、ずっと仕事できた方がいいかな。子どもと過ごす時間を増やせるし、晴耕雨読じゃないけど仕事に追われるよりはゆとりのある暮らしがいい。収入はそんなに多くないから生活はカツカツだけどね(笑)。でも、残業はないし時間はたっぷりある。昨日は雨だったんで仕事は中止にして、家のことをやったりとか。そういうのが僕の性には合っているんです」
形は違えど、自分たちと重なる思いを持って活動している人がいるということ。ただそれだけで鼓舞されるものです。響hibi-kiもそんな存在になれているでしょうか。私たちも梶谷さんのようにゆるやかに楽しく継続していきたいと思います!
●Information
出来杉計画
ブログ http://www.deki-sugi.com/
SNS https://twitter.com/dekisugikeikaku
黒滝村森林組合
〒638-0251 奈良県吉野郡黒滝村寺戸154
TEL 0747-62-2124
WEB https://www.k-shinrin.jp/