おいしい森
# 19
地域の福祉に資する
ウルシのクラフトジン
2023.1.13

山や森にはたくさんのおいしいものがあります。山菜、きのこ、木の実、樹液、沢ワサビ。ただ、そうした森の恵みは、えぐみや苦みをちょうどよく下ごしらえしてから食べることが一般的でしょう。今回取り上げる樹木はなんと、皮膚がかぶれると嫌われがちな漆(ウルシ)。一体どのようにして、食すのでしょうか?またなぜウルシを使ったのか、その意図を取材しました。

写真:野口 恵太/文:高岸 昌平

注目を集める
森のボタニカル

近年、森の樹木や植物を使った飲み物が多く開発されていることを皆さんはご存知でしょうか?杉・ヒノキ・アカマツなどを使ったビールや、クロモジを使ったジン・スパークリングウォーター。森と関わりがない人も“おいしい”という切り口で、森と接点を持てるいいきっかけになりそうです。

さまざまな森のドリンクがある中で、一体どのような味なのだろうか?と疑念を抱いたのが、今回紹介するクラフトジンです。なんと“ウルシ”を使っているというのです。森で仕事をする人や山登りをする人であれば、「ウルシ=かぶれる」のイメージを持っている人も多いはず。

そのウルシをなぜ、わざわざ活用したのか?また飲んでも食道がただれたりしないのか?と気になります。そして、そのジンと一緒にラインナップされたウォッカには、岩手県産の白樺炭も活用されているということで、それぞれの製造の様子と気になる味を確かめてきました。

酒母(しゅぼ)や醪(もろみ)などの材料を櫂棒(かいぼう)でかき混ぜる「櫂入れ」

気になるジンとウォッカをつくっているのは、言わずと知れた老舗日本酒メーカーの〈南部美人〉。岩手県の県北に位置する二戸市を拠点に、120年もの間、つくり酒屋として日本酒を製造してきました。その酒づくりのコンセプトは、美人のようなきれいなお酒を生み出すこと。素人でも玄人でも飲んですぐに「おいしいね」というお酒を。そんな日本酒づくりに並々ならぬ情熱を注いでいる南部美人が、ジン・ウォッカというスピリッツ系のアルコール製造に乗り出したのです。

日本酒の王道を行く
南部美人

南部美人が日本酒に注ぐこだわりはいくつもありますが、同社5代目の久慈浩介さんが代表になってからは、酒づくりの原点に立ち返り、三倍醸造酒(カップ酒に代表される糖類を添加した、いわゆるかさ増し酒)の製造を辞め、味を矯正する炭素ろ過の工程も廃止しました。

日本酒の品質に愚直に向き合った中で、2017年には世界のChampion Sakeを決める「インターナショナルワインチャレンジ」(IWC)の日本酒部門1位を獲得。今ではスタンダードになってきた日本酒の海外輸出を、先駆けてスタートさせたのも久慈社長でした。

南部美人5代目・久慈浩介代表取締役。

「“温故知新”という言葉を大事にしています。千数百年前の日本酒が正しいわけじゃなく、それを進化させつつも、伝統としてとても大切なことは徹底して変えない。伝統に積み重ねていくんだけども、それにプラスアルファして新たなことに挑戦していく。我々みたいな伝統産業は“自己脱皮”しながらやっています」

なぜこれほど日本酒に真面目な南部美人が、ジンやウォッカというスピリッツ系のアルコールをつくり始めたのでしょうか?そのきっかけは2007年にありました。

日本酒業界が
無視し続けていたお客さん

当時の久慈社長は、日本酒の蔵が他ジャンルのお酒をつくることに批判的な考えだったといいます。
「日本酒の蔵はちゃんと、日本酒で勝負しようよと。地ビールやワインとかつくってどうすんの?日本酒の蔵元としての矜持はどこに置いてきたの?くらいのことを言っていました」

そんな久慈社長に気づきを与えたのは、同郷経営者の先輩からの一言でした。「浩介君のところは何で日本酒しかつくらないの?」という、日本酒が飲めない先輩の言葉を聞いて初めて、無意識のうちに無視しているお客さんの存在に気がついたといいます。そして、同業他社である八海山酒造が甘酒を発売した時に、「ブランドの発展」というキーワードにたどり着きます。

「これまで日本酒業界は、完全に20歳以下の人を無視していた。でも、八海山は甘酒をつくることで、20歳以下の顧客を得たわけだ。そうすると、甘酒で育った子どもが20歳になったときに、『日本酒も八海山を飲んでみようかな?』となるんだと。つまり、受け継いだブランドを発展させていくために、たった一つの日本酒で戦うのはどうしても広がりに欠ける。じゃあ、どのようにブランドのウイングを広げようかというときに、一番先にピンと来たのは梅酒だったんです」

日本の伝統的な和のリキュールである梅酒を、つくり酒屋らしく純米酒で仕込み、糖類無添加の梅酒という独自の製法も開発。ブランドを広げるためにリキュールという2つ目のウイングを広げたのです。初心者は糖類無添加の梅酒から南部美人のファンになってもらう。一方で、日本酒はしっかりと王道の味を追求する。日本酒を軸として磨き続けながら、他のお酒にもチャレンジしていく素地が生まれたのです。

リリーフピッチャーから
絶対的エースへ

それからしばらくして、南部美人の企業活動に影響を与えたのが新型コロナウイルスの流行でした。日本列島から消毒用アルコールが消え、日本酒の蔵も消毒用アルコールをつくっていいと国から特別な許可が出たのです。南部美人も全国の酒蔵と一緒に消毒用アルコールをつくりました。ただ、少しずつ市場にアルコールが充足するにつれて、酒蔵のほとんどが製造を止めていきます。

その様子はまさに、ピンチでマウンドを任されるリリーフピッチャーのよう。そうした消毒用アルコールのリリーフ製造を務める中で久慈社長が出会ったのが、医療的ケア児でした。

「医療的ケア児の方って、胃ろうやたんの吸引とか、生きるためのすべてに消毒用アルコールが必要なんです。でも、健常者が消毒のためにアルコールを使うようになっちゃって、アルコールが全然回らなくなったんですね。アルコールがなくなったら彼らは命の危機になるんですよ。我々は“予防”のためにアルコールが必要だけど、彼らは“命を繋ぐ”ためにアルコールが必要。南部美人がアルコールをつくり続けていけば、岩手に住んでいる医療的ケア児のみなさんは絶望することはない。だからその場で『一生やります』って約束したんです。会社に帰ってきて、みんなに『消毒用アルコールをつくり続けよう!』と話したら、全員真っ青でした(笑)」

アルコール製造に用いられる蒸留器。

コロナ禍で日本酒需要が減り、売上も減少する中、消毒用アルコールの製造を続けたいといっても、売れるかわからない消毒用アルコールづくりに銀行が融資をしてくれるわけもありません。途方に暮れていた時、ある役員が「スピリッツで新ジャンルの酒をつくりませんか?」と口にしました。日本酒だけじゃなくリキュールもやっているんだから、3つ目のウイングを広げよう!ということです。

実は消毒用アルコールの主な原料である高濃度アルコールは、スピリッツ製造にも欠かせない原料なのです。そのためスピリッツでお酒をつくって、その傍らで消毒用アルコールを製造すれば、いつでも医療的ケア児へ消毒用アルコールが提供できるのです。そうして久慈社長は、3つ目のウイングとしてスピリッツ(ジン)を広げることを決断します。

そして、日本酒需要の減少で大量に余った酒米も活用して、高濃度アルコールづくりの原料としました。通常使われるカス麦と呼ばれる穀類と比べると、その原価は何十倍にも膨れ上がりますが、こうしたピンチも活用しながら、クラフトジン製作への道筋を開いていったのでした。

熱を制するものが
ウルシを制す!

「消毒用アルコールを届け続けるための商品・クラフトジン」という異色の位置づけで始まったクラフトジンづくりですが、つくるからには南部美人だからこそのクラフトジンを目指そうと試作を重ねました。その中で、ボタニカルとして白羽の矢が立ったのがウルシです。実は、南部美人の位置する二戸市は国産ウルシの生産量の7割を占める一大産地。土地の名産をクラフトジンのテーマにしようと思いつきますが、ウルシオールというかぶれる原因物質が開発を邪魔します。

白い漆の樹液にウルシオールと呼ばれる物質が含まれている。(本文中では液体をウルシ、樹木を漆と記述して区別)

「ウルシオールは熱に弱いので、蒸留で熱がかかれば大丈夫だ、と思ってやっていたんです。僕はなんともなかったんですけど、担当者が『社長かぶれちゃいました』と。マジで!これはまずいとなって。それ以降は、お湯で煮沸してウルシオールの含有量を検査して、ウルシオールがなくなった木だけを蒸留に回すようになりました」

蒸留器には、1尺程度にカットした漆の木部を炙った状態で10個程度投入する。

「ただ、試飲をする中でどうしてもウルシの香りが分かりにくかったんです。森林の中で飲んでいるような、焚火のようなイメージがもっと表現できないかなと思って。そこで炙ろうって思ったんです」。ウルシに“煮沸”と“蒸留の熱”と“炙る”行程を加えることで、かぶれる心配がなく、ほのかに漆のスモーキーな香りが出るようになりました。

トラディショナルなドライジン

まだまだ日本人に馴染みのないジンですが、その定義はとても単純です。「農作物由来のアルコールにジュニパーベリーのフレーバーを与える」だけ。その他にどんな香料をブレンドしても大丈夫という自由度の高さが特長です。

日本でもそんなクラフトジンが注目され、ショウガやユズなどと一緒に森林由来のフレーバーも注目を集めているのです。そのため様々なボタニカルをブレンドした個性的なジンが目立ちますが、南部美人のクラフトジンは「ジュニパーベリー、ウルシ、ベーススピリッツ(初回ロットのみ酒米)」というシンプルな構成のドライジンです。

ウルシ掻きでかいた傷や、ウルシの雫のモチーフが印象的なラベルを直接印字。黒光りする瓶も漆器の落ち着いた佇まいを感じさせます。

世間の流れにつられて、最近クラフトジンを嗜み始めたクラフトジンビギナーの私も、まずはその味を確かめるべく、晩酌のようにソーダ割りでいただきます。一口飲むと、正統派ですっきりとしたドライジンだということがわかります。森林由来のフレーバーだと爽やかな香りが特徴になりがちですが、ここではウルシがスモーク感を演出しています。ただ、ウルシもそこまでクセはなく、香り自体もそれほど強くありません。一杯で満足というよりも、食中酒として楽しみたいジンに仕上がっています。

「うちのクラフトジンは和食にも合うんですよ。ソムリエの人も『炭酸で割って、ライムを添えてあげれば鯛の刺身でも全然いけるよね』って。それは酒蔵がやっているジンのメリットなのかなと思います」。そう話すのは久慈社長。ジンを製造する馬仙峡蔵を案内してくれた平野さんにも、おいしい飲み方を伝授してもらいました。

バックパッカーとして世界を旅した後、地元・二戸市に戻ってきた営業課長の平野雅章さん。

「日本酒を漆器で飲むとおいしいですけど、ジンとかハード系スピリッツも良いんですよ。舌触りがいいので、ストレートとかロックで飲むのも全然アリだと思いますね。夏の時期は特に。僕はがっちし冷やして、ストレートで飲むのが好きなんですけど、炭酸とかトニックで割ってもいいと思いますし。水割りとかにするとジャンジャカ行けますからね。スイスイですよ。ほんとに」

ジンもウォッカも
岩手発の日本一!

南部美人が、ジンと一緒に製造を始めたもう一つのスピリッツはウォッカです。当初はウォッカをつくる気はなかったという久慈社長ですが、「高濃度アルコールを白樺の炭でろ過する」というウォッカのシンプルな製造ルールと、消毒用アルコールとしても利用可能なことを聞きつけて、製造を決めます。そして、よくよくリサーチしてみると、岩手の名産である炭が使われていることに気がつきます。

谷地林業で窯長を担う谷地司さん。通常はナラ材を中心に黒炭を製造している。

実は岩手県は炭の生産量が全国1位。久慈社長の仲間の会社にも炭を製造している会社がありました。その名前は〈谷地林業(やちりんぎょう)〉。早速連絡をとり、白樺の炭を取り寄せる段取りを整えます。

谷地林業の白樺炭の産地は、日本一美しいと称される白樺並木が特徴の“平庭高原”(岩手県久慈市)です。古くから炭の生産や家畜の放牧が盛んだった平庭高原エリアは、明るい森林が多く、光を好む白樺が生育しやすい環境なのです。生業によって美しく保たれた白樺並木は、地域の中で観光資源として親しまれています。

しかし近年、森林や里山利用が減少し、暗くなった森林が増えたことで、白樺林の維持が難しくなってきました。そこで市民ボランティアを中心に白樺林の整備・保全が進められています。谷地林業では、その整備・保全の過程で発生した白樺の利活用に取り組んでいるのです。利活用の幅を広げてくれる久慈社長からの相談は、まさに渡りに船という状況だったのかもしれません。

谷地林業から取り寄せている白樺の炭。粗く砕いたものをろ過段階で使用する。

「ウルシは岩手が日本一、炭も岩手が日本一。両方の日本一を使ってスピリッツが生み出せるのだということで、これはウォッカをつくる理由になるなと思って決めたんです。会社に戻って話したら、またスタッフ大慌て(笑)」

純粋な興味から「ウルシのドリンク」の現場を取材に行ったわけですが、そこで出会ったのは、パンデミックの状況下で自社の使命を知り、お酒づくりという武器で地域に貢献しようとする南部美人の姿でした。岩手を代表する漆と炭を使ったジンとウォッカを、久慈社長の物語とともに自宅の酒棚に加えることにしようと思います。

●imformation
株式会社南部美人
岩手県二戸市福岡上町13
株式会社南部美人 | 岩手の日本酒 南部美人(NanbuBijin)
●クラフトジン、クラフトウォッカの購入はこちらから
ジン・ウォッカ | 南部美人 蔵元直送ネットショップ (nanbubijin.jp)
高岸 昌平 (たかぎし・しょうへい)
さいたま生まれさいたま育ち。木材業界の現場のことが知りたくて大学を休学。一人旅が好きでロードバイクひとつでどこでも旅をする。旅をする中で自然の中を走り回り、森林の魅力と現地の方々のやさしさに触れる。現在は岐阜県の森の中を開拓中。