おいしい森
# 11
菅流クッキングvol.6
ヒメタケの鉄なべ焼き
2021.6.23

製薬会社でのライスワーク、趣味のアンティークストーブ収集と修理の傍、春から秋にかけてライフワークの山菜・きのこ採取に精進する日々を送る菅原氏。山で出会ったとある昭和の先達から大正生まれの文豪・檀一雄氏の名著『檀流クッキング』を伝授され、料理に目覚めた。30代前半ながら15年以上の山歴を誇るが料理童貞の若き山幸ハンターが令和のときに料る狩猟採取料理とはー。6回目となる今回は、スガミン谷でおこったヒメタケの妖精を巡る物語。

文・写真:菅原 徹(スガミンパパ) 編集:ベート・ソンヤン(射的)

ニョキニョキのひみつ

だいぶむかしのことなのですが、6月ころにスガミンパパがひとことの説明もなしに、いなくなってしまったことがあります―― パパ自身も、なぜ飛び出さなくてはならないのか、わからなかったのですけどね。
スガミンママがあとになっていうには、
「しばらくまえからあの人は、どこか変だったのよ」
ってことでした。でもおそらくパパは、いつもへんだったわけではなかったんでしょうね。きっとママがうろたえ、かなしんでいる自分をなぐさめようと、あとから考えついた説明にすぎないのでしょう。
だれひとり、スガミンパパがいつ出ていったか、はっきりとは知りませんでした。
スニフキンのいうところでは、パパは茶色で大きいクマのベアレンさんといっしょに、ワラビをとりにいったようです。ところがベアレンさんによると、そうではなくて、いつものようにベランダにすわっていたけれど、だしぬけに今日は暑いし、つまらない、それに裏庭にあるウッドデッキを直さなくてはならないといっていたらしいのです。
とにかく、スガミンパパがウッドデッキをなおさなかったのはたしかです。ウッドデッキはあいかわらずかしいだままでしたから。
スガミンママはいいました。
「そのうち帰ってきますよ。むかしからそうなんです。でも、いつだって帰ってきたんですから、きっとこんども帰ってくるでしょうよ」
そんなわけで、だれも気をもんだりしなかったのですが、それはたいへんいいことでした。みんなおたがいに、人のことは心配しないことにしているのです。そうすれば、だれだって気がとがめないし、ありったけの自由がえられますからね。
そこでスガミンママはさわぎたてることなく、あたらしいドグウがらの刺繍にとりかかりました。その間にスガミンパパは、ぼんやり考えつつ、ただふらふらと、西へ進んでいったのです。

だいぶむかしのことなのですが、6月ころにスガミンパパがひとことの説明もなしに、いなくなってしまったことがあります―― パパ自身も、なぜ飛び出さなくてはならないのか、わからなかったのですけどね。
スガミンママがあとになっていうには、
「しばらくまえからあの人は、どこか変だったのよ」
ってことでした。でもおそらくパパは、いつもへんだったわけではなかったんでしょうね。きっとママがうろたえ、かなしんでいる自分をなぐさめようと、あとから考えついた説明にすぎないのでしょう。
だれひとり、スガミンパパがいつ出ていったか、はっきりとは知りませんでした。
スニフキンのいうところでは、パパは茶色で大きいクマのベアレンさんといっしょに、ワラビをとりにいったようです。ところがベアレンさんによると、そうではなくて、いつものようにベランダにすわっていたけれど、だしぬけに今日は暑いし、つまらない、それに裏庭にあるウッドデッキを直さなくてはならないといっていたらしいのです。
とにかく、スガミンパパがウッドデッキをなおさなかったのはたしかです。ウッドデッキはあいかわらずかしいだままでしたから。
スガミンママはいいました。
「そのうち帰ってきますよ。むかしからそうなんです。でも、いつだって帰ってきたんですから、きっとこんども帰ってくるでしょうよ」
そんなわけで、だれも気をもんだりしなかったのですが、それはたいへんいいことでした。みんなおたがいに、人のことは心配しないことにしているのです。そうすれば、だれだって気がとがめないし、ありったけの自由がえられますからね。
そこでスガミンママはさわぎたてることなく、あたらしいドグウがらの刺繍にとりかかりました。その間にスガミンパパは、ぼんやり考えつつ、ただふらふらと、西へ進んでいったのです。

パパの頭におぼろげにあったのは、いつだったか家族でピクニックに行ったときに見かけた、とある山のなかでした。そんなに高くないその山は、スガミン谷のさきにあって、空は赤黄色く、夜がせまってくると、少しばかり風が出てきました。パパは山の先のむこう側がどんなだか、一度もみたことがありませんでした―― 家族が引き返して、お茶にしたがりましたからね。いつだってみんなはこれからだというときに、帰りたがるんです。
それでもスガミンパパは、しばらく山のなかに立って、しげみのほうを見つめていました。そのときなんだか黄緑色に光っているものが見えたのです。
「あれはニョキニョキたちだな」
茶色くて大きいクマのベアレンさんはいいましたが、それだけであとは、なにをいわなくともわかったのです。ふてぶてしくて、少しおくびょうで、はっきりと世間に背中を向けている生きもの。それは6月に2〜3週間だけ土から顔をだす、とてもおいしいヒメタケの妖精たちでした。
そのときスガミンパパを、おさえきれないあこがれとゆううつさがおそったのです。そして、はっきりわかったことはただひとつ、
「もうベランダで、お茶なんか飲んでいられないぞ」
ということでした。今夜も、これからも、ずっと。

それはもう、ずいぶんまえのことでしたが、そのとき見た光景は、どうしてもスガミンパパの心からはなれませんでした。そしてあるうららかな午後、家を飛び出したというわけです。
梅雨どきのじめじめと暑い日でしたが、パパは行きあたりばったりに歩いていきました。
あえてよく考えず、感じようともせず、ただ単純に、お日さまの沈む方へ歩いていたのです。ぼうしの下で目をほそめて、なんの歌というのでもなく、口笛を吹きながら。
丘を上がったり、下ったりしました。木々は後ろにすぎていき、影を長くしていきました。
おひさまが山に沈んだとき、ちょうどスガミンパパは笹の葉だらけの、根がぐねぐねと地面にはいつくばっている斜面に出ました。こんなところにはすわれないし、だれひとりピクニックに来ようとするものもないでしょうね。
スガミンパパも、こんな場所にきたのははじめてでした。
そして、ごく自然に―― だって、こうなるほかありえませんから―― ぐねぐね曲がった根の下の方から、ひょろひょろしたヒメタケの若竹がにょきにょきと顔を出してきたのです。

「あいつらだ」
スガミンパパは落ちついていうと、手をふりました。
土から顔を出したのは、四ひきのニョキニョキでした。みんな、根元は赤みがかっていて、体の先はすこし黄緑がかっていました。二ひきずつに向きあっていて、話しあっているようにも見えます。
でもスガミンパパが聞いたところでは、ニョキニョキはとてもおとなしくて、けっしてけんかなどはせず、ただ、ありったけ高くのびあがることを望んでいるだけということでした。たとえば空までとか、月まで―― これはたぶん同じことでしょうが―― きたがっているというのです。
それからニョキニョキというのは、いくら暑くなってきても、まとまった雨が降らないと顔を出さないとか、ドグウがみつかる東北や北陸地方、北海道でよく生えてくるとか、家につれ帰ると三日もたたないうちに電気のような渋味を出しはじめて死んでしまうといううわさでした。居間とかベランダでくらすものたちにとっては、彼らのいるところは危険で、黒くて小さめのクマたちのだいこうぶつなのだともいわれていました。
パパはもうずっとむかしから、ニョキニョキたちが気になっていたのですが、おおっぴらにニョキニョキの話をするのは、あまり上品なこととされていませんでした。
だから、そういう話がどこまでほんとうなのか、パパは知らなかったのです。

そんなわけで、ニョキニョキたちが顔を出していくのを見ているうちに、スガミンパパはすっかり興奮して、頭からしっぽの先まで、ぞくぞくっと震えました。
ニョキニョキたちは、パパにおじぎをしませんでした―― そんなお決まりのふるまいをするはずもないでしょうけどね。それにしても、スガミンパパにむかえに来てもらうため出てきたのは、あきらかでした。
ニョキニョキたちはくるりと向きなおると、その白目がちの目をこちらに向けました。スガミンパパは、ぼうしをぬいで、説明しはじめました。パパがしゃべっている間、ニョキニョキたちはパパの言葉に合わせて、皮を脱ぎはじめました。それを見て、スガミンパパの頭はこんがらかってしまい、空だの、ベランダだの、自由だの、ほしくもないのにお茶を飲むことだといった、自分の長い演説の中に、気がつけばからめとられてしまったのでした。
ようやく口をつぐんで気まずくなったところで、ニョキニョキたちも皮を脱ぐのをやめました。パパは、心配になっ
きました。
(なぜニョキニョキたちは、なにもいわないのだろう。ぼくのいうことが、聞こえなかったのかな。それともぼくを、へんなやつとでも思っているのかな)
パパは手をつき出して、なにか問いかけるような、やさしい音をたててみました。けれどもニョキニョキたちは少しも動きません。ただ、目の色がゆっくりと変わって、黄色い空のようになっただけでけでした。
スガミンパパは手を引っこめて、ぎこちなくおじぎをしました。
すぐにニョキニョキは立ちあがって、おじぎをしました―― 四ひきそろって、とてもていねいに。
「ありがとう」
こういってスガミンパパは、それ以上説明するのをやめると、ニョキニョキたちといっしょに歩きはじめました。空は、ずいぶんまえに見たあの時と同じように、まんまるなお月さまで黄色く燃えていました。

そんなわけで、ニョキニョキたちが顔を出していくのを見ているうちに、スガミンパパはすっかり興奮して、頭からしっぽの先まで、ぞくぞくっと震えました。
ニョキニョキたちは、パパにおじぎをしませんでした―― そんなお決まりのふるまいをするはずもないでしょうけどね。それにしても、スガミンパパにむかえに来てもらうため出てきたのは、あきらかでした。
ニョキニョキたちはくるりと向きなおると、その白目がちの目をこちらに向けました。スガミンパパは、ぼうしをぬいで、説明しはじめました。パパがしゃべっている間、ニョキニョキたちはパパの言葉に合わせて、皮を脱ぎはじめました。それを見て、スガミンパパの頭はこんがらかってしまい、空だの、ベランダだの、自由だの、ほしくもないのにお茶を飲むことだといった、自分の長い演説の中に、気がつけばからめとられてしまったのでした。
ようやく口をつぐんで気まずくなったところで、ニョキニョキたちも皮を脱ぐのをやめました。パパは、心配になっ
きました。
(なぜニョキニョキたちは、なにもいわないのだろう。ぼくのいうことが、聞こえなかったのかな。それともぼくを、へんなやつとでも思っているのかな)
パパは手をつき出して、なにか問いかけるような、やさしい音をたててみました。けれどもニョキニョキたちは少しも動きません。ただ、目の色がゆっくりと変わって、黄色い空のようになっただけでけでした。
スガミンパパは手を引っこめて、ぎこちなくおじぎをしました。
すぐにニョキニョキは立ちあがって、おじぎをしました―― 四ひきそろって、とてもていねいに。
「ありがとう」
こういってスガミンパパは、それ以上説明するのをやめると、ニョキニョキたちといっしょに歩きはじめました。空は、ずいぶんまえに見たあの時と同じように、まんまるなお月さまで黄色く燃えていました。

こんなにのんびりと楽しい思いをしたのは、スガミンパパの一生でも、はじめてでした。自分に対しても、ほかのものに対しても、なにかを言葉にしたり説明したりする必要がないというのは、まったくすばらしいことではありませんか。
空を見上げてみました。こんなに大きくてさびしいお月さまを、スガミンパパは見たことがありませんでした。これほどにも山や空が絶対的で大きなものだとは、このときまで知らなかったのです。
だしぬけに、パパはこんなことを感じました―― この世でまぎれもない真実は、お月さまと山と、ニョキニョキが顔を出したこの大地だけなのだと。山のりょうせんの先には、すばらしい冒険と名もないひみつが、今こそほんとうに自由になったスガミンパパを待っているのです。
パパはニョキニョキみたいに口をつぐんで、神秘的なものになろうとしました。みんな、おしゃべりでない人をうやまいます。そういう人は、たくさんのことを知っていて、とてもおもしろい生活を送ってきたんだと思われていますからね。

こんなにのんびりと楽しい思いをしたのは、スガミンパパの一生でも、はじめてでした。自分に対しても、ほかのものに対しても、なにかを言葉にしたり説明したりする必要がないというのは、まったくすばらしいことではありませんか。
空を見上げてみました。こんなに大きくてさびしいお月さまを、スガミンパパは見たことがありませんでした。これほどにも山や空が絶対的で大きなものだとは、このときまで知らなかったのです。
だしぬけに、パパはこんなことを感じました―― この世でまぎれもない真実は、お月さまと山と、ニョキニョキが顔を出したこの大地だけなのだと。山のりょうせんの先には、すばらしい冒険と名もないひみつが、今こそほんとうに自由になったスガミンパパを待っているのです。
パパはニョキニョキみたいに口をつぐんで、神秘的なものになろうとしました。みんな、おしゃべりでない人をうやまいます。そういう人は、たくさんのことを知っていて、とてもおもしろい生活を送ってきたんだと思われていますからね。

スガミンパパは月あかりを浴びながら空へとむかう、ニョキニョキたちをながめました。そうして、きみたちのことはよくわかっているよとばかりに、なにか仲間らしいことをいいたいと思いました。でも、そんなことはあきらめました。それらしく響くような適当なことばが、とにかく、みつからなかったのです。
ニョキニョキたちについてミイラはいったい、なんといったでしょうか。あれは春のとある日の、夕ごはんのときでした。
「ニョキニョキたちは、とてもひどいくらしをしているのよ」
といったのです。
「あらやだ、そんな話」
スガミンママはそういいましたが、チビのミイラはひどく興味を持って、ひどいくらしとはどういう意味なのか、知りたがりました。でもスガミンパパのおぼえているかぎりでは、ひどいくらしとはなにをしていることなのか、だれも説明できなかったのです。おそらく、乱暴で気ままな生活をしている、といったところなのでしょうよ。
スガミンママは、そんなひどいくらしなんて、たぶんちっともたのしくないわよ、と話していましたが、パパはそうともかぎらないぞと思ったのです。
「あいつらはぜったい、しぶ味の電気でなにかしているんだわ。それで人の心の中を読みとることができるんでしょうけど、そんなのほめられたことじゃないわ」
ミイラがいいました。それきり会話は、ほかの話へうつってしまったのでした。

スガミンパパは月あかりを浴びながら空へとむかう、ニョキニョキたちをながめました。そうして、きみたちのことはよくわかっているよとばかりに、なにか仲間らしいことをいいたいと思いました。でも、そんなことはあきらめました。それらしく響くような適当なことばが、とにかく、みつからなかったのです。
ニョキニョキたちについてミイラはいったい、なんといったでしょうか。あれは春のとある日の、夕ごはんのときでした。
「ニョキニョキたちは、とてもひどいくらしをしているのよ」
といったのです。
「あらやだ、そんな話」
スガミンママはそういいましたが、チビのミイラはひどく興味を持って、ひどいくらしとはどういう意味なのか、知りたがりました。でもスガミンパパのおぼえているかぎりでは、ひどいくらしとはなにをしていることなのか、だれも説明できなかったのです。おそらく、乱暴で気ままな生活をしている、といったところなのでしょうよ。
スガミンママは、そんなひどいくらしなんて、たぶんちっともたのしくないわよ、と話していましたが、パパはそうともかぎらないぞと思ったのです。
「あいつらはぜったい、しぶ味の電気でなにかしているんだわ。それで人の心の中を読みとることができるんでしょうけど、そんなのほめられたことじゃないわ」
ミイラがいいました。それきり会話は、ほかの話へうつってしまったのでした。

スガミンパパは、ちらっとニョキニョキのほうをながめました。またもやゆらゆらとゆれています。
(いやあ、どうにも気味がわるいなあ。やつらはあんなにゆらゆらしながらあそこにすわって、ぼくの心の中を読んでいるんだろうか。だったら今、おこってるだろうな……)
スガミンパパは必死にそんな思いをおさえて、ニョキニョキについてこれまで聞いたことを残らずにわすれてしまおうとしました。しかし、かんたんではありません。なにしろパパにとって、ニョキニョキよりおもしろいものなんて、なかったのですから。
もしも、ニョキニョキと話すことさえできたら。きっとあれこれ考えずにいられたかもしれません。
でも、大きくて危険な考えをそのままにして、あたりさわりのないところへ逃げてみたって、やっぱりだめでしょう。そんなことをしたらニョキニョキたちは、きっとまちがえたと思い直して、スガミンパパをベランダにいる、ふつうのパパと考えるでしょうからね。
スガミンパパは目をこらして、山のむこうを見つめました。月あかりの道の先には、また違う山がありました。
パパは、ごく単純に考えようとつとめました。山の上に月がある。森の中で月が泳いでいる―― まっ黒、黄色、深い緑色。やっと、スガミンパパの心は静まりました。するとニョキニョキたちも、ゆらゆら風にたなびく竹のように動くのをやめたのです。
山はそんなに高くないけ れど、とてもけわしく、黒い頭をぬっともたげた巨大なへびのすがたに、似てないこともありません。
「登るのかい?」
スガミンパパは、興味いっぱいに聞いてみました。
でもニョキニョキたちは返事もしないで、スガミンパパには目もくれずに山に登りはじめたのです。風のにおいをくんくんかいで、それからなにか深いひみつでもありそうに、スガミンパパをのけものにして、おじぎをしたり、ゆらゆらと動いているのが見えました。
「まあ、いいさ」
パパは気分をそこねた声でそういってから、あとにつづきました。
「ぼくが登るのかと聞いたら、ちゃんと返事をしてもいいじゃない―― 登るってわかったとしてもさ。ほんのひとことか、ふたことでもいいんだ。そうすりゃ、ぼくも仲間だって感じられるのに」
でもそれはただ口の中で、自分自身にもごもごいっただけでした。岩山はけわしくて、足がすべりました。その山は、誰に向かってもはっきりと、おれに近よるなといっている、無愛想な山だったのです。花はないし、高い木もありません。笹の根や葉だらけでおこったようにたちすくんでいるだけでした。

スガミンパパは、ちらっとニョキニョキのほうをながめました。またもやゆらゆらとゆれています。
(いやあ、どうにも気味がわるいなあ。やつらはあんなにゆらゆらしながらあそこにすわって、ぼくの心の中を読んでいるんだろうか。だったら今、おこってるだろうな……)
スガミンパパは必死にそんな思いをおさえて、ニョキニョキについてこれまで聞いたことを残らずにわすれてしまおうとしました。しかし、かんたんではありません。なにしろパパにとって、ニョキニョキよりおもしろいものなんて、なかったのですから。
もしも、ニョキニョキと話すことさえできたら。きっとあれこれ考えずにいられたかもしれません。
でも、大きくて危険な考えをそのままにして、あたりさわりのないところへ逃げてみたって、やっぱりだめでしょう。そんなことをしたらニョキニョキたちは、きっとまちがえたと思い直して、スガミンパパをベランダにいる、ふつうのパパと考えるでしょうからね。
スガミンパパは目をこらして、山のむこうを見つめました。月あかりの道の先には、また違う山がありました。
パパは、ごく単純に考えようとつとめました。山の上に月がある。森の中で月が泳いでいる―― まっ黒、黄色、深い緑色。やっと、スガミンパパの心は静まりました。するとニョキニョキたちも、ゆらゆら風にたなびく竹のように動くのをやめたのです。
山はそんなに高くないけ れど、とてもけわしく、黒い頭をぬっともたげた巨大なへびのすがたに、似てないこともありません。
「登るのかい?」
スガミンパパは、興味いっぱいに聞いてみました。
でもニョキニョキたちは返事もしないで、スガミンパパには目もくれずに山に登りはじめたのです。風のにおいをくんくんかいで、それからなにか深いひみつでもありそうに、スガミンパパをのけものにして、おじぎをしたり、ゆらゆらと動いているのが見えました。
「まあ、いいさ」
パパは気分をそこねた声でそういってから、あとにつづきました。
「ぼくが登るのかと聞いたら、ちゃんと返事をしてもいいじゃない―― 登るってわかったとしてもさ。ほんのひとことか、ふたことでもいいんだ。そうすりゃ、ぼくも仲間だって感じられるのに」
でもそれはただ口の中で、自分自身にもごもごいっただけでした。岩山はけわしくて、足がすべりました。その山は、誰に向かってもはっきりと、おれに近よるなといっている、無愛想な山だったのです。花はないし、高い木もありません。笹の根や葉だらけでおこったようにたちすくんでいるだけでした。

するとすぐに、スガミンパパはひどくきみょうで、不気味なものに気づきました。この山は、黒くて小さいめのクマたちでうずまっていたのです。
一ぴきだって、じっとしていません。どれもこれもが、すごいいきおいでニョキニョキに食いつこうとしていました。パパに気づくと、こちらにもおそいかかってきそうないきおいです。
スガミンパパはぞわっとして、気が遠くなりました。いそいでしっぽを丸めて、ぶるぶるっとふりはらいましたが、黒くて小さめのクマたちがいないところがないか、あたりを見回しましたが。そんな場所はひとつもありません。
「友だちの、茶色くて大きいクマのベアレンさんがいてくれたらなあ。やれやれ、山に登らなければよかったな。……これじゃあ、あんまりだ」
スガミンパパは絶望しないようにニョキニョキたちのほうを見ると、どうやって黒くて小さめのクマから逃れたのか、頂上のあたりに、月の光を受けた、四つのシルエットがありました。一ぴきがなにかを見つけたようです。でも、それがなんであるかは、わかりませんでした。
けっきょく、パパにはなにも関係ないことですしね。
どうにか、最初にニョキニョキに出会ったところまでもどりました。それでもまだ何匹かの黒くて小さめのクマたちが近づいてきて、怖くてたまりませんでした。
(まるでなにか夢を見ているみたいだな。それからはっと目を覚まして、スガミンママにを起こして話しかけるんだ――
「ねえ、きみにはどんなひどいものか想像もつくまいよ。あのたくさんの黒くて小さめのクマどもときたら……」
するとママはこう答えるだろうな。
「でもほらパパ、ここには一ぴきもいないわ。それはきっと夢ですよ……」って)

ドグウ

スガミンパパがこんなことを考えていると、ニョキニョキたちが、のろのろと帰ってきました。
たちまち黒くて小さめのクマのむれは、またニョキニョキの方に近づいてきて、何匹かはそのお腹のあたりに美味しそうにかじりついているようでした。
「よかったよ、きみたちが帰ってきてくれて。でもやっぱり、黒くて小さめのクマは、ぼくは正直なところ、どうしても好きになれないんだ。ところで、なにかいいものは見つけたかね?」
ニョキニョキたちはお月さまみたいな黄色い目で、じっと長いことスガミンパパを見ているだけです。
スガミンパパは鼻先を赤くして、くりかえしました。
「なにか見つけたかって聞いてるんですよ。もしそれがひみつなら、もちろん、ないしょにしたっていいさ。だけど、なにかがあったってことぐらいは、いってくれてもいいじゃないか」
でもニョキニョキたちはじっとパパを見つめるだけで、おしだまっています。スガミンパパは、すっかりのぼせあがって、どなりました。
「きみたちはクマが好きなのか?好きか?きらいか?今すぐ、教えてくれたまえ!」
それからも長いことだまっていた後で、一ぴきが一歩前へ出ると、皮を脱いでおじぎをしました。
たぶんそれは、一種の返事だったのでしょう。それとも、森をかけぬける風のささやきだったのでしょうか。
「これは失礼。わかりましたよ」
スガミンパパは、自信なげにいいました。ニョキニョキたちは、黒くて小さめのクマに対して特別な気持ちはありません、と説明したのだと感じました。それともなにか、どうにもならないことをなげいたのかもしれません。でなければ、ニョキニョキとスガミンパパとでは、どうしたってわかりあえないのだという、かなしい事実をうったえたかったのかもしれません。あるいはニョキニョキはスガミンパパに失望して、子どもっぽい人だと思ったのかもしれません。
スガミンパパはちょっとため息をついて、ゆううつな目を向けました。そのとき、ニョキニョキたちが見つけたものがなにかに気づいたのです。それは大きな目をしたドグウでした。
ただそれはそれだけです。そういえば、スガミン谷のある東北にはそういうおきものがたくさんあって、スガミンママもいつもそんなものをかわいがっていましたっけ。
たぶんドグウには、なにか大切なメッセージがあるのでしょう。でもパパはもう、たいして知りたくもありませんでした。少し寒くなってきたので、からだを丸めて、草むらの中でひと眠りすることにしました。
ニョキニョキのほうは空が好きなだけで、眠ることもないのです。

スガミンパパがこんなことを考えていると、ニョキニョキたちが、のろのろと帰ってきました。
たちまち黒くて小さめのクマのむれは、またニョキニョキの方に近づいてきて、何匹かはそのお腹のあたりに美味しそうにかじりついているようでした。
「よかったよ、きみたちが帰ってきてくれて。でもやっぱり、黒くて小さめのクマは、ぼくは正直なところ、どうしても好きになれないんだ。ところで、なにかいいものは見つけたかね?」
ニョキニョキたちはお月さまみたいな黄色い目で、じっと長いことスガミンパパを見ているだけです。
スガミンパパは鼻先を赤くして、くりかえしました。
「なにか見つけたかって聞いてるんですよ。もしそれがひみつなら、もちろん、ないしょにしたっていいさ。だけど、なにかがあったってことぐらいは、いってくれてもいいじゃないか」
でもニョキニョキたちはじっとパパを見つめるだけで、おしだまっています。スガミンパパは、すっかりのぼせあがって、どなりました。
「きみたちはクマが好きなのか?好きか?きらいか?今すぐ、教えてくれたまえ!」
それからも長いことだまっていた後で、一ぴきが一歩前へ出ると、皮を脱いでおじぎをしました。
たぶんそれは、一種の返事だったのでしょう。それとも、森をかけぬける風のささやきだったのでしょうか。
「これは失礼。わかりましたよ」
スガミンパパは、自信なげにいいました。ニョキニョキたちは、黒くて小さめのクマに対して特別な気持ちはありません、と説明したのだと感じました。それともなにか、どうにもならないことをなげいたのかもしれません。でなければ、ニョキニョキとスガミンパパとでは、どうしたってわかりあえないのだという、かなしい事実をうったえたかったのかもしれません。あるいはニョキニョキはスガミンパパに失望して、子どもっぽい人だと思ったのかもしれません。
スガミンパパはちょっとため息をついて、ゆううつな目を向けました。そのとき、ニョキニョキたちが見つけたものがなにかに気づいたのです。それは大きな目をしたドグウでした。
ただそれはそれだけです。そういえば、スガミン谷のある東北にはそういうおきものがたくさんあって、スガミンママもいつもそんなものをかわいがっていましたっけ。
たぶんドグウには、なにか大切なメッセージがあるのでしょう。でもパパはもう、たいして知りたくもありませんでした。少し寒くなってきたので、からだを丸めて、草むらの中でひと眠りすることにしました。
ニョキニョキのほうは空が好きなだけで、眠ることもないのです。

スガミンパパは夜明けに目を覚ましました。背中がこわばっていましたし、あいかわらず少し寒いままでしたけど、ずいぶんとむしむししていました。ぼうしのふちの下から、木の葉たちがざわざわさわぎたてるのが見えました。冒険好きなスガミンパパにふさわしくなく、少し怖さを感じ出してもいました。
周りをみると、ニョキニョキたちが連れてきたドグウがいました。その姿が目にとまり、ぼうしの中で、耳がぴーんと立ちました。そのドグウは鉄でできていることがわかりましたが、それはふつうのドグウで、やはりなにも語りかけてはきませんでした。
がっかりしながらドグウから目を上げると、あたり一面には数えきれないほどのニョキニョキたちが姿をあらわしました。その後も、笹やぶのぐねぐね曲がった根がはいつくばう斜面から、ぞくぞくとヒメタケの若竹たちが顔を出してきたのです。
むすうのニョキニョキたちはいっせいに、ゆらゆらと踊りはじめました―― きっと、空に向かってずっとのびていきたい気持ちをあらわしていたのかもしれませんね。すると気まぐれにかみなりが鳴りはじめました。
(海のずっとむこう、ムーミン谷にくらしているニョロニョロみたいだな。彼らはかみなりの電気で生きてるっていうし。そういえばなんだか、ニョキニョキは、ニョロニョロに似てるな……)

鉄なべ

かみなりはぐんぐん近づいてきて、空気の中には雨がまじっています。山が闇におおわれると、稲光が空からまっすぐに、近くにそびえたつ大きな木を目がけて落ちてきたのです―― まっ白な光が、シューシューとおそろしい音をたてて。山のずっとむこうから風がうなりをあげてわたってくると、かみなりがくだけちりました。スガミンパパが一度も聞いたことがないような、すごいかみなりでした。
かみなりが落ちた木は、もえあがりました。するとドグウがその火に近づいていって、その熱さで、どんどん平たいかたちにかわてっていったのです。すると、ニョキニョキたちは皮を脱ぎ捨てながら、すっかり鉄なべのようになったあつあつのドグウの上に、どんどん寝ころがっていきました。そのとき、スガミンパパはだしぬけに思ったのです。
(ニョキニョキは、ニョロニョロの親戚なのかもしれない。ぼくはニョキニョキにはなれない、スガミントロールのパパなんだ。……こんなところでなにをしているんだ?)
パパは、鉄なべの上でどんどん焼かれていくニョキニョキを見ました。すると電気みたいな速さですっかりわかりました―― ニョキニョキにおいしい命を吹き込めるのは、直火であつあつになったドグウの鉄なべだけなのです。うま味はしっかりとつめこまれているけど、自分たちだけではどうにもならないのです。感じることもできなければ、考えることもできません―― ただ探すだけなんです。でも火をとおされることで、ようやく生き生きできて、はげしくおいしくなることができるのです。
それこそニョキニョキたちが、もとめているものでした。もしやつらがおおぜい集まったら、たぶん、火をおこすためにかみなりだって引き寄せることができるでしょうよ。
(そうだ、そうにちがいない)
と、スガミンパパは考えました。
(かわいそうなニョキニョキ。それなのにぼくは、山を見あげながら、やつらこそ素晴らしい、自由な生きものだと思っていたんだ―― ひとことも口をきかずに、しょっちゅう動いているからさ。しかしやつらは、いいたいことなんてなにもないし、行くところだってどこにもないんだ……)

かみなりはぐんぐん近づいてきて、空気の中には雨がまじっています。山が闇におおわれると、稲光が空からまっすぐに、近くにそびえたつ大きな木を目がけて落ちてきたのです―― まっ白な光が、シューシューとおそろしい音をたてて。山のずっとむこうから風がうなりをあげてわたってくると、かみなりがくだけちりました。スガミンパパが一度も聞いたことがないような、すごいかみなりでした。
かみなりが落ちた木は、もえあがりました。するとドグウがその火に近づいていって、その熱さで、どんどん平たいかたちにかわてっていったのです。すると、ニョキニョキたちは皮を脱ぎ捨てながら、すっかり鉄なべのようになったあつあつのドグウの上に、どんどん寝ころがっていきました。そのとき、スガミンパパはだしぬけに思ったのです。
(ニョキニョキは、ニョロニョロの親戚なのかもしれない。ぼくはニョキニョキにはなれない、スガミントロールのパパなんだ。……こんなところでなにをしているんだ?)
パパは、鉄なべの上でどんどん焼かれていくニョキニョキを見ました。すると電気みたいな速さですっかりわかりました―― ニョキニョキにおいしい命を吹き込めるのは、直火であつあつになったドグウの鉄なべだけなのです。うま味はしっかりとつめこまれているけど、自分たちだけではどうにもならないのです。感じることもできなければ、考えることもできません―― ただ探すだけなんです。でも火をとおされることで、ようやく生き生きできて、はげしくおいしくなることができるのです。
それこそニョキニョキたちが、もとめているものでした。もしやつらがおおぜい集まったら、たぶん、火をおこすためにかみなりだって引き寄せることができるでしょうよ。
(そうだ、そうにちがいない)
と、スガミンパパは考えました。
(かわいそうなニョキニョキ。それなのにぼくは、山を見あげながら、やつらこそ素晴らしい、自由な生きものだと思っていたんだ―― ひとことも口をきかずに、しょっちゅう動いているからさ。しかしやつらは、いいたいことなんてなにもないし、行くところだってどこにもないんだ……)

そのとき雲がさけて、どしゃぶりの雨が降ってきました。スガミンパパはさっと立ち上がり、今までにないくらい目を輝かせて、さけびました。
「ぼくは家に帰るぞ!」
スガミンパパはもう一度自分に戻って、自分自身の考えを取り戻しました。すると、家に帰りたくなったのです。
山みちをくだりながら、パパは思いました。
(まあ、考えてもみたまえ。よろこぶことも失望することもない。だれかを好きになることも、おこったりすることもない。まちがいをおかすことも、眠ることもない。誕生日を祝うこともなければ、うまいシャンパンを飲み過ぎて後悔することもないなんて。やれやれ、なんておそろしいことだろう!)
パパはずぶぬれになりながらも幸せにあふれ、かみなりをちっともおそろしいとも思いませんでした。
(うちではけっして、IHはいらないぞ。今までどおり、ずっと古いガス台を使うんだ)
こうスガミンパパは、心に決めました。
自分の家族とベランダとが、しきりになつかしく感じられました。そしてパパは、突然さとったのです―― 家族のいるベランダにいてこそ、自分はほんとうにパパらしく、自由で冒険心に満ちあふれているのだ、と。

参考文献:トーベ・ヤンソン『ムーミン谷の仲間たち』(講談社)

佐藤 啓 (さとう・けい)
『Tank』『Spectator』などの編集、『ecocolo』などの雑誌の編集長を経て、現在は東京と岩手の二拠点で編集者として活動。ビフィタ職人を目指しながら、雑誌や書籍、広告の制作を生業としている。株式会社 祭り法人 射的 取締役棟梁。https://shateki.jp