ワンクリックで読みたい本が自宅に届き、電子書籍も当たり前になった現代。便利さやコストパフォーマンスに至上価値が置かれる世情の中、山の頂上に重たい本をかつぎ上げ、事前告知なしの「山頂書店」を開く書店主がいると聞けば、どんなイメージを抱くだろう?晩秋の信州に出現した山頂書店、その名も〈杣Books〉に密着すると、店主から伝わってきたのは、自分の知的欲求を追求する面白さと、現代の林業のあり方への憂い、そして森への熱い思いを基調にした「アンチ資本主義」な生き方だった。
真面目な「林業人」
長野県佐久地方の北相木村と南相木村にまたがる標高2,112mの「御座山」(おぐらさん)。日本二百名山のひとつに名を連ね、八ケ岳の眺望に優れた地元の名山だ。山頂付近の稜線が早々と雪化粧をしたある週末、里山と呼ぶにはちょっとハードなこの山で開店する杣Booksに同行した。
店主の細井岳さん(40)とは仕事を通して知り合った知人同士。しかし最後に会ったのは10年近く前で、杣Booksをはじめとする細井さんのユニークな活動について本人から詳しく話を聴くのは初めてだった。氷点下に冷え込んだ登山口。車を停めると、細井さんは杣Booksのトレードマークともいえる天然木製の書棚を収めた背負子(しょいこ)をかつぎ、さっそく急な山道を歩き出した。
「林業の語られ方が狭くてかたいとずっと感じていて。杣Booksの取り組みも“林業”と言い張ってしまうことで、少しでも林業の裾野が広がればいいと思うんです」
書棚には毎回、細井さん自身が選んだ40~50冊の中古本が並べられており、重さは15㎏ほど。ハードカバーの本もあり、体力に自信がない人の場合、背負うだけで精一杯の重さだ。
実は細井さんの本職は林業。約10年のキャリアを持つ中堅だ。個人事業主として国有林での間伐など造林分野の作業経験が長く、長野県が認定する「林業士」(※)の資格を持つ。現在は長野県上田市に住み、地元の森林組合で集約化施業のプランニングなど主に事務系の仕事を担当する。家族思いの一児のパパでもある。
※「長野県林業士」は、地域の山づくりを進めるリーダーとして、昭和48年からはじまった認定制度
育ったのは東京の奥座敷とも呼ばれ、清流・秋川が流れるあきる野市。釣り好きの父親の影響で小学生時代から渓流釣りをはじめ、最近では「テンカラ」と呼ばれる和式毛バリ釣りのワークショップを開くこともあるベテランだ。20代のころに上高地でインタープリターの仕事をしたこともあるナチュラリストの横顔も持つ。
そんな細井さんが林業を続ける中で日々感じてきたのがさまざまな矛盾や違和感だった。人力に頼らざるを得ない厳しい作業にもかかわらず、低く抑えられている補助金。機械化などで作業効率が上がった結果、供給過多で下がってしまった丸太の価格…。
「時間的スケールが資本主義に合わないのに、そのスピードに林業が飲まれているように感じるんです」。もっと多くのひとに林業や森林に関心を持ってもらうことで、アイデアが広がり、林業の現状が変わっていくかもしれない…。「でも一般のひとが林業に身近に接して関心を持つ機会はほとんどない。しかし本に使われる紙は、もともとは山で育った木材を原料にしてできていますよね」
木こりと本、そして山頂に集まる登山者。その三つの要素が偶然出会うことで生まれる「化学反応」を自分で引き起こし、それを体感してみる…。杣Booksはそんな思いではじまったという。
「生煮え」だから面白い
高校時代に本格的な読書をはじめ、さまざまな本に触れてきた細井さん。林業のかたわら、上田市のブックカフェでスタッフをしていた時期もあった無類の本好きだ。キャッチーな杣Booksという屋号については「いまのひとはそもそも『杣』という漢字を読めない。まず杣という漢字を目にしてもらい、そこで(林業への興味や好奇心に対する)フックをかけたい」とネーミングに込めた思いを話す。
杣Booksを出店するのは信州の里山が中心。今年で6年目を数え、これまでに約40座の山頂で開業してきた。販売する本は林業に関する本にこだわらず、小説から自然科学、ノンフィクションまで幅広い。この日は「おぐらさん」で開店したので、著書名に「おぐら」が含まれる本も選んだという。ユニークなことをしているけれど、肩ひじを張らず、あくまでも自分が面白いと思うことに忠実になる…。そんな細井さんの生き方が随所に垣間見える。
細井さんは山頂書店のほかにも、ありとあらゆる食材でホットサンドを試作し、実際に味わってみる「ホットサンドの研究」といった「自由研究シリーズ」や、「辞書を読む読書会」(県立長野図書館との共催)など、数々のユニークな遊びや催しを企画し、それをSNSで発信してきた。メインの活動ともいえる山頂書店では、ホームグラウンドの上田市の「太郎山」山頂で杣Booksの拡大版ともいえる参加型イベント〈Taroyama Book Camp〉(愛称=TBC)を継続開催している。
損得勘定抜きに知的好奇心を追求し、それを一般のひとも巻き込みながら具現化させてしまうフットワークの軽さ。言い換えれば力技で実現に持ち込むエネルギーは、学生ならまだしも四十路に入ったサラリーマンでは稀有だろう。
「基本的に定義されていないものを生煮えのまま実行する企画ばかりなんです。生煮えのままやって、予想もしない化学反応が起こる。それはどう転んでも面白い」。生煮え状態の企画を他人がどう受け止め、評価するか…。そこを客観視して楽しむのが細井流なのかもしれない。
山頂書店の開催は不定期でSNSなどで事前告知もしていないため、信州の里山に登っても出会える確率は低い。逆に山頂書店を開いていても「変わった登山者がいる」という様子で、横目で見ながら通り過ぎていく登山者も少なくない。しかし細井さんは「人に認められないことの個性。それはそれでアリで誇らしいと思う」と余裕の表情だ。そして「自己満足以外の満足はない」とも。
あまのじゃくといえばそれまでだが良い意味で突き抜けた細井さんの思考は、他人の価値観や評価にとらわれがちな現代社会で充実して生きるためのひとつの方途なのかもしれない。
極寒の山頂で大反響
売り上げは…
3時間ほどかけて登り着いた山頂は強風で岩には雪が張りつく極寒の世界だった。それでも背負子を肩から降ろし、書棚の観音扉を開けて本を並べると、あっという間に杣Booksが開店するのが新鮮だ。
この日の御座山は予想に反して長野県外からの登山者が多く、お昼の時点で山頂には数人のグループや単独登山者、家族連れまで10人ほどが登ってきた。「『やま』ブックス?山に関する本を売っているんですか?」。狭い山頂ということもあり、興味深そうに話しかけてくるひとが多く、まずまずのにぎわいだ。
「普段自分では手に取らない本ばかり並んでるね」。新潟県から訪れたという男女4人組のパーティーが書棚の前に集まる。ある中高年の男性は「日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか」(内山節・講談社現代新書)を手に取り「そういえば義理のお父さんが昔、キツネにだまされたことがあるとときどき話していたなあ」と懐かしんだ。細井さんは「日本人はもうキツネにだまされなくなってしまったんですね。だまされたというエビデンスはあるの?とかそういう話になってしまう悲しさがある」と返す。立ち読み自由。普段は空気のような存在感で、興に乗ったら客に話しかけたり、本の解説をしてくれたり…。そんな古き良き時代の古書店の店主を思わせる接客だ。
その後も単独登山の若い男性や親子連れが集まり、予想外のにぎわいとなった。しかしこの日の売り上げはゼロ。寒さもあり、2時間ほどで店仕舞いし、山頂を後にした。しかし細井さんは「気に入った本があればアマゾンで買っちゃえばいいんですよ」と気にする様子もなかった。
資本主義への疑問
森の時間感覚を
下山中も細井さんの話はさまざまなテーマにおよんだ。首都圏からの登山者に人気がある長野県のある山で山頂書店を開いたとき、近くの山小屋のひとから「無断で営業行為をしている」と注意されたことがあったという。「土地って誰のものかと問いかけたい。コモンズ(入会地)の価値の見直しが必要だと思うんです。資本主義は閉じたがるから」と憂う。
山頂、河原、海岸、野山…。一見、誰でも自由に使える空間に見えて、厳然たる所有者がいる現実。あいまいな部分への排除を強める現代社会の風潮に対し、細井さんは窮屈さや閉塞感を敏感に感じ取っているようだ。「現代人は無理をし過ぎている。森は人間が植えてから50年間待ってから伐る時間軸。今日は一本しか木を伐れなかった。そんな時間感覚を林業に取り戻したい」
細井さんはフェイスブック上で毎日、「本日の質問」と題した「問い」を投稿している。来年で7年目に入るという。「幅広い教養ってどういう事でしょうか?」「つまらないものとどう付き合っていますか?」など普段考えもしないような問い掛けが毎日発せられる。「どうでもいい」と一蹴してしまえばそれまでだが、妙に気になって投稿をチェックしてしまう中毒性があるのも事実。どんな質問にも必ず「答える」根強いファンが存在する。
ところで杣Booksはいつまで続けるのだろうか?「いい歳をしてまだやっているの?と言われるのが一番いいんです。でも自分自身がいい歳をして…と思ってしまったときに耐えられるか、そこに一番興味がある」と笑う。
山頂書店を開いているときに、やおらタブレット端末を取り出し、電子書籍の画面を開いた細井さん。普段、自分自身の読書で愛用しているという。不便な山頂書店を開きつつ、便利な現代のツールも受け入れる。
「自分が言っていることは結局、全部矛盾しているんですよ」
生粋のナチュラリストだがどこまでもあまのじゃく。でも林業や森に対する思いはひと一倍強い…。さて今日の取材をどんな記事にまとめようか?少しくらい「生煮え」の仕上がりになってしまってもいいか…。自分自身も何となく軽い気持ちになりながら、重そうな背負子をかついでのんびりと登山口に戻って行く細井さんの後を追った。